第二十六章 第二話 デーヴィットを捕まえろ!逃走中!
今回のワード解説
読む必要がないひとは飛ばして本文のほうを読んでください。
本文を読んで、これって何だったかな?と思ったときにでも確認していただければと思っています。
イオン……電気を帯びた原子や原子団。中性の原子や原子団が電子を得たり失ったりすると,負または正の電気を帯びた粒子が得られる。正の電気を帯びたものを陽イオン(カチオン)といい,負の電気を帯びたものを陰イオン(アニオン)という。電解質の溶液に電圧をかけると,陽イオンは陰極に向かい,陰イオンは陽極に向かって移動し,電流が流れる。
海馬……大脳辺縁系の一部である、海馬体の一部。特徴的な層構造を持ち、脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官。
クラビカ理論……ハンターハンターに登場するクラピカというキャラクターがいます。 クラピカたちはハンターになる試験の途中で、右にいくか左に行くか道を選ばなければなりません。 そのときにクラピカが人間は左を好むからきっと左は間違いで右が正解だと判断し、正解の道を当てました。 というハンターハンターの話からクラピカ理論といいます。
高張液……細胞内液よりも浸透圧の高い溶液。細胞内から水が溶液中へ移動する場合の、その溶液。
コロイド……2種類の物質が混じる際に一方が直径1~100nm程度の大きさの粒子となって、もう片方に均一に混じる状態のことを指す。
側臥位……横向きに寝ている状態です。
ホウ砂……ホウ酸塩鉱物の一種。硼砂とも表記される。古くから東洋ではティンカルとよばれていた。鉱物学的にはホウ砂はNa2[B4O5(OH)4]・8H2Oで、英名boraxであるが、ティンカルという名前はNa2[B4O5(OH)4]・3H2Oのティンカルコナイトに残されている。加熱すると無水物になり、731℃で融解する。また種々の金属を溶かし込んで特有の色を与える。
迷走神経……12対ある脳神経の一つであり、第X脳神経とも呼ばれる。副交感神経の代表的な神経 。複雑な走行を示し、 頸部と胸部内臓 、さらには腹部内臓にまで分布する。脳神経中最大の分布領域を持ち、主として副交感神経繊維からなるが、 交感神経とも拮抗し、 声帯 、心臓 、胃腸 、消化腺の運動、分泌 を支配する。多数に枝分れしてきわめて複雑な経路を示すのでこの名がある 。延髄 における迷走神経の起始部。迷走神経背側核、 疑核 、 孤束核を含む。迷走神経は脳神経の中で唯一 腹部にまで到達する神経である。
ポリビニルアルコール……合成樹脂の一種。「ポバール」とも呼ばれる。水溶性、乳化性、造膜性、接着性、耐油性、耐薬品性などに優れ、合成繊維「ビニロン」やプラスチックフィルム「ポバールフィルム」の原料、繊維加工(糊)剤、紙加工剤、接着剤などに広く利用されている。
「ここまで来れば安心だよな」
エミに勃起不全の魔法をかけられそうになり、俺は建物の影に隠れた。
少しだけ顔を出して様子を窺ってみると、女性陣たちは辺りを見渡しながらこちらに歩いてくる。
彼女たちの口が動いており、何かを話していることはわかった。
だけど声まではこちらに届いていない。
なので会話の内容がわからなかった。
きっと逃げ出した俺に対して、文句のようなものを言っているのだろう。
俺は別に何も悪いことはしていない。
なのに、どうしてこうなってしまう。
ラッキースケベ的なものが起きると、なぜか酷い目に遭うのだが、その範囲が最近は広がっているような気がする。
女性の二人に腕を組まれただけで男としての機能を失うとか、正直割に合わない代償だ。
そんなことを考えていると、こちらに向かって歩いているのはエミとカレンだけになっていた。
レイラたちの姿が見あたらない。
いつの間にか別れて探すことになったようだ。
「あ、デーヴィットお兄ちゃん見つけたのです」
背後から幼い声が聞こえ、俺は振り返った。
そこには、ローブのフードを被って直射日光を避けているアルビノの少女が、俺に向けて指を差していた。
彼女の隣には、長い金髪のエルフの女性も立っている。
「アリス、タマモ!」
驚き、つい彼女たちの名前を叫ぶ。
俺はすぐに踵を返して道側に逃げた。
「あ、待ってください。ワタクシたちはもう怒っていないので」
タマモの声が聞こえたが、焦った俺はよく聞き取ることができなかった。
「あ、デーヴィット見つけた!」
道に出ると、今度は薄い水色の毛先にウエーブのかかったセミロングの女の子が、俺の名を言って指を向けてくる。
そういえば、こっちの道にはエミとカレンがいた。
「くそう。捕まったらラッキースケベの代償を払わされる。エドワード伯爵と同じだなんてシャレにならねぇ!」
俺は地を蹴って全速力で道を駆ける。
『みつけたぞ!逃走者は道なりに真っ直ぐ進んでいる。アリスとタマモは迂回して回り込め、カレンとエミはそのまま追跡、レイラ、ライリー、アナスタシアは、今いる場所のつきあたりを右に進め!』
上空からレックスの声が聞こえてくる。
彼の身体はリピートバードだ。
鳥であるために障害物を無視して周囲を把握することができる。
くそう。
このままでは捕まってしまう。
走りながら対抗策を考えるが、焦っているといいアイデアが思い浮かんでこない。
何か、いい方法はないのか。
思考を巡らせながら走っていると、T字路につながっていたようだ。
先は行き止まりとなっており、左右のどちらかに逃げるしかない。
いったいどっちの道を選ぶべきだ。
「ええーい、こうなったらクラピカ理論だ。右に進め!」
右に進むことを決め、突き当りに出る。
進行ルートの確認のために顔を右に向けた。
すると、そこにはアリスとタマモがこちらに向ってきている。
クラピカ理論が破られた。
「こうなったら、人間が好む左側だ!」
そう思い、俺は瞬時に左側に顔を向けた。
そこには、前髪を作らない長い黒髪の女性と、漆黒のドレスを着ている赤いクラシカルストレートの髪の女性、そしてローブで身体を隠しているケモノ族の女性がこちらに向ってきている。
「クラピカ理論、かんけいねぇ!」
思わず叫ぶと、俺は背後を見た。
後方にもエミとカレンが接近している。
袋小路の状態となり、俺はこの場から逃げ出す手段を失う。
「どうやら皆、上手く誘導できたみたいね。今度は逃がさないのだから。呪いを用いて我が契約せし知られざる負の生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ――」
「お願いだから、エレクタイルディスファクションは止めて!」
「ショック!」
俺は叫びながら懇願すると、心臓を鷲掴みにされるような痛みを感じた。
迷走神経が活性化したことで血管が広がり、心臓に戻る血流量が減少して心拍数が低下する。
これが原因で俺は気を失ってしまった。
あれからどのぐらいの時間が過ぎたのだろうか。
次に目が覚めると、俺は柔らかい何かに頭を乗せていることに気づく。
目が覚めたばかりで視界がぼやけ、周囲の状況が分かり難い。
「あ、目が覚めた?」
真上からエミの声が聞こえた。
俺は瞼を閉じて目を擦り、もう一度開くと今度は視界が良好となっている。
真上にはエミの顔があり、俺を覗き込むようにして見ていた。
ここはどこだろうか。
仰向けの状態から側臥位に変え、状況を確認してみる。
右に体を半回転させると、エミのお腹が目の前にあった。
視線を少し上に上げると、彼女の胸の膨らみが近くにある。
そう、俺はエミに膝枕をされているという状況だった。
「ちょっと、こっち見ないでよ。反対を向きなさい」
膝枕をしていることに恥ずかしさを覚えているのか、エミの頬は少し朱に染まっているように見える。
言われた通り、身体を百八十度回転させると、今度はアリスとタマモの姿が映った。
「なぁ、何で俺はエミに膝枕をされているんだ?」
「デーヴィットさんを捕まえるためとはいえ、魔法を使ったことに対して、申し訳ない気持ちになったのでしょう。馬車に乗り込むなり、彼女は率先して膝枕をしていました」
この場にいる皆に尋ねてみると、タマモが答えてくれた。
「馬車の中だって、誰が運転しているんだ」
馬車の中にいることを知り、俺は上体を起こす。
周りを見渡すと、荷台の中にはエミ、タマモ、アリス、ライリー、レックスはいるが、カレンとレイラの姿がどこにも見当たらない。
「カレンお姉ちゃんとレイラお姉ちゃんが順番に運転しているのです。たぶん今は、レイラお姉ちゃんが運転しているかと思うのです」
「よりにもよってレイラか。大丈夫なんだろうな」
レイラが運転中だということを知り、俺は心配になった。
カレンとレイラは、犬猿の仲だ。
その二人が運転していると聞かされれば、不安にもなる。
二日前にも、ガリア国に向かうためにカレンが運転をして、レイラに指導をしていた。
だけど二人は喧嘩し、その結果馬車は暴走。
俺がどうにか馬車を止めたが、危うく大きな岩に激突しそうになったのだ。
その記憶が脳の記憶を司る海馬から引き出され、気が気でない。
「心配しなくてもいいと思うわ。アナスタシアの馬車も併走しているから、彼女も指導してくれている。その証拠に荷台の中は静かでしょう」
エミが心配することはないと言う。
彼女の言うとおり、確かに馬車の中はあまり大きな振動を感じられない。
俺は杞憂だったことに気づき、安堵の息を吐く。
「今ってフォーカスさんとの合流地点に向っているのだよな」
「そうよ。どのくらいで着くのかはわからないけど、ちょうど今向かっているわね」
波止場に向っていることを教えてもらうと、急に馬車が止まった。
なにかあったのだろうか。
俺は御者席が見える窓を開けると、運転をしていた二人に声をかける。
「止まったみたいだけど、何かあったのか?」
「あ、デーヴィット、目が覚めたのね」
「あれを見るのだ」
レイラが前方を指差し、俺はそっちに視線を向ける。
複数体のマネットライムが道を塞いでいた。
「マネットライムをどうにかしないと、先に進むことができないな」
窓を閉め、俺は荷台にいる皆に状況説明をする。
「たくさんのマネットライムが道を塞いでいる。あいつらを倒すか、追い払わないと先には進めない」
『マネットライムか。なら俺に任せろ。産みの親である俺が一声かければ、蜘蛛の子を散らすようにどっかに行くだろう』
確かにレックスなら、マネットライムを追い払うことができるだろう。
「わかった。頼む」
彼にお願いをして俺は外に出る。
別に荷台の中にいたままでもよかったのだが、なぜかエミたちまでもが馬車から降りた。
「直ぐに終わると思うから、わざわざ降りる必要はないのに」
「まぁ、念のためってやつさ」
「それに、今のレックスがどうやってマネットライムを追い払うのか見てみたいし」
「杞憂だといいのですが、なんだか失敗しそうな気がするのです。戦闘になったときは、すぐに戦えるようにしなければならないので」
それぞれが降りた理由を口にする。
馬の横に立ち、俺はレックスがどうやって説得するのか見物する。
『そこのマネットライム共』
レックスがマネットライムたちに声をかける。
どうやら彼の声に反応したようで、注目しているように見えた。
『俺だ。この大陸の覇者、魔王レックス様だ。俺はこの先に用がある。さっさと道を開けろ』
道を譲るように彼が言うと、一体のマネットライムが姿を変える。
黒い短髪の髪に頭部に生えている二本の角、それに黒ピカリしている長く太い尻尾。
あれは魔王だった頃のレックスの姿だ。
別のマネットライムが、鳥と魔王の姿をした仲間を交互に見比べていると思われる動作をする。
そして身体を横に揺らした瞬間、魔王の姿をしたマネットライムが、尻尾でレックスを叩き飛ばす。
『ゴハッ!』
攻撃を食らったレックスは、体を回転させながら俺たちのところに戻ってくる。
回転しているレックスは、空中で態勢を立て直すと、ホバリング飛行をしながらマネットライムを見る。
『おのれ!産みの親に手を上げるやつがおるか!反抗期なのか!父さんは悲しいぞ』
「オマエ、レックスサマ、チガウ。レックスサマ、コンナカンジ」
見比べていたマネットライムが、姿が違うことを指摘してくる。
彼らにとって判断基準は見た目なのだろう。
口調や雰囲気では、彼が本者であることが伝わらないようだ。
『俺の溢れるオーラが伝わらないとは、それでもスライム界のストラテジストか!余ちゃんならば、例え俺がこのような姿になったとしても、気づくはずだ』
レックスが懐かしい名前を出してくる。
余ちゃんとは、彼の特別な想いで作られたマネットライムだ。
レイラの姿を真似して本者になり替わる計画を立てていたが、本者のレイラに倒された。
この場にいるマネットライムは、次々と魔王だった頃のレックスに姿を変えていく。
「こうなったら倒して先に進むしかない。皆、戦闘準備だ」
「頑張ってください。わたしは応援していますから。フレー、フレーみ・な・さ・ん」
仲間たちに戦うことを告げると、アナスタシアは馬車の陰に隠れ、顔だけを出す。
そして応援の言葉を送ってきた。
彼女は最初から戦力には入れてはいなかったから、別にいい。
「アリスもアナスタシアの傍にいてくれ」
「大丈夫なのです。スライムさんなら、わたしでも倒すことができるのです」
下がっているように言うと、アリスは両手でガッツポーズを作り、戦う意思を示した。
そして御者席に移動すると、カレンの持っているアイテムボックスに手を突っ込み、何かを取り出した。
彼女が握っている物は、白い粉が入った瓶だ。
アリスは瓶の蓋を開け、中身を取り出す。
「こいつを食らうのです!」
掴んだ白い粉を、マネットライムに投げつける。
すると、粉末を浴びたゲル状の身体は水分が抜け、弾力を失ったことで形状を維持することができなくなった。
どうやら彼女が投げたあの白い粉は、食塩のようだ。
スライムの身体の正体はコロイドだ。
そして、体内のポリビニルアルコールは高分子の鎖であり、ホウ砂のイオンが鎖を留めて網目構造を作っている。
この小さな部屋に水分子が入り込むことで、ぷにぷにとした弾力のある身体になっているのだ。
食塩をかけたことにより、スライム内の水と周りにかかっている塩化ナトリウムとの間で、濃度の違いが生じる。
そして塩化ナトリウムが高張液となって、スライム内の水分が、塩化ナトリウムの濃度差を埋めようとするため、水が出てきた。
水分がなくなったマネットライムは、身体の構造を維持することができなくなり、あのような状態となる。
確かにスライムなら、調味料で倒すことができる。
『それは止めてくれ!いくらマネットライムの肉体でも、俺様の身体が解けるところはみたくない』
レックスが食塩による攻撃を止めるように言ってくる。
しかし、アリスは弾力を失うスライムの身体が面白いのか、彼のお願いを無視して次々と食塩を投げていく。
「アリスも中々やるではないか。余も負けてはおれぬ。ファイヤーアロー」
レイラが炎を生み出すと、高い魔力量の影響により、本来は矢の形となる炎が鳥へと姿を変えていく。
そして次々とマネットライムを焼くと、高熱により耐久性がなくなったスライムの核は砕け散っていった。
二人の活躍により、道を塞いでいたマネットライムはすべて倒した。
「お疲れ、二人のお陰で皆ケガをすることなく無事にやりすごせたよ」
「いや、正確には一名無事ではないものがおる」
活躍をした二人にお礼を言うと、レイラが地面に横たわっているレックスを指差す。
彼の身体はどこにも外傷はない。
きっと昔の自分の身体を象ったマネットライムが、次々と倒されて卒倒してしまったのだろう。
彼には運がなかったと思ってもらうしかない。
レックスを抱きかかえると、俺は御者席のカレンに顔を向ける。
「今度は俺が運転するから、変わってくれ」
「わかった」
カレンに御者席を空けてもらい、俺は運転席に座る。
全員が馬車に乗ったのを確認したのち、俺は手綱を上下に動かし、馬を走らせた。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら、教えていただけると助かります。
明日も投稿予定なので、楽しみにしていただけたら幸いです。




