序章エピローグ―前編―
そこは渓谷の隙間にひっそりと佇む隠れ里。
かつて、彼らの祖先が他国から逃げ出し辿り着いた秘境。
タヌヌーアの長にして、国王に成り代わっていた狸獣人の案内にて。
かつて王の教育係だったマキシム外交官は、太陽の香りの中、積もる紅葉の道を抜け――。
タヌキたちの隠れ里に足を踏み入れていた。
そこはスナワチア魔導王国の裏エリア。
隠匿の魔術と結界の魔術の<合成術>と思われる秘術で隠された場所である。
賭博師の元王がタヌヌーアの長だというのは本当だったのだろう、彼の帰還と共に多くのタヌヌーアが集合し始める。
タヌヌーアは獣人。
衣服を纏う、二足歩行の亜人類。
その顔はタヌキそのもの。
彼らは警戒していた。
警備兵と思われるタヌヌーアが長に畏敬を覚えながらも、言う。
「おかえりなさいませ、長よ。しかし、そちらの方は――」
隣に立つ人間の男マキシム外交官に警戒……。
していたのではない。
タヌヌーアが警戒しているのはその足元で興味津々に、首をキョロキョロ!
黄金の飾り羽をファサ!
尾羽もついでにファサっと揺らし、我が物顔で落ち葉の絨毯をペタ足で踏みしめるペンギンである。
彼らは三人でここを訪れ、事情説明という名の税金の話をしに来たのだが。
スナワチアの名を受け継いだ長たる男が言う。
「控えよ――この方こそが地と陸の女神たるバアルゼブブ様の眷属、獣王ベヒーモス陛下である」
「この間抜けそうなペンギンがですか!?」
「バ、馬鹿者! こ、この御方は本物の獣王陛下! そして先日戴冠式を済ませた正式なる王位継承者、第九代国王陛下であり……おい! おまえら! 吾輩の言葉を笑うな!」
だって、なあ?
とタヌヌーアの兵士たちは顔を見合わせ、大笑い。
積んである紅葉の落ち葉にその身を突っ込み、ブペペペペッペペ! と遊んでいるペンギンに目をやるばかり。
変に虎の尾を踏まれても困るのだろう。
マキシム外交官が助け舟を出すように前に出て。
「ペンギンの性質は好奇心の塊、初めて目にするモノに興味を持つとされている。そしてモミジの絨毯が海原のように見えたのでありましょうな、陛下は海に飛び込む本能のままに、モミジにこう……ズボっとしたくなられたのでしょう」
冷静に、しかしかなり無理のある解説をする外交官であるが。
ペンギンは紅葉の海から顔だけを出し。
トサカをたてるように飾り羽を立て。
『はぁ!? 誰がそんなことをするか! これを見ろこれを!』
そのフリッパーに握られているのは、ぐにょっとした独特な実。
タヌヌーアたちもマキシム外交官も怪訝な顔……というよりも、若干引き気味に。
「それは……悪臭放つ実で有名な」
『これは銀杏! 実の部分と種を分けてきれいに洗ってだな!? 干して匂いを取ればちゃんと食える、高級食材なんだぞ!』
匂いに構わず、悪臭実と有名な銀杏を抱える新王に外交官は辟易しつつも。
「高級、食材……でございますか」
『ぶぺぺぺっぺえ! これぞ現代知識無双! バカにしてるみたいだけど、これが本当に美味いんだよ! しかも食べ過ぎれば食中毒になるから、その辺りを伝えずに超おいしい銀杏の実を敵国に教え込んで、被害を起こすこともできる! なかなか便利な道具なのさ!』
「適量を誤れば毒となる、敢えてそこを利用もできると。陛下は外道でございますな」
『なーに、相手国が勝手に勘違いしてバカ食いしたってこっちのせいじゃない。やり方はいっぱいあるだろうさ』
悪い顔で言って、新たなる王はペンギンジャンプにて落ち葉から抜け出し。
ずじゃ! っとタヌヌーア族を指差し。
『さあ! 我が臣民よ! この銀杏を! この隠れ渓谷の特産物にしようじゃないか!』
タヌヌーアたちは生意気なペンギンに困惑するが。
既にその英知と手腕を知っているタヌキの長と外交官は動いていた。
長が言う。
「御意にございますれば、我らが部族の此度の無礼はどうか――」
『だーかーらー! 僕は自国民を虐げるほどのバカじゃないっての。銀杏で成金になればまあこいつらも僕の偉大さに気付くだろうからね。その時にビシっとサクっと頭を下げて貰おうじゃないか! 見とけよ、タヌキども! おまえたちは来年、吠え面を掻きながら僕に平伏すだろうさ!』
結果で示す!
と、マカロニペンギンたる新王は暢気に笑う。
懐が広いのか、民の態度など気にしていないのか。
だが――この世界に疎い王を補佐すべく、マキシム外交官が耳打ち。
「お言葉ではありますが」
『なんだよ』
「保存方法は如何いたしましょうか。種を使われるというアイディアは把握できましたが、外の実があまりにもその……熟しております故、陛下の世界ではいざ知らずこの世界では長く保存できないかと」
マカロニペンギンはふむ、と器用に翼を嘴の下に当て。
『なーるほど。後々まで使えるし、ここで冷凍庫を開発するしかないかな』
「冷凍庫、にございますか」
『ああ! まあ長期保存を可能にする魔道具ってところだよ。この世界には魔術がある、現代世界でできなかったことも魔術の補助を用いれば、なんでもできちゃうだろうからな。って、なんだマキシム外交官……その顔は』
「いえ、大変興味のある分野でありまして。お話を深くお聞きしたいと」
古き英雄ともいえるマキシム外交官の存在はタヌヌーアも知っているのだろう。
あれ?
このペンギン、マジで新しい王様で獣王なのかと長たるスナワチアを眺め始める。
タヌヌーアの長たるスナワチアは、一般女性からはイケメンと判定される顔を歪め。
「初めからそう言ったであろう……さあおまえたち! あの悪臭実の速やかな回収を。タヌヌーアの一族が国家の役に立つ姿を見せよ!」
長の命令は絶対なのか。
あるいは長が尊敬されているのか。
その両方か――。
タヌヌーアたちが紅葉の中から銀杏を拾い上げる中。
その再会は、突然に発生した。
タヌヌーアの中に紛れていたのは、マキシム外交官もよく知った顔。
無能とまではいわないが、凡庸で。
戦いを好まず、しかし最低限の戦果だけは齎し。
けれど、野心の欠片もない平凡ともいえる血筋だけの王がそこにいた。
タヌヌーアの長が化けた狂王の姿は貫禄ある中年王だった。
けれど、そこにいたのは彼よりもだいぶ老けて見える優しい顔の男。
王座を捨て、逃げるように潜んだ男の人生が……その顔を常人よりも老けさせたのだろうか。
けれど。
男の顔は本当に優しそうだった。
穏やかに暮らしていたのだと分かる顔だった。
マキシム外交官の口が、動く。
「陛下……生きておられたのですな」
「そちは……、ああ、なるほど。あの時のまま、ずっと……その姿のまま変わっておらぬのだな」
狸の里にひっそりと生きていたこの初老の男は、かつて王だったスナワチア八世。
狸獣人タヌヌーアに王位を渡し。
そして、そのままこの隠れ里に住んでいたのだろう。
マキシム外交官が言う。
「ワタシは頭を垂れ、陛下に詫びるべきでありましょうか。あなたさまが入れ替わっていることに気付かず、ずっと……のうのうと第二勢力面をしていた愚かな部下であった、と」
「さて――それはどうか……しかし、本当に懐かしい。懐かしいな、マキシムよ」
声は衰え、既に王としての覇気の欠片もない。
だがやはり。
……。
マキシム外交官は老成した精神性のまま、今、目の前の王よりも若き肉体で――。
落ちた言葉を選ぶような……しばしの間の後。
「陛下……ワタシは、やはり今のあなたとどう向き合えばいいか。戸惑っているようであります」
「余も同じだ。ああ……本当に、本当に……」
すまなかった、と。
老いた男が悩み選んだ言葉は、落ち葉も揺らさぬほどのか細い謝罪だった。
言い逃れや後ろめたさからの弱い言葉ではない。
おそらく。
それは実際、力弱い老人の漏らした本音。
それほどに、かつて王だった男は老けていたのだ。
既にタヌヌーアと打ち解け、子供に追われお菓子をばらまき逃げるマカロニの横。
王を望んだ男と。
王を望まなかった男。
彼らの物語が再び交差する。