第三十章 第五話 悪環境
「セミラミスに耳と尻尾が生えた」
「あたしたちと同じコスプレ……なわけないわよね」
カレンとエミがポツリと言葉を洩らす。
「これがわらわの真の姿だ。今までは耳と尻尾を隠すのに力を使っていたが、その必要がなくなった以上は、本気でいかせてもらう」
空中に浮遊しているセミラミスが右手を翳す。
その瞬間、アイスヒュブリーデが冷気を吐き出したときのように気温が下がっていく。
「急に寒くなってきましたわね」
タマモが腕を擦りながら、気温が低くなったことを告げる。
「まずは回復魔法が使える褐色の女から始末してくれる」
セミラミスが右手を前に出した瞬間、空気中の酸素と水素が磁石のように引き合い、電気的な力によって水素結合を起こす。
これにより水分子間がつながり、水分子のクラスターが形成され、水の塊が出現。
三角錐の形を象る。
そして水の気温が下がり、水分子が運動するための熱エネルギーが極端に低くなると、水分子は動きを止めてお互いに結合して氷へと変化した。
彼女が生み出した氷柱は合計十本。
全ての氷柱が回転をしながら俺たちの上空に移動を始め、その内の一本がライリーに向って飛んでくる。
「呪いを用いて我が契約せしジャック・オー・ランタンに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ファイヤーボール」
素早く呪文の詠唱を終え、火球を生み出す。
そしてライリーに向ってくる氷柱に向けて放つ。
炎が触れた瞬間、氷の気温がゼロ度以上に上昇。
水分子同士の隙間ができ、運動するための熱エネルギーが高くなったことで、形状を維持することができずに水へと変化した。
「ふふ、やはりそう簡単にはいかないか。しかしこの天候の中、いつまでもつかな」
顔を上げてセミラミスのほうを見る。
彼女は余裕の表情を浮かべていた。
悔しいが、彼女の言うとおりだ。
気温の低い環境の中では、人間には不利なことが多い。
先ほど実体験をしたように、眠気を引き起こされたり、かじかんで動きが鈍くなったりする。
手の甲に痛みを感じ、俺は右手を見た。
皮膚が裂け、血が流れている。
これは別に敵からの攻撃を受けたわけではない。
この寒さにより、俺の手が荒れてしまっているのだ。
気温が下がると外気が乾燥しているため、起きやすくなる。
特に手を洗うと、脂が水やお湯の中に逃げてしまう。
そのため細胞が浮くようになる。
これがいわゆる荒れた状態だ。
皮膚の表面には、角質細胞が敷石のように並んでいる。
そしてそれらはセラミドと、細胞間脂質でつながっているのだ。
手の甲は、外気にさらされることが多い。
脂は皮膚の湿度を保つ役割がある。
そのため、脂が少なくなると余計に皮膚細胞が乾燥しやすくなり、カサカサになってしまう。
「私の手がカサカサになっている」
「ライリーさん、早く回復魔法をかけてください」
「待って、いくら手の傷を治したところで、この気温よ。また傷口が開いて堂々巡りになってしまう」
「ということは、やっぱりセミラミスを倒さない限り、どうしようもないってことだねぇ」
自身に起きた自然現象を感じながら、女性陣は口々に言う。
異常な気温の変化は、人間にとっては耐えられない苦痛となる。
いつものことだが、敵は魔物だけではない。
自然そのものも時と場合には敵となる。
「デーヴィッドよ。そなたは仲間たちの体温を上げることを考えよ。セミラミスの相手は同じ魔王である余が相手をする」
レイラがセミラミスの相手をすることを告げると、彼女の足が地面から離れ、空中に浮く。
確かにオケアノスの魔王は空中にいる。
今のあいつと戦えるのは、同じ浮遊術が使えるレイラだけだろう。
「わかった。頼む」
レイラにお願いをすると、彼女は更に高度を上げ、セミラミスと同じ位置に立つ。
視線を元に戻し、俺は最善の方法を考える。
「まずは周囲にある氷柱の排除からだ。呪いを用いて我が契約せしジャック・オー・ランタンに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ファイヤーボール」
生み出した炎を、空中で待機状態になっている氷柱に当てる。
水分子の結合を解き、水に変わると地面に落ちる。
いくらレイラと戦っているからと言っても、隙を衝いてこちらに攻撃を仕かけるかもしれない。
その可能性がある以上は、先にアレを排除しなければ。
すべての氷柱が水と化して無力化すると、俺は次にこの気温をどうにかする方法を考える。
自然界の原理では、この星の外側に熱を送り届けている星がある。
それの近づき具合で、気温が上がったり、下がったりする。
だけど、セミラミスは魔法により、自然界のルールを捻じ曲げてこの周辺の気温を下げた。
炎系の魔法で暖を取るのが一番だが、これまでの戦いでジャック・オー・ランタンには負担をかけている。
そろそろ休ませなければ、消滅させてしまう。
ならば、答えはひとつしかない。
セミラミスが動きを封じる手段として用いたこの環境を、逆に利用してやる。
あと一回だけ我慢してくれ。そのあとでたっぷりと休ませるから。
「呪いを用いて我が契約せしウンディーネとフラウに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよアイスクエストーズ」
二体の精霊の力により、空中にある雲の気温を低くさせる。
雲の中の水分子が運動するための熱エネルギーが極端に低くなると、水分子は動きを止めてお互いに結合して氷晶へと変化した。
「第一段階完了、続いて第二段階。呪いを用いて我が契約せしジャック・オー・ランタンに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよファイヤーボール」
空中に火の球が出現する。
しかし今回のファイヤーボールは通常よりも多くの酸素を結合させ、みるみる大きさを増していく。
上空に掲げると、火球はプチ太陽の如く巨大に成長した。
これで第二段階は終了だ。
「呪いを用いて我が契約せしケツァルコアトルに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ダストデビル」
プチ太陽となったファイヤーボールによる直射日光により、温められた地表面から上昇気流が発生し、周囲から強風が吹きこむ。
すると渦巻き状に回転が強まった塵旋風が誕生した。
塵旋風により強い上昇気流が発生したことで、雲の中で氷晶が落下と上昇を繰り返す。
これにより氷晶は成長すると、重みで落下を始める。
「雪ですわね」
タマモが手を前に出すと、彼女の手に雪が乗る。
そう、俺は魔法を組み合わせてこの場に雪を降らせたのだ。
セミラミスの魔法の影響を受け、雪の結晶は溶けて雨に変わることなく地上に届く。
「デーヴィッド、この寒さで気でも狂ったのかい?雪なんか降らせてどうするんだい」
「ライリー、いくら肌が荒れるほどの寒さでも、デーヴィッドが考えもなしに雪を降らせるわけがないわ。何か考えがあるのよ」
俺の行動に、ライリーは信じられないものを見るような眼差しを向けてきたが、義妹がすぐに俺のフォローをしてくれた。
雪の落下は早く、一分も満たないうちに必要な分の雪を得ることができた。
「これが最後だ。呪いを用いて我が契約せしフラウに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよイグルー」
最後にもう一度呪文を唱えると、フラウの力で降り積もった雪を、紛雪と氷の中間ぐらいの硬度に変る。
そしてそれらを集め、カテナリー曲線と呼ばれるロープの両端を持って垂らしたときにできる、たわみのような形状に象っていく。
「もしかしてかまくら?」
エミが雪の形を見て言葉を洩らす。
「正解だ。皆中に入ってくれ」
魔法で作り出した雪の家の中に女性陣を入れ、最後に俺も入る。
半球ではなく、カテナリー曲線にしたのは、半球よりも雪の重みによる圧縮力を均等に分散するためだ。
雪の重みによって、へこみや突起ができることなく、アーチの形状を維持する力がある。
更に、人の体温によって、イグルーの最も内側の壁の層が溶けると、再び凍った時に、空気の隙間のない壁なり、強度が増す。
「うそ、雪の中なのに寒くない」
かまくらの中に入ったカレンが驚く。
ふわふわとしたできたばかりの新雪には、最大で九十五パーセントの空気が閉じ込められており、優れた断熱性があるのだ。
そしてかまくらは、内部の床の高さを変えることで、温かさや快適性を維持している。
暖められた空気は上昇するため、床は高く作られ、冷たい空気は沈む性質を活かして入り口を低くして、そこから逃がす。
その他にもかまくらの中では、体から逃げていった熱によって空気が温められて対流が起こり、内部全体が暖められている。
そして雪の壁によって、熱が外に伝わるのを遮り、外の寒さの影響を受けないようにしているのだ
時間の経過とともに、溶けたり凍ったりが繰り返されることによって、イグルー内の温度は、外の気温よりも四十度から六十度高くなる。
そして人数が多いほど、かまくらの内部は早く暖かくなるのだ。
これで寒さ対策を取れた。
「ライリー、この中にいれば再び肌が荒れる心配はない。みんなに回復魔法を」
「いいけど、具体的にはどうするんだい?」
「俺の魔法と組み合わせる。合成魔法だ」
俺は手順を褐色の女性に話す。
「了解した。やってみるよ」
「よし、いくぞ。呪いを用いて我が契約せしウンディーネとフラウに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよミスト」
かまくら内部の温かい空気を一時的に下げたことで、水蒸気が水の粒となる。
俺たちの周辺は霧のように水の粒が充満している状態となった。
「呪いを用いて我が契約せし知られざる生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。モイスチャーライジン」
続いて俺の発生させた霧にライリーが魔法で重ねがけをする。
「「合成魔法、モイスチャーミスト!」」
二つの魔法が交わり、霧の性質が変化する。
化粧水と化した霧に触れた手は、水分を補うと共に、PHバランスを戻してキメを整える。
「呪いを用いて我が契約せしウンディーネとノームに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよローション」
今度は水分子を集めて水を作り出し、それにノームの力で保湿成分であるアロエとヒアルロン酸を配合させる。
「呪いを用いて我が契約せしウンディーネとノームに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよラテックス」
先ほどと同じように生み出した水に乳液成分を配合させる。
「合成魔法スキンローション」
二つ液体を合成させ、白い液体に変えると、それらをこの場にいる全員に付着させた。
うるおいのベールで肌を覆い、水分が逃げるのを防ぐ。
肌に水分と油分がバランスよく届けられ、乾いた手肌をなめらかに整える。
すぐに馴染んだことで、ベタつきを感じさせなかった。
「うそ!乾燥する前よりも手が綺麗になっている」
カレンが喜びの声を上げる。
取敢えずは、これで皆の士気も上がっただろう。
「カレンたちはここにいろ。俺はレイラの加勢に入る」
「あ、待って!」
かまくらから出ようとすると、背後からカレンに声をかけられ、俺は振り返る。
義妹はアイテムボックスの中に手を入れると、小瓶を取り出した。
「今まで魔法を連発していたのだから、これを飲んでおいて」
カレンが手に持っているのは、精神力を回復させる霊薬だ。
「サンキュー」
義妹から小瓶を受け取り、蓋を開けて中身を一気に飲み干す。
空になった瓶をカレンに渡し、下品な行いだと分かっているが、服の袖で口元を拭く。
「そうだ。食塩はあるか?」
「あるけど、どうするつもりなの?」
カレンが首を傾げながら尋ねてくる。
「セミラミス対策で使う。上手くいくかは賭けになるけど、何もしないよりかはマシだからな」
「わかった。ちょっとまって」
再び義妹がバスケットの中に手を突っ込み、中から食塩の入った瓶を取り出す。
「はい」
「ありがとう。それじゃあ行って行く。
カレンに礼を言うと、今度こそかまくらから出た。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら、教えていただけると助かります。
現在最終話までのプロットが完成しました。
これにそって物語を書いていきます。
物語の続きは明日投稿する予定です。




