陽炎へ行く
そこにはもう、何もなかった。
ひそやかな吐息も、儚げな視線も、全て。
空を隠す入道雲は、季節の移り変わりをはっきりと伝える。
田上はそれを何となしに見上げ、流れる汗を拭った。
「さすが温暖化」
緩く長い上り坂の先が揺らめく。
その現象の名称を口にする前に、涼しげな声が耳に届いた。
「陽炎だね」
田上と違い、軽やかな足どりの少年は言った。
容赦無く照り付ける太陽をものともせず、少年は田上を追い抜き一歩先を歩く。
「なぁ、今度はいつ会える?」
田上は喘ぎながらその背を追い、露出された陶器のような白い肌をふと雲と比べた。
白い。
やはり絵の具のような白さではないが、それでも十分に白い。
これだけ軽快に歩くのなら、病気ということではないだろう。
素質だけとでは言い難い色に、田上は息を呑んだ。
「君が望むならいつでも」
振り返った少年の唇が目につく。
白い体の唯一の赤。
知らぬ間に開いた距離のせいだろうか、少年の姿が揺らぐ。
「ほら、もうすぐだよ」
指先は頂上を指しているのだろうか。
笑みを含んだ少年に、田上は不完全な笑顔を向けた。
そして頂上を目前にし、田上は少年に連れられるまま来た坂をふいに振り返った。
ゆらゆら。
ゆらゆらゆら。
揺らめいてない所なんてあるのか?
田上は霞む意識を無視し、傍らの少年の肩に手をかけた。
そんなはずはないのだろうが、一瞬少年の体が砂のように脆く感じた。
それは本当に一瞬で、それよりもこの暑さにも関わらずひんやりとした体に戸惑いながら、田上はすっと手を滑らした。
「着いたよ、あとは簡単」
ぽんと押された背中の手は、まるで燃えるように熱い。
そうだ、この温度。
あの時の・・・熱情。
田上は抗うことなく坂を転がり落ちた。
見えないはずの頂上が揺らぐ。
そこに少年の姿はなかった。
「誘拐犯、強姦殺人した後謎の自殺だって」
「やだーまだその話ー?」
「なんかかわいー男の子だったらしいよ」
「それよりさー」
ちょっと息抜きに・・・と思ったら不思議なことに。楽しんでいただけたら幸いです^^