第十六章 第五話 回転注意!モーニングスターの眼振
今回の話はライリーが中心となっています。
そのため三人称で書かせてもらっています。
今回のワード解説
読む必要がない人は飛ばして本文のほうを呼んでください。
本文を読んで、これって何だったかな?と思ったときにでも確認していただければと思っています
慣性力……慣性系に対して加速度運動をしている座標系の中で、物体の運動に現れる見かけ上の力。例えば、カーブを曲がる車の中にいる人を外側に傾けさせる力など。慣性抵抗。
眼振……自分の意思とは関係なく眼球が動く現象。病的なものと生理的なものがある。一般的には眼振と略して呼ぶことが多い。
三半規管……平衡感覚(回転加速度)を司る器官であり、内耳の前庭につながっている、半円形をしたチューブ状の3つの半規管の総称である。名前はその形状と数に由来する。
小脳……脳の部位の名称。脳を背側から見たときに大脳の尾側に位置し、外観がカリフラワー状をし、脳幹の後ろの方からコブのように張り出した小さな器官である。
GABA……脳内でGABAは「抑制系」の神経伝達物質として働いている。GABAは正反対の働きをしている。脳内の神経伝達物質は、興奮系と抑制系がほどよいバランスをとっていることが大切である。興奮系が適度に分泌されると気分が良く、元気ややる気にあふれ、集中力やほどよい緊張感がある。
クプラ……膨大部には平衡をつかさどる感覚細胞が集まり,その繊毛は長くのびてクプラと呼ばれ,半規管の中にある内リンパの動きを敏感に感じとって,その情報は前庭神経を通じて脳に伝えられる。
粘性力……液体や気体の流れでは、流速の分布が一様でない場合、速度差をならして一様にしようとする性質が現れる。これを流体の粘性という。一般に水や空気のようなさらさらした流体は粘性が小さく、ひまし油やグリセリンのような液体は粘性が大きい。
脳幹……中枢神経系を構成する器官集合体の一つ。 広義には中脳、延髄、橋に間脳を含む部位。狭義には中脳と延髄と橋のみを指す。また、間脳を含まない狭義の括りを下位脳幹と呼ぶ。
リンパ液……リンパ管を流れる無色ないし淡黄色の透明な液体で,その99.9%以上は毛細血管から漏出し,組織間隙腔(間質腔)内を移動した液体が毛細リンパ管に入ったものである。
鎧の男は鎖を振り回し、モーニングスターを回転させながら距離を詰めてくる。
「ここは遠距離からの攻撃といきたいところだけど、そんな魔法はあたいには使えない。ならばあたいらしく戦うしかないねぇ」
当れば生身の身体では無事では済まないはず。
「呪いを用いて我が契約せし知られざる生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。エンハンスドボディー」
ライリーは肉体強化魔法を唱えた。
この肉体強化は複数の効果を得ることが可能だ。
攻撃に使えば、瞬間的に神経による運動制御の抑制を外し、自分の筋肉の限界に近い力を発揮させることができる。
そして防御に使えば体内の水分を利用し、攻撃を受けた際に生じる慣性力と粘性力によって、元の位置に留まろうとする力が働き、一時的に体内の水分が硬化することで肉体に強度を与えることができる。
今ライリーが使っているのは防御のほうだ。
強靭な肉体にすれば、直撃を受けたとしても重症を負うことにはならないはずと考えた。
鎧の男がモーニングスターを投げる。
真直ぐに飛んでくる棘つきの球体を、ライリーは後方に跳躍して躱す。
ターゲットを逃した球体は地面に落ち、すぐに鎧の男が鎖を引っ張って手元に戻すと、地面と接していた部分はクレータを作る。
見た目どおり、相当重量があるようだ。
そんな代物を、鎧の男は片手で操作している。
相当な腕力の持ち主だ。
「流石にこれぐらいは難無く躱すか。なら、こいつはどうだ!」
彼はもう一度モーニングスターを投擲してくる。
直撃すれば一撃で重症を負う代物だが、重量があるぶん動きは遅い。
ライリーは身体を捻って回避した。
「もらった!」
棘つき鉄球を避けた瞬間、鎧の男は握っていた鎖を手前に引く。
すると、地面に落下する前にモーニングスターは男の元に戻ろうとする。
棘つき鉄球の帰っていくルートにはライリーがいる。
背後から攻撃を当てる算段なのだろう。
鉄球がライリーの背中に接近すると、彼女は後方を見ることなく跳躍。
空中で一回転をすると綺麗に着地を決めた。
「振り返ることなく今の攻撃を避けるだと」
ライリーの動きが予想外だったようだ。
男は低い声で驚くも、動揺したような素振りは見せない。
「なあに、たいしたことじゃないよ。あの棘つきの球体は鎖で繋がっている。使用者の手元さえ見ていれば、どんなふうに球が飛んでくるのかはある程度予想がつく。それに、あの球体は風を切りながら突き進む。空気の抵抗が生まれる際の音を聞き分ければ、どのタイミングで避けるのがベストなのかは分かってしまうものだ」
「ほう。なるほどな。女だと思って嘗めていたが、こいつは本気でやらなければ俺のほうが負けてしまいそうだ。だが、まだお前のことを知るために小手調べをさせてもらう」
鎧の男はもう一度モーニングスターを投げる。
しかし、今度はライリーとは違う方角に向けて投擲をしていた。
いったい何が目的なのだろうか?
ライリーは鉄球の進むほうに視線を向けると、彼女は大きく目を見開く。
棘つき球体の進む先にはレイラがいた。
「あの野郎、あたいではなくレイラを狙うつもりかい」
レイラは魔王だ。
普通の人間よりも肉体は強いだろう。
だが、肉体強化の魔法なしに直撃を受ければ、重症は免れてもただでは済まない。
ライリーは急いで鎖を掴もうとする。
つながれた鎖を引っ張れば、レイラに届くのを防ぐことができるはず。
「残念だったな!そいつはフェイクだ!」
あともう少しで鎖に手が届く。
そう思った瞬間、レイラを狙っていたはずのモーニングスターがとんぼ返りをして、ライリーに直撃した。
勢いよく接触し、反動で彼女は遠くに飛ばされてしまう。
吹き飛ばされたライリーは、大木に背中を強打することで止まることができた。
「いたたたたた。肉体強化をしていなかったら、間違いなく死んでいたよ」
痛みを感じる背中をさすりながら立ち上がると、ライリーは口の中が血の味がすることに気づく。
地面に唾を吐くと、唾液は血液と混じって朱色になっている。
吹き飛ばされた衝撃で口内を切ってしまったようだ。
「口まで切っていやがる。運がないねぇ」
あの男はライリーにダメージを与えるために、わざとレイラを狙った振りをしたのか、それとも鎖に近づいたことで咄嗟に標的を変えたのかはわからない。
どちらにしろ、あの男は敵を倒すためなら手段を択ばないタイプのようだ。
なら、吹き飛ばされたのは逆に良かったとも言える。
あの場所から離れさえすれば、レイラに危害が及ぶことはないのだから。
ライリーの生死を確認するために、鎧の男はこちらに向かってくるだろう。
そのときはこの場を戦場に変えるのが一番だ。
「ほう、今の一撃を受けてまだ立っていることができているとは。俺の予想では血だらけなうえに、内蔵もぐちゃぐちゃになっているはずであったのだがな」
「その辺の剣士と一緒にしてもらっては困る。鍛え方が違うんでね。あんな攻撃いくら受けても痒いぐらいさ」
立っていることを称賛する男に対して、ライリーは牽制の言葉を述べる。
実際はとても痛い。
背中はズキズキするし、今にも顔を歪めそうだった。
しかし、今はやせ我慢をしてでも、利いていないと演じるしかなかった。
「そうかい。なら、今度こそぶっ潰してやる!」
鎧の男は再び鎖を振り回しながらライリーに近づく。
やつに接近して一太刀を当てるには、彼がモーニングスターを投擲したタイミングだ。
しかし、素早く動かなければ直ぐに引き戻されてあの鉄球に当たってしまう。
スピードが命だ。
ライリーが俊足魔法を唱えようとすると、先に鎧の男が攻撃を仕かけた。
ハンマー投げのように鎖を振り回しながらモーニングスターで弧を描き、徐々に距離を詰めてくる。
これでは近づきようがない。
攻撃の手段は、円の中心である男を空中から狙い打ちにするしかないだろう。
だが、彼にダメージを与える獲物は、自身の持つ剣しかない。
少しでもズレてしまえば鎖に絡まれるか、最悪の場合は足が締め付けられて起動力を失うことになる。
そうなれば敵の一撃を躱すのも難しくなるだろう。
幸いにも敵の進行は遅い。
後方に下がりつつ、敵が目を回すのを待つのが一番だ。
けれど、この方法が安全とは言えない。
相手は回転の中心におり、常に周囲が変わりつつある。
そんな中、いずれ眼球が疲労し、視界から送られてくる情報を脳が処理しきれなくなってしまい、握力と平衡感覚が失われるのが原因で、予期しない場所に飛んでくる可能性はゼロではない。
最悪の場合は自身に飛んでくることもあり得る。
動体視力を強化することができれば、高速回転を行うモーニングスターも目で捉えることができるだろうが、ライリーはその知識を持ち合わせてはいない。
運を頼りにするしかなかった。
後方に下がりつつ敵の動きを直視する。
彼が振り回している棘つき鉄球の範囲に入っている木は、すべて薙ぎ倒されている。
触れる度に勢いが殺されると思っていたが、鉄球の回転は衰えが見えない。
鎧の男がハンマー投げのような動きを始めてある程度時間が経ったが、一向に目を回すような傾向はみられない。
「チッ、どうして目を回さない!」
彼女は知らないが、目が回るのは眼振によるものである。
眼球が上下や左右に小刻みに振動することをいうが、人間の身体にはいろいろな姿勢や動作の最中でも、ふらついたり転んだりしないようにバランスを保つ平衡機能が備わっている。
この機能を担うのが、耳の奥の内耳にある三半規管だ。
三半規管はみっつの半規管からなり、水平・垂直方向の向きと回転速度を感知している。
ここで体の動きを敏感にとらえるセンサー役を果たしているのが、リンパ液で満たされた三半規管の根元の膨大部にある『クプラ』という器官だ。
頭が動くと、この部分のリンパ液が揺れ、それにつれてクプラもたなびく。
この動きが回転情報となって神経に伝わり、脳にある脳幹、更には運動機能を司る小脳へと伝達される。
これにより、脳は平衡感覚を維持できずに、どうにかしようとして眼振を起こすのだ。
だが、日ごろから訓練を行っていれば、GABAという神経伝達物質が小脳から脳幹へ分泌され、神経の興奮を抑えることにより、情報が打ち消される反応がおき、眼振が起きることはなくなる。
彼が目を回すことなく接近できているのは、日頃の鍛錬の賜物といえる。
「どうやらあたいにぶつけるまでは、あの動きを続けるようだね。時間経過で目を回すのは期待できないみたいだ」
下がっていると、背中に何かがぶつかった。
ライリーは後方を見ると、彼女の後退を妨げていたのは崖の壁であった。
ライリーは考える。
後方は崖でこれ以上は下がることができない。
そして周囲には多くの木がある。
迂回してやつの後方に回ろうにも、モーニングスターが木をなぎ倒しながら接近しているせいで、下敷きになる可能性も十分考えられる。
ならば、ここは正面突破しか道はない。
一か八か、それにかけてみよう。
「呪いを用いて我が契約せし知られざる生命の精霊に命じる。その力の一部を我に貸し、言霊により我の発するものを実現せよ。スピードスター」
呪文を唱え、精霊の力で足の筋肉の収縮速度を上げると、ライリーは一気に駆けだす。
そして、敵の間合いギリギリでスライディングをして躱すと彼の背後に回り、すぐに立ち上がった。
「危なかったが、どうにか上手くいったよ」
どうにか棘つき鉄球に触れることなく回避に成功したが、鎧の男は回転したまま方向転換をすると再び彼女に向ってくる。
「いいかげんに目を回したらどうだい。しつこい男は嫌われるよ」
ライリーは鎧の男が見失わない程度に移動を始め、最適な場所を探す。
彼と決着をつけるには、障害物の少ない開けた場所がベストだ。
しかし、だからと言ってレイラがいた場所に戻る訳にはいかない。
どこかいい場所がないか森の中を駆けていると、レイラのいる場所とは別の開けたところを見つける。
この辺に建物でも建てようとしていたのだろうか。
周辺は綺麗に整地され、奥にはたくさんの丸太が置かれてあった。
ここなら思いっきり動くことができる。
「さあ、かかって来な!」
鎧の男がライリーを追い、回転したままこの場にやってくる。
「相変わらず右回転だねぇ」
男が開けた場所の中心に来るとライリーは仕かけた。
足の俊足を生かし、鎧の男の回転と同じ方向に走る。
弧を描くようにして走ることで、彼のモーニングスターはライリーを追う形となる。
しかし、彼の持つ鉄球が通過するころには既に彼女は得物が届かない位置だ。
「そんな攻撃、あたいのスピードの前では遅く感じてしまうよ。思わず欠伸が出そうだ」
ライリーが言葉を放つと、今度は鎧の男の行動パターンが変わった。
今まで右回転だったのが、左回転となったのだ。
右回転では彼女を追いかけることになる。
ならば、左回転で先回りをしてモーニングスターを当てようと考えたのだろう。
だが、そんな彼を見て、瞬間的にライリーは右回りから左回りに走る方向変える。
そんなとき、遂に鎧の男は鎖を手放してしまった。
手から離れたモーニングスターは標的とは逆方向に飛んでいく。
得物を失った彼は突然ふらついたかと思うと、そのまま仰向けの状態で地面に倒れた。
ライリーは男に近づき、覗き込む。
彼の眼球は上下左右に激しく動いており、眼振を起こしていた。
「ついに目を回したようだね。だけど得物を失った上に無様に地面に寝転がるとは、笑わせてくれる」
なぜ、急に鎧の男が目を回したのか、その理由について彼女は気づかないが、彼はハンマー投げの要領でモーニングスターを振り回していた際、常に右回転を行っていた。
おそらく、鎧の男は訓練時には必ず右回転だったのだろう。
その影響で日常生活動作と変わらないと、脳が判断するようになった。
けれど、通常とは違う逆回転を行ったことで、小脳から抑制が効かなくなった。
その結果として眼振を引き起こしたのだ。
ライリーは彼の喉元に剣を向ける。
「得物を失った時点で俺の負けだ。早く殺せ」
意識はハッキリしているものの、動くことのできない状況であることは理解しているようだ。
鎧の男は諦めたようでトドメを差すように言ってくる。
「あんたなんか殺す価値すらないよ。だけど敗者にはそれなりの代償を払ってもらう。あんたの持っていた得物をいただいていくよ」
戦利品として彼の持っていた武器を奪うことを告げると、ライリーは男から離れ、モーニングスターが落ちた場所に向かう。
あの武器は扱いが難しいが、遠距離攻撃が可能だ。
状況に応じて使い分ければ、戦いの役に立つ。
幸いにも、鉄球の大きさはカレンの持つバスケットに入る大きさだ。
普段は彼女に預けていてもいいだろう。
モーニングスターに近づくと、彼女は鎖部分を握って持ち上げる。
ズシリとした重みが右腕にかかるが、扱えないほどではない。
ライリーは右手で鎖の端を持ち、つけ根の部分を左手で握ると、武器を握ったままレイラと合流しに向かう。
レイラが戦っている場所に戻ると、どうやら彼女も勝負がついた後だったようだ。
ローブ姿の老人が倒れているのが視界に映る。
誰かを探しているのか、レイラは当たりを見渡していた。
「誰か探しているのかい?」
「ライリー無事だったのか!姿が見えないから探しておったぞ」
「悪い、悪い、ちょっと遠くにぶっ飛ばされたから、向こうのほうで戦っていた」
一度モーニングスターを地面に置き、申し訳なさそうにライリーは頭を掻きながら、いなくなった原因を話す。
すると、レイラの目が赤くなっていることに気づく。
「何があったっていうんだい?目が真赤じゃないか」
「な、何でもない。お互いに敵を倒したのだから、早くデーヴィットたちと合流しようではないか」
レイラは強引に話を逸らそうとしている。
何かが彼女に起きたのは明白だが、目が赤い理由には触れてほしくないようだ。
「わかったよ。あたいは何も聞いていないし、見てもいない。デーヴィットたちと急いで合流しよう」
二人は無言で地を駆けると、急ぎ伯爵邸のある町に向かって行く。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字や文章的に可笑しな箇所などがありましたら、教えていただけると助かります。
また明日も投稿予定なので、楽しみにしていただけたら幸いです。




