第十二章 第八話 茨木童子と酒吞童子
今回のワード解説
読む必要がない人は飛ばして本文のほうを呼んでください。
相転移……ある系の相が別の相へ変わることを指す。しばしば 相変態とも呼ばれる。熱力学または 統計力学において、相はある特徴を持った系の安定な状態の集合として定義される。
ヒッグス粒子……「神の子」とも呼ばれ、宇宙が誕生して間もない頃、他の素粒子に質量を与えたとされる粒子。
連鎖反応……ある反応における生成物や副産物が新たに同種の反応を引き起こし、結果的に反応が持続したり拡大したりする状態を指す。
リカッソ……刀身の根元には“リカッソ”と呼ばれる、刃を付けていない(しばしば革で覆われた)部分があり、その部分を持って剣を振るうこともできる。
俺は茨木童子の行動に注意を払いながら、思考を巡らす。
敵の放つ炎のタイミングはわかったが、どのような手段を用いてやつの口を塞ぐのかは見つかっていない。
呪文の詠唱を行いたいが、少しでも魔法を発動させようとすると、炎がこちらに襲いかかって中断させられる。
何か方法はないのか。
思考を巡らせていると、レイラが浜辺に落ちていた薪割りサイズの丸太を投擲する。
彼女の投げた木は、口を開けた茨木童子の口内に直撃するも、放たれる炎によって木炭に変えられた。
木炭を吐き出すと、茨木童子はレイラを睨みつける。
狙いは悪くはなかったが、古典的なやり方では無理のようだ。
確実に相手の動きを止めることが可能な方法は、エミの弱体化の魔法だ。
石化させるのもよし、失神させるのもよしで、相手の動きを封じることができる。
しかし、敵の猛攻によりそれは不可能だ。
「デーヴィッド、周囲をよく見よ。大変なことになったぞ」
レイラに指摘され、俺は周りを見渡す。
いつの間にか炎に囲まれ、逃げ場を失っていた。
茨木童子は俺たちに攻撃していると見せかけて、少しずつ炎のデスマッチリングを作り上げていたのだ。
消火で逃げ道を作ろうにも、呪文の詠唱をする時間すら、相手は与えてくれない。
敵の放った炎が通常の火とは限らない。
一か八かで炎の中に飛び込んだとしても、その後消火が可能という保証はどこにもないのだ。
アイテムボックスの中身を思い出しても、この状況を打破できそうなアイテムはありそうになかった。
炎の熱による影響で、火照った身体を冷まそうと身体から汗が噴き出る。
考えろ。
今の俺は、思考を巡らせるぐらいしかできないただの凡人と同じだ。
できる限り、脳の海馬に蓄積してある記憶から使えそうなものを探っていると、風が吹いて炎が揺らめくのが視界入る。
火は風速十メートルの風が吹けば消える。
速度で言い直せば時速四十キロメートルだ。
そのぐらいのスピードでこの周辺を駆ければ、風圧で消すことができる。
だが、俺たちにはそのような芸当はできない。
こんなときにライリーがいれば。
いや、どっちにしても呪文の詠唱を行う余裕はなかったな。
どうしたものかと考えていると、突然俺たちを覆っていた炎が消えていく。
急に強い強風が吹いたという訳ではない。
だが、炎が消えていくのだ。
「何故だ!どうして俺の特設ステージが消される!」
茨木童子はこの状況を見て動揺をしているようだ。
いったい何が起きているのかはわからない。
「皆ぶじかい?」
最後の炎が消えると、前髪を作らないヘアースタイルの長い黒髪に、褐色の肌をもつ女性が姿を現す。
「ライリー!もしかして、俺たちに囲まれた炎を見て俊足魔法を使ってくれたのか?」
「何のことだい?あたいは星熊童子との戦闘中にこの魔法は使ったが、まだ効力が持続しているだけだよ。何故か知らないが、あたいが近づくと炎が消えていくから、つい面白くなって消火していた。べつに遊んでいたわけではないからね」
どうやら偶然にも奇跡が起きたようだ。
だけど、これで突破口は開かれた。
「ライリー、悪いが呪文を詠唱する時間を稼いでくれ」
「了解した」
今までは接近戦を仕かけることが可能なメンバーではなかったので、魔法に頼るしかなかった。
だが、今はライリーがいる。
接近戦に持ち込まれば、茨木童子は炎を吐く機会を失うはずだ。
仮にできたとしても、彼女の足により掻き消されてしまう。
このチャンスをものにする。
「今だ!ライリー離れろ!呪いを用いて我が契約せしウィル・オー・ウィスプとフラウに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ライトウォール!Ⅹゼロ、Y八、Zゼロ、R一」
俺はライリーに距離を空けるように指示を出すと、呪文を唱えて精霊たちにアルファベッドと数字で目的地を伝える。
すると、光で作られた壁が出現し、茨木童子を内部に閉じ込めた。
自身が立っている位置を原点とし、左右をX、前後をY、上下をZと定義させ、原点から一メートル先を一と定義し、Rで半径を伝える。
精霊たちに伝えた座標にウィル・オー・ウィスプが空気中の光子を集め、フラウが気温を下げることにより相転移が起き、光子に空気中にあるヒッグス粒子を纏わりつかせる。
これにより光に質量が生まれ、直径二メートルの光の球体を生み出した。
「なんだこれは!」
突然のできごとに茨木童子は動揺し、光の壁を叩く。
だが、その程度の打撃では光の壁は砕けない。
時間が経過するごとに、茨木童子の衣についている炎が小さくなっていく。
それと同時に彼は口を押え、苦しそうな表情を見せた。
残酷だが、このような手段でしか倒す方法はないと自身の中で結論づいた。
火が燃焼し続けるには連鎖反応を生み出すように、酸素が連続的供給される必要がある。
火が燃え続けるには、燃料と酸素の継続的供給が必要だ。
だが、光の壁により、密閉された内部は酸素供給が断たれ、炎の周囲に二酸化炭素を充満することによって炎は勢いが衰え、いずれ消える。
彼は自身の炎で己の生きる時間を短縮させてしまった。
光の壁の内部にある酸素が低下して、ほとんど残されていないのだろう。
壁に寄りかかるようにして茨木童子は倒れる。
内部に危険性がなくなったのを確認して俺は光の壁を消す。
「すまない。これしか方法がなかった。これもお前の運命だったと思って諦めてくれ」
俺は強く拳を握りしめる。
本当はこのような方法で命を絶つつもりはなかった。
俺は体験がないので想像しかできないが、きっととてつもなく苦しかっただろう。
惨い殺し方をした自覚はある。
死後の彼の目を見る。
大きく目を見開き、くるしそうな表情だ。
亡骸に近づくと、俺は彼の瞼を閉じる。
「茨木を倒したか」
声が聞こえ、そちらに視線を向ける。
右手に瓢箪、左手に酒杯を持っている大男だ。
おそらくこいつが、鬼たちを纏めている長的な魔物なのだろう。
「まさか俺の軍団がここまでやられて、追い詰められるとは思わなかった。おまえたちの力を侮っていたことを詫び、称賛しよう。俺の名は酒吞童子、鬼たちを纏めている。階級はキング」
酒吞童子が自己紹介を始めると、俺はその内容に驚く。
彼は自らキングだと言った。
キングやクイーンと呼ばれる階級は、ロード階級とはまた違った王の称号だ。
ノーマル種から進化した場合は、長い年月と経験を積み重ねないと到達できない境地のひとつだ。
そのためキングやクイーンと呼ばれる種は非常に少なく、これらが発見された場合には、その種族が大量発生していることも少なくない。
これであの小鬼の数も説明がつく。
酒吞童子がキングであるから、たくさんの同胞を生み出したのだ。
ロード階級との違いは、同じ種族限定でしか魔物を生み出せない縛りがある。
「まずはここまで来た褒美だ。上手い酒を持ってきていてよ。飲まないか?」
酒吞童子が別の酒杯を用意すると瓢箪の中に入っている液体を注ぎ、俺に差し伸べる。
「そんなの飲むわけがないでしょう!毒でも入っているのでしょうが!」
俺に代わり、カレンが拒否を示す。
「ハハハ、疑い深い嬢ちゃんだ。ならこれならどうだ?」
差し伸ばした腕を引っ込ませ、俺に渡そうとした液体を一気に飲み干す。
「あーうめぇ!やっぱり酒は百薬の長だ!口の中に入れた瞬間に旨味とコクが広がって、力が漲ってくるぜ」
美味しそうに食レポをする酒吞童子を見て、俺は唾を飲み込む。
そんなに美味しいのだろうか?
酒好きとしては興味を惹かれる。
「物欲しそうな顔をしているじゃないか。なら今度は飲むか?」
「まだ信じ切れないわよ!お酒に毒がなくとも、酒杯の縁に塗ってあるかもしれないでしょう」
「そうだ。その可能性がある以上、あたいたちは一滴も飲まないからな」
ライリーが口の端に垂れた涎を拭いながらも、抗議をするが説得力がない。
きっと飲みたいのだろう。
その気持ちは痛いほどよくわかる。
「そうかよ!ならやらねぇ!俺と飲む酒が不味いっていうのなら、友好の証はなしだ!お前たちを殺し、酒の肴にしてくれる」
二度も断られたことに腹を立てたようだ。
彼の口調の強さからして、本当に酒を楽しみたかったのかもしれない。
「怒るなよ。仏の顔も三度までって言うじゃないかぁ?な!」
どうにかして宥めようとライリーは交渉を図るも、既に手遅れだ。
「三度目なんかあるかよ!仏も許すのは二回までだ!」
多くの人がライリーのように勘違いをしているが、仏の顔も三度までは、二回までは許すが、三回目はないというのが本当の意味だ。
酒吞童子は背負っていた大剣を抜き、刀身をこちらに向ける。
「お前たち人間はいつもそうだ。俺ら鬼は楽しいと思うことをしているだけだというのに、存在が邪魔になると排除をしようとする。俺は仲良くなるチャンスを上げようとしたのにこの仕打ちだ。それに人間は弱いくせにずる賢い、俺は二度と騙されねぇぞ!」
アルコールの効果で酔っているのか、酒吞童子の言葉の文脈にはつながりがない。
思ったことを口にしているように思える。
「俺の楽しみを奪いやがって!強いやつと久しぶりに酒を交わすことができると思ったのによ!」
敵は力任せに剣を振る。
剣術もクソもなく、ただ大剣を振り回している。
動きが大きすぎるお陰で回避するのは難しくはないが、あの剣に触れればたまったものではないはず。
相手が握っている大剣は、剣身の鍔に近い部分に、刃がついていないリカッソが長く、革が巻きつけてある。
それを両手で持っていることから、あの大剣はツーハンデッドソードと呼ばれるものだ。
巨大な剣で、これを使うには技術よりも体力が必要だ。
剣というよりも、先端に石や鉄をつけたポールアームに近い代物。
斬るのではなく、触れた者を骨ごと砕くといったイメージがしっくりくるだろう。
「くそう、くそう、避けやがって」
ツーハンデッドソードを振り回すも、大振りの剣は俺たちには当たらなかった。
「呪いを用いて我が契約せし知られざる負の生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ショック」
「ミニチュアファイヤーボール」
「呪いを用いて我が契約せしハルモニウムに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。パップ」
「呪いを用いて我が契約せしケツァルコアトルに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ダストデビル」
「呪いを用いて我が契約せし知られざる生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。エンハンスドボディー」
隙をついて一斉に攻撃を仕掛ける。
エミの失神魔法で一時的に敵の動きを封じ、レイラの火球で攻撃。
カレンの音の魔法で砂を巻き上げ、俺の塵旋風で酒吞童子の視界を塞ぐと、ライリーが強化した肉体で剣を振り下ろす。
コンビネーションが決まり、鬼の首はライリーによって斬り飛ばされると砂地に転がる。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら教えていただけると助かります
また明日も投稿予定なので、楽しみにしていただけたら幸いです。




