第十六章 第六話 ガルムの性癖、ブチキレるカレンとエミ
今回のワード解説
読む必要がない人は飛ばして本文のほうを呼んでください。
本文を読んで、これって何だったかな?と思ったときにでも確認していただければと思っています。
KVA動体視力……DVA動体視力の前後版
DVA動体視力……自分と一定距離を保って移動している目標物をどの程度明視できるかという能力。距離が前後に動くKVA動体視力と対になる概念。測定においては、水平方向の移動を使った検査が一般的。
トップリフト……ヒール本体を保護するために取り付けられるパーツのことです。
プロムナードターン……タンゴの基本ステップのひとつ。
迷走神経……12対ある脳神経の一つであり、第X脳神経とも呼ばれる。副交感神経の代表的な神経 。複雑な走行を示し、 頸部と胸部内臓 、さらには腹部内臓にまで分布する。脳神経中最大の分布領域を持ち、主として副交感神経繊維からなるが、 交感神経とも拮抗し、 声帯 、心臓 、胃腸 、消化腺の運動、分泌 を支配する。多数に枝分れしてきわめて複雑な経路を示すのでこの名がある 。延髄 における迷走神経の起始部。迷走神経背側核、 疑核 、 孤束核を含む。迷走神経は脳神経の中で唯一 腹部にまで到達する神経である。
ロックターン……プロムナードターンとセットで続けて踊られることがほとんどのステップ。
強引にも伯爵邸に侵入した俺たちは、エミの案内で書斎に向って廊下を走る。
「ここよ」
エミが大きな扉の前に案内してくれた。
この扉の先にある地下に、エルフたちが囚われている。
俺は唾を飲み込み、ドアノブに手をかけた。
その瞬間、扉が壊され、俺は吹き飛ばされると壁に激突し、そのまま廊下に座り込む。
背中に痛みを感じながらも、何が起きたのかを知るために書斎のほうに目を向ける。
そこには髪をおさげにしている武闘着姿の男が、蹴りを放ったあとに姿勢のまま片足で立っていた。
中の警備が手薄だったのは、この男を書斎の中に配置していたからか。
「伯爵に頼まれて俺だけが屋敷に残されたが、本当にここまでくるとは思わなかった。外が騒がしくなってこの部屋に辿り着くまでの時間を考えると、最初から分かっていたということか」
おさげの男は上げた足を床に戻し、右足を後ろに下げて腰を下ろす。
次の展開に備え、構えたようだ。
「伯爵に雇われている傭兵の一人だな」
起き上がると、俺は彼の素性を確かめる。
「その通りだ。俺の名はガルム、武道家だ」
「お前は伯爵がやっていることを知っていて、やつの味方をしているのか」
「そりゃあそうでしょう。だってこっちはお金を貰っているのだから。対価を貰っている以上はどんなことでも全うするのが傭兵じゃないか。だけど正直伯爵がやっていることには興味がないんだよね。俺は爆乳好きなわけ。だからエルフのような貧乳の女は興味がない。伯爵が何をしようと何とも思わないね」
俺の質問に男が答えると、彼はカレンたちを見て溜息を吐く。
「はぁー、せっかく連れてくるのなら、もっと胸の大きな娘を連れて来てよ。やる気が起きないなぁ」
「なぁに?あたしたちには不満があるわけ?」
「あるに決まっているじゃないか。俺、胸が大きな女性以外、女だと思わないから」
エミが作り笑いをしながらガルムに尋ねると彼はそれに対して正直に答える。
しかし、その正直さが二人の火に油を注いだようだ。
「これでもあたしのいた国では、平均よりも少しだけ大きいのだからね」
「持たざる者の女性を代表して、私たちがきつい罰を与えてあげることにするわ」
二人の表情に陰りが見える。
「エミ、勢い余って石化魔法なんて使わないでよ」
「わかっている。女性差別をしたことを後悔させるために、アリの足を一本ずつ毟るような苦痛を与えるようにするわ」
「待ってくれ、やつは格闘家だ。詠唱をする時間なんてくれないぞ」
「デーヴィットは黙っていないさい」
「これは私たちの問題なのだから」
相手が格闘家である以上、簡単には呪文を詠唱する時間を与えてはくれないだろう。
そう思って二人に忠告するが、彼女たちは俺に手出し無用だと言ってくる。
「あの男の言うとおりだ。相手が爆乳女性なら紳士らしく、詠唱のひとつやふたつサービスして待ってやるが、貧乳の小娘は男と同等の扱いだ。俺が手加減をすると思うなよ」
格闘家の男は瞬く間に二人の前に移動すると、腰を落とし、右手を後方に下げて突きの態勢に入る。
動きは早かったが、俺にはその動きが見えた。
カレンたちの前に移動すると相手の放つ拳の軌道に合わせて俺は両手を前に出す。
男は正拳突きを放つが、俺は両手で相手の拳を受け止め、一撃を防ぐ。
今の一撃を受けて分かったが、彼の鍛錬は相当なものだ。
何とか両手で受け止めることに成功したが、ガルムの拳が触れた瞬間、両手に痺れを感じた。
自身の意思で動かすことはできるも、酷く倦怠感を覚える。
この一撃を食らえば、カレンたちは気を失ってしまうだろう。
やはり、この男の相手は俺がするしかない。
「ごめん、二人の気持ちは少なからずわかるが、ここは俺に任せてくれないか。必ず機会をやるから」
俺の提案を受け入れてくれるかはわからないが、ダメ元で彼女たちに聞いてみる。
「わかったわよ。でも、隙を見つけたら呪文を発動させるから、デーヴィットも受ける覚悟でいてよね。それが条件よ」
カレンが条件を出してくる。
それはそれでいやだが、この際は仕方がない。
「わかった。それでいい」
俺は彼女の出した条件を呑む。
この男のスピードが速い以上は、そう簡単には隙が生じない自信はある。
それに彼の攻撃を避ける自信もあった。
だけどいくら何でもバカ正直に真正面から攻撃を受け止めるつもりはない。
俺の動体視力は彼の動きを捉えることができた。
なら、捌くことも不可能ではないはず。
人間の視野は片目で鼻側及び上側で約六十度、下側で約七十度、耳側に約九十度から百度と言われている。
両目がほぼ平面の顔上にあるため、両目で同時に見える範囲が広く、左右百二十度を一度に見ることができる。
だけどそれだけでは高速で動くものを捉えることはできない。
高速で動くものを捉えるには動体視力が必要だ。
動体視力には縦横と前後の二種類があり、横や上下の動きに対するDⅤA動体視力、外眼筋を使わない前後の動きに対するKⅤA動体視力があるが、このそれぞれの動体視力が働くことによって、物事を瞬時に判断できるようになっている。
おさげの男は、俺の顔面に向けて拳を放つ。
相手の攻撃の軌道は見えている。
俺は左手で払いのけようと彼の腕に触れるが、俺の力では弾くことができないと瞬時に判断。
右足を少し斜め上方に出してその足を軸に半回転して相手の拳を避け、今度は左の足を軸に半回転して男の背後に回る。
「あれってデーヴィットがレイラと踊ったときのステップ」
男の攻撃を避けた際の足さばきを見て、カレンは気づいたようだ。
そう、俺はタンゴのステップでもあるプロムナードターンで回避した。
ここは屋敷の中、派手な動きができずに制限がかかる。
そこで俺は少ない動きで彼の一撃を躱すことにした。
それには意外と社交ダンスのステップが役に立つ。
「偶然とはいえ、俺の一撃を避けるとはな。でもなんだ?その可笑しな動きは」
「可笑しいとは失礼だな。紳士淑女から刺されても知らないぞ」
「生憎と殺気には敏感でね。刺される前に俺から殺してやるさ」
ガルムは右腕からのパンチを繰り出そうとすると同時に、左腕を後方に下げた。
この動きはおそらく連続によるパンチだ。
これはロックターンが使える。
右サイドを使って右足に体重を乗せ、続いて左サイドを使って左足を小さく後退。
その後右足を左足に交差しながら後退し、腕の届く範囲から逃れると二撃目も同じようにして後退して躱す。
「最初に避けたのは偶然だと思ったが、こうも立て続けに躱されると多少むかついてくるな。特にその足さばきが」
「こう狭くては大胆な動きができないのでね。だけどこっちの部屋に来たからには、互いに少しは動きやすくなったんじゃないのか」
「違いない」
俺は戦いながらも書斎に侵入する方法を考えていた。
しかし普通に侵入しようとすれば、敵に感づかれてしまう。
そこで、相手を誘導して部屋に入る作戦を立てた。
プロムナードターンで書斎に背を向け、ロックターンで室内に入る。
うまくいくかは賭けだったが、成功した。
おさげの男は屈むと床に手を置き、勢いよく片足を振り回す。
敵の狙いは足払いによる転倒だ。
男の足が接触するよりも早く、俺は跳躍して回避をした。
しかし、これも彼の狙い通りだったようだ。
空中では身動きが取れない。
その間に男は立ち上がり、腰を落として右腕を後ろに引く姿勢に入る。
床に足がつく前に正拳突きを放つつもりだ。
彼の瞳には俺の姿が映っている。
ならば、今は俺に気を取られているはず。
「今だエミ!」
「このチャンスを待っていたわよ。呪いを用いて我が契約せし知られざる負の生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。ショック」
「ガハッ」
エミの魔法がガルムに直撃したようだ。
強制的に活性化させられた迷走神経により、血管が広がることによって心臓に戻る血流量が減少して心拍数が低下させられた男はその場で膝をつく。
身体を鍛えているだけあって、一回だけでは気を失うことはないようだが、まともに拳を振るうことはできないだろう。
「デーヴィットご苦労様。あとは私たちがやるわ」
「カレン遠慮する必要はないわ。あの男が変な動きを見せたら、もう一度激痛を与えるだけだから」
俺の前にカレンとエミが来ると、男の前に立つ。
そして片足を上げたかと思うと、二人は同時に彼の頭に思いっきり踵落としをした。
男は避けることなく二人の足蹴りを受け、うつ伏せの状態で倒れる。
「さっきはよくも私の気にしていることを言ってくれたわね」
「胸が大きくないと女として見られない?はいそうですか。ならいいですよ。別にあなたに女として見られたいとはこれっぽちも思っていませんので」
エミとカレンはガルムの背中を何度も踏んづける。
傍から見ると弱い者いじめをしているように見える。
「な、なぁ、反省しているだろうし、もうその辺にしてやれよ」
「ああーん?」
「何?あたしたちがしていることにケチをつける気」
「い、いや別にそんなつもりでは」
行きすぎた行為のような気がして、俺は二人を止めようと声をかけるも、カレンとエミに睨まれてしまい、俺は萎縮する。
俺には今の彼女たちを止める勇気がない。
自業自得だと思って天罰を受けてくれ。
俺も二人に対して、今後は胸の話はタブーにしよう。
「ねぇ、エミ。私アイテムボックスにこんなものを入れているのだけど」
「いいわね。使ってみましょう。どんな声で泣くかしら」
カレンが取り出したのはピンク色のピンヒールと呼ばれる靴だ。
ヒールの部分は長く、トップリフトは丸い。
彼女は背が低いことも気にしていた。
背を高く見せるヒールを持っていても不思議ではないが、いつの間に買っていたのだろうか。
「この前王都で奮発して買ったやつだけど、旅をしているうちは履く機会がなかったのよね。こんなことのために使う気はなかったのだけど、もうどうでもいいわよ」
ピンク色のピンヒールにカレンは足を入れ、彼女は狙いを定めて蹴りを放つ。
「ギャアアアァァァァァ」
蹴られた男は断末魔の声を上げる。
その声を聞いた瞬間、俺の身体は恐怖で震え、何度も歯同士をぶつけ合わせる。
カレンの蹴りは男の尻に当たっていた。
しかし、ヒールで踏まれたぐらいではあのような叫び声を上げるはずがない。
「あら、勢いがありすぎてズボンとパンツに穴が空いたみたい」
カレンが足を上げる。
彼女の履いていたピンヒールのヒール部分は、赤い液体が付着していた。
「うわっ、血がついているじゃない。変なところに入ったんじゃないと」
「もうこれは使えないわね」
履いていたピンクのハイヒールを床に投げ捨て、カレンはゆっくり俺のほうを見る。
「ねぇ、デーヴィット。私新しいヒールが欲しいなぁ。ねぇ、買って?」
「はい、喜んで!」
何の迷いもなく、俺は即答する。
身体の震えが収まらない。
あの男はカレンに新たな扉を開かせたようだ。
「カレンばかりずるい。あたしにも買って」
「エミにも好きなものを買ってあげます。なんなりと申しつけください」
俺は後悔することになるとわかりつつも、二人に欲しいものを買ってあげる約束をした。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら、教えていただけると助かります。
明日も投稿予定なので、楽しみにしていただけたら幸いです。




