第二十八章 第七話 アームレスリング大会の結末
今回のワード解説
海馬……大脳辺縁系の一部である、海馬体の一部。特徴的な層構造を持ち、脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官。
「デーヴィッド、どうやら勝ったようだねぇ。中々やるじゃないか。あたいも負けていられないねぇ」
控室に入ると、ライリーが俺のところにやってくる。
この大会は、敗者は即退場。
なので、この控室に戻って来られるのは、勝者しかいない。
「ライリーも一回戦頑張ってくれよ。互いに勝ち抜いて決勝戦で戦いたい」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。あたいの筋肉が他のケモノ族に引けを取らないところを見せてやる」
「ライリー選手、ガルーダ選手、リングに上がってください」
控室の扉が開かれると、係りのケモノがライリーの名を呼ぶ。
「どうやらあたいの番のようだねぇ。さぁ、やるとするか」
ライリーは服の袖をまくって、褐色の肌を晒す。
「頑張って来い」
彼女の背中に声をかけ、俺は控室の椅子に座る。
心の中で、ライリーを応援した。
それから十数分が経過したが、ライリーが戻ってこない。
まさか、あのライリーが敗れたというのか。
俺でさえ、一回戦は勝つことができた。
しかし、彼女が戻ってこないということは、それが真実だ。
思考を巡らせていると、俺はあることに気づく。
彼女に決勝戦で戦いたいと言った。
もし、これがフラグとなっていたのなら、俺のせいで変な力が働いたことになる。
「ごめん、ライリー。俺のせいだ」
ポツリと言葉を洩らし、俺は立ち上がる。
彼女が負けたのは俺のせいだ。
ならば謝らなければならない。
扉を開けて、俺は観客席につながる廊下を走る。
今ごろ彼女は観客席にいるはずだ。
カレンたちがいる場所に向かい、ライリーに頭を下げなければ。
そんなことを考えていると、女性用のトイレから前髪を作らない長い黒髪の女性が出てくる。
「あースッキリした」
「え、ライリー!」
彼女が視界に入った瞬間、俺の足が縺れてしまう。
バランスが取れなくなった俺は、その場で転倒した。
そして顔面を床に思いっきりぶつける。
「そんなに慌ててどうしたんだい?トイレに行きたいのなら、男用のトイレはあっちだよ」
反対側の通路を、ライリーが指差した。
俺は起き上がり、彼女を見る。
「ライリー勝っていたんだな。中々戻ってこないから、俺はてっきり負けてしまったのではないかと思ってしまったよ」
「心配かけてすまなかったねぇ、勝負はすぐに終わったのだけど、試合の後にトイレに行きたくなってしまった」
控室に戻らなかった理由を、ライリーが教えてくれる。
彼女が言ったことは、見ればすぐにわかることだった。
俺たちは控え室に戻り、他の選手の試合が終わるのを待つ。
半数のケモノが減り、二回戦が開始された。
俺とライリーは順調に勝ち進み、ベストフォーに入る。
控え室で自分の番を待っている中、ライリーが頻繁に控え室の出入りを繰り返しいた。
「デーヴィッド選手、タイガ選手、準備をお願いします」
係りの人が、俺と対戦相手の名を言う。
「ついにこのときが来たな。この試合でお前との決着をつけさせてもらう」
椅子から立ち上がったケモ度二のトラ型の男が、俺に人差し指を向ける。
「準決勝の相手はお前か。約束通り、俺が負ければアナから手を引く。どっちにしろ、優勝賞品になっている状態だ。負ければ俺にはどうすることもできない」
俺も椅子から立ち上がり、控室からでる。
そして通路を渡り、闘技場内に入った。
『さぁ、入場しましたのは、突如このアームレスリング大会に出場し、嵐の如く現れた期待の新人アームレスラー、デーヴィッド選手。華奢な身体に見合わず、ここまでの猛者を倒してきました』
俺が闘技場内に顔を出すと、実況を担当しているケルビが俺のことを軽く紹介してくる。
リングに上がって台の上に立つと、タイガが入場してくるのを待つ。
しばらくして、俺が入場した場所とは違う入場ゲートから、タイガが現れる。
『続いてやって来ましたのは、タイガ選手。彼はこれまでの大会で、優勝、準優勝を何度も経験している優勝候補!彼は期待の新人を倒すことができるのか!』
タイガがリングに上がり、台の前に立つ。
「「「「ゴーゴーデーヴィッド!頑張れ、頑張れデーヴィッド!」」」」
「ゴーゴーデーヴィッドお兄ちゃん!頑張れ、頑張れ、デーヴィッドお兄ちゃんなのです!」
観客席から、カレンたちの応援する声が聞こえてくる。
彼女たちに顔を向けると、タマモはまだなれないようで、動きに遠慮が見える。
『今回も美少女たちからの声援!ライリー選手のときも応援されていましたが、どうやらライリー選手とデーヴィッド選手はお仲間のようです。ああ、私も美少女に応援されたい』
実況を担当しているケルビが俺とライリー、そしてカレンたちの関係性を言う。
そして自分も彼女たちに応援されたいと本音を暴露すると、会場の一部に笑いが起きる。
「くそう、アナスタシア姫様と恋人でありながら、あんなに可愛い女の子たちを引き連れてやがって。男の風上にも置けないやつだ」
ケルビの言葉を聞いたタイガが、俺を睨む。
どうして俺の対戦相手は、皆勘違いをするのだろうか。
別にあれはハーレムでも何でもない。
「それでは、準備をお願いします」
レフリーに言われ、俺は試合をするための前準備を始めた。
今回はタイガだ。
準備は念入りに、いつも以上に姿勢の確認をしておこう。
左手でグリップバーを握る。
そして右肘をエルボパットに置いた。
そして肩は平衡に、肘は身体の真ん中になるようにする。
腹を台にくっつけて、組む手と同じ側の足を前に出す。
これでいい。
正しい姿勢をすることで、全身の力を効率よく使うことができる。
これにより、腕力だけで競うよりも断然有利になるのだ。
これまでの対戦相手は正しい姿勢で挑んでいなかった。
そのお陰で俺は、腕力だけで勝負する相手よりも力が上回り、ここまで勝ち残ることができた。
けれど、タイガは俺と同じ姿勢を行い、堂々としている。
簡単に勝てる相手ではない。
俺はタイガの手をしっかりと握る。
そして自分の親指の第一関節を、人差し指と中指に入れた。
「両者準備が整いましたね。それでは私の合図で始めてください。レディーファイトと言ったら初めてください。レディーファイト!」
今回もレフリーは引っかけを入れてくる。
けれど俺は、言葉に惑わされることなく、最後まで言い切ったことを確認してから全身に力を入れた。
『先手を取ったのはデーヴィッド選手、タイガ選手を捲った。このまま押し切れるか』
俺が今大会で使っている技は、吊り手と呼ばれるものだ。
吊り手は、相手の親指を引っ張り上げるように、自分のほうへ全身を使って引く。
相手の腕を引きつけ、肩・ひじ・腕の三角形を崩すイメージだ。
三角形のバランスが崩れると、上手く力が伝わらない。
力が伝わらない形に追い込んで倒す。
これが吊り手だ。
俺のように、腕力が強くない人が好んで使う。
『おーと、タイガ選手。意表を突かれたが耐えた!ギリギリで粘る』
あともう少しでタッチパットに触れるところだったが、彼はギリギリで耐え抜いた。
「ウオオオオォォォォォォ」
「何!」
タイガが吼える。
その瞬間、三角形のバランスが崩れているのにも関わらず、彼の力は増している。
人は瞬間的に大きな力を振るう際に声を上げることで、神経による運動制御の抑制を外し、自分の筋肉の限界に近い力を発揮させる。
それによりバカ力が生まれ、一時的に強い力を得たようだ。
『タイガ選手、粘りに粘ってついに押し返した!今度はデーヴィッド選手がピンチ!』
くそう。
彼の技はかみ手だ。
かみ手は相手の手首を巻き込んで、上からかぶさるように攻める技だ。
力で押し切るタイプの選手が好んで使う。
力で不利な俺は、彼のように覆いかぶさるように攻める技には弱い。
だけど、ここで負けてはアナとの約束を反故したことになる。
それだけは避けなければ。
けれど、今の俺には声によるリミッター解除ができない。
歯を食い縛り、堪えるので精一杯だ。
何か別の方法を考えなければ。
思考を巡らせていると、脳の記憶を司る海馬から、モードレッドが俺たちを攻撃してきたときの思い出が引っ張り出される。
相手が声による運動制御の抑制を外すならば、こっちは直接脳に訴えかける。
俺は強い。
その強さが誰にも負けず、いかなる相手も凌駕する。
俺は強い、俺は強い、俺は強い。
心の中で、俺は何度も同じ言葉を呟く。
人は思い込みなどで、一時的にリミッターを解除することができる。
自分はまだ力を発揮することができると脳に思い込ませることで、プラセボ効果が発揮される。
それにより制御する力を弱め、腕の筋肉の収縮が強くなったことで力が増した。
『おおーと!デーヴィッド選手、ここに来て息を吹き返した!イーブン!イーブンの状態です。お互いの力が拮抗している。果たしてデーヴィッド選手がタイガ選手をめくることができるのか!それともタイガ選手が再び押し切るのか!』
ケルビの声が耳に入ってくるが、正直何を言っているのかよくわからない。
それだけ今の俺は切羽詰まっている。
少しでも気を抜けば、再びかみ手で押されるだろう。
俺は再びタイガの三角形を崩す方向にもっていかなければ負ける。
俺は強い、俺は強い、俺は強い。
もう一度、俺は脳内で自身に暗示をかける。
脳に思い込ませていると、タイガの腕の力が弱まったような気がする。
技を仕かけるなら今だ。
相手の親指を引っ張り上げるように、自分のほうへ全身を使って引く。
そして相手の腕を引きつけ、肩・ひじ・腕の三角形を一気に崩す。
『捲った!デーヴィッド選手、かみ手の力に耐え、相手の隙が生じた際にすかさず吊り手でタイガ選手を追い込む!タイガ選手、表情が苦しい。このまま決まってしまうか!それとも維持を見せるのか!』
再びケルビの声が耳に入る。
あともう少しで俺は彼に勝つことができる。
『タッチパットまであと一センチ。いや、五ミリか!デーヴィッド選手、決勝進出に王手をかける!選手を応援する観客の声も熱が入っているぞ!』
俺は最後の力を振り絞ってこの一撃にかける。
ウオオオオォォォォォォ。
声に出せない俺は、心の中で雄叫びを上げた。
『試合終了!タイガ選手の手がタッチパットに触れた!決勝進出を決めたのはデーヴィッド選手!とても熱い試合でした。これが決勝戦でもいいぐらいの熱狂ぶりだ!』
「ハー、ハー、ハー、ハー」
試合が終わり、俺は強敵に勝利することができた。
身体中から汗が吹き出し、熱をもっている。
試合中は常に力んでいる状態だったからなのだろう。
俺の手は赤くなっていた。
「くそう。まさか……この俺が……負けるなんて」
自分の負けが信じられないのだろう。
彼は肩で息をしながらも、俺を睨んでくる。
まさか暴走なんてことはしないだろうな。
「負けは負けだ。約束どおり……アナスタシア姫との関係は……認めよう」
俺は思わず身構えてしまったが、彼は自分の敗北を認めた。
そして踵を返して俺に背中を向ける。
「優勝候補の俺に勝ったんだ。絶対に優勝しろ。そしてアナスタシア姫を幸せにするんだ。それが俺に勝ったお前が背負う道だ」
激励の言葉を言うと、タイガはリングから離れていく。
「タイガ、よく戦った!」
「負けてしまったが、立派な勝負だった」
「タイガ、タイガ、タイガ」
会場中に彼を称える声が響き渡る。
タイガは無言のまま右腕を上げ、闘技場から出て行く。
決勝進出を決めた俺は、何故かケルビの隣に座らせられた。
話を聞くと、最初に決勝進出を決めた選手は、決勝戦で戦う相手を事前に見ておくことができるのだそうだ。
だけどそれだけではない。
この席に座った者は、解説をしなければならないのだ。
しばらくしてライリーがやってきた。
彼女の対戦相手は、ケモ度三のオオカミのケモノ族だ。
彼には見覚えがある。
アリスに飴を上げたあのケモノだ。
『さて、準決勝第二試合、ライリー選手対ゴンザレス選手の試合です。解説のデーヴィッド選手はこの試合どう見ますか』
「いや、どう見ますかと聞かれても、ゴンザレス選手のことは何もわからないので、言いようがないです」
ケルビが尋ねてきたので、俺は素直に思ったことを言う。
『アハハハハ、そう言えばそうでした。ゴンザレス選手はペキン村出身のアームレスラーです。優勝経験はないものの、常にベストフォー入りをしています。別名、決勝に行けない男とも呼ばれています』
ケルビの説明に、俺は苦笑いを浮かべる。
通り名をつけるなら、もう少し格好いいネーミングをしてあげてほしい。
「両者準備が整いましたね。それでは私の合図で始めてください。レディーファイトと言ったら初めてください。レディーファイト!」
『さぁ、試合開始の合図がありました。最初に先制を取ったのはゴンザレス選手ですがライリー選手も粘ります』
試合が始まると、俺は見守りながら心の中でライリーを応援した。
互いに攻防が続く中、最終的にはライリーの勝利で終わった。
『試合終了!決勝に行けない男の名は伊達ではない。期待を裏切ることなく、今回も準決勝で敗れました!』
俺の隣で、ケルビが試合結果を言う。
もう少し気の利いたセリフを言ってやれないのか。
そんなことはともかく、嫌な二つ名のお陰でライリーは決勝に進むことになった。
試合が終わると、ライリーは一目散にリングから出ていく。
どうしたのだろうか?
彼女の行動が気になったが、俺は深く考えないようにした。
一時間の休憩タイムが終わり、俺はリングの上に立ってライリーが来るのを待つ。
しかし、中々彼女が現れることはなかった。
どうしたのだろうか?さすがに心配だ。
「中々来ませんね。ルールに則り、あと五分しても来なければ棄権とみなします」
対戦相手が来なければ、棄権扱いをするとレフリーが説明してきた。
「どうしちまったんだよ。ライリー」
小さい声で呟きながら、俺は彼女が訪れるのを待つ。
そろそろ五分が経過しそうになると、ゲートの扉が開かれる。
やっと来たのかと思ったが、現れたのはライリーではなく、大会関係者のスタッフだった。
その人物がレフリーに耳打ちする。
「えー、ただいま入った情報によりますと、ライリー選手は腹痛で出られないとのことだったので、棄権とみなします。第二十七回、アームレスリング大会の優勝者はデーヴィッド選手」
『まさかの棄権!デーヴィッド選手、戦わずに優勝を勝ち取りました。大会始まって以来の決勝戦なしです!』
ケルビの言葉を聞き、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
よく考えれば、ライリーは一回戦が終わった後、直ぐにトイレに駆け込んでいた。
その後も度々控室から出て行く姿を見たが、まさかあれもトイレに行っていたのか。
納得のいかない観客たちが、リングに物を投げてくる。
俺はどうすることもできずに、ただ立ち尽くしているだけだった。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら、教えていただけると助かります。
ブックマーク登録してくださったかたありがとうございます。
一日に二人登録してもらえるという、滅多に起きないできごとがあり、驚くも嬉しく思っております。
あんまり調子に乗っていると、神様が罰を与えるような気がしますので、なるべく調子には乗らないようにしないといけませんね。
でも、ある程度は調子に乗らないと、執筆活動のモチベーションに影響が出ますので、難しいところです。
まだまだ底辺程度の実力しかありませんが、今後も文章力の向上、妄想スキルの向上を頑張っていきたいと思います。
そして、今回の話で第二十八章は終わりです。
明日は二十八章の内容を纏めたあらすじを投稿する予定です。
というわけで、今日のあとがきはここまで!
明日の十八時の投稿後、あとがきでお会いしましょう。




