第三十章 第六話 セミラミスの過去
「セミラミス、貴様の相手は余が受けもつ」
赤いクラシカルストレートの髪に漆黒のドレスを着た女性が浮遊し、彼女の前に立つ。
「レイラか。確かに今の環境では、人間ではない貴様ぐらいしか、まともに動くことができないだろう」
セミラミスはレイラを見据える。
先ほどまでは自分の言葉に論破され、顔を俯かせていた。
それなのに、今の彼女は迷いがないかのような表情で、こちらを見ている。
セミラミスは、歯を食い縛る。
そしてオルレアンの魔王を睨みつけた。
「仲間たちの言葉に勇気づけられたか。だが、わらわが言っていることは事実だ」
「確かに貴様の言っておることは事実であろう。しかし、余が言っていることも現実に起こっていることだ。それにドライアドやウンディーネの言葉も聞いたであろう。精霊の中にも、人間を信じている者もいる」
「それはたまたま運がよかっただけだ!あいつらも呪いではなく呪いで契約をしておれば、絶対に真逆の考えになっていた!」
語気を強めて言葉を吐きながら、セミラミスは拳を強く握る。
「まずは周囲にある氷柱の排除からだ。呪いを用いて我が契約せしジャック・オー・ランタンに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ファイヤーボール」
地上から呪文を唱える声が聞こえ、セミラミスは視線を地上に向ける。
囲むように配置していた氷柱が全て溶かされていく。
「レイラと会話をしていたせいで、攻撃のチャンスを逃したか。まあいい、再び上空から狙ってやる」
視線を地上に向けたまま、セミラミスは右手をデーヴィッドたちと重なるようにもっていく。
「させるか!」
レイラの声が耳に入ると、セミラミスの身体に衝撃が走る。
彼女は顔を上げて左側を見ると、赤いクラシカルストレートの女性が自身にタックルを仕かけていた。
不意を衝かれ、セミラミスは空中にいる状態で吹き飛ばされるも、クルッと一回転して態勢を立て直す。
「貴様の相手は余だと言っておろうが。余を無視したからそうなる」
「確かにそうだな。あいつらはほっといても寒さで死ぬ。ならば、貴様を倒すのが一番であろう」
「あんまりデーヴィッドたちを嘗めるではないぞ。これぐらいではあやつらは死なぬ」
「信じておるのか、人間を」
「もちろんであろう。少なくとも、余は仲間たちを信じておる」
レイラの言葉に、セミラミスは再び顔を歪める。
どうしてそこまで人間を信じることができる。
あいつらは身勝手な生き物だ。
私利私欲のために行動し、自分の欲求を満たすために他者を平気で傷つける。
利用するだけ利用し、最後は簡単に切り捨ててしまう。
「わらわは、けして人間なんぞ信じるものか! 自分の好奇心を満たすためにこの世に誕生させ、飽きれば化け物扱いをして殺そうとした人間を!」
脳の記憶を司る海馬から、精霊になる前の幼い記憶が引っ張り出された。
彼女の母親は人間の奴隷だった。
そして父親はキツネ。
セミラミスは人間とキツネとの間に生まれた初代のケモノ族であった。
身体は人間、顔はキツネという状態で生まれ、周囲の人間からは化け物を見るかのような目を向けられていた。
母親でさえも、身体を抱きかかえてミルクをやるときには、怯えたかのように身体を震えさせていた。
彼女は常に孤独感に包まれる。
物心がついたころ、セミラミスは周囲の大人たちから命を狙われるようになった。
どうして大人たちは刃物を持って追いかけてくる? どうして自分が殺されなければならない? 化け物って何?
わけがわからないまま、彼女は逃げ惑う。
一心不乱に走っていると、彼女は自分以外にも追われている人物がいることに気づく。
自分と同じ半人半獣の生き物だ。
セミラミスは走りながらその人物に声をかけ、何が起きているのかを尋ねる。
しかし声をかけた人物も、状況を理解していないようで首を横に振った。
走りながら逃げ惑っていると、道には自分たちと同じ子どもが血を流して倒れている姿が目に入る。
セミラミスは悲鳴を上げ、涙を流しながら必死に生き残ることだけを考えた。
それから先の記憶は空白だった。
あまりにも酷い体験をしたことで、脳の記憶を司る海馬が異常をきたして、記憶に残らなかったのかもしれない。
だけど記憶ではないが、感触は覚えている。
手を握られ、それが温かったというのは微かに覚えている。
次に思い出せるのは、知らない大陸で過ごした記憶だ。
自分たちと似たような姿の生き物と共に過ごし、協力して助け合って生きた。
過去の記憶を思い出し、セミラミスは我に返ると首を左右に振る。
「わらわは忘れぬ。あのとき感じた恐怖を! 痛みを!」
右手の親指と人差し指を擦り、セミラミスはパチンと音を鳴らす。
その瞬間、レイラの両腕の周囲にある空気中の酸素と水素が磁石のように引き合い、電気的な力によって水素結合を起こす。
それにより水分子間がつながり、水分子のクラスターが形成され、水の塊が出現。
レイラの両腕に巻き付く。
すると今度は巻きついた水に限定して気温が下がり、水分子が運動するための熱エネルギーが極端に低くなると、水分子は動きを止めてお互いに結合して氷へと変化した。
「何だと!」
レイラの両腕は、氷の拘束具で繋がれた状態だ。
「どうだ?氷の重さで上手く浮遊ができないであろう」
氷の重みが重力により引っ張られ、レイラは前屈姿勢になる。
「こんなもの、どうということではない。余はオルレアンの魔王、レイラなのだからな!」
レイラが声を張り上げた瞬間、彼女の手が燃えた。
そして拘束していた氷が溶かされると、みるみる小さくなっていく。
「余が精霊だったころはサラマンダーだ。炎が得意である以上、貴様の氷はすべて溶かされる」
氷が溶けて身体が楽になると、レイラは態勢を元に戻す。
そして前屈の際に前に来たクラシカルストレートの髪を、両手で後ろに払い除ける。
「ほう、貴様が精霊だったころはサラマンダーか。下位精霊の残留思念が魔王になるとは驚きだ。わらわが精霊だったころはフェンリル! 上位精霊のフェンリルだ!」
セミラミスが声を張り上げると、再びレイラの肉体が凍りつく。
今度は拘束具などではなく、皮膚に張り付くように凍っていった。
「フェンリルだと!」
レイラは精霊の名をポツリと洩らす。
フェンリルは、下位の精霊であるフラウを従える氷雪の魔狼だ。
爆風の魔人であるジンと同様に、契約者の実力を認められないと契約ができない上位の精霊。
「どうしてだ。どうしてフェンリルである貴様が、消滅することになった!」
レイラの問いかけが耳に入った瞬間、セミラミスの脳は、記憶を司る海馬から、彼女が精霊だったころの記憶を引っ張り出した。
生涯を終えたセミラミスの魂は、人間達への怒りの感情が強すぎたために、フェンリルへと姿を変えたのだ。
上級精霊の彼女は、下位精霊のフラウたちを従えていた。
彼女の力を手に入れるために、多くの精霊使いが彼女と契約を試みた。
しかし、セミラミスは誰とも契約をしない。
人間なんぞに力を貸すものか。
そう心に決めていた彼女は、試練と言う名の殺戮を行い、訪れた精霊使いを葬り去っていた。
そんなある日、彼女の前に新たな精霊使いが現れた。
世代を重ねたケモノ族だ。
彼女はその精霊使いに親近感を覚え、正しい試練を与えた。
最初は何度も失敗し、契約するにいたらなかった。
だが、何度もトライする姿に、フェンリルとなったセミラミスは、心を揺れ動かされる。
最終的にそのケモノ族は試練を突破し、彼女は契約する権利を与えた。
しかし、そのケモノ族の精霊使いは、呪いではなく呪いで契約を行った。
呪いの契約により、彼女の意思は封じ込められ、力を搾取されるだけの存在となる。
フェンリルと契約したそのケモノ族は、魔法の威力の高さに高揚し、何かが起きると力で捻じ伏せるようになった。
自分に逆らう者、自分の嫌いな者を排除していくケモノ族は多くの敵を作り、毎日戦いの日々を送る。
そんなある日、ついにこのときが訪れた。
魔法の連発により、フェンリルとなったセミラミスは力を酷使され、最後に消滅してしまう。
力を失ったケモノ族は、自ら作り出した敵に殺された。
だが、消滅の間際に聞いたケモノ族の言葉を、セミラミスは忘れられない。
『どうして魔法が出ない。フェンリルが消滅したのか。くそう。肝心なときに仕えない道具が』
その言葉を言った直後、ケモノ族は倒れる。
そして死の間際にこう言った。
『俺が死ぬのはすべてお前のせいだ。フェンリル、役立たずのクソ精霊』
過去の記憶を思い出し、セミラミスは歯を食い縛る。
「そんなこと、わざわざ言わずとも分かるだろうが! わらわは二度と、人の血が混ざっているやつを信じぬ。僅かな希望に縋ったところで、絶望に叩き落されるだけだ!」
セミラミスが声を上げると、レイラの肌に張りつくような氷は徐々に速度を増していく。
「そのまま凍りつくがいい。貴様はわらわには勝てぬ」
「くそう。部位別で氷を溶かしても間に合わない」
氷が進行していく部位を炎の熱で溶かしていくが、その間に別の場所が凍り始める。
しかも、溶かすよりも凍っていく進行のほうが早い。
既に半分以上の身体が凍りに覆われている。
その光景を見て、セミラミスは勝ちを確信した。
「さぁ、そのまま全身を凍りつくせ!」
「呪いを用いて我が契約せしケツァルコアトルに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよウィンド。重ねて呪いを用いて我が契約せしフラウに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよフリーズ」
セミラミスがニヤリと口角を上げた瞬間、呪文を唱える声が聞こえ、レイラの身体が急速に凍った。
それを見たセミラミスは大きく目を見開く。
視線を下に向けると、茶髪のマッシュヘアーの男がこちらを見ていた。
標的を間違えたのか? いや、それならもっと驚いているような表情をするはず。
それなのに、彼はニヤリと笑みを浮かべていた。
つまり、自ら同士討ちをしたのだ。
デーヴィッドの行動理由がわからず、セミラミスは動揺を隠し切れない。
「今だ、レイラ!全力で炎を放出させろ!」
「さすがデーヴィッド!余は信じておったぞ」
レイラのほうを見ると、彼女を覆っていた氷は消えてなくなっていた。
自分の氷は炎でも完全に溶かすことができない。
それなのに、デーヴィッドが彼女を氷漬けにした瞬間、氷が消滅していた。
この事実にセミラミスは驚く。
「こいつをくらうがよい」
レイラが拳を振り上げると、セミラミスの腹に向けて放つ。
彼女の拳が触れた瞬間、反動によりセミラミスは吹き飛ばされて地面に落とされる。
降り注いでいた雪が積もり、落下ダメージは軽減されていた。
ゆっくりと上体を起こし、セミラミスは立ち上がる。
赤いドレスについた雪を払い除け、彼女は青い瞳でデーヴィッドを睨みつける。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら、教えていただけると助かります。
ブックマーク登録してくださったかたありがとうございます。
ポイントのほうは気にしないことにしていたので、気づきませんでした。
八十人まであと一人ですね!
話は変わりますが、現在、完結に向けて執筆をしております。
残りの話数を数えないと正確な日にちは分からないですが、今年中には完結すると思います。
というわけで、今回のあとがきはここまで!
物語の続きは明日投稿する予定です。




