第三十二話・いちゃつくという事
笑われた、それも結構大きな声で。
「何か、変なことを言ったかしら?」
憮然とした表情でそう言うと、花ちゃんがごめんごめんと笑いながら眦の涙を拭いた。
「ふ、普通だなあ、って思って」
「普通よ。私普通の女子だもの」
うんうん、と花ちゃんが頷き、それから『それで?』と聞いてきた。
「具体的に、どんな風にユーダイとイチャイチャしたいの?」
「そりゃあ……」
と言って、それから黙ってしまった。いちゃつくと一口に言っても、一体何をすれば良いのだろう。単純に、仲が良い男女が仲良く過ごしていればそれはイチャイチャしていると見做して良いものではないのだろうか?
「陽子ちゃんが思うイチャイチャ三つ下さい!」
ピッ、と、ピースをする時の指が一本増えた形で私に手を向けた花ちゃん。その要求に、私はううんと首を傾げ、考える。
「図書館で……並んで勉強をしたり」
「他は?」
花ちゃんがつまらなそうに返してきた。これではないようだ。
「本の貸し借りなどをして、その感想を語り合ったり」
「他は?」
もっとつまらなそうな表情になった。これも違うみたい。
「一緒に……映画を観るとか?」
「映画を観て、どうするの?」
「どうするのって、そりゃあ……映画のどこが良かったとか、そういう話を仲良く」
「不正解です!」
怒られた。身体を仰け反らせ、顔を背けてみる。自慢だけれど私は問題に対して不正解慣れしていないのだ。
「陽子ちゃんはイチャイチャするのに向いてないね」
「何よそれ、向いてるわよ。しろと言われたらいつだって出来るわよ」
「だって根本から間違ってるもん。何で映画を普通に観ちゃうの」
「映画を観ているのに、何故映画を観ちゃうのって、花ちゃん変な事言ってるわよ?」
「その時、陽子ちゃんの手は何をしているの?」
その質問を受けて、パッと思いついたのはポップコーンだった。摘まんでサクサク。けれど、私はどちらかと言えば映画を観る前には飲食をせずにいて、途中でトイレに行きたくならないようにしておきたいタイプだ。なのできっと、私の手は膝の上に行儀よく置かれていることでしょう。
「手、繋がないと」
花ちゃんが、自分の顔の前で両手を繋ぎ、言う。映画を観ている時に、手を繋ぐ?
「だってイチャイチャしたいんでしょ? 別に良いじゃない。怖いシーンになったら彼にギュッて抱き着いたって良いし、何ならずっと腕を組んでたって良いじゃない」
「そ、それじゃあ映画の内容が分からなくなってしまわない?」
「別に分からなくなってしまって良くない?」
キッパリと言い切られた。凄い、逆転の発想だ。映画を観ているのに映画をどうでもいいと言い切ってしまえる人を初めて見た。それを即ちカップルとか、恋人というのでしょう。
「あと陽子ちゃんは自分がすることに意味を持たせ過ぎ。恋人がしてることの殆ど全部は意味なんてないんだからね。ただ、そうしたら楽しい、幸せ、って思った事をしているだけなんだから。ホラ、ちょっとあっち向いて」
勉強とか感想とか、そのような部分についての駄目出しをされていることは分かった。そうして、私は花ちゃんに言われるままにあっちを向くことで花ちゃんから背を向けた。
「今花ちゃんはユーダイで、私が陽子ちゃんね」
そうして唐突に始められたミニ演劇。花ちゃん改め偽陽子が離れてゆき、それから軽快な足取りで近づいてきた。
「本間君」
偽陽子が私こと偽本間君に話しかける。偽本間君は振り返り、何? と答えた。
「えへへ、呼んでみただけ~」
そうして、偽陽子は偽本間君の隣にピッタリと座り、そのまま体重を預けた。
「……どう?」
「すっごいイチャイチャしてるわね」
何しろ目的が何にもない。呼んでみて、それ以上何もするつもりがいないのでくっつく、これ程恋人らしい行動というものがあろうかというくらいのいちゃつきっぷりだ。
「そうでしょ? こういうのをイチャイチャするっていうの。だから陽子ちゃんももっと何も考えずに、馬鹿になって、したい事を、欲望をさらけだしたらいいの」
「それで、変な人だと思われて、嫌われたりしない?」
「しないよ。変な人だとはもう昔っから思われてると思うし」
「えっ」
ショックだ。私、本間君に変な女だと思われていたの? しかも私の気持ちも既に筒抜けだったということだから、本間君はここしばらくの間『変な女に好意を寄せられて色々世話をされている』と思っていたということ?
「ああ、違う違う。悪い意味じゃなくって、だって、陽子ちゃんだってユーダイの事変な奴だと思うでしょ?」
「そりゃあ、本間君はこれ以上なく変よ」
そこが可愛いんじゃないの。とは言うまでも無く伝わったと思うので黙っておく。向こうもそんな感じだよと言われた。それならまあ、良いのだろうか?
「そういうことなら、一つ」
「どうぞ」
花ちゃんが私から離れる。私は、口を開けて、それから閉じ、更に開き、と言う事を数度繰り返してから、意を決して言った。
「ほ、本間君の……匂いを嗅ぎたいわね」
言ってからすぐ、顔から火が出そうなくらい恥ずかしくなった。私は、好きな人の顔をなぜか思い出せないという不思議な体質であるのだけれど、その分嗅覚が鋭敏なのか、人の匂いをある程度かぎ分けられる。親しい人の匂いであれば服の残り香で分かるし、とりわけ本間君の匂いであれば確実に嗅ぎ分けられる。実に温かみがあって、落ち着く匂いをしているのだ、本間君は。
「へ、変態みたいに聞こえるかもしれないけど」
「ううん、分かるよ。好きな人の匂いって嗅ぎたくなるよね」
今日何度目になるのか分からない赤面をし見悶えていると、花ちゃんは柔らかく頷き、同意してくれた。
「今度やってみたらいいじゃない」
「……………………………………」
半分はからかうような、けれど半分は本気と取れる言葉に、私は長い沈黙で答えた。
「考えてみるわ」
暫くの沈黙の後、そう答えた私に、花ちゃんはグッと親指を立てて応援してくれた。
すみませんが明日一日休ませて頂きます




