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さよならの意味を知る旅

作者: おったか

 僕はもうじき死ぬ。

 医者からは余命一か月の宣告を受けていた。

 三十二歳の僕にとって、あまりにも早すぎる死の訪れだった。

 僕は昔から身体の弱い子供だった。病気がちで学校も休むことが多かった。

 人よりも長くは生きられないことは頭のどこかでわかっていたし、覚悟もしていた。

 だから死ぬことは怖くはなかった。

 しかし、心残りはあった。先立たれる両親のこと。しばらく会っていない友人たちのこと。

 そして。

 最も心残りとなっているのが、妻を残していくことだった。

 薄暗い病室。

 妻の春乃は僕が横になっているベッドのそばに座っていた。


 春乃はそっと僕の手を握りながら寝ている。

 春乃の手はとても温かかった。


 その温かさのせいか、急に眠気が僕を襲ってくる。それは異常なほどの眠気だった。

 今はこの温かさに身を任せて、少しだけ寝ようかな。

 僕は目を閉じて、まどろみの中へ歩み込んでいった。


 ***


 気が付くと、雪で覆われた林道に立っていた。

 改めて周りを見渡してみると、降り積もった雪が木々を真っ白に染めて、美しい雪景色を作り出していた。思わずため息が漏れる。

 僕は、分厚いコートにマフラーという厚着をしていた。

 夢を見ているのだろうか。

 しかし肌を刺すような寒さを鮮明に感じることができた。妙にリアルな夢だ。

 夢の中とはいえ久々に外を歩いた気がする。

 ここ最近は寝たきりで外に出ることもできなかった。

 この夢は神様が最後に見せてくれたプレゼントなのかもしれない。

 せっかくだし、最後になるかもしれない雪景色を楽しむとするか。

 景色を眺めつつ、少し傾斜のある雪道をしばらく歩く。すると枝先まで白くなった木々の間に一人の人影が見えた。

 近づいてみると、どうやらそれは女の子だということがわかった。木の横で立ちすくんでいる。

 女の子がパッとこちらを振り向く。

 高校生くらいだろうか。肩にかかるほどの黒髪にどこか幼さを残した顔立ちが可愛らしい女の子だ。なぜかどこかで見たことのあるような顔の気がした。

 その女の子は、少し困ったような表情をしていた。


「どうかした?」


 と僕はなるべく警戒心を持たれないように心掛けて声をかけた。


「ちょっと迷子になっちゃって……」


 困ったような声で女の子はそう言った。

 そして更に言葉を続けた。


「コンパスはあるんだけど、調子が悪いみたいなの……」


 女の子はそう言って、磁針がくるくると色々な方向を指してしまい、使い物にならないコンパスを見せてきた。

 うーん……。確かに壊れちゃってるけどこれなら簡単に直せるかもしれない。


「ちょっと貸してみて」


 と言って女の子からコンパスを受け取る。

 なるほど、電子内蔵コンパスか。だとしたら余分な磁気が溜まって磁針の指す方向がおかしくなっている可能性がある。

 僕はコンパスを8の字に描くように振った。手首をぐるぐると動かしてコンパスが上下左右、表裏と動くようにして腕の動きと手首の動きを連動させる。

 不思議そうにこちらを見る女の子の視線を受けながら、しばらくそれを続けた。そして腕を振るのをやめてコンパスの様子を確認する。

 あ、直ってる。

 コンパスはちゃんと一定の方向を指すようになっていた。

 女の子がずいっとこちらに寄ってきて僕の肩越しにコンパスを覗き込んできた。

 ふわりとシトラス系の香りがした。


「えー! すごい! 直ってる!」


 女の子は驚きながらも嬉しそうな声をあげた。


「はい、どうぞ」


 僕がコンパスを手渡すと、女の子は花が咲いたように笑って「ありがとう!」と、お礼を言った。


「いやー、ケータイも持ってきてないし本当に帰れなくなるかと思ったぁ」

「それは危なかったね。家がどの方角にあるのかはわかる?」

「えっとね、ずっと北に歩いてきたから南の方に歩けば家に着くよ!」


 そうか。よかった。それなら一人で帰れるな。

 僕は「それじゃあ」と言って女の子に背を向けようとした。


「ちょっと待って!」

「ん?」

「またコンパス壊れそうで怖いし、家の近くまで送って行ってほしいなぁ、なんて……」


 女の子は申し訳なさそうにそう言った。

 確かに……。コンパスがまた壊れたらこの子が帰れなくなってしまう。

 でも女子高生と一緒に歩くなんていいのか……? 警察に声をかけられてしまいそうだ。

 ……まあ、夢の中だしいいか。

 

「わかった。送っていくよ」

「ありがとう! お兄さんやっさしい!」


 女の子は飛び跳ねんばかりに嬉しそうにそう言った。

 感情豊かで可愛らしい子だ。

 僕と女の子は並んで歩きだした。


「ねえ、お兄さんはなんでこんなとこにいたの?」

「まあ……、散歩みたいなものかな」


 現実世界じゃ、散歩するのさえきついんだけどね。


「私も散歩に来たんだ。そしたら迷っちゃって。ここら辺はいいよね〜。人も少ないし景色も綺麗だし。嫌なことがあったときにここに来ると気分が楽になるの」


 嫌なことがあったときにここにくる……、か。


「何か嫌なことでもあったのか? よかったら愚痴聞くよ。ほら、こういうのって親しい人より関係無い人に話したほうが気を使わなくていいから話しやすいっていうか……」

「あはは、お兄さん本当に優しいね。確かにそうかも。じゃあ聞いてくれる?」

「うん、もちろん」


 僕がそう促すと、女の子はゆっくりと口を開いた。


「私ね、将来は医療関係の仕事に就きたいと思ってるの。それで今年は医学大学の受験があるんだけど勉強が大変で……。それで気分転換がてら散歩に来たんだ」

「あー、受験かぁ。確かにそりゃ大変だ」


 受験って人生で最初にぶつかる山だよなぁ。僕も学生の頃は地獄を味わったものだ。

 しかもこの子の場合、医学大学というとても大きな困難に自分から飛び込んでいるんだからすごい。


「君はすごいよ。将来の夢があるって素敵じゃないか。しかも医療系の仕事なんて! 誰かの命を救うのはとても凄いことだと僕は思ってるよ」


 誰かの命を救うことのできる医者というものは本当にすごい。僕それはが一番よく知ってる。


「本当にすごいことなんだよ。命を救うって」


 なるべく強い思いを込めて、そう言った。

 その思いが伝わったのか、僕の言葉に女の子はうんうんと頷いた。


「だよねだよね! 誰かの命を救うなんて超すごいよね! ……よし、そのためにも勉強頑張らなくちゃだ!」


 女の子はやる気に満ちた表情を浮かべた。気持ちを持ち直したみたいだな。

 それにしてもなんで誰かの命を救いたいなんて思ったんだろう。理由でもあるのかな。

 それを聞こうとした時、ふと女の子が声をあげた。


「あ、雪だ!」


 女の子の言葉で、ぽつりぽつりと真っ白な雪が空から降ってきていることに気がつく。柔らかくて軽い雪がさらっと顔を打つ。


「雪か……」

「綺麗だね〜。…………えい!」


 僕が感嘆の声を漏らしていると、少女が突然僕の頬を両手ではさんだ。

 雪で冷えた少女の手に不意を突かれ、思わず声が出る。


「うおっ、びっくりした」


 全く、あざといなぁ。というか天真爛漫といった方が正しいか。この子は


「えへへ、冷たいでしょ〜。私冷え性なんだよね〜」

「それ自慢することでもないよ……」


 女の子は純粋そうな笑みを浮かべながらスキップで僕の少し前に出る。


「私、雪乃って名前なの。空から降る雪の雪に、乃木坂の乃。だから結構雪が好きなんだぁ。自分の名前にも入ってるし愛着があるというか」


 雪乃か。いい名前だな。

 

「あれ、ちょっと待って、あれ私の家だ!」


 そう言って女の子はある一方を指差した。

 その指の指す先には、確かに三角屋根の家がぽつんと建っていた。


「やったー! 着いたー! お兄さん。ここまで送ってくれてありがとね!」


 ああ、もうお別れか。

 雪の降る幻想的な景色の中を二人で歩くのは、なんだかんだ楽しかったなぁ。


「それじゃ、ばいばーい! またどこかで会えるといいね!」


 雪乃はそう言って元気にこちらへ手を振りながら、家の方へと小走りでかけていく。

 手を振り返しながらそれを見送っていると、ふと視界の足元の方に何か光るものが映った。

 見ると、そこには雪乃の持っていたコンパスがあった。これが光を反射したのか。

 雪乃が誤って落としたのだろう。

 僕はそれを拾って、雪乃に渡そうと声をかける。


「おーい、これ落と…………」


 だが、僕はその言葉を言い切ることができなかった。できるはずがなかった。


「雪乃〜! こんな時間までどこ行ってたの〜!」

「あ、お母さんごめーん!」


 家から出て雪乃に声をかけたのは、とても見覚えのある人だった。

 僕が見間違えるわけがない。

 あれは―。


 そこで夢は途切れた。


***


「―てよ、起きてよ。お願い!」


 目が覚めると、春乃が泣きながら僕の右手を握っていた。

 なんで泣いているんだろう。

 ……ん?

 僕の左手にはなぜか夢の中で見たあのコンパスが握られていた。

 寝る前には持っていなかったものだった。


 ピーッピーッ―。


 モニターに映った僕の心拍数を表す波がほぼ一直線になろうとしていた。

 ああ―。

 そうか。僕は死ぬのか。

 だから春乃がこんなに泣いているのか。

 だとしたら僕は最後に言わなきゃいけないことがある。


「春乃、最後に君に伝えたいことがあるんだ」

「あなた…………!」


 春乃の感情が激しく溢れ出しているのがわかった。春乃は僕の話を聞くどころじゃないかもしれない。

 だが僕は伝えなきゃいけないんだ。


「ずっと悩んでたその子の名前が決まったよ」


 僕はつないだ手を春乃の膨らんだお腹へ持っていった。


「……」

「この子の名前は『雪乃』にしよう」

「うう…………、どうして……?」

「この子がそう言ったんだ」

「…………うん」

「あとね、僕の右手に握ってあるコンパスをこの子に渡してほしいんだ」

「…………わかった」

「頼んだよ春乃」


 だめだ。もう意識を保てない。

 遠くで春乃が泣きながら何かを言っているのが聞こえた。

 最後に春乃がそばに居てくれてよかった。

 春乃に何かを残せてよかった。

 あの子に何かを残せてよかった。

 神様、ありがとう。

 先にいくことになってごめん、春乃。

 愛してる―。


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