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第九話・文化祭の日

 始めて会った日から見送りを済ませた瞬間まで、私にとっての藤原時子さんの印象は一度として変わらなかった。ただただ、苦手な人だった。


 綿貫さんの手伝いとして、藤原さんは時々文化祭実行委員の仕事をさせられていた。仕事の出来具合は下の中くらい、のんびりしている上に、集中力も無かった。ただ、信じられないくらい楽しそうに作業をする人だった。


 三日後に文化祭が控え、学校全体が文化祭を中心に回る時期。お祭りの空気に当てられて何かしないではいられなくなった藤原さんは殆ど毎日のように綿貫さんの手伝いをしていた。


 「又連れて来たんですね」

 「来たいって言ってくれるからね、手伝ってもらう分には邪魔にはならないし、見ていて飽きないでしょう?」


 黙々と準備を進めながら、私と綿貫さんがふと交わした会話。確かに、と思って私は頷いた。体育会系の部長らしく均整の取れた長身の綿貫さん。その切れ長の瞳が細まり、時々面白いものを見る目で藤原さんの事を見る。


 「本間君と気が合うみたいよ」

 「どちらも賑やかな人ですから」


 そう言うと綿貫さんは珍しくくつくつと声を漏らして笑った。私の言葉通り、藤原さんは賑やかで裏表が無く、生まれながらに男の子から好かれる術を知っているような、そんな女性だった。


 黒髪ロングの、ウェーブのかかった髪と、校則を大胆に逸脱した制服の着こなし。それだけで他の女子とは全く違う人なのだという事は誰にでも分かった。正統派の美人で明るく朗らか。けれどそんな容姿が、彼女の魅力の一番大きなところかと聞かれたらそれは違う。


 立ち居振る舞いや些細な仕草。計算してやっている訳ではないと分かる一つ一つのミスが男子からすれば全て微笑ましく思えるようで、何が出来る訳でもなく回りに何かをさせる気になるようなエネルギーを彼女は持っていた。容姿もさることながら、私はその中身としての天性を羨ましく思ってもいて、同時に恐ろしくも思っていた。無意識の行動、誇示するまでもない魅力のせいで回りのどれだけの同性に劣等感を与えて来たのか、どれだけの異性に勘違いをさせて来たのか。


 綿貫さんも藤原さんに負けず劣らず美人で、才色兼備や文武両道、という言葉にぴったり合うのはむしろ彼女の方だったけれど、異性から告白される回数は圧倒的に藤原さんの方が多かった。誰とでも気兼ねなく話をし、誰とでも仲良くなり、少し仲良くなった相手ならば男子であっても女子であっても同じように接する。まだ知り合って数日であるのにおはようと言って肩を叩かれたり、髪を切った時に頭を撫でられたりすれば、もしかしてと思ってしまうのが男の子だ。


 訳知り顔で言ってしまったけれど最後の方の言葉は後に本間君から聞いた言葉を流用した訳であって、私がそこまで男心に造詣が深い訳ではない。


 とにかく、彼女はそうやって無意識に相手に勘違いをさせる人で、その辺りが、男性女性、年上同学年年下と、全ての立場において意識的に距離を取って接している綿貫さんとの違いだった。


 「私も、時子と同じように人と接する事が出来たらね」


 一度綿貫さんがそんなことを言ったけれど、私はむしろ、見習うべきは藤原さんの方だと感じた。好きでもない人に振りまく好意というのは、悪い言い方をすれば無責任でもあるし、それを無意識に行っている藤原さんの藤原さんらしさというのは一言で言い切ってしまえば魔性に他ならないと私は考えていたから。


 そんな藤原さんに本間君があっという間に惹かれてしまったのは必然に思えた。本間君は自分の気持ちを隠すという行為が殆ど出来ない人なので、作業中も五分に一度は藤原さんの姿を探し、一言会話をするだけで久しぶりに飼い主に構ってもらえた忠犬のように嬉しそうな表情を作る。そんな本間君の思いが手に取るように分かってしまう自分が少し嫌だった。


 文化祭の一日目に、花ちゃんは高ノ宮君に告白して、二人は付き合う事になった。同じ日に、本間君は藤原時子さんに告白して、振られていた。


 「功を焦りすぎたわね」


 自分が好きな相手が他の誰かに振られて落ち込んでいるところを見て、その時どんな気分がするのだろうか。そんな想像を過去にした事がなかった私はよくわからない気分のままそう言葉をかけた。


 時間としては文化祭の初日の朝のこと。文化祭前最後の仕事の為に私や綿貫さんは朝早くに学校に向かい、私に連れて来られた本間君が、綿貫さんに連れてこられた藤原さんに告白をし、そして振られた。それが意味するところは文化祭を開催している二日間、本間君が使用不可になってしまったという事。


 「事前に私に話してくれていたら確実に振られるから、そのつもりで行くかもう少し時期を待った方が良いわよと言ってあげられたのに」


 本間君が藤原さんの事を好きである事は分かっていたので、彼から藤原さんに告白をして、振られたという話しをされた時、驚きはしなかった。


 「彼女のパーソナルスペースはとても狭いのよ、だから、誰もがすぐに親密になれてしまうし、親密になった、と考えてしまう。けれど彼女からしたらそれは単に自分が楽だと思える場所に相手を置いただけであって、何かを許したという事ではないのよ」


 これ以上近づかれてしまっては不快感や不安を覚える。そんな距離とそれを含めた空間をパーソナルスペースと呼ぶ。私のパーソナルスペースはきっととても広い。女性の方が平均的に狭いものらしいけれど、きっと男性の平均よりも遥かに広い。本間君は、まあまあ狭い方だと思う。ただ、私や藤原さんが誰とでも同じ程度の距離を持っていたのに対して、本間君は対男性と対女性でその距離が大きく異なっていた。綿貫さんは意識的に変えているのだと思う。


 「まあ、今日明日は裏方の仕事に徹しなさい。私は色々見て回って来るから、もし元気が出たなら付いて来るといいわ」


 私としては、本間君と二人きりとまでは言わないまでもクラスの何人かと一緒に文化祭を見て回りたいと思っていたので彼の離脱は哀しかったけれど、かといって何も出来る事がないとも分かっていたので、高ノ宮君がするべきだった仕事を全て押し付けて一日作業をさせる事にした。その仕事を押し付けて出来た自由時間の間に花ちゃんが告白をして二人が付き合う事になったのは中々皮肉な事だ。


 本間君に好きな人が出来てしまった以上、私も半分以上失恋したも同然ではあったのだけれど、それでも私は落ち込んだりはしなかった。本間君の今の気持ちはどうしようもない。けれど私は私の気持ちが何処にあるのかを分かっている。全く関係がない事ではあったけれど、文化祭の準備の段階でクラスメイトとの距離が全体として少し縮まった私はこの頃割と楽観的でもあった。


 「初瀬倉さん、見たいものとかある?」


 クラスの女の子に聞かれて、一度外に出て色々と見て回りたいと答えた。個別の出し物やクラス発表に興味は無かったけれど、全体として殆どのものに私達実行委員の手は入っていたから、総合的な出来栄えには興味があった。


 私のリクエストが受け入れられて、私はクラスの女子皆と校舎を見て回る事にした。一階まで降りて、下駄箱から出る。スローガンや横断幕が掲げられていて、入り口では風船が配られている。


 「ちゃんとしているわね」


 父兄や教師のような感想を漏らす私。客観的に見ていなかったので制服を着ていない人達の反応が特に気になった。


 そうして辺りを眺めていると、一人の女性の後ろ姿が眼についた。腰元まである長髪の先半分程がカールしていて、身長も高い。綺麗な足の太ももの辺りまでをオーバーニーのソックスが覆っていて、ホットパンツとのバランスが綺麗。後ろからパッと見ただけでもスタイルがいいのが分かった。


 その女性が振り返った。私とほぼ同年代の女の子で、私を見て笑顔を作りこちらに向かって小走りで駆け寄って来て、


 「よーうこちゃん!」

 そのままの勢いで、私の事を抱きしめた。


 「見たわよ、凄いわね! あの横断幕陽子ちゃんが書いたんでしょ!? 字も上手なのねー」


 抱きしめられた私が何か言う暇もなく、彼女は自分が言いたい事を感情に任せていい切る。そこに裏表がなく、純粋である事が分かっていたので、私はこの人が苦手なのだと改めて認識した。


 「藤原先輩、離して下さい」

 肩を掴んで引き離した。残念そうに小首を傾げる彼女をクラスの女の子達が羨望の眼差しで見ている。男女問わず、後輩の憧れになっているのは綿貫さんと同じ。憧れの方向が多少違うけれど。


 「何か私に御用ですか?」

 「あら、つれないわね、用がないとお話も出来ないの?」


 飄々とした彼女はいつも通りの態度。いつも通りの口調で、私から体を離しながらも私と腕を組むようにして並び、出会って十秒程で、ずっとこうする事を約束していたかのように私との距離を近づける。天然で発せられているこのオーラに当てられたのかクラスメイトの子達も先に行って待っていると席を外し、校舎の中へ入って行ってしまった。


 「どうして制服じゃないんですか?」


 苦手な藤原さんと二人その場に残され、質問した。その服装は健康的な色気、と表するのに相応しい魅力を持つ彼女には良く似合っていたけれど、初日は学内の生徒は何かのイベントでもなければ制服を着ている事が義務付けられていた筈だ。クラスで作ったお揃いのシャツを制服の内側に着ている生徒は多いけれど、藤原さんの着ているものは明らかにそうではない。


 「折角のお祭りなんだから、ちょっとくらい羽目を外したいじゃない」


 予想していた通りの答えが帰って来た。その気持ちは分かるし、藤原さんと同じ事をしている生徒もいるだろうし、それを一々とがめ立てたりはしないけれど、私が文化祭実行委員である事を知りながら、自分の親友が実行委員長でありながら、自分も作業の手伝いをした身でありながら、それでもそれらを気にせずこうして振る舞ってしまえる藤原さんがやはり私は苦手だ。


 「余り目立たないで下さい、先生に見つかりそうになったら私は隠れますからね」

 「うん! 流石初瀬倉さん! まどかちゃんとは大違いね!」


 まどかちゃん。綿貫さんの下の名前。どうやらこの格好を、私に見せるよりも先に綿貫さんに見せて怒られた後らしい。溜息を吐いて、着替えるよう言われたでしょうと聞くと頷かれた。怒られて、追われて逃げて来たのだそうだ。因みにこの学校の生徒の中で彼女にちゃん付けをしているのは藤原さんだけ。下の名前を呼ぶ人はいるけれどいずれもさん、或は先輩と後に続く。


 「何か用があって来たんですか?」


 私にとっては珍しく、好き、嫌い、ではなく苦手というカテゴリーに入っている彼女。余り長く話をしているのは苦痛だったので早めに本題に移り、早めにクラスメイトを追いかけたかった。


 「え? ああ、うん、用って程の事もないんだけど」


 ちょっと歩かない? と促され、私は頷いた。二つある校舎の間の道が文化祭の間はメインストリートとなり、多くの出店が軒を連ねる。まだ日が高い位置にある事と、出店の料金が十円単位であるという違いはあるけれど内容は殆ど夏祭りと変わらず、定番のたこ焼きから、たいやきの中に色々な具材を入れて売っているクラス。体力にものを言わせて重い荷物を背負い、商品を売り歩いている生徒などがいる。かなりの賑わいだった。


 「今日は結構暖かいから、冷たいものが欲しいわね」

 「そうですね」


 その日は十月の半ばだというのに気温が高く、半袖のシャツで歩いている人も珍しくなかった。私が頷いたのを確認すると、藤原さんは駆け出し、人混みの中へと入って行き、それからすぐ両手に一本ずつ、凍らしたパインを刺した割り箸を持って戻って来た。


 「一緒に食べましょう」

 「ありがとう、ございます」


 普段の藤原さんからは見られない早業に、何がおきたのかよく理解もしていないまま制服の内ポケットに入れてある財布に手を伸ばした。


 「お金は大丈夫よ、貰い物だから」


 しかしにっこりと笑った藤原さんはそう言って、振り向いてパインを売っている生徒にぶんぶんと手を振った。名前は知らないけれど顔を見た事はある、恐らく三年生が、笑顔で藤原さんに手を振りかえす。


 「人気者ですね」

 「み〜んな、良い人だからね」


 満面の笑みで言い切って、嬉しそうにパインに齧り付く藤原さん。うん、美味しい。と満足げに頷いて、私にも食べるように促した。自分が回りから特別であると見られている事を、彼女はどれだけ分かっていたのだろうか。


 暫く真っ直ぐに歩いた。目的がある訳ではなく、人の流れに従っただけで、それでも文化祭全体を見て回りたいと思っていた私からしてみれば充分目的は果たせていた。

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