女神アシュトレトの下界散歩~歩く特大地雷~
ここはスナワチア魔導王国での僕の執務室。
緊急転移の波動が周囲の調度品を揺らしている。
魔力の風に乗って揺れるカーテンの隙間からは、暖かい香り。
輝く太陽の陽ざしが入りこんでいる。
スナワチア魔導王国は今日も平和のようだ。
氷竜帝マカロニこと偽神で王様の僕の帰還に家臣たちは大忙し。
いつものように突然の帰国に、留守の間の代行たるマキシム外交官が文字通り魔術で飛んで出迎えに来たようだ。
「お戻りになるならば事前に連絡をいただきたかったのですが――陛下」
マキシム外交官はかつての英雄。
そして僕の家臣となってからは腹芸や観察眼といった、王の側近として必要なスキルが伸びていたのだろう。
神の威光を魔術で抑えたアシュトレト神を一目見て、頬をヒクつかせ。
僕の両肩をガシっと掴み、普段は絶対見せない笑顔でにっこり。
「マカロニ陛下、少々よろしいでしょうか? とても大事な案件を大至急確認したいと願っているのですが?」
まあ、こいつなら即座に気付くわな。
ぷるぷると脂汗を滴らせる……肉体年齢だけは中年の老獪な家臣に向かい、僕もこいつの手が乗ったままの肩を竦め。
『マキシムおまえの想像通りの相手だ、くれぐれも失礼のないようにな』
『なんじゃこそこそと――妾のマカロニよ! 人を迷惑千万な招かれざる客のような反応をしおって! 創造の女神が降臨して何が悪いというのじゃ!』
『悪いに決まってるだろうが! 創造神の一柱がふつーに下界をうろちょろしていいわけないだろう!』
隠しきれない大物オーラを纏う女神を見上げペペペペ!
威嚇する僕にアシュトレトは黄金の魔力を放ちつつ、ふっと微笑し。
『人々を昏倒させる神の威光は封じておる、何が問題じゃ? のう、マキシムとやら、そなたもこやつに何か言うてやれ』
「わ、わたくしには、お、恐れ多い事にございます」
『ふむ、わたくしとな――そなたは礼儀を弁えておるようじゃが、良い、許す。此度は無礼講じゃ。もそっと砕けた口調でも構わんぞ?』
もそっと……って。
配慮できる妾、偉い! みたいな顔をしているが。
『あんたなあ、目上過ぎる相手に無礼講だって言われるのが一番困るんだぞ?』
『そーいうものかのう、妾には目上という存在があまり浮かばんのでピンとこんぞ』
『唯我独尊すぎるだろ……』
呆れつつも僕はマキシム外交官に目線を戻し。
『とにかく、こーいうわけだ。さすがに急に暴れたりはしないだろうが、他の連中にも、それとな~く僕の帰還と大事な客が来ていると伝えとけよ』
「承知いたしました。ですが、よろしいのですかな?」
『なにがだ』
「なにか重要な案件での留守、陛下が向かわなくてはならないほどの案件でネコの行商人たちの仕入れ先に向かった、そう聞いていたものですので」
まさか地の女神が脱走して大地がやばかったとは言えないが。
なんとなく僕の顔から空気を読み取ったのだろう――マキシム外交官が安堵と憐憫の感情を混ぜた表情で。
「なかなかに大変だったようですな、陛下。さて、その武勇伝。歴史に残すためにも後で聞かせていただけると助かりますが」
『ま、そのうちな』
「つまりは、この国にお戻り頂けると解釈してもよろしいのですね」
『おいおい、おまえが野心家でこの国を欲しがってるのは知ってるが――不服なのか?』
ジト目を向ける僕にマキシム外交官は眉を下げ。
「女神さまが降臨するような案件なのでしょう。故にこそ、ただならぬ事態であることは想定できます。もしやそのまま帰らぬということもあるのでしょう。ただ、欲を言うならばです――可能ならば陛下、あなたさまが最大限にこの国を発展してくださった、その後に譲り受けたいと考えておりますが?」
『それも本音ってところだな。まあ、ちゃんと帰ってくるから宴会の用意もしておけよ』
言って、僕は既に勝手に歩きだしてる女神アシュトレトの背を追ってペタタタ!
平伏し、見送るマキシム外交官のもとを後にした。
◇
勝手に歩くアシュトレトを見て、城内の家臣たちの反応は様々。
美の女神の美しさは多くのモノを魅了しているが……強者であればあるほど、その美しさの奥にある圧倒的な魔力に気付き……。
あ、これ……ぜったいに敵にしてはいけない類の存在だ。
と、委縮し平伏、即座にその差を理解するようだ。
彼らもその気付ける存在だった。
僕の帰還に気付き挨拶にやってきたタヌヌーアとコークスクィパーの長が、アシュトレトに気付いた瞬間に――ビシっ!
完全に表情を硬直させ、股の下に尾を隠しつつ、ガクガクガク!
平伏し、あばばばばばっと目をグルグルとさせながらタヌヌーアの長マロンが、美形顔を下げたまま言う。
「ご帰還お待ちしておりました、マカロニ陛下」
『おう、いつも諜報ばっかり頼んで悪いな。で? なんでそんなに怯えてるんだ?』
わざとニヤニヤしながら聞く僕をコツン。
屈んだ女神アシュトレトが僕の頭を軽く指で叩いた後、獣人美形なマロンを眺め。
『妾のマカロニよ、美形には優しくせねばならぬぞ?』
『なら、僕は自分に一番優しくする必要があるんだから、やりたい放題していいってことだろ?』
『ふふ、言うではないか』
ほほほほほっと高笑いを浮かべる女神アシュトレトを直視できないまま、コークスクィパーの長キンカンが媚びを売るように手揉みをしつつ言う。
「あのぅ陛下? もしやこの方は……」
『ああ、美の女神アシュトレト本人だよ。しかし、おまえらよく気付いたな。マキシムならそりゃあ気付くだろうとは思ってたが』
『タヌヌーアとコークスクィパーの長、であるか――ふむマカロニよ、そなたに聞きたい』
うわぁ、なんか面倒になりそうな気配があるな。
『聞きたいって……あんたなら僕に聞かずとも見ようと思えば見えるだろう』
『いいや、そなたの口から聞きたいのじゃ。こやつらの種族はいまだに血で血を洗う戦いを行っておるのか?』
タヌキとキツネ。
二匹の獣人はビクり――頭から生える獣耳を膨らませる。
まあこいつらの種族が互いに、結構えぐい事をしていたのは事実。
下界に興味を示した女神に僕は言う。
『昔の話だ。今は両方の種族を僕がちゃーんと便利に使ってるからな。そんな暇もない筈だぞ』
『そうか、ならば良いのじゃ。我が夫がケモノ耳と尻尾を持つ者同士の争いを嘆いておったからのう。どちらの味方もできないのは歯痒いと、悲しい顔をしておったのを思い出したのじゃ』
よーするに、おまえらこれ以上モフモフ好きなうちの旦那を困らせるなよ。
と、女神からの忠告のようだ。
タヌヌーアの長マロンが顔を上げ。
「わ、吾輩らは共に協力し」
「マ、マカロニ様に忠誠を誓っております故、どうかご安心くださいませ」
応えたコークスクィパーの長キンカンがニッコリとキツネスマイル。
『ふふ、良い――これ以上は干渉にあたる故、口出しはできぬ。多少のケンカなら許すが、種の繁栄や存続に影響するレベルならば……いや、口にするべきではあるまい。それでは、ちゃんと獣毛を磨いて日々を過ごすと良かろうぞ』
仲良き事は美しきかな、と満足そうに微笑した女神アシュトレトは、スタスタスタ!
そのまま、また勝手に動き出す。
全身に脂汗を浮かべる彼らに僕が言う。
『おまえら、今のは神との契約になるからマジで気を付けろよ……』
言って、僕は未来視を発動。
それを映像化し、仮に女神との約束を破った場合に起こる、最終戦争ともいうべき人類が滅びる終末を見せていた。
そう、このアシュトレト。
うっかりすると全人類を巻き込み、滅びを与えてしまうぐらいのやらかしは平気でしてしまう地雷なのだ。
さすがに自分たちの種族のせいで終わり、人類が絶滅するのはまずいと思ったようだ。
コクコクと頷く彼らには同情しつつも、僕は慌ててアシュトレトを追う。
女神の下界散歩はまだ続く。