願いの奥の希望(アランティア)
騒動の始まりはいつ頃だったか。
そう、あれはバアルゼブブがニャービスエリアに向かった時だ。
あの時の事さえ既に少し前になっている……そう思い返しながらも僕は、私室で尾羽を揺らしていた。
あれからあり得たかもしれない僕からの情報も揃い、僕の商売も順調。
手持ちの金は、星すら買えるのではないかという大金。
数えるのも馬鹿らしくなるくらいの額となっている。
つまりは、そろそろ準備も終わるのだ。
夢の国、ドリームランドへの入り口は僕の夢の中。
荷物を纏めれば、いつでも突入はできる。
あり得たかもしれない僕から得た情報の精査も終わっていた。
後は僕がちゃんと昼の女神の魔術を扱えるようになっていれば問題ない。
例の、夢だの希望だの……あの辺の感覚が必要なのだが。
そちらも問題ない。
僕の逸話魔導書の複製と販売をしながら、多くの人や国、世界と接していたらもはや問題なく発動できるようになっていたのだ。
私室にて最後の準備を進める僕に、ひょっこりと顔を出したアランティアが言う。
「あれ? マカロニさん、結局ブリギッドちゃんの魔術は使えるようになったんすか?」
『……まあ一応な』
「へえ、じゃあもうすぐ突入なんすね! じゃああたしも準備を――」
わりと本気で行く気満々。
そそくさと支度を整えようとするアランティアに、クチバシを大きく開いた僕はクワ!
『アホかぁぁぁああ!? このバカ! おまえが捕縛されたら終わりなんだよ!』
「いやいやいや、でもあたしがいないと魔術を発動できないっすよね?」
アランティアこそが創世神話に記された魔術の箱。
彼女の理論は合っている。
ドリームランドは僕の夢とはいえ異世界、世界が異なれば魔術法則が異なってくる。本来なら違う魔術体系の発動は非常に困難になるのだが……彼女の存在があれば話は別。
おそらくアランティアがただいるだけでそのまま、六女神の魔術が発動できるようになる。
だが――。
『とにかくお前は置いていく。この僕が負ける戦いをするわけがないってのも分かってるだろう? ちゃんと考えがあるから安心しろ』
「じゃあその考えを聞かせてくださいっすよ!」
『はいはい、全部が終わったらちゃんと教えてやるから。大人しく待ってろ』
言い聞かせるようにではなく、気軽なやりとりで留守番宣言をしたのだが。
アランティアは少し空気を変え。
「真面目な話なんすけど、あたし、待ってるのってあんま好きじゃないんすよ」
『お前の母親――雷撃の魔女王ダリアのことか』
「待っててって言われた方の気持ちとか考えたことありますか?」
『言われたことがないから知らん!』
偉そうに言い切ったので僕の勝ちである。
……。
いや、こーいう状況で勝ち負けなんてないか。
『よーするにお前は置いていかれるのが嫌なわけだな』
「だって仕方ないじゃないっすかあ。あたしの母さんは実際帰ってこなかったんですし、悪い意味でゲン担ぎみたいになっちゃいません? だいたいあたしの原初? みたいな魔術の性質は”希望”らしいじゃないっすか? それって良い意味でも悪い意味でも想いを叶える性質があるんすよね? ヤバヤバなんじゃないっすか?」
『いや……おまえが普通に僕の帰りを願ってればいいだけだろ』
そうするだけで、支援効果が発生。
その思いが実際に魔術効果となり僕の帰還成功率をかなり上げる筈。
だがアランティアは、偉そうに肩を竦めてみせ。
「あまいっすね! 人間ってままならない生き物っすからねえ! そうならないで欲しいって願うほど考えちゃうんすよ? そんなことも知らないだなんて、ダメダメっすねえ」
『開き直るな!』
「開き直ってなにが悪いんすか! あのっすね! あたしたぶん本気で置いていかれたら、帰ってこないんじゃないかって心のどこかで思っちゃいますよ!? そうしたらその心があたしの希望の力で叶っちゃうんすよ!? それってアウトっすよね!?」
こいつ、魔術の知識だけは本物だけに自分の性質をちゃんと把握してやがる。
なぜかアランティアの方がダダをこねる子供を見る顔で、はぁ……と息を漏らし。
「だいたい、普段なら自慢げなドヤ顔で作戦を説明するのに、今回はなし。それって、マカロニさん……説明できないような作戦を立ててるんじゃないっすか?」
『おまえには誤魔化しが効かないから、説明できないってのはまあ認めるが』
「それにマカロニさん、本当ならマカロニさんの切り札で他の神々にも優位に立てる筈の偽証魔術をあっさり体系化させて、伝授しちゃいましたよね? あれってもし自分が負けても問題ないようにするためなんじゃないっすか?」
よく見てるなあ……。
『そりゃあ本当になんかの間違いで僕が負けたりしたら宇宙の危機だからな、最善策だろ』
「もう一つ! 敵はマカロニさんの夢……深層心理の奥に生み出された世界に存在するわけですから、もしマカロニさんが消滅しちゃったら敵も消滅するんすよね? 負けたり捕縛されても女神さんたちに偽証魔術を授けたから問題なし、自分が消滅するならそもそも敵も消えるから問題なし。それって、もしかして勝てない前提で作戦立ててませんか?」
『ふつーのリスクヘッジ案件だろうが!』
ペンギンクチバシから言うことを聞けと、音波を発生する僕。
その正面からアランティアは負けじと口を開き。
「ダメっすよ! あたしはマカロニさんに帰ってきて欲しいんですから! 負ける前提の作戦なんて要らないんじゃないっすか!? 勝てる可能性を突き詰めた方が前向きじゃないっすか!」
負けた時のリスク管理は大切なのだが……。
まあこういうものは理屈ではないのだろう。
いつものジト目で僕が言う。
『どっちにしてもお前を連れて行くのだけはダメに決まってるだろ!』
「じゃあ誰を連れて行くつもりなんすか!?」
『僕一人で行くんだよ!』
「やっぱり無茶する気じゃないっすか!」
無茶ではなくこれは立派な作戦なのだが……。
『あのなあ、僕が生み出した夢世界なんだから……分類するなら僕はあいつらが隠れてるあの世界では主神、僕の能力は大幅に上昇する』
「だからって一人で行くことはないでしょうが!」
『じゃあ聞くが……メンチカツを連れて行ったとして、ちゃんと役に立つと思うか? メンチカツの弱点を知ってるだろ』
「う……っ、そ、それはまあ……」
メンチカツは状態異常に弱い。
そして暴力の化身であり破壊力と回復魔術だけは超一流、それが問題なのだ。
操られて僕を消滅させるだけの力があるし、操られて敵を回復させ続ける可能性もある。
「じゃ、じゃあエビフライさんはなんでダメなんすか」
『は? ふざけんなよ、弟を本当に危ない所に連れて行けるわけないだろ?』
「うわあ、これガチ睨みっすね――マカロニさんって……普段はめちゃくちゃ隠してますけど、ふつうにブラコンだったんすね……」
ダゴンを連れて行く選択肢もあるが……。
それもなあ、と説明しようとした時だった。
僕の私室だった空間が、僅かに揺らいでいた。
アランティアが、ん? と周囲を見て、じいぃぃぃぃぃぃ。
何も引っかからなかったのだろう、気のせいだと油断しそうになっているので僕が言う。
『気のせいなんかじゃない、気を付けろ!』
「夢世界から送り込まれてきた敵、っすかね……」
僕は索敵を開始。
そして、敵を把握した瞬間にアランティアに向かい転移魔術を発動。
空中庭園に緊急転送しようとしたのだが。
アランティアは転移波動を避けて、ギロり!
「いきなりなにするんっすか!?」
『あぁあああああああああああぁぁぁ! おまっ、ふざけるなよ! 転移で退避させてやろうとしたのに避けるやつがいるか!?』
「何言ってるんすか! 主神の子供宣言で信仰補正で成長しまくりのマカロニさんの傍にいるのが一番安全じゃないっすか!」
それはそうなのだが。
今回ばかりはそうじゃないのだ。
もう一度、転移の魔術で強制退去させようとした僕に、まるで女帝のような鋭く重い女性の声が響きだす。
「ほう、娘を先に逃がそうとするとはな――氷竜帝マカロニ、搦め手を得意とするペテン師と聞いていたが貴公にも騎士道があるという事か」
それは、ただの人類の声だ。
けれど、おそらくアランティアには心に響く声の筈。
カツンカツンと、騎士の甲冑を揺らしながら歩く音が、闇の中からやってくる。
アランティアが恐る恐る、敵を眺め。
唇を震わせる。
「かあ、さん?」
そう。そこにいたのは雷撃の魔女王ダリア。
おそらく、あり得たかもしれない僕を召喚した原理と同じ。
やつらはアランティアの母を未来視の中から具現化させたのだ。
どうしたものか、悩む間は一秒もなかった。
一瞬だった。
刹那の間に、魔法陣が回転していた。
雷撃を纏った砂漠騎士の一閃が、僕の私室を戦場へと変化させていたのだ。