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第三十五話・伊豆歩き

 「暇ね、本間君何か面白いトリビアを七つばかり教えて欲しいのだけれど」

 「そんな具体的に難易度が高い無茶ぶりってあるかな!?」


 私の言葉に、前を向いたままの本間君が困ったように笑った。その笑顔を見ながら私はふふっと微笑む。


 「冗談よ。さっき買ったフランクフルトとから揚げと牛串、どれが食べたい?」

 「いや、僕は良いよ」

 「遠慮しないで、どうせ私のお父さんのお財布から出た本間君のおごりだから」

 「いや、遠慮しているとかしていないとかではなくて、さっき大盛りのエビフライ定食を食べたから。というか初瀬倉さんが勝手に注文したから」


 サービスエリアも通過し、神奈川を超えた。余り地理には詳しくないのだけれど、横浜や川崎といった有名どころは通過せず、少し内陸の厚木を超えて伊豆へ向かう。小田原の辺りに着くころには左手に相模湾が見えるそうだ。


 「あれしきでは足りないと思ったから、本間君の為に買ってあげたのよ」

 「初瀬倉さんのお父さんのお金を使った僕にねだって?」


 そうよ、と私は頷く。昔、花ちゃんが高ノ宮君に沢山お弁当を食べさせて嬉しそうにしていた頃から、私も本間君に沢山食べさせたいと思っていたのだ。


 「漸く横浜県を超えて、これから伊豆県に入るわけだから、もし渋滞などしてしまったら本間君のお腹が減ってしまうでしょう?」

 「絶対わざと間違えてるよね?」

 「地理は苦手なのよ」

 「地理に間違いがあると分かっているってことは、わざと間違ってるってことだよ」

 「鋭いわね。ご褒美に牛さんをあげましょう」


 言って、私は牛串を取り出し本間君の口元に持って行った。本間君の運転の邪魔にならないよう、そっと。本間君はやれやれという表情をしていたけれど、やがて諦めたように口を大きく開け、大振りの牛タンを一枚串から剥ぎ取り、もぐもぐと噛む。


 「美味しいね」

 「そうでしょう? 貴重な初瀬倉さんのあーんだもの」

 「でも、やっぱりお腹いっぱいでこれ以上入らない」


 まだまだ入るわよ、と言って本間君のお腹をポンポンとする。くすぐったいから止めてと本間君が笑い、車が左右に微振動した。


 「くすぐったがりなのね、知らなかったわ」

 そう言って私はガサゴソとこれまでに買った食べ物を漁り、旅館に到着するまでの間にそれらを全て本間君に食べさせた。


 「ナビの到着予定時刻から、五分とズレずに到着。日本のカーナビは優秀ね」


 少し早めの昼ご飯を食べた私達が旅館に到着したのは昼の十二時半頃。そんなに長い移動でもなかったし、途中の休憩もあったから体が固まってしまうということはなかったけれど、それでも外に出る事が出来た解放感から私は大きく伸びをした。


 「結構暑いね」

 「そりゃあ、東京からそこまで離れた土地という訳でもないのだから、劇的に涼しくなりはしないでしょう」


 そう言いつつも、何となく空気が綺麗な気はした。東京特有のジトっとした暑さではなく、高い建物が少なく海沿いである為かカラッとしている。


 「荷物を置いたら、ちょっと出かけましょう。本間君、お腹が空いているのなら有名なお茶屋さんが幾つかあるのよ」

 本間君のお腹をポンポンとしながら言うと、本間君はげっぷが出そうだよと言って笑った。


 「少しくらい部屋でゆっくりしたいところだけどね」

 「二泊もするのだから、ゆったりたっぷりのんびりする時間はあるわよ。伊豆は坂道が多いらしいから、頑張って足腰を鍛えましょう」


 その為に、という訳でもないけれど、今日の私の靴はスニーカーだ。キャリーバックを預け、勝ったお土産を入れる為のリュックを背負えば、普段よりも少々ボーイッシュな装いになる。本間君はシンプルにTシャツとジーンズ。室内用にと、白い麻の上着を羽織っている。


 「行きましょう」

 「どこか、行きたいところがあるの?」


 聞かれて、私は首を横に振った。駅周辺と、本来そこからバスやタクシーで移動する観光名所の位置だけは分かっているので、その道を歩きながら二人で時間を過ごしたい。

 積極的なくせにノープランナ私の計画を述べると、本間君はやれやれと首を横に振りつつも、それじゃあと、スマートフォンで周辺の地図を見せてくれた。


 「この道をぐるっと一周すると、ざっと三時間くらいはかかるから、取り敢えず向こうまで行って、もし疲れたら帰りはバスかタクシーを使って戻ってこよう」


 同じ画面を覗き込みながら、頷く私。途中でお買い物出来そうな場所はある? と聞くと、ちゃんと駅前の繁華街が道中にあった。


 「ここと、ここと、あと駅前に無料の足湯があるから、疲れたらここを使って休憩するでもいいし、お茶屋さんも多いから適宜休んでいこう」

 「素敵じゃない」


 買い物と休憩を含めて、五時間で戻って来れば六時前、それだけ歩けば十分にお腹も空くことでしょう。


 「では、本間君疲れて足手まといにならないようにね」

 「そうだね、気を付けるよ」


 私の見え透いた挑発を、本間君は笑って受け流し、私の横を通り過ぎる時に頭をポンポンとしてきた。私がお腹をポンポンとする事の意趣返しだろうか。悔しいけれど、それだけでかなりドキッとしてしまう私がいた。


 それから伊豆という町を歩いた私として、町の感想を少し述べたい。伊豆半島というものが、全体としてこんもりと高い山のようになっていて、その東南西の、僅かな平野に町があるのだなあ。というのは地図を見て、グーグルマップを見ての感想。坂道が急というのは予め知っていた情報だけれど、思っていたよりも急で、しかも道幅も狭くて少し怖かった。狭い道幅の町を、旅行客を乗せたバスが次々通過してゆくのを見て、『よくあんなものを運転できるよなあ』と本間君が感心していた。商店街でもなく、かといって民家が連なっているという訳でもない場所に突然お団子屋さんがあったり陶器を売っているお店があったりと、私としてはその不意打ちな感じは悪くなかった。ふとした時に道が開けると、その先に突然海が見えたりするのも予期せぬ出来事で面白かった。元々、想定以上のものをみるのは嫌いじゃあない。逆に駅前や観光名所の近くを通ると途端に想像通りの観光地になって、洗練されたお洒落なお店も増えた。


 そうして、町の様子を見ながら、私はもう一つ、本間君の様子も見ていた。本間君は私よりも先に、ひっそりと佇む昔ながらの乾物屋さんを見つけ、街並みの先、坂の向こう側に映る海に歓声をあげ、足湯が見つかるとちょっと寄っていこうと言って、私の靴を脱がせてくれた。準備良く持ってきたタオルを軽く濡らして、私に汗を拭くように勧めてくれたり、そうやって私が汗を拭いている間にお茶を買ってきてくれたり、充分に足湯を堪能したら靴を履かせてくれたり、そんな本間君は優しくて、温かい。それでいて、どこか儚い。


 結局私達は、歩いて休んで、何か食べては又歩いて、時々意味も無く坂道を走ってみたりしながら七時頃まで伊豆の町を回った。日が長い夏だから出来たことで、冬場は勿論、春先や秋口でもきっと日が沈んでしまい途中で乗り物を利用していただろう。


 『綺麗だね』『美味しいね』『楽しいね』『初めて見る』『凄いね』と、本間君は子供のような言葉を繰り返し、私はそれに何度となく頷いた。本間君の言葉はその全てが語りかけるようであって、語り掛けるその言葉の対象は全て、私でもあり、私でない人でもあった。だから私は、一緒にここに来られて良かったという思いと、一緒にここに来たかったんだろうなという想像とを一緒にして、勝手に喜び、勝手に傷ついた。


 勝手ついでに、勝手な私の想像だけれど、本間君は昔、きっとこういう場所にも二人で行こうと話をしていたのだろうと思う。勿論本間君は私にそんなことを伝えるような気づかいの出来ない残酷な人ではないし、今まで私の前で極力その名を出さないように行動してくれていた。だから、繰り返しになるけれどこんな独白は私の勝手な妄想で勝手に傷ついてしまっているだけのこと。


 人がどうして人を好きになるのかという理由を、知識として述べろというのならば私はいくらでも話すことが出来る。けれど、自分が本間君の事を好きになった理由を理路整然と述べなさいと言われたらどんな言葉を紡げばいいのか分からない。理由もわからず好きだから、私は本間君の事を嫌いになれないし、落ち込んでいた本間君の事を、放っておくことも出来なかった。


 「流石に、ちょっと暗くなってきたね」

 旅館に帰り付くよりも少し前に、本間君が私に言った。私は、そうねと呟いて、本間君の袖を軽く摘まんだ。


 「はぐれる事は、ないと思うけど」


 首だけを動かして私の事を見た本間君は、私の手を取って、自分の手と繋いだ。もう、旅館までの距離は僅かだった。一日目でもうお土産でパンパンになってしまったリュックは本間君が背負い、私達は、束の間黙って、旅館までの後僅かな道を進んだ。


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