第十六章 第八話 伯爵に下される天罰、男としての死
今回のワード解説
読む必要がない人は飛ばして本文のほうを呼んでください。
本文を読んで、これって何だったかな?と思ったときにでも確認していただければと思っています。
暗順応……明るいところから暗い部屋に入ると,初めは物が見えにくいが次第によく見えるようになる。これは暗闇に入ると眼の網膜の光に対する感度が時間とともに増加するためで,この自動調節現象を暗順応という。
海馬……大脳辺縁系の一部である、海馬体の一部。特徴的な層構造を持ち、脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官。
杆状体……脊椎動物の目の網膜にある、棒状の突起をもつ視細胞。弱い光に鋭敏に反応する視紅 (しこう) を含み、光の明暗を感知する。
クラスター……数えられる程度の複数の原子・分子が集まってできる集合体。個数一〇~一〇〇のものはマイクロクラスターと呼ばれ,特殊な原子のふるまいが見られる。
視細胞……光受容細胞の一種であり、動物が物を見るとき、光シグナルを神経情報へと変換する働きを担っている。脊椎動物の網膜においては、視細胞はもっとも外側にシート状に並んで層を形成している。
神経伝達物質……ニューロンと細胞との間で信号を伝達する脳内の化学物質です。少なくとも 100 の神経伝達物質があり、それぞれ異なる機能を持ちます。
錐状体……網膜の視細胞の一。円錐状の突起をもつ細胞。昼行性の動物に特に多く、色彩を感じる物質を含む。
テストステロン……雄性ホルモンのうち,最も強い作用をもつ物質。主として精巣で合成され,第二次性徴の発現,タンパク質同化などの作用をもつ。また,筋肉の増加作用がある。
動脈硬化……心臓から全身に血液を送り込む役割を担う動脈の内壁が肥厚し硬化した状態を指して動脈硬化と呼称する。
ドーパミン……中枢神経系に存在する神経伝達物質で、アドレナリン、ノルアドレナリンの前駆体でもある。運動調節、ホルモン調節、快の感情、意欲、学習などに関わる。
剥離……「剥がれて取れる」という意味。
明順応……錐状体が主として働いている状態のことを明順応という。
網膜…… 眼球壁の最内層で,硝子体に接する透明な薄膜。
エルフを元に戻すように言うと、伯爵は不可能だと言う。
「エルフたちが言っていただろう。あいつらは俺の所有物だと。完全に俺の言いなりになっている段階で俺の調教は完璧だ」
「そんなわけないはずよ。魔法をかけたのなら、解除すればいいだけじゃない」
エミが抗議の声を上げる。
そんな彼女の態度を見て、男は再び口角を上げた。
「いつ、俺が魔法をかけたと言った?」
伯爵の言葉に、俺は歯を食い縛る。
確かに彼の言うとおりだ。
伯爵は一度も魔法を使ったなど一言も言っていない。
彼の口から聞いた言葉は調教だ。
調教と言うことは、主人に反抗する意思を失くされ、従順に従わされているということ。
当然捕らえられた当初は反抗もしていただろう。
だけど、生き物は学習する。
例えば暴力を振るわれたなどをして傷ついた場合、防衛本能が働き、身を守る手段として相手の要求を呑もうとすることもある。
そして相手の望みを叶えたときに、優しく接してもらえる。
相手の言うことを聞けば傷つかない。
寧ろよくしてもらえる。
そう脳内に刻むようになり、時が経てば自分の意志を殺して相手の望みを叶える存在へと変わっていく。
これはそう簡単には元に戻ることは難しい。
心の問題なのだ。
彼女たちが時間をかけてゆっくりとトラウマと向き合っていくしかない。
「伯爵テメー!」
「ハハハハハハ。俺に囚われたばかりに、淫乱メス奴隷として生まれ変わったのだ。俺が死んだとしても、あいつらの記憶は死ぬまで残り続ける。日常に戻ったとしても、フッとした瞬間に俺とのできごとを思い出し、死んだほうがマシだと思うほどの苦痛を味わうだろうよ」
俺は本気で伯爵を殺してやりたい衝動に駆られる。
しかし、それはしてはいけない。
彼を殺せば、色々と厄介な問題が俺たちを悩ませることになる。
「あいつらの幸せを考えるなら、大事にしてくれるご主人様の元に居るべきだ。性的な奉仕をするぐらいしか、生きる喜びを見出せない哀れな存在に成り下がっている。お前たちの行いは、エルフを助けるのではなく、逆に苦しませるだけだ」
「それ以上喋るな!クズ伯爵!」
エミが地下に響くほどの大声を上げる。
「あたしはもう我慢できない。女を弄び、さらには人生まで狂わしたのにも関わらず、正当性ばかり口にして。あんたなんかいなければいいのよ」
「待て、伯爵を殺すな!」
「食らいなさい。あたしの新魔法!呪いを用いて我が契約せし知られざる負の生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよエレクタイルディスファクション!」
俺の忠告を無視してエミは魔法を発動させた。
しかし、伯爵には今のところ何も変化が起きていない。
「エミ、伯爵は何も起きてはいないようなのだけど」
特に変わった様子を見せない伯爵を見て、カレンが尋ねる。
「伯爵には呪いをかけたのよ。あることをしようとするとそれがスイッチとなって発動するのよ」
「呪いだと!何だそれは!」
呪いと聞いて、いてもたってもいられないのだろう。
伯爵はエミを睨みつけながら問う。
「あなたには男性器が機能しなくなる呪いをかけたのよ。性器内を通っているか細い血管に動脈硬化を起こさせ、性器内のか細い血管が更に収縮するようになったの。それにより血の流れを悪くさせ、赤血球を詰まらせる」
「そんなふざけた魔法があってたまるか!」
「あるわよ。だってあたしが作った新魔法だもの。なら、その粗チンが機能するのか試せば」
「よかろう。俺のビッグマグナムを見て、驚くなよ。フン!」
エミの挑発に乗り、伯爵は気合を入れる。
その瞬間、彼の履いているトランクスが膨らみを見せる。
「ギャハハハハ。しっかり機能しているではないか!そんなふざけた魔法あってたまるか!」
ちゃんと膨張をした自身の性器を布越しに見て、伯爵は笑い声を上げる。
彼女の新魔法は失敗したのだろうか。
そう思った瞬間、彼に異常が起きる。
急に収縮を始めたようで、トランクスの膨らみがなくなった。
「フン!」
再び伯爵が気合を入れる。
すると当然のように自然現象は起きた。
しかし、それはほんのわずかな間ですぐに収縮をみせる。
「フン、フン、フン、フンフンフンフン、フンフンフン!」
伯爵は性器が収縮する度に気合を入れ直しているようだが、膨張と収縮を何度も繰り返すだけで、硬化を維持することができないでいるみたいだ。
「勃てー!勃つのだムスコ!」
膨張を維持するように、自信の身体に伯爵は訴える。
しかし、彼の願いは叶うことなく瞬時に縮み始めたようで、一度膨らんだトランクスは元の状態へと戻っていく。
「これぐらいで嘆かないでよ。まだまだ序の口なんだから。呪いを用いて我が契約せし知られざる負の生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよフェティシズム」
再度エミは聞いたことのない魔法を発動させた。
何だか嫌な予感がするが、元魔学者とては、どんな効果があるのかがとても気になる。
「エミ、今の魔法はどんな効果がある」
「見ていなさい。すぐにわかるから。伯爵これは何でしょう?」
伯爵に問いかけながら、エミは何かを取り出し、彼に見せる。
「何ってピンヒールではないか。しかもヒール部分に血がついている。そんなものを俺に見せてどうするつもりだ」
彼女が伯爵に見せたのはピンクのハイヒールだ。
あれは確か、カレンが床に投げ捨てたはずだが、いつの間にか拾っていたのか。
「あたしはこのハイヒールを見た瞬間にいい方法を思いついたのよ。伯爵、これを見て何も思わない?」
「思うっていったい何を?俺は……な……に……も」
途中から伯爵の言葉にキレがなくなったかと思うと、彼は高揚しているのか、赤面を始め、息が荒くなり始める。
「どうしてだ。あのピンヒールを見ていると興奮してきた」
彼の言葉が真実であるかのように、彼の履いているトランクスは再び膨らみを見せる。
しかも、今度は硬化を維持したままだ。
伯爵の反応を見るやいなや、エミは持っているピンヒールをサッと背中に隠す。
すると、膨張していたはずの性器が縮んだようで、トランクスは膨らみを見せなくなった。
「こういうことよ。デーヴィット分かった」
「ああ、できれば理解したくはなかったよ。それにしてもよくそんなエグイ魔法を思いついたよな」
「だって、捕らえられたエルフたちは人生をめちゃくちゃにされたのよ。同じぐらいに伯爵の人生をめちゃくちゃにしないといけないわ」
エミの言うことはわかる。
しかし、同じ男としては、俺は伯爵に対して同情してしまう。
彼は、エミの魔法と言う名の呪いをかけられ、特殊性癖を植えつけられたのだ。
そう、ピンヒールにしか興奮できずに、勃起を維持することができないという。
おそらく、魔法により脳の記憶を司る海馬にピンヒールにしか興奮できないという暗示のようなものを植え付けられ、脳がそれを認識。
そして実物を見た際に体内で天然の媚薬と呼ばれるテストステロンが分泌され、性欲を亢進。
脳内でドーパミンという神経伝達物質を促して強制的に勃起させられたのだ。
エミは伯爵の反応が面白いのか、何度もピンヒールを見せては引っ込めるのを繰り返している。
彼女たち側で考えれば、それ相応の天罰だと言えるが、同じ男としての立場から考えれば酷すぎる。
さすがデバフの女王様だ。
「よくも、俺に惨めな想いをさせやがったな。殺してやる。王にこのことを報告し、世界中に手配書を出してやるからな!」
「別にいいわ。その前にこれもプレゼントしてあげる」
あれ以上のことをするとでも言うのだろうか。
見るのが怖いが、元魔学者としては何が起こるのかこの目で確かめたい。
俺は彼女の言葉に耳を傾ける。
「呪いを用いて我が契約せし知られざる負の生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。インピード・レコグニション」
立て続けに新魔法を発動していたので、今度も新しい魔法なのだろうかと妙な期待をしていたが、今度は普通に認識阻害の魔法だった。
侵入者の記憶を改竄し、存在しない人物の手配書を作成させるつもりなのだろう。
そう思った瞬間、当たりが急に明るくなり、視界が真っ白になる。
伯爵の仕業だろうか。
けれど彼は魔法の詠唱をしてはいない。
おそらく閃光玉のようなものを持っており、それが使われたのだろう。
今の光で目の視細胞である杆状体から錐状体に眼球が切り替わり、一時的眩しさを感じる明順応と呼ばれる現象が引き起こされる。
暗順応に比べれば、切り替えは早いので目が慣れるのは早いが、強烈な光を浴びた場合は別だ。
瞳孔の動きが遅れ、瞳の奥に大量の眩しい光が入ってしまい、瞳の奥にある光の刺激を電気信号に変え、脳に伝えるための網膜に強い刺激を受けることによって炎症や剥離が起こってしまう場合もある。
幸いにも、フラッシュ光は人体に影響を与えるほどではなかったのか、目が眩む程度で収まってくれた。
一時的に失われた視力が回復し、周囲の状況が分かるようになる。
囚われたエルフたちはこの場に残っていたが、当然伯爵の姿は消えていた。
カレンとエミに頼み、裸のエルフたちを起こしてもらう。
そして着替えをしてもらうようにお願いした。
その間に俺は地下から出ると書斎の窓から周囲の様子を窺う。
不自然なほど物静かであり、警備兵の姿も見当たらない。
俺たちが一時的に視力を失った間に、完全にどこかに雲隠れをしたようだ。
地下から足音が聞こえてくる。
カレンたちが地下から上がってきた。
どうやらカレンのサイズがピッタリだったようで、囚われていたエルフたちは全員が彼女の予備の服を着ていた。
エルフたちは暗い表情をしている。
むりもない。
俺たちがしてあげられることはするつもりだが、最終的には彼女たちが過去のトラウマと向き合っていかなければならない。
「伯爵はどこかに雲隠れをしたようだ。この町のどこかに隠れていると思うが、俺たちの目的はエルフたちの救出。このまま森に向ってレイラたちと合流して里に帰ろう」
皆に撤退することを告げると、どこからか焦げ臭い臭いがしてきた。
そして隣の部屋からパチパチと何かが燃えるような音が聞こえる。
「伯爵のやつ屋敷に火をつけやがったのか」
おそらくだが、情報が漏洩することを恐れ、俺たちを焼死させるつもりなのだろう。
書斎にはリンチに遭ったガルムが横たわっている。
彼をこのままにしてはおけない。
彼を担ぎ、急いで屋敷を出ようとしたときだ。
天井が崩れ、入り口が塞がれてしまう。
思ったのよりも火の回りが早い。
こうなってしまうと、地下に避難するしか俺たちには残されていない。
「カレン、エミ、一度地下に避難する。炎が来ないようにするから、先に奥のほうに避難してくれ」
「わかったわ」
カレンたちは頷くと急ぎ地下に戻って行く。
彼女たちの姿がここから見えなくなると、俺は魔法を発動する。
「呪いを用いて我が契約せしウンディーネとフラウに命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。アイスウォール」
空気中の酸素と水素が磁石のように引き合い、電気的な力によって水素結合を起こす。
これにより水分子間がつながり、水分子のクラスターが形成され、水の塊が出現。
地下への入り口に分厚い水の壁を作る。
すると今度は水の気温が下がり、水分子が運動するための熱エネルギーが極端に低くなると、水分子は動きを止めてお互いに結合して氷へと変化した。
階段を下りながら、俺は氷の壁を何層にもしていく。
氷は熱で溶かされて水となり、炎を消してくれる。
だけど炎の発熱量が多ければ当然水は蒸発してしまう。
この氷の壁はあくまで侵入してくる炎を察知するためのものでしかない。
早く知ることができれば、すぐに魔法を唱え、俺の水魔法で消化させる。
エルフたちがいた部屋まで氷の壁を作り、俺はカレンたちと合流する。
「なるべく炎が来ないようにはしてきた。あとは様子を見よう」
俺は部屋の棚に置かれている瓶が視界に入り、手に取って見る。
ラベルが張られてあり、媚薬と書かれてあった。
知識の本にも媚薬のことは書かれてある。
しかし、媚薬はフィクション作品ほどの効果はなく、減少した性ホルモンを補い、正常値に戻すぐらいの効果しか発揮されない。
だが、伯爵のあの口ぶりからすると、これは一般的に知られている媚薬とは、どこかが違うのかもしれない。
時間があるときにでも調べる必要があるだろう。
誤解されないためにも、ラベルを外して持ち帰るとするか。
ラベルを剥がしてカレンに渡す。
「これをアイテムボックスの中に入れておいてくれ」
「何これ?」
「部屋の棚にあったものだ。何か手がかりになるかもしれないから、戦利品としてもらっておこうと思って」
「わかったわ」
何も疑問に思わなかったのか、カレンはすんなりと瓶を受け取り、バスケットの中に入れた。
空いているスペースに座り、時間が過ぎて行くのを待つ。
誰も話そうとはせずに、沈黙がこの空間を支配する。
気まずさを感じた俺はエミに話しかけることにした。
「なぁ、あの伯爵にかけた魔法だけど、いつの間に習得したんだ?」
「タマモの屋敷の客間に、日本語で書かれていた本があったでしょう。アレに書かれていたのよ。時間が空いているときがあったから、そのときに読んで覚えたわ」
あの本にそんなことまで書いてあったとは驚きだ。
きっかけと関連する精霊がいれば、魔法は常に新しいものが生まれる。
魔学の奥深さに、俺は感銘した。
「タマモ様」
「きっと心配しているでしょう」
「でも、合わせる顔がありません」
エミの言葉を聞き、タマモや里のエルフたちのことを思い出したのだろう。
エルフたちは小さく言葉を漏らす。
「きっと大丈夫よ。私たちはタマモとは知り合ったばかりだけど、彼女は皆をとても心配していた。それに今のあなたたちを受け入れて、ちゃんと相談にも乗ってくれるはずよ」
励まそうとカレンが明るく振る舞い、心配ないことを告げる。
彼女の言葉には俺も賛成だ。
ムッツリスケベなところがあるが、タマモなら彼女たちに寄り添い、日常生活に戻れるまで面倒をみてくれるはず。
「おーい!デーヴィットよ、生きておるか?」
「聞こえていたらあたいたちに返事をしてくれ!」
レイラとライリーの声が聞こえてきた。
どうやら火災は治まり、迎えが来てくれたようだ。
「聞こえている。全員無事だ。囚われたエルフたちも救出したぞ」
二人に聞こえるように声を張り上げ、扉を開ける。
どうやらここまでは炎が届かなかったようで、まだ半分ほど残っていた。
俺は反対側から炎の魔法で氷の壁を溶かし、地下通路で二人と合流を果たした。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら、教えていただけると助かります。
今回の話で第十六章は終わりです。
明日は第十六章の内容を纏めたあらすじを投稿する予定です。




