第五章 第三話 犯人の正体
今回のワード解説
読む必要がない人は、飛ばして本文を読んでください。
クラスター……数えられる程度の複数の原子・分子が集まってできる集合体。個数一〇~一〇〇のものはマイクロクラスターと呼ばれ,特殊な原子のふるまいが見られる。
消化酵素……消化に使われる酵素のことで、消化の後に栄養の吸収につながる 。分解される栄養素によって炭水化物分解酵素、タンパク質分解酵素、脂肪分解酵素などに分けられる 。生物が食物を分解するために産生するほかは、食品加工、胃腸薬、洗剤として使用される。また、海外ではサプリメントとしての利用も一般化している。
グリセロール……油脂の構成成分として生物界に多量に存在し、工業的にも重要な三価アルコール。
モノアシルグリセロール……モノグリセリドともいう。グリセロールのモノ 脂肪酸エステル。脂肪酸の消化過程では、主に2位のヒドロキシル基が脂肪酸エステルになっているものが生成する。
マルトース……砂糖などに比べると甘さが低く、ブドウ糖に分解されないので腸で吸収されず、血糖値の急激な上昇を緩めてくれるので、糖尿病患者などの食事などに用いられている。水に溶けやすく、加熱による着色や結晶化がなく、デンプン質食品の老化を抑制する効果があることから、キャンディー、アイスクリームなどの菓子類や、佃煮などの加工食品などにも用いられている。また、麦芽糖の発酵作用が腸の運動を活発にし、便秘解消効果が期待できる。
草から飛び出したのは人だ。
だが、普通の人間ではない。
目はジル並みに大きく見開かれ、髪の毛はほとんどない。
布製の服を着ているが、服の隙間から骨らしきものが見えた。
ゾンビ?
知識としては知っているが、この目で見るのは初めてだ。
前に聞いた話だと、こことは違う別の大陸に生息しているらしい。
そのゾンビが跳躍して距離を縮めると、振り上げた腕を一気に振り下ろす。
爪は獣並みに鋭く、触れれば切り裂かれるだろう。
俺は後方に跳躍して躱すとレイラに問いかける。
「どうしてゾンビが襲ってくる。俺との約束はどうなっているレイラ!」
「信じてもらえるかはわからないが、ゾンビは余の配下ではない。その証拠として余にも襲ってきている」
確かにゾンビは、魔王であるレイラにも躊躇いもなく攻撃をしかけている。
「なるほど、そういうことですか」
戦闘の最中、ジルは全てが理解したのか、一人で何度も頷いている。
そして額に青筋を立てたと思った瞬間、彼は直径三十センチほどの火の玉を作り出し、ゾンビに当てた。
まるで親の仇をみるかのように、何度も火球を生み出してはゾンビを焼き尽くす。
「おのれ、レイラ様と交わした盟約を破りよって!あの男が!」
声を荒げ、ジルは怒りの形相で黒焦げになったゾンビを睨みつけると、再び炎を生み出して別のゾンビに攻撃を当てる。
「死ね! 死ね! 死に晒せ!」
興奮で周囲が見えていないのか、当てることに失敗した火球が流れ弾として俺に襲ってきた。
間一髪横に跳躍して避けることができたが、火球は木に直撃すると燃やし始める。
「ジルよ。落ち着くのだ。このままでは山火事になるぞ」
レイラが叱責の声を上げると、ジルは我に返ったようで、火球による攻撃を中止した。
だが、怒りの感情は薄れてはいないようだ。
吐息が荒く、力強く拳を握りしめている。
「とにかく消火だ。呪いを用いて我が契約せしウンディーネに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ウォーターウイップ」
空気中にある水分子のプラスの電荷と、酸素側のマイナスの電荷が磁石のように引き合い、水素結合を起こす。
これにより水分子間がつながり、水分子のクラスターが形成され、大きな水の塊を作ると形状を鞭のように変化させる。
「いけ!」
空中に留まっていた水の鞭は、蛇のようにしなやかに動き、燃える炎に触れると熱を奪う。
酸素の供給が断たれた炎は一瞬にして消え、焦げ臭い匂いだけが残た。
これで山火事の心配はない。
ジルが何に気づいたのか気になるが、ゾンビをどうにかしなければ話を聞くことができないだろう。
「レイラ、正当防衛だ。倒してもいいだろう」
「余的にはあまりよくはないが、仕方がない。許可をする」
「カレン、ライリー、そっちは大丈夫か」
「あたいは大丈夫だけど、カレンがこの悪臭にやられたみたいだ。体調不良を訴えている」
大きな白い岩を挟んでいるせいで、カレンたちの様子がこちら側からは知ることができない。
一刻も早くゾンビを倒さなければ。
岩の反対側からライリーの鬨が聞こえる。
あっちのほうにも敵がいるようだ。
彼女はカレンを守りながら戦闘しているはず。
早急に救援に向かわないと危ないかもしれない。
どの精霊の力を使い、ゾンビを全滅させるのかを考えていたときだ。
ゾンビが大きく口を開けたかと思うと、体内から吐瀉物を吐き出した。
嫌な予感を覚えた俺は、咄嗟に身体を捻って回避する。
吐き出された液体を目で追うと、下半身が骨になっている魔物の死骸に直撃。
その刹那、俺は目を大きく見開いた。
上半身の肉までが溶け、とうとう骸のみが残される形となったのだ。
あの魔物はゾンビの体内から吐き出された液体に触れ、溶けて死んでしまった。
原因の解明にはつながったが、逆に脅威となる。
「みんなゾンビの吐瀉物には気負つけろ!触れれば溶けて死んでしまう」
「ゾンビの消化液には、唾液、胃液、胆汁、膵液、腸液の消化効果があり、人が触れると消化酵素により、肉体のたんぱく質はアミノ酸に、脂肪は脂肪酸、グリセロール、モノアシルグリセロールへと分解。臓器の炭水化物はマルトースに分解され、低分子に分解されると骨を残して溶けてしまうのです。危険ですので正面には立たないほうがよろしいかと」
時間を置いて徐々に冷静さを取り戻したようだ。
ジルがゾンビの消化液について説明をしてくれた。
敵の正面にいない立ち回りをしながら、戦闘を行わなければならない。
とにかく口を封じなければ。
「呪いを用いて我が契約せしウンディーネとフラウに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。シャクルアイス」
現実に起こすための言葉を発すると、空気中の酸素と水素が磁石のように引き合い、電気的な力によって水素結合を起こす。
これにより水分子間がつながり、水分子のクラスターが形成され、水の塊が出現。
水の一部を切り離し、残ったゾンビに向けて飛び出すと、敵の口周りに巻きつく。
すると今度は巻きついた水に限定して気温が下がり、水分子が運動するための熱エネルギーが極端に低くなる。
そして水分子は動きを止めてお互いに結合して氷に変化した。
皮膚に触れた氷の表面が、体温で一時的に溶けて水に戻ると、再び冷却が始まる。
それにより氷が接着剤の代わりになり、敵の顔面に貼りつく。
これなら口から消化液を出すのが難しくなるはず。
ゾンビは思考力が低下して本能で動く魔物だからか、自身の身に何が起きたのか理解してはいないようだ。
突然口が動かないことに戸惑いを見せている。
今が攻撃のチャンス。
「呪いを用いて我が契約せしジャック・オー・ランタンに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ファイヤーアロー」
外せば山火事になるリスクはあるが、ゾンビ系の魔物には火が有効。
狙いを定め、一体ずつ確実に仕留める。
幸いにも、今のゾンビは動きが鈍くなっている。
外す可能性は低い。
「いけ!」
右手を上げて軽く振ると、矢の形をした炎がゾンビに向けて放たれる。
炎の矢は敵に命中すると身体全体を包み込み、燃やし尽くす。
「私も負けておられません。喰らいなさい」
先ほどの失敗を取り戻そうと、ジルも炎を発生させてゾンビに当てる。
今度は外すことなく、敵の肉体を灰へと変えていく。
敵の行動が鈍くなったあとは、あっけないものだった。
苦戦することなく、こちら側にいたゾンビ全てを排除する。
「すまない。余の魔力ではファイヤーボールといえ、山火事ではすまなくなる可能性があったのでな。加勢することができなかった」
申し訳なさそうに顔を俯かせてレイラは謝る。
彼女の魔力量は膨大だ。
低級魔法のファイヤーボールであっても、上級魔法と同等の威力をもつ。
一気に敵を全滅させることは容易であったとしても、そのあとの処理が大変だ。
先のことを考慮して、レイラは魔法による戦闘は避けていたのだろう。
「別に気にするな。それよりあとはライリーのほうだ」
岩のほうに視線を向けると、ライリーが岩の隙間から顔を出す。
「ライリー、そっちの敵は倒したのか?」
「すまない。逃げられた」
彼女は逃がしてしまったことを謝るが、それでも一人で戦っていたんだ。
称賛はしても罵倒することはない。
「カレンの容体は?」
「気を失ってはいるけど、命に別状はない」
カレンが無事であることに、俺はホッとして胸を撫で下ろす。
敵の行方が気になるが、それよりも早くジルに問い質さないといけない。
「ジル話してくれないか? いったい何に気づいた」
「それは余から話そう。結論を言えば、あのゾンビは余の配下ではなく、セプテム大陸の魔物の頂点に立つ魔王の配下だ」
「何だって! 魔王はレイラ意外にもいるっていうかい?」
話を聞いていたライリーが驚きの声を上げる。
戦闘をしながら可能性のひとつとしては考えていたが、やはりそうだったのか。
「魔王とはロード階級に到達した魔物に与えられる称号だ。そう簡単にはなれないゆえ、非常に数は少ない。余も一人だけしか存在を知らない」
「それが、あのゾンビの主というわけか」
「そうだ。その魔王とは盟約を結び、お互いが縄張りにしている大陸には手を出さないことになっている」
「こことは違う大陸にいるはずのゾンビがこの森に生息し、従来の魔物を殺していた。この状況からでは盟約違反と捉えられるな。だけど、どうしてそんなことをする」
お互いに均衡を保つために一線を引いていた。
それを破る理由とはいったい?
「おそらく余の敗北と関係があるのだろう。デーヴィッドに敗北したあと、人間を襲うなと配下に伝えた。魔物に勢いがなくなったことで、余が死んだとでも思ったのだろう。勢力と領土を拡大するために、この大陸に侵攻してきたと考えられる」
「だけど、今の戦闘でゾンビにレイラが健在であることが知られた。これでこの大陸に侵攻することはないだろう」
「そうであるな。デーヴィッドの言うとおりだ」
「何を言っているのです魔王様。どんなことがあろうとこれはれっきとした盟約違反。しかも仲間が殺されているのですよ。仇を討つために、我々もやつの大陸に侵攻するべきです」
犠牲は出たが、これで元どうりになる。
そう思ったが、ジルが声を荒げて抗議する。
「しかし、ここで余までもがやつの大陸に赴けば、外交問題に発展するのではないか? 最悪魔物同士による戦争に発展する恐れが」
「戦争なんぞ望むところです。仲間の仇を討たなければならない!」
「ダメだ。戦争なんぞやってはならない。魔物は魔王より生まれる。つまりは我が子当然だ。子どもらのいざこざなら笑って送り出すが、家族で命の削り合いなぞ赦せるはずがない」
レイラは魔王であり、一人の女性でもある。
母性本能的なものから、今のような発言をしたのだろう。
「だけど、もう手遅れじゃないのかい?」
「手遅れとはいったい?」
何か頭の中で浮かんだものがあったのだろう。
ライリーは意味深い言葉を言い、レイラがそれを訪ねる。
「セプテムの大陸にいる魔王は、勢力と領土の拡大を目的として、この地に配下の魔物を送っているのだろう? なら、ゾンビを倒した段階で、侵略の口実ができたんじゃないのかい? さっきのジルのように、仲間を殺された仇を討つためにと」
確かに、レイラが言っていた予想が当たっていた場合、目的は侵略だ。
口実を作るためにゾンビを向かわせ、仲間が倒されれば、戦争を起こす正当な理由になり得る。
「つまり、余たちはまんまとあの男の掌で踊らされていたというわけか」
「まだ確定はできないが、その可能性は十分に考えられる」
「戦争、望むところです。寧ろ逆にやつらの領土を奪ってやりましょう」
ジルは徹底抗戦を押している。
仲間を失った悲しみや怒りから、どうしても戦いたいようだ。
そんな彼を見て、俺はある疑問が浮かんだ。
「なぁ、ジルは俺のことを恨んではいないのか? 俺だって村を襲われて、復讐に多くの魔物を倒してきた。なのに、その感情を俺に向けてこないのはなぜだ?」
頭の中に浮上した疑問をそのままにしておくことができずに、俺は彼に尋ねた。
「確かに、今の私の姿を見れば、そのように思うのは当然ですね。正直、まったく憎くないと言えば嘘になりますが、デーヴィッド殿を恨んでいません。あなたの知略には敬意を表しておりますし、何より我が王であるレイラ様の見初めた相手。そのような方に、いつまでも醜い感情を抱くわけにはいきませんよ」
「つまり割り切っていると」
「そういうことです」
「なら今回の件も」
「それはなりません。いくらなんでも条件が違います」
流石に水に流してはくれないか。
だけどどうにかして魔物同士の戦争は避けたい。
「とりあえずは、魔王のいる大陸に向けて移動してみないか? 近づけばそれなりに情報が入ってくるかもしれないし、もしかしたら深く考えすぎているかもしれない」
とにかく今は持っている情報が少なすぎる。
憶測だけで行動してしまっては、あとで痛い目に遭うことになるかもしれない。
「だけど、余が大陸に足を踏み入れては外交問題に」
「魔王のいる大陸には入らない。この大陸で魔王のいる大陸に近い場所に向かう。これならレイラの言う外交問題にはならないだろう」
「うむ、それなら何も問題はないな」
どうにか話の落としどころにもっていくことができた。
「それで、これからどうするんだい? カレンも気を失っているし、一度キャメロットに戻る必要があるんじゃないか?」
「遠征することになる。今ある手持ちでは心もとないから、一度城に戻って体制を整えよう」
キャメロット城に帰還するには、またワイバーンに乗ることになる。
飛行中の不安はあるが、カレンも体調を崩している。
早く温かいベッドで休ませてあげたい。
日が暮れる前に急いで森の外に向う。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます!
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所がありましたら教えていただけると助かります。
また明日も投稿予定ですので楽しみにしてください。




