魔王―因果応報の果てに―
二度と取り戻せないからこそ、失った後でようやく大切さに気付く。
たとえばそれは、当たり前だと思っていた日常。
たとえばそれは、父や母からの愛。
たとえばそれは、育ての親。
たとえばそれは――……ずっと支えてくれた兄。
当たり前だったことが当たり前ではなくなった時、人はその当たり前を恋しいと思うのだ。
そしてもし、その当たり前を自分の手で潰してしまったらどうだろうか。
父や母が作ってくれた食事を面倒だからと食べずに出かけたその日、もしも両親が事故に遭い……二度とその食事を食べられなくなってしまったら。
おそらく一生、慣れてしまって食べずに出かけたことを後悔するだろう。
人の死とは呪いと似ている。
メンチカツ像が見せる過去の映像の中、元魔王の指示の下。
僕の死という呪いにかかってしまった彼らは必死に、僕の遺した想いを果たそうと尽力している。
自ら手放してしまったのなら、それはなおさら重い鎖となって彼らを縛り付けただろう。
現在の僕が言う。
『まあ、この時の僕は分かっていなかったんだろうな』
「なにがっすか?」
『僕が死ぬ事によって完成した詐欺は成功してるだろう? けれど、少し成功しすぎた』
「まあ……あれを見せられちゃあそうもなりますよねえ」
アランティアの言うあれとは、僕が作り続けたファイリングの事だろう。
僕のために動く者たちをじぃぃぃぃぃっと眺め、アランティアが頬を指で掻き。
「ぶっちゃけ、普通のお父さんお母さんよりこの人たちの事を考えてますもんねえ……」
『僕を育ての親って感じてる連中も多かったし、だったらそこを利用しない手はないからな。僕にはできなかった弟の完全な降臨をさせるためには、本気で動いてもらう必要があったんだよ』
「それにしても……よくここまでやりましたね」
『まあ、この日のための仕込みだしな』
「そうあっさり言えるからマカロニさんは結構怖いんっすよ……ぶっちゃけ、異常っすよ。これ」
アランティアが呆れとも苦笑いとも違う、なんとも不思議な顔をしている横。
雷撃の魔女王ダリアが言う。
「実際の話だ。婿殿、あれはいったいどうやったのだ?」
『どうやったもなにも――普通にやればできるだろうが』
僕が返した言葉を掴むようにギルダースが言う。
「おん? 普通にやればとか、あれとか――何の話じゃ?」
「呪われし装備を使いこなす若き王よ、ファイルを読めば分かるであろう?」
「ほぅ? 天下無双な魔女王殿は、分からんから聞いちょるんが分からんのか?」
「あのぅ……母さんもギルダースさんも……娘の前で、阿呆なやりとりしないで欲しいんすけど……」
珍しくアランティアが仲裁役となり、リーズナブルが言う。
「陛下が行っていた、彼らへの詐欺……ようするに彼らを拾い育てたその内容に関してですわ。このファイルの通りならば些か、陛下は聖人過ぎますもの」
「そーは言うちょっても、ペンギン陛下が言うちょるようにふつーに、離れて暮らす親みたいな事をやってただけじゃろう」
親をよく知らないからこそのギルダースの発言である。
僕もまた、宗教狂いで僕を見ようとしなかった親しか知らないので、ある意味でギルダースの感覚を理解できていた。
親とはこうあるべきもの、そんな風に……親がいないからこその理想の親を思い浮かべてしまう。
僕はその理想の親を演じ続けたのだ。
肩を竦める動作をして見せた僕は、自慢気にクチバシをふふんと尖らせ。
『ただまあ――その普通を維持するってのは意外に難しいんだよ。親と言っても人間だからな、自分が不機嫌な時や上手くいかない時には、少し子供への当たりが強くなる時もある。だが僕の場合はあくまでも詐欺、他人だからこそ彼らが望むモノを与えられ続けた。完璧にイイ親代わりになり過ぎてたって事だ』
「毎日の健康チェックやら……手紙でのやり取りやら、学び舎であったことへの対応やら。直接会えない以外は、ほんとうに理想の親って感じなんすよねえ。んで、自分が死んだ後のフォローまで全員分済ませてあるなんて。ぶっちゃけ、ここまでくるとキモいっすよ」
は!?
『おい! 何がキモいだ!』
「だって完全に洗脳じゃないっすか! これ! 絶対に親より親やってるじゃないっすか!」
まあそこを利用して、親よりも親をやっていた僕を裏切らせ。
そしてその裏切りにより僕が死んだ後、彼らは自分たちが本当に愛されていたと知り――必死に僕の目的のために動くだろう。
そう計画していたのだ。
「目的のためとはいえ、よーやるのう……」
『実際、こいつらの様子を見れば僕の作戦も成功だっただろう?』
「じゃが……少し哀れじゃ。こやつらの心は一生、ペンギン陛下から離れんじゃろう……たとえ、目的を果たしたとしても、誰よりも自分を思っちょってくれた恩人を裏切り殺した……そん想いをずっと、ずっとじゃ、永遠に背負って生きていくんじゃろうからな」
雷撃の魔女王ダリアが言う。
「ここまでの人数を騙すのは並大抵のことではあるまい。やはりどうやったのか、その心を知りたいのだが」
『どうやったも何も、こーいう詐欺の時の基本は一緒だ。その時、その瞬間の心を本物にするだけだ。騙したい相手を本当に大事な存在だと認識して、本当に愛してやる。自分を騙すほどにな、それだけでいい。そーすれば勝手にそいつにとっての理想の親や導き手、救世主になれるんだよ。相手にとっての理想を演じるわけだから、難しく考える必要もない』
な? 簡単だろう?
と、僕は天才詐欺師ペンギンの顔で告げたのだが。
アランティアが言う。
「よーするに……マカロニさんは拾った全員を本当に大事に扱っていたってことっすからね。もうそれって、本当に救ってたようなもんじゃないっすか」
『たとえ嘘でも、本当に救ってやれば恩が返ってくるって事かもな』
過去の景色の中。
僕がなせなかった奇跡を必死に果たそうと皆が動く。
僕を死なせてしまったと友らが動く。
恩を売った相手に死という詐欺が突き刺さる。
けれど。
生前の僕は見抜けていなかった。
これは何も彼らだけに突き刺さったわけではないのだ。
彼らによって、僕の弟はいつか降臨を果たす。
神の子として、完全な状態で生誕する。
その時、弟の心には――。
……。
誰よりも自分を愛してくれた兄を殺した世界が、そこにあるのだ。
それは、僕が死んでから何年後の話なのだろう。
元魔王と元勇者の子供が結婚し、子供を作るほどの時間だ。
少なくとも三十年以上は経っていた筈。
僕を失った弟は――世界を呪い、僕を蘇生させようと世界をイケニエとし破壊しようとしてしまうのだから。
それはまだ未熟だった生前の僕の失敗だ。
そんな未来を知らずに、解答を導き出した元魔王が皆に言う。
『待たせたね君たち、そして協力ありがとう。全てが上手くいく未来を構築できた。これから、彼と彼の弟、どちらも救う未来を構築する』
元魔王は言った。
まるで現在の僕を見つめるように。
そして、まるで現在の僕に語り掛けるように空を見上げて、君は言った。
『魔王の力を甘く見てはいけないね、友よ――キミにとって過去のワタシにも、未来にいるキミが見えている。もしも今、そこのキミが驚いているのならワタシのルート構築は成功したという事だ。どうかな、夜鷹。ワタシが見えているのかい?』
は?
おい、こいつ。
僕が驚愕の中にいると、女神の力を宿すアランティアも驚愕の中で口元に手を当て。
「うっわ。まじっすか、これ……あの魔王を名乗る三毛猫。完全に、現在のあたしたちのことが見えてますね」
勝ち誇ったドヤネコ顔で、元魔王がニヒリと髯を前に倒し。
『友よ、ワタシは君を信じている。キミがなしてきたことが無駄ではなかったと、この子達を拾い救ったその善行は報われるべきだと。だから敢えてキミに告げよう。キミは確かに目的のためにこの子達を利用した。分類するならばキミは間違いなく悪人だろう。それでも……彼らはキミに救われた。こうして、キミに感謝している。それだけはどうか、忘れないで欲しい』
この子達と呼ばれた、かつて利用した組織のモノ達が。
僕を見上げていた。
彼らはそれぞれに感謝を告げている。
僕は弟を救う道を探していた。
そこに限界が生じ、この作戦を選択した。
けれど、元魔王は。
友はもっと先を見ていた。
僕と弟、両方を救う手段を多くの未来の中から探し、掴み、選択したのだろう。
その未来とは今、過去の彼らを眺めている現在。
僕がまつろわぬ女神、アシュトレトに拾われ異世界で氷竜帝として転生した今の事だ。
この世界では確かに、不完全な神の子として生まれたはずの弟も一度は死ぬが……バアルゼブブ神に拾われ、獣王エビフライとして完全な状態で転生している。
降臨している。
あいつはいま、楽しそうに生きている。
僕もまた、楽しく生きている。
全てが、あいつの肉球の上。
ああ、なるほど。
道理で奇跡が重なり続けていたわけだ。
多くの偶然が繋がって今に至ったわけだ。
今僕が、こうして生まれて初めて幸福を感じていることも全部。
『そうか、おまえのおかげだったんだな――』
この奇跡は全部、必然。
元魔王が全ての叡智と異能を用い、繋いだ一本の狭い線の先。
計算によって意図的に作られた道。
僕は彼に導かれて、ここにいる。
僕のフリッパーは、過去の映像に伸びていた。
ペンギンは泣かない。
けれど、この頬を伝う雫はきっと……。
……。
過去の景色の中。
何も知らない死んだ僕の肉体が、元魔王に操られ動き出す。
それが生前のメンチカツとの出会いと死。
冷凍され欠落する、あの日の記憶へと繋がっていく。
僕の臓器は多くの命を救う。
それが善行となり、いつかあの女神に拾われる布石となる。
ハッピーエンドに至るまでに必要な善行値は満たされたのだろう。
元魔王の描く、夜鷹兄弟二人が幸福になれる唯一のルートが構築される。
全ては伊達ではなかった魔王の、友の計画通りに――今へと繋がった。