第九章 第五話 エミの考えるこの世界、デーヴィッドの決断
今回のワード解説
明晰夢……睡眠中にみる夢のうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことである。明晰夢の経験者はしばしば、夢の状況を自分の思い通りに変化させられると語っている。
前頭葉……哺乳類の脳の一部である。大脳の葉のひとつ。
「――というわけ。そのあとはデーヴィッドも知っていることよ」
「ちょっと待て!い……今のは、本当に事実なのか!」
「そうよ。だから言いたくはなかったのよ。頭のいいデーヴィッドならこの話の重要性、そしてあなた自身の存在について理解してしまうから」
衝撃的すぎて頭が回らない。
俺は額に右手を当て俯く。
「デーヴィッド、あなたはこの話を聞いて自分の役割を知ってしまった。あたしとしては、うまく飲み込んでくれるのが一番なのだけど」
「そう簡単に信じ切れるわけがないだろう!そんなことをしては、俺自身のこれまでの経験は何だったんだってことになる。あれらは俺が決め、俺自身が考えて行動した。魔学者になったのも、レイラと戦うことを決めたのも俺の意思。敷かれたレールなんかじゃない!」
エミの話は否定しなければならない。
そうでなければ、俺たち、いや全世界が操り人形だと決めることになる。
彼女の言うとおり、明晰夢によるものなら、俺は実際には存在しないことになる。
エミの記憶から作り出された魔王と戦う役割を与えられた人物。
それ以上でもそれ以下でもない。
「それじゃあ聞くけど、どうして赤の他人であったあたしに協力してくれたの?デーヴィッドには何もメリットがない。なのに、あたしがなくした杖を探す手伝いをしてくれた」
「そんなの、俺が倒れているエミを見つけてしまったからだ。困ったときはお互い様、これも何かの縁だと思っていた。だから――」
「それがあたしの無意識に望んだ筋書きだとしたら」
エミのセリフに、俺は次の言葉が出なくなった。
俺の行動ひとつひとつが彼女の無意識で動いている。
それだけは認めたくはない。
俺の人生は俺のものだ。
操り人形なんかではない。
考えろ、何かあるはずだ。
エミの言っていることを否定する何かが。
思考を巡らせていると、安直な考えにいたった。
どうしてこんな回答に辿り着けなかったのかが不思議なぐらい。
「エミ、俺からの質問だ」
「いいわよ。何が聞きたい」
「いや言葉ではない。行動で回答してほしい。先に謝っておく、ごめん」
俺は手を振り上げるとエミの頬を叩く。
その後、反射的に彼女は叩かれた頬に触れた。
「これがエミの明晰夢によるものではないと否定する証拠だ。人は叩かれると痛みを感じた部分を咄嗟に触れてしまう。実際には痛いから触れるのではなく、痛みより触覚が優先されるから触れてしまうのだけどな」
人は痛みを感じた部分に手を触れて痛みを和らげようとする。
脳は意外と単純で、複数の感覚が一緒に来ると、優先順位をつける機能がある。
感覚の優先順位は一番に運動、二番触覚、三番痛み、四番冷覚、五番かゆみだ。
これらの感覚が同時に感じると、上位の者を優先的に感じようとする。
痛みを感じたときに、その箇所を手で擦ることで、痛みの感覚よりも触ったという感触を、脳が大切だと認識して痛みが減る。
つまり、エミが咄嗟に頬に触れた段階で、痛みを感じているという訳だ。
夢の中では痛みを感じないのが前提である以上、エミの明晰夢ではないということが言える。
「これがあなたの反論ってわけね。でも詰めが甘いわね」
「それはどういうことだ」
「明晰夢は通常の夢ではないってことよ。明晰夢は前頭葉が覚醒している状態での夢であるため、現実に体験しているのと同じ影響が、身体に現れる可能性があるのよ。あなたに叩かれたという事実が、夢を通して肉体に伝わり、痛みを感じたから夢の中のあたしも無意識に行動に出てしまったと言えるわね」
「そ……んな」
必死に考えて出した答えだったが、予想外にも論破される。
俺たちはエミの夢の中の住人なのだろうか?
「まぁ、これが明晰夢なのかどうかを確認する方法はちゃんと存在しているわよ」
「何!それはどんな方法だ!」
俺の問いに、エミは右手の親指を自身の胸に突きつける。
「このあたしを殺せばいい。言ったでしょう。脳の前頭葉が覚醒しているから、夢の中の現実に起きたできごとがリアルの肉体にも表れる。この世界で死んでしまえば、そのショックで本当の肉体にも心配停止が起きて、そのまま死ぬはずよ。そうすれば、このしがらみからも解放される」
彼女の言葉に、俺は心臓が早鐘を打つ。
確かにそれが一番手っ取り早い方法だ。
だけど確認するために彼女を手にかけていいのか?
俺がエミの息の根を止めれば、夢なのかどうかの判別ができる。
殺さないという選択肢を選べば、それは俺の行動によるものなのか、彼女の意思で動かされているのかが自分自身でもわからなくなる。
殺すという選択肢を選び、成功した場合真実を知るのが怖い。
これが明晰夢であったのなら、彼女の死と共に俺たちは消える。
だけど、そうでなかった場合は仲間に手をかけた殺人鬼として、これからの人生を歩まなければならない。
額から冷や汗が流れ、動くことができないでいる。
もう何がなんなのかがわからない。
どうして俺はこんな目に遭わないといけないのだ。
「あたしは覚悟を決めて最善の方法を提案したわ。自身の命を対価にして天秤に乗せた。あとはデーヴィッド、あなたがどうするのかよ」
そう言うとエミは俺のベッドに横になる。
「もう遅い時間だからあたしは寝るわね。次に目を覚ますとき、あたしは天国にいるのかそれとも夢の続きを見ているのか。怖いような楽しみのような複雑な気分だわ。おやすみ」
それだけ言い残すとエミはあっという間に寝息を立て眠りについた。
彼女の寝顔を見ると俺は決意する。
「呪いを用いて我が契約せしウンディーネに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ウォーターカッター」
空気中の水分が集まり、知覚できる量にまで拡大する。
そして今度は水の塊が加圧により、直径一ミリほどの厚さに形状を変えると放つ。
勢いのある水が胸にヒットすると、水流が当たった部分を吹き飛ばし、風穴の空いた箇所から鮮血が噴き出していた。
床は血がべっとりつき、言い訳ができない状況になった。
至近距離から攻撃したせいで返り血を浴びている。
俺は自信の覚悟を示した。
あとはこれから起きることを受け入れるだけ。
俺はやるべきことをしたあとに、壁に背中を預けるとそのまま目を瞑った。
「デーヴィッド、起きて。ねぇ、起きなさい!」
身体を揺すられ、俺は目を覚ます。
薄い水色の髪は肩ぐらいまであるセミロングで、毛先にはウェーブがかけてある女性が俺の目覚めを待っていた。
「これどういうことよ、説明しなさい。どうして目が覚めたらあたしは血だらけになっているのよ。それに床に死んでいるあの魔物は何?」
エミに問われ、彼女が寝たあとに起きたできごとを話す。
誰が目的だったのかはわからないが、開けっ放しの窓から吸血コウモリが部屋の中に入ってきた。
このまま野放しにすることができなかった俺は、魔法を使って倒すことにしたが、討伐したあとに疲れが出てあと片づけをする気が起きなかった。
「どうして殺さなかったのよ。あたしはチャンスを上げたのよ。吸血コウモリが餌を求めていたのなら、あたしを生贄にすれば済む問題だったじゃない。どうして真実を知るチャンスを、あなたは平気で逃すのよ」
確かに俺の取った行動は彼女からすれば不思議だろう。
「なぁ、ひとつ聞きたい?本当は明晰夢であるのか、エミ自身も分かっていないのではないか?」
「どうしてそう思うのよ」
「知識の本を寝る前に読ませてもらった。あれにも明晰夢のことについて書かれてあったよ。もし、俺たちの世界が明晰夢であったのなら、エミが言っていることは事実だ。だけど、明晰夢には大きな落とし穴がかくされている。それは必ずコントロールできるわけではないということだ。夢を見ているときは、その人の精神状態や体調によっては悪夢に切り替わるケースもある」
「それがどうしたっていうのよ」
「もし、夢が悪夢に切り替わったのなら、あの晩俺は吸血コウモリに殺されて死体となってエミに発見されていた。悪夢を見せる役割を演じるために」
「そうなるわね」
「だけど俺は吸血コウモリを殺した。エミを救った。つまり俺は、第三者の意思で動かされているのではないことになる。俺は俺の意思で行動できている。これが今言える最大の否定ポイントだ。俺は、俺たちは、本当にこの世界を生きている!それはエミ、君も同じだ」
朝っぱらから大きい声を上げる。
すると、エミの目尻から涙の雫が流れだす。
「ど、どうして泣くんだよ」
「だって、嬉しくて。ずっと怖かったのだもの。気を失っていきなり天界で神様と会って、現実とは思えないようなことが連続で起きて。だから明晰夢だと自信に言い聞かせていた。全部があたしの見ている夢だと思い込めば、気が楽でいられた」
流れ出す涙を拭おうと、エミは腕で目を擦る。
「異世界に転移することは憧れていたけど、実際に命のやり取りをすると怖かった。いつも足が震えているのを隠すので精一杯だったわ。ほんの数日前までは普通の女子高校生だったのに」
「エミ」
「何よ」
俺はエミの名を呼ぶと彼女を抱きしめる。
「俺はもっと強くなる。仲間が心配しないで済むぐらいになれる努力をする。絶対にエミは殺させない。生きて元の世界に返す方法を探る。だから不安に思うな。お前が元の世界に帰るその日まで、隣にいてやるから」
「うん。しばらくこのままでいい?」
「ああ、エミが満足するまで付き合ってやるから」
エミが泣き止むのを待ち、満足した彼女が離れると、目は赤く充血していたが、笑顔にわらっていた。
「ちゃんとあたしを守ってよね。ナイト様」
俺は騎士ではなく元魔学者なのだが、一応彼女の言葉に応えたほうがいいだろう。
「おう、任せてくれ」
それから俺たちは部屋をあとにした。
エミは返り血を落とすために朝風呂に、俺は女将さんに部屋の状況の説明と謝罪をしに向かった。
誠心誠意頭を下げて謝ると、事情が事情だけに弁償はせずに済み、部屋の掃除を言い渡される。
俺一人で掃除をするつもりだったが、エミやアリス、カレンも手伝ってくれた。
部屋の掃除が終わると、俺は仲間たちと一緒に街中を歩く。
そろそろ次の目的地である王都オルレアンに向かわなければならない。
旅支度を進めていると、街の中央噴水前に人が集まっているのが見えた。
いったい何を見に集まっているのだろうか?
近づくも、人だかりで注目を集めている存在がわからない。
「すみません。これはいったい何の騒ぎですか?」
俺は前にいた男に話しかけた。
「お、あんたか。王都の兵を募集だってよ。どうやら王都では大きな戦いが始まろうとしているみたいだ」
声をかけたのは偶然にも、俺に盗賊の情報を教えてくれたあの男だった。
「こりゃあ、下手をすればこの町にも被害がでるかもしれないなぁ。品不足や物価の高騰、考えられるだけのことは予測して、万が一に備えなければならない。あんたも気をつけたほうがいい」
王都で大きな戦いが始まろうとしている。
オルレアンでは他国との交流をよくしており、悪い噂は聞いたことがない。
「もしかしたら」
考えていると、オルレアンの森でライリーが言ったことを思い出す。
もしかしたらセプテム大陸の魔王が軍勢を引き連れて、この大陸に侵攻してきた可能性がある。
それにいち早く気づいた王都が、進行を食い止めるために戦の準備を始めていると捉えるべきだろう。
俺は周りの人に聞こえないように小声で皆に話しかける。
「おそらく、セプテム大陸の魔王軍がこちらの大陸に侵攻しているかもしれない。今日中に準備を整えて王都に向かおう」
「分かった。正直デーヴィッドの杞憂であってほしいのだが。淡い期待は持たぬようにしよう」
俺たちは準備を整えると宿屋をチェックアウトし、ドンレミの街を出て王都オルレアンに急いだ。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字報告してくださった方ありがとうございます。本当に助かりました。
自分でも読み直しているはずなのに、気づかないところで間違った書き方をしているようです。
なるべく誤字脱字は少なくするように今後も気をつけて書きますが、もし発見されたかたは、お手数ですが教えていただけると助かります。
今回で第九章は終わりです。明日は第九章を纏めたあらすじを投稿します。




