第十七章 第三話 二日酔いにはシジミ汁がいいって言うけど、あれは半分嘘だってよ
今回のワード解説
読む必要がない人は飛ばして本文のほうを呼んでください。
本文を読んで、これって何だったかな?と思ったときにでも確認していただければと思っています。
アルコール脱水素酵素……アルコール類からアルデヒドへの酸化を触媒し,エタノールのほか,メタノール,プロパノール,ブタノールなども代謝する酵素である。 ADH(アルコール脱水素酵素)は、エタノールを酸化してアセトアルデヒドへと代謝する酵素です。
エタノール……アルコールの一種。揮発性の無色液体で、特有の芳香を持つ 。別名はエチルアルコール。酒を酒たらしめる化学成分であり、酒精とも呼ばれる 。
オルニチン……アミノ酸の1種で、有害なアンモニアを尿素に変換する尿素回路を構成する物質の1つである。
運動神経……体や内臓の筋肉の動きを指令するために信号を伝える神経の総称である。頭部では脳神経、体部では脊髄神経として、中枢から離れて、 末梢に向かうので、遠心性神経という名称でも、呼ばれる。
海馬……大脳辺縁系の一部である、海馬体の一部。特徴的な層構造を持ち、脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官。
抗利尿ホルモン……脳下垂体後葉から分泌されるホルモン。腎臓の尿細管に作用して水分の再吸収を促進する。不足すると尿量が増加し尿崩症となる。
弛緩……ゆるむこと。
成長ホルモン……脳下垂体前葉のGH分泌細胞から分泌されるホルモンである。
セロトニン……生理活性アミンの一。生体内でトリプトファンから合成され,脳・脾臓・胃腸・血清中に多く含まれる。脳の神経伝達などに作用するとともに,精神を安定させる作用もある。
側臥位……横向きに寝ている状態です。
前頭皮質……脳にある前頭葉の前側の領域で、一次運動野と前運動野の前に存在する。前頭連合野、前頭前野、前頭顆粒皮質とも呼ばれる。
バソプレシン……ヒトを含む多くの動物で見られるペプチドホルモンである。ヒトでは視床下部で合成され、脳下垂体後葉から分泌される。
ヒスタミン……動物の組織内に広く存在する化学物質。普通は不活性状態にあるが,けがや薬により活性型となり,血管拡張を起こし(発赤),不随意筋を収縮する。またかゆみや痛みの原因となるともいわれる。過剰に活性化されるとアレルギー症状の原因となる。
ファーティング・ファクター…… 疲労度合を示すタンパク質のことです。
「うーん。朝か?」
「残念、とっくに朝を通り過ぎてお昼です」
「昼!」
耳に入った言葉に驚き、俺は勢いよく上体を起こす。その瞬間、頭痛を感じて頭を抑えた。
「痛い。二日酔いか?こんなに酷いのは初めてだ」
頭が絞めつけられるように痛く、ズキズキする。
背中も痛い。
どうやら俺はベッドではなく、床で寝ていたようだ。
「昨日はお疲れ様でした。お父様がご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません」
頭痛がする中、俺は横から声をかけている人物のほうを見る。
金髪のロングヘア―に尖った耳、それに控えめな胸の女性が、屈んで俺に視線を向けていた。
「タマモ」
「はい、何でしょうか?」
「いや、ここはどこだ?客室ではないようだけど?」
「ここは大広間です。デーヴィットさんはお父様の晩酒につき合い、ここで眠っていたご様子でした」
気怠さを感じながらも、俺は周囲を見る。
隣には酒瓶を片手に、フォックスさんが大の字で床に寝そべり、いびきを掻いていた。
その他にも数人のエルフが床で今も眠っている。
「カレンたちは客間に居るのかな?」
「いいえ。お昼ご飯ができましたので、皆さん食堂でお食事中です。ワタクシはお父様たちの様子を見に来ました。デーヴィットさんも起きたばかりですが、どうです?」
「ありがとう。いただくとするよ」
ゆっくりと立ち上がろうとしたとき、再び背中に痛みが走り、俺はそこに手を振れる。
「あたたたた」
「大丈夫ですか。今シップをお持ちいたしますね」
「いや、これぐらいなら時間が経てば納まる」
睡眠中は心身共にリラックスした状態となり、筋肉は弛緩し、脳は眠って日中に酷使した心身を休める。
そして身体の損傷を回復させるために、成長ホルモンが分泌されて元気になるのだ。
しかし、横になっている状態では、床との接地する面積が大きくなり、肩や首、腰の筋肉は体重を支えるために負担をかけ続けている。
そうなると筋肉が強張り、血管が圧迫されて血流が悪くなるのだ。
負担がかかっている部位には、疲労物質であるファーティーグ・ファクターや、痛みの原因物質であるセロトニンやヒスタミンが溜まっていき、血流が悪いとそれらが流れずに筋肉に残り続けてしまう。
その結果、寝起きに痛みを感じるようになるのだ。
俺は首を回したり、肩を回したりして軽く身体を動かす。
この痛みを早く治す方法としては強張った筋肉を解し、血流を良くさせるのが一番だ。
ストレッチやウォーキングなどをすれば代謝も上がり、血液の流れも良くなって一石二鳥となる。
特に下半身が重要。
腰から下を動かすことによって、血の巡りが良くなり、疲労物質が流れてくれるのだ。
「若いってのはいいなぁ。おじさんも母さんとの新婚のころを思い出すよ」
横からフォックスさんの声が聞こえ、首を横に振る。
目覚めた彼は身体を横にして右手で頭を支えている姿勢で俺たちを見ながらニヤついていた。
よくおっさんたちがするこの姿勢は、側臥位と呼ばれる。
「お父様、ふざけているのであれば、ワタクシは怒りますよ」
「いやいや、ふざけてはいないさ。俺は思ったことを言っただけだ」
「なら、言葉を選んでください。またワタクシのげんこつが欲しいのであれば別ですが」
「わ、わかったよ。最近はそんなところが母さんに似て来たな。余計な部分は似らなくていいのに」
フォックスさんがポツリと言葉を漏らすと、タマモは彼の頭に拳を叩き付ける。
「痛い!何で殴るんだよ。ただ母さんに似て来たと言っただけじゃないか」
「そのあとに余計なことを言ったではないですか」
親子の会話に介入することのできない俺は、ただ見守るしかない。
まぁ、傍から見ればとても仲のいい親子だ。
俺と父さんとは大違い。
「これ以上は娘が怖いから、俺は退散するとしよう。飯は何を作ってくれた?」
「昨夜は宴会でしたので、シジミ汁を作りました」
「さすがだ。良妻に必要なことを分かっている」
親子の会話を聞き、俺は真実を教えるべきかどうか悩んだ。
二日酔いのあとはシジミ汁がいいという話をよく聞くが、あれは半分嘘だ。
シジミ汁は二日酔いの日に食べるのではなく、飲酒中に食べることで二日酔いを軽減してくれる。
そもそも、どうしてアルコールで酔うのかと言うと、お酒に含まれるアルコールの一種であるエタノールは、細胞の間をすり抜けて細胞に入り込むような小さい分子である。
それが消化管で制御剤として作用し、消化管の運動性を下げる。
エタノールは消化管から肝臓に向かい、肝臓に到達すると、アルコール脱水素酵素という酵素によって分解が始まる。
この肝臓の処理能力を超えるペースで酒を飲むと、エタノールが血流を介して他の臓器に行く。
そして、抗利尿ホルモンと呼ばれるバソプレシンの生成が抑制される。
飲むと尿を排出したくなるのも、脱水状態になるのも、これが理由だ。
一方、脳に向かう血流にエタノールが向かうと、脳では思考を司る前頭皮質から、自己統制や報酬の処理を担う部位に広がっていく。
濃度がもっと高まると、記憶を司る海馬や運動神経の部位に拡大することで記憶が失なったり、歩くことができなくなる。
これらの症状を総合的に含めて酔いと呼ばれる状態となるのだ。
肝臓で処理しきれないエタノールが、分解できないまま血流の残ることによって、身体はアルコールを飲み続けているのと同じ状態となり、二日酔いとなる。
シジミには肝臓の機能を高めてくれるオルニチンという成分が含まれているが、これは肝臓にアルコールが残っている場合に限定される。
血管を回っているときには効果がほとんどないのだ。
俺は悩んだ末に今は言わないことにした。
せっかく用意してくれたのに、水を差すようなことはしたくない。
機会があったときにでも、教えてあげるとしよう。
「俺は部屋にいる。あとで飯を運んで来てくれ」
「わかりました。では、デーヴィットさん参りましょうか」
フォックスさんとその場で別れ、俺はタマモの後ろを歩き、食堂に向かう。
「あ、やっと起きた。今何時だと思っているのよ」
「おはようございます。デーヴィットお兄ちゃん」
食堂に入ると、金髪のミディアムヘアーの女の子と、白い髪をセミロングにしている幼女が挨拶をしてきた。
「おはよう。カレン、アリス。まさか寝過ごすとは俺も思わなかった」
俺は皆に挨拶をして空いている席に座る。
テーブルの椅子には、元気のなさそうな人物が座っている。
俺と同じで二日酔いなのか、前髪を作らない長い黒髪の女性は、あまり元気がなさそうにシジミ汁を飲んでいた。
「ライリーも二日酔いか?」
「あーデーヴィット、悪いけどあたいに話しかけないでくれるかい?頭が痛くて少しイライラするんだよ」
声をかけると、ライリーは不機嫌そうな声音で返答してくれた。
彼女のあの感じは危険だ。
下手に声をかけて刺激をしてしまえば、八つ当たりがくるかもしれない。
そう判断した俺はそっとしておくことにする。
次にレイラのほうを見ると、彼女は幸せそうな表情をしていた。
そんなにシジミ汁が美味しいのだろうか。
「美味しそうに食べているけど、そんなに美味いのか?」
「いや、味は普通だ。寧ろ薄い」
「健康のために薄味で作らせてもらいました。ですがレイラさん。せっかく一生懸命に作ったのですから、嘘でもそこは美味しいと言ってくれませんか?」
「いや、余は嘘を吐くのはあまり好きではないのでな。正直に答えさせてもらう」
「そ、そうですか。ワタクシの料理が普通…………ふ、ふふ、ふふふふふ」
レイラの言葉に、タマモは表情を暗くすると、不気味な笑い声を上げる。
「タマモ、俺はタマモが一生懸命に作った味噌汁が凄く食べたいな。期待しているから早く用意してくれ」
彼女の笑いに寒気を感じた俺は、何かをやらかす前に、シジミ汁を用意するようにタマモにお願いする。
「わかりました。ではすぐにご用意させていただきます」
フォロー的なものになったかわからないが『凄く食べたい』や『期待している』という言葉がいい方向に働いてくれたようだ。
彼女はいつもの表情に戻ると、器を収納してある棚に向っていく。
ホッとしながらも、再びレイラのほうを見ると、彼女はまだ幸せそうな表情のままだ。
いったい何が、彼女をあそこまでさせているのだろうか。
気になった俺はレイラに尋ねることにした。
「なぁ、レイラ。幸せそうな顔をして何かいいことでもあったのか?」
「うむ。よくぞ聞いてくれた。実はな、余の夢にデーヴィットが出たのだ!余をおぶってくれるそなたの背中は暖かくてな、朝からいい気分で目覚めることができたのだ」
俺が夢に出ただけであんな顔をしてくれる。
そんなことを聞き、俺は嬉しくも恥ずかしくなり、頬を掻く。
「レイラたら、朝からずっとこの表情なのよ。時々ならわかるけど、何時間もあの表情をしていたら逆に気持ち悪いわ」
朝からこの表情を維持しているとエミが教えてくれた。
確かに、いくら幸せな気持ちであったとしても、朝からあの表情のままでは不気味に思えてしまう。
「レイラ、あんまり笑顔のままでは魔王としての威厳に欠けるぞ。魔王たる者、凛々しさもなければ」
「そうであるな。確かにそなたの言うとおりだ。わかった。いつものように凛々しくあろう」
常にニヤつかないほうがいいと告げると、レイラはやっといつもの表情に戻してくれた。
「はい、デーヴィットさん。シジミ汁です。熱いので気をつけて召し上がってください」
「ありがとう」
タマモが戻ってくると、俺の前にお昼ご飯を置いてくれた。
メニューは白米に鮭の切り身、それに野菜サラダとシジミ汁というヘルシーなものとなっている。
飲み物は湯呑に入っているお茶だ。
俺はシジミ汁を手に取ると口元に近づける。
味噌汁からは湯気が出ており、気をつけて飲まないと火傷しそうだ。
何度か息を吹きかけて冷ますと、一口汁を飲む。
薄味であったが、味噌の中に貝の風味が広がり、とても美味しい。
例え二日酔いに効果がなかったとしても、貴重な栄養源であることには変わらない。
自然界の命をいただき、作ってくれたタマモに感謝しながら味わって食べた。
「あのう、デーヴィットさん。お味はどうでしょうか?お口に合いましたか?」
「うん、とても美味しいよ。薄味だけどとても健康的だし、気に入った」
「それは良かったです。まだまだたくさんありますから、遠慮しないでたくさん召し上がってください」
「ありがとう」
「では、ワタクシはお父様にお昼ご飯を持って行きますので」
軽くお辞儀をすると、タマモは食器に料理を盛り、お盆に乗せて食堂から出て行く。
昼食を食べ終わった頃、タマモが食堂に戻ってきた。
「デーヴィットさん。お父様からの伝言ですが、セプテム大陸の魔王のことで話しがあるそうなので、時間があるときにでも来てもらいたいそうです」
「わかった。このお茶を飲んだら行こうと思うけど、フォックスさんはお昼を食べ終わっているのかな?」
「はい。お父様はあまり噛まないで飲み込んでしまうので、既に食べ終わっているころかと」
俺は湯呑の中に残っているお茶を一気に飲み、レイラたちに顔を向ける。
「今からフォックスさんのところに行くけど、みんなはどうする?」
「わたしは行くのです。昨日は遠慮してお話をしなかったのですが、今日はお話がしたいのです」
「アリスちゃんが行くのならあたしも行くわ」
「デーヴィットが昨日お世話になったし、お礼を言いに私も行く」
「まだセプテム大陸の魔王の情報を得てはおらぬのでな。そのことを聞きに余も向かう」
「皆行くのかい?頭が痛いからあたいはゆっくり休みたいところだけど、仲間外れにされるのはしゃくだから、あたいもついて行くよ」
全員でお邪魔することになり、俺たちはフォックスさんの部屋に向かうことにする。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら、教えていただけると助かります。
明日も投稿予定なので、楽しみにしていただけたら幸いです。




