第六章 第三話 恋活婚活センター
温泉は一階の受付を右に行ったところにあり、中央が混浴、左右が男女に別れている。
暖簾の前に二人の姿が見えない。
「レイラとライリーには先に入るように言ってあるわ」
「分かった。それじゃあ俺が先に上がったら、ここで待っているよ」
カレンに伝えると、俺は暖簾をくぐり、中に入る。
最近カレンに嫌われているのではないかと考えてしまう。
特にこの街に来てから、風当たりが強い。
思春期による一時的な嫌悪感によるものならいいが、本気で嫌われているのであれば、義兄として心のダメージが半端ない。
とにかく、今はカレンの言うことを聞いて、信頼を回復させなければ。
脱衣所で服を脱ぎ、タオルを持って扉を開ける。
温泉は露天風呂になっており、お湯からは湯気が出ていた。
利用している客は俺しかおらず、男湯は貸し切り状態だ。
「誰もいないな。これならゆっくり入れる」
先に頭と身体を洗い、皮膚に付着した汚れを洗い流す。
不快な臭いが感じられなくなったのを確認して、俺は温泉に入ると、壁に背中をつけて温かいお湯を堪能する。
「いいお湯だ。これなら長旅の疲れが吹っ飛びそうだ」
「この声はデーヴィッドか?」
腕を上げ、思いっきり伸びをしたところで、壁の向こうから俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「もしかしてレイラか」
「なんだ。ちゃんと男湯にいるではないか。これではまるで、デーヴィッドを信頼していないように捉えられるな」
男湯の隣は混浴だ。
つまり、男女が共有する空間となっている。
「おい、何で混浴にいるんだよ」
「そんなの、余の勝手であろうが」
確かに、どっちの温泉に入ろうと、それはレイラの自由だ。
だけど、彼女が混浴にいると思っただけで、なぜかわからないが嫌だと思ってしまう。
カレンも今の俺と同じ気持ちだったのだろうか。
「そっちに他の男はいるのか?」
「何だ?変に心配してくれているのか?なら、デーヴィッドもこっちに来るがよい。その目で確かめれば良かろう」
挑発的な言葉をレイラが言ってくる。
混浴に男がいるのか、真実を知るには直接向かってこの目で確かめるのが一番だ。
だけど、カレンの信頼回復を考えれば、グッと堪えるのが賢明な判断と言える。
レイラの心配か、カレンの信頼回復か、頭の中で思い浮かんだ天秤が揺らつくも、どちらにも傾こうとはしない。
時間だけが過ぎ、次第に何も考えられなくなった。
「おい、デーヴィッド。聞こえておるか?デーヴィッド、デーヴィッド!」
何度も俺の名を呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、だんだん遠ざかっていく。
あれからどのくらい時間が経っただろうか。
身体に気持ちいい風が当たり、額から不快に思わない程度の冷たさを感じた。
そして後頭部には柔らかい感触がある。
まるで天国にいるような気分だが、これはいったい?
「お、気づいたようである」
「まったく、世話を焼かせないでよね」
「まぁ、目が覚めて良かったじゃないか。あのままぽっくり行かれては、あたいたちは困ってしまうからね」
最初は視界がぼやけていたが、次第にはっきりと映し出された。
真上にレイラの顔があり、後頭部に感じる柔らかさから考えると、どうやら俺は彼女に膝枕をされているらしい。
そして額には、ビニールに水と氷を入れたものが乗っている。
それをズレ落ちないように、ライリーが持ってくれていた。
そしてこのそよ風のように気持ちいい風は、カレンの魔法によるものなのだろう。
彼女は風の精霊であるイズナと契約をしている。
あのときの俺のようにブリーズを使って風を送ってくれたようだ。
「俺、露天風呂にいたはず」
「のぼせて気を失っていたデーヴィッドを、従業員が見つけて教えてくれたのよ。お陰で火照りを冷ます暇がなかったわ」
「そんなこと言って、カレンは必死だったじゃないか。半泣きして氷水を用意して、風魔法まで使ってさ」
「半泣きとかしていないから。適当なことを言わないでよ!ライリー」
「いや、半泣きしていた。余もこの目で見ていた」
「あんたたち目が腐っているわよ。病院に行ったほうがいいわ!」
彼女たちの会話を聞き、嬉しさを感じながらも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
これ以上は迷惑をかけるわけにはいかない。
そう思い、上体を起こす。
「デーヴィッド、目覚めたばかりなのだ。もう少し安静にしなければ」
「もう大丈夫だ。迷惑をかけてすまない」
立ち上がり、そのまま歩こうとしたときだ。
視界がグルグルと回り出したと思うと、俺は床に足をつけている感覚がなくなり、背中に痛みを感じた。
「「「デーヴィッド!」」」
三人の声が聞こえる。
どうやら思った以上に、身体のほうはダメのようだ。
体内水分が失われ、体温調節に異常が起こって体温が上昇したままになっている。
「ほら見ろ、全然大丈夫じゃないではないか」
「水分補給をしないといけないねぇ。カレン、水を持って来てくれないか」
「分かった」
ライリーの肩を借り、俺は再び長椅子に座ることになった。
「はいお待たせ」
しばらくしてカレンが戻ってくると、水の入ったコップを受け取る。
淵に口をつけ、ゆっくりと喉に流し込む。
冷えた水が口の中に広がり、少しではあるが、気分的に楽になった。
「ありがとう。助かった」
カレンにお礼を言い、俺は俯く。
まったくなんて失態だよ。
リーダーっていうわけではないが、俺がみんなの先頭に立って行動しないといけないっていうのに。
「今日は大人しく部屋で寝ておきな。情報はあたいたちで集めておくからさ」
ライリーの肩に捕まり、そのまま部屋に向かっていく。
こうなったのも自業自得、今日はこのまま大人しくしておこう。
今日の失敗を取り戻すためにも、明日は朝早くから行動することに決めた。
部屋に戻ると、俺は倒れるようにしてベッドに横になる。
「そんな恰好で寝るんじゃない。まったく、世話が焼けるねぇ」
ライリーがため息交じりに言うと俺の身体に触れ、うつ伏せから仰向けの状態に変えてくれた。
「それじゃあ、大人しく寝ておくんだよ」
寝ておくように促され、俺は大人しく両の瞼を閉じる。
次に目を開けると、まだ日は上ってはいなかった。
深夜のようで空は暗く、星が輝いている。
早めに就寝したからか、もう一度瞼を閉じたところで眠る気がしない。
「夜風にでも当たるか」
起き上がり、ベッドから出ると部屋の扉を開けて廊下の様子を窺う。
廊下には誰の姿も見えず、シーンと静まり返っていた。
なるべく足音を立てないようにして廊下を歩き、階段を下りて一階に向かう。
一階も二階と同様だった。
玄関のドアノブに手をかけて回してみると、鍵はかかってはいないようで、扉は開いた。
物騒ではあるが、宿の決まりごとに夜間の外出禁止はない。
おそらく、夜道を歩きたいお客のために鍵をかけていないのだろう。
外に出ると昼間とは違う雰囲気を醸し出していた。
あれほど賑わっていた人々の姿は見えず、明かりのない道が続く。
街中を散策しても、どこに何があるのか理解することができないだろう。
「仕方がない。本当はこんな使い方をしたくはないが」
心の中で契約している精霊に謝り、魔法を発動させる。
「呪いを用いて我が契約せしジャック・オー・ランタンに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ファイヤーボール」
空中に直径三十センチほどの火球を生み出し、松明がわりにして辺りを照らす。
上空を照らすと一匹の鳥が羽ばたいていくのが見えた。
「あれはリピートバード」
見た目は大きいフクロウとあまり変わらないが、脳の作りが違う。
そこら辺にいる鳥とは違い、人間に近い脳をしている。
そのため言葉を理解することができるのだ。
それに加え、人間に近い声帯を持っており、体内に入った空気が声帯という膜に当たって震え、舌の形、嘴の形、顎の開き具合や、鼻から通る空気が組み合わさって言葉を話すことができる。
主に遠くに離れた人にメッセージを伝えるために飼われている鳥だ。
どこかの誰かにメッセージを飛ばしているのだろうか?
この町が出会いの街でありながら夜は静かなのは、あの鳥がいるのが原因のひとつなのだろう。
リピートバードを使えば、誰にも迷惑をかけることなく、相手と連絡をとれるから。
普段見ることのない鳥を見て、特をした気分になりながら道を歩く。
五十メートルほど歩いただろうか。
周囲は暗いのに、奥のほうに明かりが見えた。
何の明かりなのだろうか?
気になった俺は、光に引き寄せられる虫のように、その場所に向けて歩く。
明るい場所に辿り着くと、その正体を知ることができた。
あのビラに書かれていた恋活、婚活センターだ。
その証拠に、建物の窓からリピートバードが飛んでいくのが見える。
建物の中はまだ明るい。
看板には営業中と表示がされ、俺は中に入ることを決める。
出会いを求めたくて中に入るのではない。
これはあくまで情報収集のためだ。
そう自分に言い聞かせ、店内に足を踏み入れる。
店内の照明は、貴族の屋敷に使われるシャンデリアであり、部屋全体を明るく照らしてある。
壁や置いてある家具は白を基準にしてあり、とても清潔感のある内装だ。
店内の客は夜遅いためか俺しかいない。
受付に向かい、カウンターで書類を書いている女性に声をかける。
「すみません。初めてなのですが」
「はい。ではこちらの書類に必要事項を書いてください」
渡された書類に目を通す。
紙面にはニックネーム、出身場所、年齢、職業などの記入欄があり、最後に一ヶ月間、四千三百ギルの費用がかかることが注意として書かれていた。
全ての記入欄に必要事項を書き、最後に同意するにチェックを入れると、書類を受付の女性に渡す。
「では、会費として四千三百ギルいただきます」
女性はトレーをカウンターの上に置く。
バッグの中に入っている瓶から、必要な分の紙幣と硬貨を取り出すと、トレーの中に入れた。
「ではちょうどいただきます」
現金を受け取ると、女性は黒色の四角い物体を取り出す。
あれは何だ?
そう思った瞬間、黒い物体が一瞬だけ光を放つ。
突然のできごとに俺が驚き、一歩後退した。
「あのう、今の光は?」
「お客様の照明写真を撮らせていただきました。これはチェキという魔道具でして、レンズを通して移ったものを瞬時に描き、排出することができます」
今の言葉を証明するかのように、チェキと呼ばれた魔道具からは、一枚の紙が排出された。
最初は何も映ってはおらず、壊れているのかと思ったが、数秒すると俺の顔が浮かび上がってきた。
魔道具、話しは聞いたことがあるが、見るのは初めてだ。
今の魔学では解明することができない不思議なアイテム。
どんな効果があるのかは使ってみないと分からないため、危険が伴う。
いつ、どこで、誰が作ったのかは不明の品だ。
「あちらのほうに参加している女性のリストを、ファイリングしたものがありますので、気になった人がおられましたらまたお越しください」
受付の女性に教えてもらったほうに向かい、棚の中にある紙の束を適当に取り、中を開くと一枚ずつ捲っていく。
俺が書いた書類と同じものであり、女性のプロフィールが書かれていた。
どんな人物かわかるように、先ほど撮ってもらった写真というのも張りつけられている。
書類を新しくしていないからか。古いものは破れかけており、変色しているのもあった。
古い書類の人は、お世辞にも容姿がいいとは言えない。
半分ほどページを捲り終わると、俺は手を止める。
気になる娘を発見した。
名前はナコ、年齢は俺のひとつ上だ。
写っている写真には髪が胸の長さまであり、丸めた手で口元を隠していた。
自己紹介文には目がきつめで、覚めている印象を持たれやすいと書かれているが、自分をよく見せようとはせずに、ありのままを知ってもらおうとする姿勢に好感をもった。
取敢えずこの娘にしてみようか。
ナコの書類を一番上にして、受付に向かうと女性に見せる。
「この娘にアポを取ってみたいのですが」
「分かりました。では、あなたのプロフィールを、ナコさんに持って行きます。見てもらい、連絡を取ってもいいと判断された場合、あなたに結果が届きますので」
「よろしくお願いします」
試しに一人の女性にアプローチをかけてみることにした。
ここから先はナコさん次第になる。
店から出ると、俺は再び呪文の詠唱を行う。
「呪いを用いて我が契約せしジャック・オー・ランタンに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ファイヤーボール」
小さいファイヤーボールを明かりの代わりに使い、宿に向けて歩みを進める。
「――――」
夜道を歩いていると、路地裏のほうからか声が聞こえたような気がした。
気になって耳を澄ませてみるが、今度は何の音も聞こえない。
「気のせいだろうか?」
疲れて幻聴を聞いたのかもしれない。
その可能性が非常に高かったが、俺は自然と路地裏に進路を変えて歩き出す。
「な…………よ、あ……ん……ち」
今度は確かに声が聞こえた。
声量の高さから、女性の声だ。
夜中に女性が声を上げる。
普通に考えて、良くないことが起きているのは明白だ。
俺は石畳を蹴り、走り出すと声の主を探す。
「おい……おと…………ぞ。に……ろ」
今度は低い男の声が聞こえた。
言葉を全て拾うことができなかったが、確実によくないことが起きている。
走ったことにより、心拍数が増えて呼吸が荒くなる。
だが、そんなことを気にしている場合ではない。
路地裏の角を曲がったときだった。
足に思いっきり急ブレーキをかけ、その場に止まる。
地面に一人の女の娘が倒れていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
誤字脱字や文章的に可笑しな部分などがありましたら、教えていただけると助かります。
また明日投稿予定ですので、楽しみにしていただけたら幸いです。




