『知識不一致』―ワタシが知るモノ、知らぬモノ―
【SIDE:此ノ書】
禁断の魔導書たる<此ノ書>が、物語を語りだす。
此ノ書は門外不出の書。
此ノ書は十年以上も眠っていた書。
我に込められた力は、歴史の記録と自動手記。
周辺国家の情勢を遠くを眺める魔力の瞳で読み取り、書き連ねる力を有していた。
その書に記された最後の記録は、スナワチア王がタヌヌーアの長と契約を交わしたという記述。
おそらく王はその日、此ノ書を図書館の最奥に封印したのだ。
此ノ書は書が目にした事実を、ありのままに刻んでいる。
それは他国への諜報に用いることもできるが、逆に言えば自らの弱点もそのまま晒してしまう諸刃の剣。
だからこそ、王は自らが去る前に此ノ書を封印した。
自分の入れ替わりの事実を隠すため。
そしてなにより、かつてのあの凡愚の王は此ノ書が怖かったのだろう。
だが、我たる禁断の書もついに解放された。
此ノ書に自我はない、願望もない。
ただありのままに歴史を記録することのみを是としている。
だからあの日、草原で枕にされていた此ノ書はその力を発動させていたのだ。
十年以上の空白を埋めるべく動くと、状況が見えてきた。
マカロニペンギンに支配された間抜けな国。
かつて強大だったスナワチア魔導王国。
かの強豪国が魔導船を失い、低級魔獣に支配されたという噂は周辺国家にも広がっている。
当然その話は、かつてアランティア元王女と皇子の一人が婚約をしていた国。
シュっとした爬虫類顔の美形を多く有するダガシュカシュ帝国にも当然伝わっていた。
此ノ書は知っていた。
ダガシュカシュ帝国といえば騎士の国。
絶対的な血筋主義であるが、矛盾するようにその方針は実力主義。
傍系でもいい、傍系の更に端でも構わない。
ほんのわずかに王族の血筋さえあれば誰にでもチャンスがあるのだ。
事実、代々の最強の武芸者が騎士皇帝となり他の騎士を束ね、帝国そのものをその力を以て支配し治めるシステムを維持し続けていた。
おそらく今もそれは変わらないのだろう。
ダガシュカシュ帝国の誕生にも神話がある。
六柱の女神の内の一柱、きまぐれで有名な天の女神が塩顔イケメンもみたいと動き、砂漠に聖杯の水を施したことから誕生したと言う話も有名だろう。
そう、かの国は女神の寵愛によって生まれた帝国でもある。
はぁ!? てめえ! そんな理由で世界に干渉するのはどうなんだ?
と、天と地と海の神とは異なる三柱、朝と昼と夜の三柱の内の一柱が呆れて抗議したとの逸話も残っているが……それはまた此度の物語とは別の話。
だが、神の逸話は有名であっても、この話はあまり有名ではないだろう。
この騎士の国には一人の女傑がいた。
此ノ書は知っていた。
だがおそらくは他の者はあまり知らない。
その女傑は優秀な魔術師であり、そして類まれなる剣の才能に恵まれた騎士。
武器の素材として重宝される資源。
山脈から取れる<魔紅石>を巡るスナワチア魔導王国との戦で戦死した、アランティア元王女の母の母国だということを。
此ノ書は今の状況を見た。
ナニかが此ノ書の表紙を圧迫している。
それはふかふかな羽毛。
鳥の……。
尻だ!?
手持ち無沙汰で動くペタ足が、背表紙をペタペタペタ。
コレは一体なんだ!?
何者だ!?
賢者さえ無知に見えてしまう此ノ書ですら、知らない。
コレの記述はない。
悍ましきコレが、その咢を蠢かし嘴の隙間から魔力を漏らす。
『なあ……いったいいつになったら着くのさ。もう三日目だぞ? そりゃあちゃんと転移の魔術が使えるのは僕だけだから、船でって事情も理解できるけどな。いくらなんでも退屈過ぎるだろ』
どうやらここは船上らしい。
航路を読み取って感じる行く先は、やはり騎士帝国たるダガシュカシュ。
悍ましきコレはかの地を支配しに行くつもりなのか?
歴史を刻み、事実を記録する魔導書たる此ノ書は考える。
自我がない筈にもかかわらず、思考が走る。
――これは、このペンギンの魔力に中てられた我に意識のようなモノが生まれたとみるべきか。しかし、コレはいったい、なんだ!? 何者だ! このような悍ましき存在、我は知らぬ!
そこで此ノ書たる我は力を用い。
そして。
知った。
これはバケモノだ。
叫びたいと思った。
逃げたいと思った。
けれど、此ノ書は魔導書にして、このペンギンがちょうどいい高さだと使用する枕であり台座であり、踏み台。
逃げる暇はない。
ペンギンに向かい、騎士帝国の血を感じさせる騎士姿の小娘が言う。
「はぁ……マカロニさんが行くって言いだしたんすよね?」
『だってウチが寄贈した銀杏が成長しまくって、太陽の陽射しを覆いつくす程の巨木になって大騒動になってるんだろ? ぷぷぷ! ちゃんと説明書に増えすぎるから植えちゃダメって書いておいたのに、馬鹿な国だよなあ』
「いや、ぜったいわざとっすよね?」
『注意書きを読まない方が悪いだろ』
「相手が約束を破って量産しようと植林したら、国家を覆いつくす程の巨木に成長するしかけって……いったい、どこからそーいう外道なこと思いつくんすか……」
ペンギンが言う。
『ダメって言われるとやりたくなるのが人類。その辺はどこの世界でも共通なんだろうね』
「ああ、マカロニさんもその座布団化してる魔導書、ダメって言われてるのにとうとう勝手に複製して持ち出しちゃってますもんねえ」
『原本が駄目だってだけで、コピーがダメとは書いてなかったからな』
「あれ? でも……あたしがスパイ活動している時に耳にしたんすけど、たしかその魔導書……複製が禁じられていたような」
ペンギンは目をそらさず、まっすぐと相手の目を見る詐欺師の顔で。
『おまえの記憶違いじゃないか』
「まあいいっすけど。どーするつもりなんっすか、あの……えーと」
『ダガシュカシュ帝国だろ』
こいつ、本当にどーしようもねえな……とジト目をするペンギンであるが。
此ノ書はごくりと無い喉で、無い唾を飲み込みそうになっていた。
人類は気付いていないのか?
賢そうな外交官も、聖女も、賢き獣人タヌヌーアの長も皆。
コレが見えないのか!?
コレは地のベヒーモスであり、海のリヴァイアサンであり、天のジズ。
それら全てを内包した、悍ましき合成獣。
何故気づかない。
魔獣も魔物も、この船には一切近づかない
怖いのだ。
コレが。
その証拠に――。
たった一匹で七つの国を滅ぼしたとされ、実際には九つの国家を滅ぼした伝説の魔獣――。
天地創造の時代より棲息する海の魔物、<万年悪魔蛸>でさえ、今、この瞬間に一本の足を切り離し脱兎のごとく逃げたと言うのに。
何故。
何故。
何故気づかない。
何をするのか分からぬ、天の女神が落としただろうきまぐれのケモノがこちらをじっと見ていた。
またいつものように便利に使うつもりなのだろう。
ペタっとした鳥の足が、此ノ書を台にし海に向かい釣り糸を垂らす。
「うは! 自分もペンギンなのに、釣りっすか!?」
『あのなあ……ペンギンは釣りじゃかからんだろう』
「え? そーなんすか? 魚を餌にしたら、ふつーに引っかかりそうっすけど」
『え!? そうなのか!? この世界ではそーいうもんなのか?』
「どーなんでしょうねえ」
下らぬ会話に、紛れもなく人類最強の聖女がふふふっと微笑し。
「あたくし達の世界であっても、ペンギン釣りなどという珍妙な文化はございませんわ、ジズ様」
『そりゃそうだよな、ったく、脅かしやがって』
「ところでジズ様、いったい何をお釣りに?」
『いや、なんかさっきさ。でっかい蛸が自分の足を切り離して逃げてったから、魔力で吸引して引き上げようとな……! っと、今だ! よっしゃ! どうだ見たか! 今夜はたこ焼きパーティーだぁぁぁぁぁぁ!』
こんな海域にでっかい、蛸?
聖女は訝しみ、その横では外交官が思考し。
はっと顔を見合わせ。
彼らはおそらく答えを見つけたのだろうが。
「まあ、さすがにそれはない……」
「であろうな」
現実逃避をしやがり、釣り上げた伝説の魔物の足から目線を逸らすのみ。
誰か、このケモノを止めろ!
此ノ書はコレが怖くてたまらない。
ベヒーモスであるリヴァイアサンでありジズである珍獣。
このバケモノを乗せた船は、次の犠牲者たる騎士帝の支配する帝国へと向かう。
歴史を刻む此ノ書は、ただただ彼らの物語を刻む。