第十五章 第一話 エルフの森
「デーヴィット王子、そろそろ目的地であるセプテム大陸の北側に到着いたします。上陸の準備をお願いいたします」
客室でのんびり過ごしていると、フォーカスさんが長い顎鬚を触りながら、セプテム大陸が近いことを知らせてくれた。
俺は部屋を出て甲板に出ると外の風景を眺める。
船の進行方向に、まだ小さいが大陸らしきものが見えた。
「あそこがセプテム大陸。勢力拡大のためにオルレアンに配下を送りつけた魔王の住む場所。
そして、王都オルレアンがガリア国との戦場になるかもしれない舞台か」
次第に大きく見えてくる大陸を見ながら、俺は少し不安を感じた。
本当にセプテム大陸の魔王の居城を見つけ、やつを倒して戦争を回避することができるのだろうか。
少しでも弱気になると、俺の心の奥底にある弱い自分が囁いてくる。
『止めとけ、魔王と戦っても後悔するだけだ。レイラに勝ったのはただの偶然、今回勝てる保証はない。尻尾を巻いて逃げても誰も文句は言わない。自分の命が一番だ』
「そうだな。お前の言うとおりだよ。だけど、俺は本当の弱者にはなりたくない」
独り言のように小さく言葉を漏らす。
恐怖に負け、弱い部分の自分が語り出したときは、父さんのあの言葉を思い出すようにしていた。
「敗者という言葉は負けた者に対して使う言葉ではなく、戦う意思すら見せないで逃げた人に対して使う言葉だと父さんは言っていた。俺にどんな結末が待っていようと、最後まで戦い抜く。だから、また俺が弱気になりそうなときはまた言ってくれないか?」
俺は自身に言い聞かせるように、弱い心の俺に伝える。
本当の自分は、心の奥底では逃げたい気持ちを隠しているほどの弱い存在だ。
だけど、それも自分を形成している要素のひとつなのだ。
弱い自分を受け入れ、そのうえでどのように変わるべきなのかを考える。
そうやって人は強くなっていく。
肉体的にも、精神的にも。
俺は気合を入れるために両手で自身の頬を思いっきり叩く。
気持ちのいい音が響く中、頬はジンジンと痛む。
上陸が近づくころには、全員が甲板に集まっていた。
「ついにセプテム大陸に足を踏み入れるときが来たな。あの地に足を踏み入れたら最後、盟約を破ることになる。同胞と戦う覚悟はあるか!ランスロット卿!」
「はい。レイラ様が戦うと決めた以上は、俺はあなたの手足となって道を切り開くまでです」
「うむ。ジル軍師はどうだ!」
「私に問いかけるとは。愚問であるに決まっております。私は最初から抗戦する意志を見せておりました」
「うむ。そうであったな」
レイラは配下の二人の気持ちを確かめている。
だけど、あの行動はおそらく、自身にも問い質すためのものなのだろう。
セプテム大陸に足を踏み入れては、気持ち的に後戻りができない。
ここでけじめをつけて、先に進もうとしている。
「碇を下ろせ!帆を畳め!橋をかけろ!」
フォーカスさんが力強さを感じさせるほどの声量で、甲板部の人に指示を出す。
碇が下ろされ、帆を畳み、橋がかけられた。
「ワシたちはここで休憩を取ったあとに、一度王都に帰って王様に報告いたします。何かあられましたら、リピートバードを使ってお知らせいたします」
「わかりました。ありがとうございます。皆行こう」
仲間たちに声をかけ、俺は一番に船を降りる。
予想どおり、平衡感覚に違和感を覚える。
陸酔いだ。
ワイバーンに乗って空中を飛行していたときと同じで、長時間揺れる環境の中にいたせいで、陸の上に立った瞬間に、上手く脳が再適応できなくなっている。
これからエルフの住む森の中に入る。
エルフたちは耳がいい。
俺たちが接近していることを事前に知り、警戒して罠などを仕かけている可能性も否定できない。
体調不良のときには、アクシデントに対応するのが遅くなる。
万が一のことが起きたときに、すぐ対処ができるようにしていたほうがいいだろう。
「ライリー、俺とカレンとエミ、それにアリスにリフレッシュを使ってくれ」
「了解した。呪いを用いて我が契約せし知られざる生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。リフレッシュ」
ライリーが呪文を唱えると、脳神経に起きた異常が収まったようだ。
俺の中に感じた違和感はなくなり、立っていても揺れを感じることはなくなった。
「ありがとう。お陰で助かった」
「これぐらいたいしたことはない。それよりも早く進もうじゃないか」
「そうだな。アリス、道案内を頼む」
「はいなのです!任せるのです!」
アリスと手を繋ぎ、森の中を歩く。
この辺りは人の手が行き届いていないようで、木は生茂ており、雑草も伸び放題だった。
長いものは俺の腰ぐらいまであり、掻き分ける形で獣道を作りながら歩く。
アリスは何の迷いもなく、道を教えてくれてはいるが、俺からしたら周りの風景が同じにしか見えない。
「そろそろ目印の、切り裂かれた木が見えてくるころなのです」
前方を指差しながら、アリスはこの先に目印の木があることを教えてくれる。
体感で五分ぐらい経っただろうか。
視界の先に、アリスの教えてくれた木だと思われるものを、目視することができた。
本当に彼女は道を覚えているようだ。
さっきから同じ風景にしか見えていないのに、アリスは僅かな違いを見極め、俺たちを先導してくれた。
彼女がいなければ、俺たちはこの森を彷徨い続け、目的地に辿り着くのは難しかったかもしれない。
目印と言っていた木は落雷が落ちたあとのようで、先端から中央にかけて裂けており、黒く焦げている。
この目印となっている木の後ろは道になっていて、二方向に分かれていた。
「まずは右側の道を進みます」
落雷を受けた木の右側にある道が、エルフが住んでいる場所につながっていることを教えてもらい、俺はそちらの道を歩こうとする。
そのとき、俺は何かに足を引っかけたようで、転倒しそうになる。
だが、ひっかけた足とは逆の足を前に出して踏ん張った。
「アリス大丈夫か?」
「わたしは大丈夫なのです。でも、それより――」
俺が転倒しそうになったのと同時に、周囲にカラン、カランと音が鳴り出した。
空き缶を蹴り飛ばして跳ねたときのような音だった。
この音はいったい?
足に視線を向けると、俺の足下にはロープがあった。
おそらく、このロープが引き金になってあの音が鳴ってしまったのだろう。
どう考えても侵入者が現れたことを知らせるための警報音にしか聞こえない。
どうする?ここは一旦引くか、それとも先に突き進むか。
もし、これがエルフの仕かけたものだったとするならば、一度退いてしまえば厳重に警戒をされることになるだろう。
そうなれば、さらに罠を張られてしまい、コンタクトをとって話を聞いてもらう機会を失うかもしれない。
いや、どっちにしても警報音を鳴らしてしまった時点で、俺たちは侵入者扱いをされる。
なら、後退するよりも前進したほうがいいに決まっている。
「なんだかやばそうだ。急いで先に進もう」
皆に急いでこの場から離れることを告げた瞬間だった。
目の前を何かが通過し、俺はその行く末に向けて視線を動かす。
木に一本の矢が突き刺さっていた。
今の一射は警告だろう。
おそらくこれ以上足を踏み入れるな、先に進もうとすれば、今度こそ心臓を射抜くというメッセージだと捉えることができる。
その証拠に殺気が送られてきた。
「レイラ様、ここは俺とジル軍師で時間稼ぎをいたします」
「先にお進みください。レイラ様たちはこんなところで足止めを食らう時間はありません」
ランスロットが剣を抜き、ジルは構える。
「わかった。ここは任せる。デーヴィット行くぞ」
俺は無言で頷き、カレンたちに視線を向ける。
彼女たちも無言で頷き、それを確認した瞬間、俺はアリスを抱きかかえると地を蹴って一気にこの場から離れる。
後方から剣で矢が弾かれる音が聞こえる。
ランスロットが俺たちに攻撃が届かないように防いでくれているようだ。
俺は振り返ることなくただひたすら走った。
後ろを確認するということは、殿を務めてくれた彼らを信用していないことにつながる。
二人は大丈夫だ。
魔物の中でも上位であるジェネラルとストラテジストの階級に上り詰めた実力を持っている。
エルフは人間よりも高い身体能力を持ってはいるが、二人が苦戦するようなことにはならないはず。
「みんな、ついて来られているか!」
「余はこれぐらい余裕である」
「あたいも問題ない。伊達に鍛えてはいないさ」
「あたしは少しきつい」
「私も」
レイラとライリーは体力に余裕があるようだが、エミとカレンにはきついようだ。
「この先に洞窟があるのです」
「よし、そこで一度休憩をしよう。アリス案内を頼む」
「はいなのです」
俺に抱きかかえられている状態で、アリスは指を差しながら進むべき道を教えてくれる。
しばらく走ると洞窟が見えてきた。
「あれなのです。皆さんもう少しなのです」
洞窟の中に入り、俺はアリスを下ろすと荒い呼吸を整える。
「ぜ―、ぜ―。ア、アリス。昔来たときもこんな感じだったのか?」
「いえ、こんなことは初めてなのです。昔、お父さんたちと来たときにはこんなことは一度もなかったのです」
前回訪れたときにはこんな罠が仕かけられてはいなかった。
ならば、アリスたちが離れたあとに、エルフたちに何かが起きたのだろう。
こんなことになるとは予想できなかった。
「これからどうするのだ?警戒されている以上は、先に進むことも難しかろう?」
「何か方法を考えるよ」
レイラから今後の方針について問われ、俺は考える。
方法として真っ先に浮かんだのは、エミの認識阻害の魔法だ。
しかし、あれは相手を視認している必要があるので、隠れられていては意味がない。
俺が囮となって敵をおびき寄せ、ダズリンライトで焙り出すという方法もあるが、話を聞くための攻撃であっても、相手には害を与える攻撃としかとらえられないだろう。
様々な手段を考えるが、平和的に解決して対話に持ち込むのが難しい。
どうするべきかを悩んでいると、洞窟の奥のほうから明かりが見え、複数の足音が聞こえる。
「そうでした。この洞窟にはエルフの里につながる近道でもあったのです」
アリスが思い出したように告げる。
ということは、こちらに近づいているのは警報音を聞きつけ、増援に来たエルフたちだと考えるのが自然だ。
「あなたたち全員動かないでください!」
俺たちの前に複数の人物が現れる。
長い金髪の髪に尖った耳、美形の容姿の特徴はどう見てもエルフだった。
エルフたちは弓を構え、いつでも放つ態勢を取っている。
さて、どうやってこの危機を乗り越えたものか。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら、教えていただけると助かります。
また明日も投稿予定なので、楽しみにしていただけたら幸いです。




