◆◆『果ての果ての兄弟』◆◆
◆◆【SIDE:ムルジル=ガダンガダン大王】◆◆
偽証魔術にて世界を騙し、人間の姿を取り戻している夜鷹マカロニを前にしてムルジル=ガダンガダン大王は考える。
尾を揺らし、どこまで語るべきか。
どこまで報せてよいのか、考える。
ネコの視線はバアルゼブブ神に向かうが、彼女はふわぁぁぁ……っと欠伸をしてマカロニ隊に出された茶菓子を咀嚼しているのみ。
やってきたのがせめてダゴンであったのならとムルジル大王は思うが、今更チェンジもできそうになく――。
ふにゃぁ……っとネコらしい吐息を漏らした後に、覚悟を決める。
『では問おう――夜鷹マカロニよ。貴殿は救世主の存在に関しての知識はどれほどにある?』
『救世主?』
質問の意図が分からないのだろう――夜鷹マカロニは詐欺師の顔を崩し、はぁ……と気の抜けた反応だった。
若干の戸惑いを浮かべるのみなのだ。
そこに偽証の色はない。
『言っとくけど僕にはそれほどそっちの知識はないぞ? せいぜいが弟と遊んでたゲームとか、そういうエンターテイメント分野での知識が入ってるぐらいだ』
『ええーい! いいから答えんか!』
『へえムルジル大王、あんたが怒った顔を作っても可愛い猫のままなんだな。はは、なんか笑えるなあ』
多少甘えるように苦笑した詐欺師の男はムルジル大王の揺れる髯を、くいくいっと指先だけで触れて遊んで見せている。
これは相手と接触することで距離を縮める詐欺の前振りの一種だが、騙そうとしているのではなく単純に癖。
こういう仕草の一つ一つが自然なルーティンになっているようだ。
『まじめにやらんか、まじめに! 余への不敬は商人への不敬! ネコの行商人の立ち入りを禁止させても良いのだぞ!?』
『怖いなあ。あんま怒るなよ、あんたを可愛いって言ったのは本音だって分かってるだろう? っと、さすがにこれ以上はしつこいか、救世主ねえ。それって本当に弟の話と関係あるのか?』
『くどいのぅ……関係ないのなら聞きはせぬだろうが』
夜鷹マカロニは特徴的なジト目で告げる。
『そんな関係のない話に逸れまくる女神と主神が、身近にいるもんでな』
『ふぅぅむ……あやつら、そちらの宇宙を作り上げても変わっておらんのだな』
『ああ、困ったもんだろう? あんたみたいなまともな猫神がこっちに来てくれたら僕も助かるんだがなあ』
『戯け者がっ、さらりと肉球をプニプニしようとするでない! 疾く答えんか! その様子からすると貴様とてあのまつろわぬ女神たちと同類、話を逸らす常習犯であろう!』
ムルジル大王は精神に障壁を展開していた。
氷竜帝マカロニと違いこの夜鷹マカロニには危険性がある、悪意がなくとも、いつのまにかグイグイと心に入り込んでくるのだ。
夜鷹マカロニも話を進める気になったのか。
甘いマスクに悪戯小僧なような色を乗せて、数えるように指を折りながら。
『まあやっぱり宗教とかのアレになるんじゃないか。東洋なら仏陀とか弥勒菩薩とか、あとは西洋のほら、あれ……なんか名前を言おうとしてもでてこないな。その、ふわふわっとしたイメージしかないが十字架とか教会とかの、メシアとか光あれ的なアレだろ』
『良い良い、概ねあっておるぞ! だぁっはっははは! 余が褒めてやろうではないか!』
無意識に懐柔してこようとした夜鷹マカロニに対する意趣返しか。
ムルジル大王はむふーっとネコ顔を膨らませ、夜鷹マカロニの頭をナデナデナデ。
子供をあやすように褒めてみせていた。
『って! なにするんだよ! 肉球でぐいぐいするな! セットしてる髪が乱れるだろう!』
『ガァァァーッハッハッハハ! 余の方が年上であるというマウントであるが?』
『なんだそれ……それで! 救世主がなんだっていうんだよ?』
無理やり自分のペースに持っていったムルジル大王は肉球に向け、コホンと咳払い。
『西洋の救世主に関しては、まあ色々とあってな。今はその名を口にすることができなくなっておる』
『意味が分からないんだが……たしかに、口にできないな。てか、メシアなんて実在するのか?』
『少なくとも余らの宇宙「三千世界」においてはメシアは実在する。神の奇跡も祝福もな。そしてメシアの存在が実現しているからこそ、そのメシアの伝承に釣られて顕現する「魔たる者」も存在する。メシアの敵対者にして反救世主の化身といえるアンチクライストも実在しておるからな。少なくとも魔術の実在する世界においては、救世主の実在は確実であるのだ』
魔術と救世主の関係。
救世主と反救世主。
それらの伝承を語るのはあまりにも長すぎる、だからこそムルジル大王は神話の書物に値札をつけてスゥっと交渉テーブルに並べ始めていた。
ムルジル大王の瞳は語っている、お買い得であるぞ?
と。
夜鷹マカロニは頬をヒクつかせ――。
『おい、短足猫』
『た、たたたた、短足だと!? うぬぬぬううううぬぬぅぅぅ! なんたる不敬であろうか!』
『いきなりアホみたいな値段の逸話書を並べる、守銭奴ネコのおまえが悪いんだろうが!』
『商人が適正価格で商品を展示することの何が悪いというのだ!』
嫌なら買わなくてもいいのだぞ!?
と、ムルジル大王はむふーっと足元を見ながらナマズの髯を蠢かすのみ。
買わないわけにはいかないのだろうと、夜鷹マカロニが共通金貨を取り出し購入したその瞬間。
大王ネコは瞳をキラーン!
ムルジル大王がしれっと告げる。
『まあこの辺りの説明はそちらの主神、レイドの小僧も知っておる! ヤツ自身にもまつわる神話時代の話でもあるからな! ……まあ知りたくなったら聞けばよい! 文献も探せばあるだろう!』
『おま、おまえ……っ! ふざけるなよ、買っちまったじゃねえか!』
『だーっはっははは! だが本質は”救世主という存在”にあるのだから無駄ではなぁいぞ! 今回の件、貴殿の弟に関しては多くのモノに信仰されておる”名前を言えぬ救世主”と共通点があるのだ。そこが問題となっておる!』
稀代の詐欺師は頭も回るのだろう。
ムルジル大王には見えていた……夜鷹マカロニは大王の話を聞き、黙り込み……すぐに瞳の表面に赤い魔力を流し、キィィィィン。
尋常ではない速度で理論を構築しているようだ。
『つまりうちの弟は救世主並みにかわいい、そういうことか』
『まじめな顔をしてボケをかますでない!』
『いや、だって可愛いモノは可愛いんだから仕方ないだろうが。まあ、よーするにうちの弟は救世主と何らかの関連があるってわけでいいんだろ』
詐欺師の会話術がムルジル大王から主導権を奪っていく。
先ほど瞳に魔力を流した段階で、ある程度の予想を立てていたのだろう。
ペースを奪われたままのムルジル大王の前、夜鷹マカロニは存外にまじめな顔で語りだす。
『魔術が実在する宇宙においてはメシアが実在する。その前提で考えると……メシアが実在するのなら、逆説的にメシアを実在させることになる”大本”の実在も確定する。なるほど、それが父たる神としてだ。うちの弟のパパは弟を愛せなかった”あのどーしようもない親父殿”ではなく、かつて救世主を生み出した存在か、またはそれを模倣しようとした存在ってことになる』
どうだ、あってるだろ?
と夜鷹マカロニは自信満々に、けれど甘く口元を緩めている。
こいつは確かに、かつてただの人間でありながらも多くのモノを騙し利用した存在だと納得しつつ、ムルジル大王は頷きをもって返していた。
『然り、そなたの弟はかつて救世主を生み出した”父たる神”あるいは”その模倣者”の落とし子。新たなるメシアを生み出そうとした果ての、成れの果て。哀れであるが……おそらくはその失敗例だ。故に我らは貴殿の弟を”ダニッチの怪物”と呼ぶことにした』
ようするにだ、と言葉を区切り。
ムルジル大王はアレの正体を断言する。
『貴殿の弟は”神の子”であろうな』
既に答えを読み解いていたのだろう。
ムルジル大王の提示した仮説に、夜鷹マカロニが表情を動かすことはなかった。