第二十七章 第八話 アリスの捜索 後編
今回の話は前回の続きです。
なので三人称で書かせてもらっています。
今回のワード解説
読む必要がない人は飛ばして本文のほうを読んでください。
本文を読んで、これって何だったかな?と思ったときにでも確認していただければと思っています。
アルギニン……天然に存在するアミノ酸のひとつ。
異所性骨化……本来、骨の形成が起こらない軟部組織(筋肉、腱、靭帯、臓器、関節包)に、石灰が沈着して骨のようになることがある。これが異所性骨化で、異所的骨形成ともいう。
幹細胞……分裂して自分と同じ細胞を作る能力(自己複製能)と、別の種類の細胞に分化する能力を持ち、際限なく増殖できる細胞と定義されている。
腫脹……身体の一部が膨らみ隆起することであり、腫れ物を形成する。 原因には先天性、外傷性、炎症性、新生物などがある。
指向性……音、電波、光などが空間中に出力されるとき、その強度(単位立体角あたりエネルギー)が方向によって異なる性質である。
ヒスチジン……アミノ酸の一種でプロピオン酸のこと。
非線型結晶……レーザー光の波長を変換するために使用される結晶です。
揚力……流体(液体や気体)中を移動する物体もしくは流れにさらされた物体にはたらく力のうち、物体の進行方向や流れが物体に向かう方向に対して垂直に働く力であり、流体力の成分である。
物体と流体に相対速度があるときに発生する力(動的揚力)のみを指し、物体が静止していてもはたらく力である浮力(静的揚力)は含まない。
宿屋を出たエミは、救出班のメンバーと一緒に村の入口に向かう。
入口が近づくと、つないでいた馬が視界に入る。
デーヴィットの話していたとおり、馬が一頭いなくなっていた。
「馬で向かおう。アナは乗馬の経験はあるか?」
「馬車を運転できるのですよ。乗馬ができないわけがないじゃないですか」
乗馬の経験があるかデーヴィットが尋ねると、経験済みだとアナスタシアは答えた。
「よし、カレンはアナの後ろに乗ってくれ。エミは俺の後ろで頼む」
「わかったわ」
木の枝に括りつけていた手綱を外し、先にデーヴィットが馬に乗る。
彼の手を借りてエミも馬に乗ると、彼女はデーヴィットの腰に腕を回し、落とされないようにしがみつく。
「しっかりしがみついておけよ。それなりにスピードを出すからな」
振り落とされないように彼が注意をする。
言われなくともそれぐらいは分かっていた。
強く抱きしめると、デーヴィットの背中のぬくもりが伝わってくる。
彼が手綱を動かしたようで、跨っている馬が走り出した。
気圧に変化が起きたようで風が吹き、エミの薄い水色の髪が靡く。
可能な限りスピードを出していたからか、彼女たちは思っていたのよりも早く、群山に辿り着いた。
「これから先は歩いて進もう」
デーヴィットが馬を止め、山を見ながら歩いて進むように言う。
エミも馬から降りると彼の後ろをついて行く。
山道ということで足場が悪い。
坂道の地面には小石が転がっている。
気をつけて歩かなければ、小石を踏んだ際に足を滑らせてしまいそうだ。
地面から飛び出した木の根っ子もある。
エミは慎重に地面を踏みしめた。
「アリスちゃんどこにいるの!」
両手を口元にもっていき、彼女はアルビノの少女の名を叫ぶ。
だが、彼女の呼びかけに声が返ってくることはない。
「あのう。アリスさんの匂いがついているものは何か持っていますか?一応犬みたいにわたしの嗅覚は鋭いので、臭いが残っていればこの山にいるのか判断ができます」
アナスタシアが、アリスの匂いがついているものはないのかと尋ねてきた。
何かあの子の匂いがついているものがないか、エミはポケットに手を突っ込んで探して見る。
しかし中に入っていたのは、常備しているハンカチと櫛だけだった。
アリスの捜索に約に立つものはない。
「一応アリスの着替えならあるけど、洗濯しているからもしかしたら臭いがなくなっているかもしれない」
バスケット型のアイテムボックスに手を入れていたカレンが、花柄の肌着を取り出してアナスタシアに渡す。
受け取った彼女は花柄の下着に顔を近づけ、残り香がないかを確認する。
肌着の匂いを調べているケモノ族の女性を見て、エミは少しだけ嫌な気分になった。
彼女が女性であり、捜索のために必要なことだと頭の中ではわかっている。
けれど妹のようにかわいがっているアリスの下着の匂いを、嗅がせるのに抵抗があった。
「うーん。洗濯物のいい匂いがしますが、僅かに別の匂いもしますね。ありがとうございました」
アナスタシアがお礼を言い、貸してもらったアリスの肌着をカレンに返す。
そして彼女は両手両足を地面につけ、ヨツケモのような態勢になると、顔を地面に近づける。
「微かにですが、肌着と同じ匂いがします。間違いなく彼女はこの山にいるでしょう」
この山にアリスがいる。
その言葉を聞き、エミは早く見つけてあげたい気持ちが強まった。
「レックス、山の上から森の状況が把握できるか見てもらえるか」
『お前の指示に従うのはしゃくだが、今回は貸しだからな』
デーヴィットがリピートバードにお願いをすると、鳥は翼を羽ばたかせて揚力を得ながら上昇をしていく。
そして数秒して戻ってくると地面に降り立った。
『ダメだ。アナスタシアが言ったとおり、木の枝が折り重なって葉っぱで地面の様子が見えない。これでは上空からアリスを探すことができないぞ』
上空からではアリスを探すことができない。
そのことを知り、エミは気持ちが焦る。
障害物のない上空から探せば、すぐに見つけられると思った。
だけどそれが不可能だとなった以上は、他の方法で探すしかない。
「カレン、探査魔法でアリスが見つけられないか調べてみてくれ」
「わかったやってみる」
魔法でアリスを見つけることができないかデーヴィットが尋ねると、カレンは一歩前に出た。
そして両の瞼を閉じて両手を前に突き出す。
「呪いを用いて我が契約せしハルモニウムに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。エコーロケーション」
ハルモニウムの力で超音波を発生させると、前方に向かって飛んでいく。
前方がただの虚空なら、音はそのまま消えていくが、何かに触れると音波が跳ね返ってくる。
これである程度内部を調査することが可能だ。
「木から跳ね返ってくる音ばかりね。近くにはいないみたい。小さい音の反射はあるけど小さすぎる。たぶん小動物。今のところは魔物も、アリスも近くにいないということだけは分かるわ」
魔法の効果が終わったのか、カレンが振り返る。
探査魔法は精神を集中させるからか、彼女の額からは汗が出ていた。
エミはポケットから水色のハンカチを取り出し、カレンに渡す。
「これで汗を拭いて」
「ありがとう」
カレンはお礼を言い、ハンカチを受け取ると額の汗を拭う。
「今わかるのはこれぐらいね。もっと奥に進まないと、アリスを見つけるのは難しいわ」
今の段階ではアルビノの少女を見つけるのは難しい。
ならばもっと奥に進み、彼女の居場所を特定しなければ。
「いきましょう。アリスちゃんが待っている」
表情を引き締め、エミは誰よりも先に山道を歩き出す。
しばらく歩くと、地面に赤い木の実が落ちていることに彼女は気づく。
「これってナワシロイチゴ」
落ちている木の実を拾おうとすると、彼女の傍に一匹のリスがやってきた。
「グギャッ」
エミがナワシロイチゴを拾った瞬間、リスが鳴いた。
グギャッは、リスが驚いたときに出す鳴き声だ。
おそらく木の実を落として広いに行ったのはいいものの、目の前にあったナワシロイチゴをエミに拾われて驚いたのだろう。
「もしかして君の落とし物?」
「グルルル」
エミは目の前にいるリスに尋ねる。
すると、リスは尻尾を回しながら今度は違う鳴き方をする。
リスは怒ったときに尻尾を振り、今のような鳴き声を上げる。
エミに木の実を取られ、返せと言っているのかもしれない。
なるべくリスを刺激しないように気をつけながら、エミは拾ったナワシロイチゴを持ち主に返す。
目の前に置かれた木の実に対して、最初は警戒している素振りを見せる。
しばらくすると、リスはゆっくりと近づいてナワシロイチゴを抱えた。
「ねぇ、アリスちゃんをどこかで見ていない?白い髪で、あたしと一緒のセミロングの髪の女の子……なんてリスに訊いたところで分からないわよね」
あたしはいったい何をやっているんだろう。
リスなんか相手にしていないで、アリスちゃんを探さないといけないのに。
急ぐべきときに油を売っていることにエミは気づくと、両の瞼を閉じて小さく溜息を吐く。
そして再び開くと、目の前にいたリスが離れていた。
リスはエミを見ながら軽く跳躍して何かを訴えている。
「もしかして、アリスちゃんが向かった場所がわかるの?」
彼女が尋ねると、リスは尻尾をエミの進行方向に向ける。
ただの偶然かもしれない。
あの行動には得に意味はないのかもしれないが、可能性がある以上はそれに縋りつきたい。
「デーヴィット、リスがこの先にアリスちゃんがいるかもしれないって」
声音を強めて少し離れた位置を歩いているデーヴィットに、アリスの手がかりがあったことを教える。
「わかった。もう少し先に進んだら、カレンに探査魔法を使ってもらおう」
彼から返答が返ってくるが、デーヴィットは苦笑いを浮かべていた。
おそらく完全には信じていないのだろう。
自分だってそうだ。
リスがアリスの居場所を示していると言える根拠はないのだから。
でも、今は藁にも縋る思いだ。
手がかりがゼロよりも断然いい。
しばらく歩くと洞窟のようなものが見えてきた。
もしかしたらあそこにアリスはいるかもしれない。
「デーヴィット、洞窟がある。この辺でカレンに探査魔法を使ってもらいましょう」
「わかった。少し待ってくれ」
遅れているデーヴィットたちと合流し、エミは洞窟前に移動した。
「呪いを用いて我が契約せしハルモニウムに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。エコーロケーション」
カレンが洞窟に向けて呪文を唱える。
「結構広い洞窟ね。音が跳ね返ってくるまでに時間がかかっているわ。この先に広い空間になっているみたいね」
この洞窟の先には広い空間になっているとカレンが言うが、場所がわかるだけだ。
欲しいのはその情報ではない。
「カレン、アリスちゃんは洞窟内にいないってことでいいの?」
「待ってよ。集中しないといけないから少し黙っていて」
エミがアリスの所在の有無を尋ねると、カレンは語気を強めて黙っているように言ってきた。
彼女の言葉にエミは一瞬ムッとするが、こんなところで喧嘩をするわけにはいかない。
「違う音が返ってきた。反応が大きい。たぶんアリスじゃない。音と周波数が異なってきた。この感じは近づいて来ているわ。しかもそれなりに早い速度で」
何かが接近していることをカレンが教えると、羽音のようなものが聞こえてきた。
「呪いを用いて我が契約せしジャック・オー・ランタンに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ファイヤーボール」
デーヴィットが魔法で火球を生み出すと、洞窟内に向けて放つ。
炎は敵に当たらなかったようだが、火球が洞窟内を一時的に照らし、接近している相手の姿が見えた。
ヘラクレスオオカブトを巨大化させた生き物だ。
「ヘラクレイザー!」
甲虫の容姿を見て、エミは魔物の名を口にする。
ヘラクレイザーの二本の角の間に光が集まり出した。
まずい。
レーザーを撃たれる。
「皆、魔物の正面に立たないで!レーザーは指向性、真直ぐにしか飛ばないから、目の前にいなければ当たらないわ」
仲間たちに注意を促し、エミも横に飛ぶ。
その瞬間、洞窟の正面にあった木の一部が突然燃え出した。
しかし燃焼を促す火は小さい。
あれなら自然と消えるだろう。
一瞬のできごとだった。
当たりどころが悪ければ火傷では済まない。
「敵の正面に立たないように気をつけつつ散開しろ。俺がヘラクレイザーの相手をしておく」
デーヴィットが自分たちだけ逃げるように言う。
彼の言いかたは、言葉は違うが死亡フラグに近い。
だけど彼なら大丈夫だろう。
デーヴィットは知識の本で様々な知識を得ている。
もし、エミが知っている知識に辿り着けることができたのなら、彼の契約している精霊の力を使い、レーザーを防ぐことができる。
エミは振り返ることなくひたすら走った。
無我夢中で走っていると、神木と言われても納得しそうなほど大きな木が視界に入った。
その大木の根元に、馬と一緒にいる白髪の女の子の姿が見えた。
「アリスちゃんいた!」
声を上げ、彼女の無事を喜ぶ。
しかし、それと同時に先ほど聞いた羽音が聞こえてきた。
音が耳に入ったと同時に、魔物が姿を現す。
もしかしてデーヴィットはやられてしまったの!
そう思ったが、この羽音を鳴らしている甲虫は、洞窟から現れたヘラクレイザーとは色が違うことに気づく。
洞窟にいたのは緑色だったが、ここに現れたのは青色の身体だ。
ヘラクレイザーは光を集め、アリスにビームを放とうとしている。
「お願い間に合って!呪いを用いて我が契約せし知られざる負の生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。アスフィケイション」
エミが石化魔法を唱える。
その瞬間、ヘラクレイザーに発赤、熱感、圧痛を伴った腫脹が出現し、二百六番目のアミノ酸であるRアルギニンがヒスチジンに変化する。
遺伝子の変異により、血管内皮細胞が間葉系幹細胞の形質を獲得することで、その細胞が骨格筋や筋膜、腱や靭帯に集積した。
それにより異所性骨化が広がり、関節の可動性が失われる。
昆虫型の魔物にも効果があるのか未知数であったが、どうやら成功したようだ。
ヘラクレイザーは飛ぶことができずに仰向けの状態で倒れた。
だが、動けなくなるよりも早く、ヘラクレイザーは黒いビームを放っていた。
まずい。
このままではアリスにビームが直撃する。
そう思った瞬間、アルビノの少女の前に結晶が出現した。
ビームは結晶をすり抜けアリスに到達する。
しかし彼女は悲鳴を上げることがなかった。
呪文の詠唱のタイミングが被って聞こえていなかったのかもしれない。
だけど、あの結晶はデーヴィットが魔法で生み出したものに違いない。
ヘラクレイザーの熱を発生させるレーザーは、可視光線ギリギリの七百八十ナノメートル。
ほぼ赤外線の領域だ。
当たれば肉体を構成している物質が、分子間運動を激しく行って熱を発生させる。
しかし、非線型結晶にレーザーを通すことで、波長を可視光線へと変換することができる。
その結果、光線に熱を発生させる力が失われ、触れても人体に悪影響が出ないようにしたのだ。
アリスの無事を確認したエミは、急いで少女に駆け寄る。
アルビノの少女も馬から降りた。
アリスの前に来ると、エミは強く彼女を抱きしめる。
「アリスちゃんのバカ!皆心配したのだから」
皆を心配させた罰として、見つけたら叱るつもりでいた。
だが、彼女が無事で自分の前にいることを実感すると、怒りよりも安心感のほうが強まる。
無事でいて嬉しいはずなのに、両の目から涙が流れた。
高ぶった感情を抑えることができずに、流れ出る涙を止めることができない。
「ごめんなさい、エミお姉ちゃん。ごめんなさいなのです」
エミの泣き声を聞き、心配させていたことをアリスは実感したのだろう。
彼女もエミに謝ると、目から涙を流す。
しばらくして二人は泣き止むと、少しだけ距離を空けて互いに目を合わせる。
「エミお姉ちゃんごめんなさいなのです。アリス、皆の役に立ちたくて、一人で刺激茸を探していたのです」
アリスが手に握っていたキノコを見せる。
傘が大きく、星マークがついている。
あれがアナスタシアの言っていたキノコなのだろう。
「皆の役に立ちたいっていう気持ちは凄くわかるわ。でもね、皆を心配させてはダメよ。あたし、アリスちゃんの身に何かあったらって考えたら、気が気でなかった」
「わたし、二度とかってに行動しないのです。大好きなエミお姉ちゃんを悲しませたくないのです」
アリスの言葉を聞いた瞬間、エミは彼女を再び抱きしめた。
「あたしもアリスちゃんのことが大好き」
「おーい。エミ、どうやらアリスを見つけたみたいだな」
デーヴィットの声が聞こえ、彼女は声の聞こえたほうに顔を向ける。
そこには、デーヴィットの他にもカレンとアナスタシアが一緒におり、こちらに向っていた。
「デーヴィット白々しいわよ。アリスちゃんを助けてくれたの、あなたでしょう」
「いったい何のことだ?」
デーヴィットは首を傾げて何も知らない振りをしているようだ。
「まぁ、いいわ。アリスちゃんも見つかったことだし、帰りましょう」
「はいなのです」
エミはアリスの手を握る。
手に伝わる少女のぬくもりを感じながら、仲直りができたことを心から喜んだ。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら、教えていただけると助かります。
ブックマーク登録してくださったかたありがとうございます。
サブタイトルの効果なのか、たまたま偶然なのかはまだ判断できませんが、本当にありがたく思っております。
今のところは毎日最低一人のかたにブックマーク登録をしていただいているので、執筆活動中もモチベーションが上がった状態で書くことができています。
この調子で毎日文章力の向上を目指して頑張っていきます。
というわけで話しを変えますが、今回の話で第二十七章は終わりです。
明日は第二十七章のあらすじを投稿する予定です。




