第八章 第三話 無敵の魔物ヘラクレス
今回のワード解説
読む必要がない人は飛ばして本文のほうを呼んでください。
迷走神経……12対ある脳神経の一つであり、第X脳神経とも呼ばれる。副交感神経の代表的な神経 。複雑な走行を示し、 頸部と胸部内臓 、さらには腹部内臓にまで分布する。脳神経中最大の分布領域を持ち、主として副交感神経繊維からなるが、 交感神経とも拮抗し、 声帯 、心臓 、胃腸 、消化腺の運動、分泌 を支配する。多数に枝分れしてきわめて複雑な経路を示すのでこの名がある 。延髄 における迷走神経の起始部。迷走神経背側核、 疑核 、 孤束核を含む。迷走神経は脳神経の中で唯一 腹部にまで到達する神経である。
バインド……剣の刃同士が触れたこと。日本剣術の鍔迫り合いに近いイメージ。
クラスター……数えられる程度の複数の原子・分子が集まってできる集合体。個数一〇~一〇〇のものはマイクロクラスターと呼ばれ,特殊な原子のふるまいが見られる。
慣性力……慣性系に対して加速度運動をしている座標系の中で、物体の運動に現れる見かけ上の力。例えば、カーブを曲がる車の中にいる人を外側に傾けさせる力など。慣性抵抗。
粘性力……液体や気体の流れでは、流速の分布が一様でない場合、速度差をならして一様にしようとする性質が現れる。これを流体の粘性という。一般に水や空気のようなさらさらした流体は粘性が小さく、ひまし油やグリセリンのような液体は粘性が大きい。
全長二メートル越えの男だ。
鍛え上げられた筋肉は膨れ上がり、右手には大きな大剣を握り、左手には弓と矢が握られている。
「ウオオオオォォォォォォォ」
ヘラクレスと呼ばれた魔物が咆哮を上げる。
肌にビリビリと感じ、恐怖に尻込みしそうだ。
こんな魔物は見たことがない。
あの咆哮から理性は感じ取れないし、精気もあるとは思えない。
アンデット系の魔物なのだろうか?
だけど、それだと異臭がするはずだ。
腐敗特有のあの臭いが。
なら、アンデットでもないとすると、オーガの類だろうか?
それならあの屈強な肉体も納得する。
どうやって戦うのかを決めるために、俺は相手の正体を探る。
「デーヴィッド、危ない!」
危険を知らせるカレンの声が聞こえ、俺は一旦考えるのを止めた。
目の前にヘラクレスがおり、ちょうど大剣を振り下ろそうとしていた。
早い!
俺はすぐに右側に飛び、敵の一撃を回避する。
地面に転がりながら立ち上がり、俺がいた場所を見る。
イアソンの比にならないほどに地面が抉れ、小さなクレーターを作っていた。
「今がチャンス!呪いを用いて我が契約せし知られざる負の生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ショック」
エミが失神魔法を発動。
迷走神経が活性化され、心臓に戻る血液の量が減少したことにより心拍数が低下したようで、ヘラクレスは前方に倒れた。
「よし、今だ!呪いを用いて我が契約せしジャック・オー・ランタンに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ファイヤーボール」
火球の玉を生み出し、俺はヘラクレスに向けて解き放つ。
熱量のある火球は敵に向かっていくも、接触したのは地面だった。
何と、直ぐに目を覚まし、後方に跳躍して回避をしていた。
確かに倒れると脳への血流量が増し、意識は速やかに回復する。
だが、完全に正常な感覚に戻るまでには、早くとも数分はかかってしまうもの。
魔物だからという理由で否定するのは簡単だが、こちらも魔法で現象を起こしている。
そんな理由では納得ができない。
ヘラクレスは立ち上がると、まるで誰も近づけさせまいと言いたげに、でたらめに大剣を振るう。
まるで子どもが駄々をこねているようだ。
だが、その暴れ振りを見て、俺の中でやつの正体に一歩近づいたような気がした。
おそらくだが、ヘラクレスの種族となる魔物はバーサーカーだろう。
バーサーカーは戦闘に入ると理性を失い、正気に戻るまで暴れ続ける厄介な相手だ。
しかし、時間が経つほど戦闘熱が増し、目の前のことしか見えなくなるため、攻撃が当てやすくなる。
ヘラクレスがバーサーカーであるならば、長期戦に持っていくのが一番だ。
だけど、あの破壊力とスピードを相手に、長期戦ができる自信がない。
時間が経過するほど、こちらが不利のように思われる。
「ハハハハいいぞ!ヘラクレス。このままあいつらを全滅させろ。私とお前なら人間を根絶やしにして精霊を呪縛から解放できる」
味方の戦い振りを見て、優勢であることにいい気分になったのだろう。
イアソンは高笑いを浮かべる。
一刻も早く、攻略法を見つけなければ。
思考を巡らし、どの魔法を使うべきかを考える。
すると、突然ヘラクレスが予想外の行動に出た。
イアソンの前に来ると彼を持ち上げ、ライリーに向けて投げ飛ばしたのだ。
「おいおい、何でこうなるんだ」
腰に帯刀している鞘から剣を抜き、イアソンはライリーに向けて剣を振り下ろす。
攻撃を喰らうまいと、ライリーも剣でその一撃を受け止め、バインドの状態となる。
「この男はあたいが足止めをしておく。デーヴィッドはヘラクレスをなんとかしておいてくれ」
ライリーからヘラクレスを倒すように頼まれ、俺は大男に視線を戻す。
なぜやつは仲間であるはずのイアソンを道具のように扱った?
バーサーカーであるから仲間の区別がつかなくなったというのなら、納得はできる。
だが、それならイアソンを攻撃していても可笑しくはない。
あの行動は、まるで見ていないでお前も戦えと言っているように見える。
もし、俺の予想が当たっていたのならば、ヘラクレスはまだ理性がある状態だ。
攻撃は躱されることを前提にしていたほうがいい。
やつのスピードを上回る攻撃で攻めるか、逃げ場のないような広範囲の攻撃をするか、そのどちらかが敵にダメージを与える方法だろう。
後者は俺一人であるのなら問題はないが、仲間がいる状況下では、彼女たちにも被害が出る。
だからと言って、俺の使える魔法の中に敵の速度を上回るものがあると、自信をもって言えるものはない。
躱されては無駄撃ちになる。
確実に命中する方法を考える必要がある。
思考を巡らしていると、アイディアが閃いた。
だが、これは広範囲の魔法を使用する策だ。
仲間にも危険が及ぶ。
迷っていると、再びヘラクレスが俺に向けて大剣を振り下ろす。
また同じことを繰り返してしまった。
「呪いを用いて我が契約せしハルモニウムに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。パァプ」
カレンの呪文の詠唱が終わった途端、俺とヘラクレスの間の地面が割れ、その反動で俺は後方に吹き飛ばされた。
身体を地面にぶつけながらも、顔を上げる。
音の力で砕けた地面が礫のように敵に直撃するも、ダメージを負っているようには見られない。
見た目どおりに頑丈なようだ。
「何を悩んでいるのよ。デーヴィッドらしくないわね。キャメロット城で戦ったときは、私とライリーのことを考えないで、炎と氷の呪文を連発していたじゃない」
「俺が何に悩んでいるのか気づいていたのか」
上体を起こし、カレンに問う。
「当たり前でしょう。兄妹なのだから。普段以上に周りを気にしていたから、私たちのことを気にかけてくれているんだと思ったわ。でも、私はデーヴィッドを助けるために音を使って吹き飛ばした。ケガをする前提でね。つまりはそういうこと」
カレンは戦いなのだから、命を助けるためなら最低限のケガを負わせる覚悟も必要だと言いたいのだろう。
そんなことはわかっている。
「でも、あのときとは状況が違う。今はアリスやエミがいる。信頼関係には差があるじゃないか。それに俺自身なら構わない。俺ぐらいの犠牲でこの戦いに勝つことができるなら。俺はいくらでもケガをする」
感情的になって声を張り上げた瞬間、声に違和感を覚える。
俺の声なのに、自分のボイスじゃないような音だった。
しかも、俺の声が音波となって壁に衝突しているようで、振動した壁が再び音波を発生させている。
そのせいで俺の言葉が反響し、何度も繰り返された。
「カレン、俺に魔法をかけたな」
「こうでもしないと、デーヴィッドが自分の立ち位置を再確認できないと思ったからよ。だから反響魔法を小声で唱えたわ。これで少しは目を覚ませばいいのだけど」
「デーヴィッド、今のセリフはどういうことよ」
後ろからエミの声が聞こえ、俺はゆっくりと振り向く。
背後には俺を睨むエミが立っていた。
怒りを抑えているのか、身体が震えている。
「確かにあたしはまだ出会って二日しか経っていない。カレンやライリーのように雰囲気だけで、あなたのことを察してあげることはできない。でも、どんなに一緒に過ごす時間が短かったとしても、あたしはみんなのことを仲間だと思っている。デーヴィッドを救出する際も、みんなを信じているからこそ、自分から悪役を演じたわよ。それなのに!」
エミが声を張り上げた瞬間、俺の頬に痛みが走る。
彼女の目からは小さな涙の雫が落ち、それを見た俺は胸が痛むのを感じた。
「どうしてあなたは自分が一番上であるかのように振舞って、周囲の心配をするの!あたしたちは心配されるほど弱くはない。自分の身ぐらい、自分で守ることぐらいできるのに……悔しいわよ。対等だと認識されないなんて」
俺は何を勘違いしていたのだろう。
大切な仲間だから大事にして傷つくところをみたくなかったのに、その優しさがかえってエミの心を傷つけてしまった。
確かに俺は、自分が気づかないうちに天狗になっていたのかもしれない。
多重契約者であり、知識の本に書かれている内容を読んで理解することができる。
俺は特別な存在なんだ。
だからみんなを守らないといけない。
そんなふうに、無意識に思い込んでしまったのだろう。
「ごめん、エミ、カレン。それとありがとう。俺の目を覚まさせてくれて」
「べ、別にお礼を言われるほどのことじゃないわよ。義妹として、家族が道を間違えたのなら、それを正してあげなくてはならないからよ」
「あ、あたしも仲間として当然のことをしただけだからね。変な勘違いをしないでよ」
「デーヴィッドよ。話は済んだか?一応倒すつもりで火炎魔法を使っていたが、どうやら時間稼ぎにしかならなかったようだ」
俺の代わりに戦っていたレイラが、ヘラクレスに火炎を浴びせようとしていた。
だが、やつは大剣をうちわの要領で風を生み出し、左右に散らせている。
魔王であるレイラが本気を出せば、ヘラクレスなど敵ではない。
だけど、ここは洞窟の中だ。
イレギュラーな事態に陥り、天井が崩れて生き埋めになることも考えられる。
そのため、本気を出せずにいる。
ここは俺が範囲魔法を使って倒すしかない。
「みんな、今から呪文の詠唱を行う。タイミングを見図って目を閉じろ!忠告はしたからな。これから先は何が起きても自己責任だ!」
カレンの反響魔法の効果は持続しているようで、大声を上げなくとも部屋中に届く。
「呪いを用いて我が契約せしウィル・オー・ウィスプに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ダズリンライト」
詠唱を終えたと一緒に俺は目を閉じる。
そして心の中で五秒ほど数えて瞼を上げると、視界の先には目を抑えて苦しんでいるヘラクレスの姿が映った。
「今がチャンス!呪いを用いて我が契約せしウンディーネに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ウォーターウイップ」
空気中にある水分子のプラスの電荷と、酸素側のマイナスの電荷が磁石のように引き合い、水素結合を起こす。
これにより水分子間がつながり、水分子のクラスターが形成され、大きな水の塊を作ると形状を鞭のように変化させる。
水の鞭に勢いをつけ、ヘラクレスの腹に狙いを定めて放つ。
変化自在の水状の鞭は、ヘラクレスの腹部に当たり、その瞬間に彼の口から血が噴き出た。
水は高速で物体に当たると慣性力と粘性力によって元の位置に留まろうとする性質をもっている。
これにより水は強度となり、本物の鞭以上の威力を発揮する。
吐血したヘラクレスはそのまま意識を失ったかのように前に倒れた。
「やっ…………」
やったかと言いかけ、慌てて言葉を飲み込んだ。
エミによればフラグと言い、敵を倒した瞬間に喜びを表す言葉を発してしまうと、倒した敵が復活してしまうことがよくあるらしい。
危なかった。
もし、思わず口にしていたらもう一度戦うことになっていた。
これであとはイアソンを残すのみ。
ライリーに視線を向けた瞬間、背後から殺気を感じ、すぐさま振り返る。
倒したはずのヘラクレスが立ち上がり、大剣を振り上げていた。
二度あることは三度ある。
俺はすぐに後方に跳躍して敵の一撃を回避した。
誰もフラグが成立するような言葉を言わなかった。
ならば、吐血して倒れたものの、俺の呪文の威力が足りなかったことになる。
「ハハハ。ヘラクレスは普通の魔物とは違う。あのかたが別の世界の英雄をもとに作られた。ヘラクレスを倒すならば、英雄の最後を再現しなければならない」
俺たちは知らないと思っているのか、親切にもヘラクレスの攻略方法をイアソンが教えてくれた。
彼の言葉を聞き、俺はエミに視線を向ける。
彼女は首を左右に振り、知らないことをアピールしていた。
単純に知らないだけか、それとも転移前の星が違うのかは定かではない。
知識の本にはもしかしたら載っているかもしれないが、のんびり読書をしている余裕はない。
俺たちはヘラクレスを倒すことができるのだろうか。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら教えていただけると助かります。
また明日も投稿予定なので、楽しみにしていただけたら幸いです。




