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モノダネ  作者: 言折双二
002、Archi- Blade & Causal Driver(仮題)
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002、Archi- Blade & Causal Driver(仮題):プロローグ2

 空気が重い。


 暗いところで、淀んでいて、湿気ていて、においもあれば――それは相当に空気をねばつくような重さとして感じるようになる。


 そして、ここはその条件を十分に満たしていた。時刻は夜の九時で太陽はとうに地平線の向こうに落ちてしまい、窓もなく換気もされない地下室は空気を入れ替えるという基本的な要素を設計段階から先天的に有しているようだった。結果として、今、この地下室は湿気ていて、独特の匂いに満ちている。


 しかし、音は――止んでいる。先ほどまではうるさいほど、金属と重量の移動する音がしていたのだが、今は、まるで森の奥の暗闇を見つめてしまったような沈黙が支配している。――否。


 沈黙だけではない。コンクリートと布のこすれる、砂まじりの音が些細にいくつも聞こえ、それに重なるようにいくつかのうめき声も聞こえて来る。


 それらは打ち倒された敗北の音、そのものであった。

 けれど、ここにあるのはそれだけではない。あからさまにそれらとは違う音として、響くものがある。


――それはくちゅりと、水音。


 水音の切れ目で少女は顔を上げた。そして、る、という口の形のままで唇を離し、舌を引き抜く。はらはらとカーテンのように口づけを隠していた黒髪があがり、口づけをしていた二人の顔が見えるようになった。


 もう一人は少年、

――甘酸っぱいとかじゃないのね。


 『初めての口づけ』に対しての聞きかじりの知識との食い違いに疑問符を浮かべた巻町サラは首を傾げたままで、自分の唾液に希釈されていく味を口蓋に舌を押し付けることですりつぶす様に味わう。


 やや高揚したように細く少し荒い息を吐いている少女。だが、それが本当に高揚のためなのか、あるいは、三十秒ほどの息を止めた口づけのせいであるのかは判断がつかない。少女は自覚している頬の赤さを隠すこともせずに、少年の唇を見つめた。無意識に、他人の体温の残る舌を口内で一回しする。口蓋に押し付けた味蕾が伝えてくるのは世にもありふれた錆びた味。鉄の味。血の味だ。


 そう、この地下室に満ちている湿気と匂いの正体である。血。少年は体からそれをあふれさせ床にこぼしている。そのために、少女の熱い呼吸とは違って、少年の呼吸は虫の息に近い。


――とはいえ先ほどまでは呼吸停止すらしていたのだから、現状は改善している。


 は、と少女は安堵からくる短い息を吐いて。ポケットから取り出した柔らかそうな白いガーゼハンカチで少年の口元をぬぐい、それから自分の唇を拭く。汚れのないハンカチに赤の跡が付く。


 そのハンカチをポケットにしまい込むのを見届けてもう一人、この場で地面に倒れ伏していない唯一の男が口を開いた。立ち位置は少女の背後。身体的特徴としては、長身も染められていない金髪に灰色の目もすべて、この地方都市では目立ちやすい外国人らしい外国人だった。


 夏らしく涼し気なと言ってしまえば通るくらいのベリーショート、耳周りは刈りあげられていて――英国人である彼のその髪型は一見すると芸術家にも見えるが、全身から漂う雰囲気はもっと攻撃的なものを思わせた。同業者にも野犬の長じみた印象を与える男は切れ者の危険さ、といった具合の空気を纏っている。


――しかし、この場においてはその男が中心ではなく、それを示すかのように少女に対し確認。『聞くまでもないことを聞かずにはいられない』というようなどこかため息交じりに問うのは。


「あなたのそれがどういう意味を指しているのか……理解していないわけではないと思いますが、一応聞いておきましょう。――どうするつもりですか」


 その聞き方は全身から漂う攻撃的な匂いに反して、若干の苛立ちは含むものの少女を優先して尊重しようとしているようにも感じられた。保護者が被保護者を諫めるような口調であり、そこには高ぶりはほとんどなく、質問するということを念頭に置くことで抑えようとしているような聞き方。


 それに対して少女は少しの間を置いた。――そこにどういった意図が込められているのかは少女自身以外に知りようもないが、確かな空白を置いてから一度目をつむり、そして、無感情さを張り付けたような揺れを含まない、けれど、見合わない幼い声で言う。


「――どうするつもりもない、家に持ち帰って検分よ。命に別状がないとわかれば開放する、ちょっと忘れてもらう、いくつかの事はあるけどね」


 少女が告げる。それに対して、男は深いため息をつく。そのため息に込められた感情は諦めなのだろうか。しかし、少なくともその命令に背くつもりはない様で。


「それでは、ここの掃除を依頼しますので――それが終わってからそちらの御仁をお運びするということでよろしいでしょうか」

「……?」


 携帯電話を取り出してどこかに電話をかけ始めた男に対して、少女は薄い――本当に若干という表現がふさわしいほどの薄い――疑問を浮かべる。それは明確な何かではなく、微細な違和感を感じ取ったという程度であったが、


「? あの、なにか?」


 携帯電話がどこかの呼び出し音を鳴らし続けている、それが繋がるまでの時間に男は振り向き少女にその視線の意味を聞くが、


「いえ、いいわ、それで結構」


 その違和感の意味を考えているとでもいうようなそっけない返答をした。それに対して男が不思議そうに首をかしげるのを見た。しばらくすると、電話がつながったらしく男は向こうに対して、現在地の住所や料金の支払い――そして、クリーニングの細かい内容について話している。


 ここに転がっている戦闘不能者はそのほとんどが死亡したわけではない、精神に大きな負荷を受けたせいで、人事不詳に陥っているだけ。いわゆる気絶状態である。


 掃除屋への依頼は、倒れている総員を適当に街に返して、中規模な戦闘行為の痕跡を消してしまうことだ。何しろ、今気絶しているのは、もともと、街をうろつくチンピラと見える外見であり、処置としては路上の喧嘩の結果とでもして、記憶を適当にいじりつつ町中の路地にばらばらに寝かせておけば、各自つじつまを合わせて納得するだろうと少女もその依頼の内容に納得した。


 若干、値段の方が高いが、それは物価のせいもあるのだろう。より大規模なクリーニングでもイタリアで依頼したときにはもっと安価で済んでいた記憶がる。とはいえ、十倍百倍というわけではないから、さほどの吹っ掛けでもないのだろう、と勝手に納得したサラは、


「――気づいてない?」


 男に聞こえない小さな声で漏らした。それは先ほど感じた違和感の正体。男――クリスが気づくべきことに気づかなかったという些細な違和感。けれど、掃除屋への依頼の光景を見ている限りは判断等は正常のようだ。


(――まぁいいか)


 自分にとって重要なことがクリスにとってはさほど重要なことでもなかったという結論を出して、それについての些細な寂しさのようなものを感じながら少女はその感情を飲み込んだ。

 


――掃除屋との交渉を終えてクリスと少女、そして、抱えられた少年が血と肉片にまみれた地下室を出たのは十五分後だった。


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