◆◆幕間―始まりのマカロニ―◆◆
◆◆【SIDE:始まりの日】◆◆
あの日、天の女神アシュトレトはそれを見つけた。
虚空を流れる哀れな魂。
信仰に振り回され、残された唯一の家族を守るためにやりきって死んだ男の魂である。
冥府や煉獄。
冥界や奈落。
信仰により行き着く先は異なるだろうが、そういった死者の世界からも零れている逸れた命。
猫の足跡銀河……宇宙を流れるその魂を眺めたアシュトレト神の唇が動く。
『哀れな――行き場なき魂かえ』
それはほんの気まぐれだった。
この場にアシュトレト神がいたのも偶然だった。
奇跡的な確率だった。
主神たる夫とのデートを前にした、ほんの一時の休憩時間。
愛する者たちと生み出した自らの宇宙を眺めていた女神は、その魂に手を伸ばしたのだ。
そしてアシュトレト神はその魂の顛末を知った。
『ふふ、そうか――元勇者と元魔王すらも翻弄し、多くの人類を騙し嘲り……自らのために悪をなした男の魂とな。嗚呼、邪悪じゃ。邪悪じゃ。なれど、なんとも哀れで愛おしい邪悪さよ』
宇宙の中で黄金に輝く女神は、彷徨える魂を引き寄せ瞳を閉じる。
哀れな魂を胸に抱いたのだ。
その表情にあるのは慈悲。
女神アシュトレトの中に、ある男の魂の生涯が更に流れ込んでくる。
記憶だ。
そこに見えたのは、人類が勝手に解釈した神の教えに振り回される子供の姿。
女神はますますこの魂が愛おしくなった。
『信仰によって歪められた妾らと同じ、そなたもまつろわぬ者か』
『アシュトレト――何をしているのですか?』
『レイドか、ふふ……見よ――この哀れで邪悪でなれど純粋に生きた男の魂を』
現れたのは創造神だった。
主神レイドである。
猫の足跡銀河が輝く下、主神と女神はその魂を眺めていた。
『我が夫よ、妾はこの魂を拾おうと思っておる。構わぬな?』
『構いませんが、アシュトレト……一度手を伸ばした魂を途中で捨てることを私は是としません。拾った以上は、責任をもって育てていただくことになりますが――』
『分かっておる、分かっておる。妾とて、かつて神たるそなたに拾われた身――この者の魂、妾が全ての責任を負い愛でると誓おうぞ』
主神が言う。
『あの、あなたの誓いはあまり守られたことがないような気がするのですが……?』
『なぁぁにを言うか! 三回に一回は守られておるであろう!』
『偉そうに言わないでください……ですが、まあそうですね』
主神もまた、ある男の魂に手を伸ばし。
『信仰に振り回された者の悲哀は、少し……思うところはありますね』
『であろう!? これは既に妾の所有物じゃ! 妾が拾ったのじゃ! 誰にも渡さぬし、誰にも譲りはせん!』
告げて女神は、まるで我が子の様に彷徨える魂をぎゅっと抱き。
『嗚呼、そなたは妾の子じゃ。愛されなかった分、見て貰えなかった分、妾が存分にそなたを愛でてやろう。愛してやろう、妾はそなたがどのような事をしようとも味方で在り続けよう。たとえ宇宙全てを敵に回しても、妾だけはそなたを我が子の様に……無償の愛を授けよう』
豊穣の地母神を彷彿とさせる優しい笑みを浮かべ、アシュトレトが夫を眺め告げる。
『人類との契約のケモノ、獣王の器を使うが構わぬな?』
『構いますが……この状態のあなたに何を言っても無駄でしょうね。仕方ないので、創造神としての私の力も授けて様子を見ましょう』
『ふふ、レイドよ。創造神の力の付与……創世魔術の伝授などやはりそなたもこの魂を気に入っておるのだのぅ』
ある男の魂に、神の力が注がれていく。
『しかし、気になるのはこの子が偽証の中に生み出したこの神性。本来ならば人類の創作の中の存在たるヨグ=ソトースですが……』
『うむ、確実に力を持った神性が顕現しておるな』
『魔術の力の源は人の心にある。人々の夢の中は魔力の泉、故に、この世界を眺める存在が具現化するとしたら……夢の中の世界ドリームランドが選ばれやすい』
ある男の魂の中に沈んでいるヨグ=ソトースを眺め、女神が言う。
『レイドよ、これの正体を知っておるのか?』
『さてどうでしょう。ただ、あまり触れてはいけない類の存在であるとは感じます。創造神を創造する存在……たとえば四文字で表現されるような大いなる存在……いえ、たとえそうだとしてもあくまでもコレは偽証の存在。幻影の召喚獣の類。哀れな子供が自分を守るために生み出した、偽の神に変わりはないでしょう』
『偽証魔術……嘘を世界に信じ込ませ、確立させてしまう魔術であるか……』
女神は言う。
『なぜこの子はその嘘をもって、ただ愛して欲しいと願っていた思いを達成せなんだ。両親を騙さなかったのじゃ、彼らは自分を愛していると、世界を騙さなかったのであろうな。神を創り出してしまうほどの偽証ができるのじゃ、人の心を操るなど造作もなかろう。しかし、なぜ……妾には分からぬ』
主神が言う。
『そもそもこの子は並の人間。自分の嘘にそのような力があるとは知らないのでしょう……それに……仮に力を自覚していたとしても、おそらくこの子はそのような嘘をつくことはないでしょう』
『なぜじゃ』
アシュトレトは夫である主神の言葉が分からなかった。
だから教えて欲しいという顔で、女神は主神を見上げる。
『偽りの愛ではなく、本当の愛が欲しい。それがこの子の心からの望みだからですよ』
『そうか、偽の愛など欲しくはない……か』
ならばと、女神はことさらに強く魂を抱きしめ。
『やはり妾はそなたを愛し続ける。我が子の様に……妾だけは――けしてそなたを捨てたりはせぬ。だから、安心して産まれ直すが良い』
汝は妾の子じゃ。
と。
天の女神はある男の魂に、最上級の加護。
母たる愛を施した。
そして、その子は卵の中へ。
誰からも愛されるマカロニペンギンの姿へと、転身する。
この卵が孵化したその時、彼の物語が始まるのだ。
氷竜帝マカロニがどれほどに天の女神に悪態をついても、女神は微笑んだまま。
無償の愛を注いでいた。
<幕間―了―>