エピローグ:イワバリア王国―前編―
僕らの書類仕事は続いている。
部屋に漂うのはインクの香りと紙の香り。
そして、眠気対策にと出された珈琲の渋い香り。
まあ僕は氷竜帝マカロニ。
いざとなったら眠気も疲れも魔術で回復できるが、精神的な疲労はどうしようもない。
朝か夜かもわからない時間にて、僕はググっとフリッパーを上に伸ばし。
『はぁ……まーじでしんどいな、これ』
ジトォォォっと死んだ魚のような僕の瞳に映るのは、強敵の数々。
事後処理と、事後処理と、事後処理。
……。
その書類の中に紛れ込んだのは、綺麗とは言えない日本語の書類。
そして、オリジナル言語が如き様々な魔術文字が組み合わさった、とっちらかった書類。
メンチカツの、「おれさまがかんがえた、さいきょうのワインダンジョン」の草案に没の印をつけ。
アランティアによる「あたしさまのかんがえた、さいきょうの魔導図書館」の草案に、もっとまじめに考えろ! とダメ出しの文字をつけたし。
再度、はぁ……。
身体をダラーン……椅子の上で伸ばすペタ足が、心なしか重く思えてしまう。
重いため息は留まることを知らない。
『あいつら……ダンジョン生成も図書館経営も舐めすぎてるだろ』
ダンジョンの方はダンジョンサイクル……いわゆる食物連鎖の概念をまったく気にしていない提案書。
図書館の方は危険な魔導書に関しても、だれでも自由に閲覧できるうえに、持ち出し可! とどめとばかりに飲食もオッケーという、ダメっぷり。
誰かあの考えなしどもの補助をしてくれと、スナワチア魔導王国に緊急連絡。
結局はバニランテ女王が助言をしてくれることになったので、まあこれでしばらくはあの問題児どももおとなしいだろう。
どうやら暇をしている僕の弟が聖王国にベヒーモスの姿のまま顔を出し、騒動になったらしいが。
そこもバニランテ女王がなんとかしてくれたようで、問題なし。
今度、なにかバニランテ女王に感謝の手土産でも持って行かないといけないか。
そう思いつつ。
また僕は目線をイワバリア王国に関する書類に戻し。
じぃぃぃぃ……。
いっそ東大陸を見捨てた方が、書類仕事もなくて楽だったんじゃないか?
なんて外道な感想も浮かび始めているが、面倒だからと見捨ててしまうのはなかなかに勇気と決断力がいる。
僕はそこまでの悪人になれる器ではないということだろう。
書類地獄の部屋の外では、新しい時代、新しい王政を歓迎する民の声がいまだに聞こえていた。
神の声を聞いた真なる王。
朝の女神の逆鱗に触れたイワバリア王国を救った英雄。
母国の危機を知り、異国の獣王たる氷竜帝マカロニを連れ帰還したとされるギルダースが即位し、数日が過ぎていた。
ギルダースの支持率は異常なほどに高い。
主神たる創造神と創世の女神たち。
つい最近までは御伽噺や伝説、神話でしかすぎなかった神々。
天の国にて、彼らとの直接の謁見を果たした最初の人類だからだろう。
あのギルダースは既に大英雄扱い、呪われた装備に身を固めているくせに<祝福王>などという、ちょっと残念な二つ名を持つようになっていたりする。
まあこれが百年、二百年もすれば立派な肩書きに見えるのだろうが。
僕とアランティアが同時に指差し、しゅしゅ、祝福王!? と、大爆笑したことは言うまでもない。
愛人の子供たちもギルダースの意向によりそのまま健在。
乱れた国を整えるための大事な勢力、国力として民を導き尽力している。
そして女神との聖戦時に空中庭園に避難していた”老いた先代国王”と”君主ハイン閣下”はというと――。
残念ながらその存在は既に、イワバリア王国から消滅していた。
それが神との契約。
神に頼み国家を私欲で揺らした罰。
……。
彼らは朝の女神と契約をしていた。
願いを叶える対価に、その一生以上の輪廻を神にささげる……、つまり一生使役され続ける神の僕となる契約をしていたのだろう。
彼らの願いは共通していた。
ギルダースを王にすることだ。
父たる王は唯一の肉親ともいえる我が子を無能とすることで、王権争いに巻き込まぬようにしたようだが――結局、老いた時に会いたいと思ってしまったのだろう。
若い時には息子のためとこの大陸から解放しても、老いた時にはその背が恋しくなったのだろう。
だから。
孤独な王は我が子との再会を望んだ、できるならば王の座を継がせたいと願ってしまったのだろう。
もっとも追放したその時すでに、あの迷宮の最奥にはギルダースを王とすべきアイテムがあそこに奉納されていたのだ。
こうなることは、あの日の王にも分かっていたのだと僕は思う。
そしてハイン閣下も、我が子同然と育てたギルダースに愛情をもって接していた。
そして国の腐敗を憂いていた。
だからこそ、ギルダースに王として帰還して欲しかったのだろう。
まあ彼らがどのような感情でギルダースの帰還を望んだのかは、僕には関係ない。
ただ。
ギルダースにとってそれが本当に幸福だったのかどうか、それは正直僕にはわからない。
それでも、彼らの願いは成就した。
もはや彼を無能と謗る者は誰もいない。
祝福王と呼ばれるギルダースが王位についたその時に、彼らの契約は果たされた。
人としての彼らはもう消滅したのだ。
だから――。
紙と紙が擦れ発生する、摩擦されたインクの香りが充満した部屋にて――。
文字通りに山のように積まれた書類の束の隙間から、ズイ!
顔を覗かせ僕が言う。
『で? そっちの書類はちゃんとチェックできたのか?』
額に鉢巻を巻いて仕事モードな僕の目線の先にあるのは、二匹のペンギン。
そこにはイワトビペンギン姿の例の二人がいる。
その魂は――長年この腐った大陸を治めギリギリで存続を保っていた、先代のイワバリア国王。
そしてある意味黒幕枠の一人だった美貌な中年ハイン閣下。
彼らの魂は対価により天へと上り……そして女神の手によりペンギン化し僕に下賜されていた。
彼らは魔導ペンを握り、今日も職務に忠実。
美形老年なイワトビペンギンが、静かにカキカキカキ。
美形中年なイワトビペンギンが、静かにカキカキカキ。
文官ペンギンとして有能に仕事をこなし、カキカキカキ。
かつてダンジョン都市を支えていたハイン閣下が言う。
「”ペンギン印のウォーターサーバー”の契約管理マニュアルはこちらに、保証期間と交換手順についての説明欄の精査に入っておりますが――マカロニ陛下、いかがいたしましょうか?」
『――まあ、こんなもんだろうな。ただ五年計画は組み直しだ。この国の連中の生活基盤が安定するまでは、極力安価で水を通す方針を維持。費用は十年先の回収でやり直しておけよ』
魔術で浮かせた書類の表面に魔力を流し、訂正指示を入力。
そのまま二人の前につき返しつつ、僕の視線は既に別の書類へ――。
マキシム外交官からせっつかれているスナワチア魔導王国の方の書類に、許可を示す印章を連打!
とりゃとりゃとりゃ!
僕のマカロニ隊には正直、文官としての素質はあまりない。
その欠点を補うべく、僕は朝の女神と交渉!
騒動の発端で黒幕ともいえる彼らを、朝の女神から正式に譲り受けていたのだ。
なぜってそりゃあ、優秀だからである。
なにしろこいつらは例のマカロニ隊……アデリーペンギンと違い、まじめなのだ。