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第三十一話・もっと好きになれる

 私が過去にしてしまった未熟な行為についての残酷な顛末や、不器用な家族とのしがらみについて沢山語って来たものだから少々おざなりになってしまったけれど、これは私、初瀬倉陽子の恋愛事情についての物語だ。本来それ以外の話についてはおまけであって深く語る必要もない。端的に、私が好きな人と、本間君との仲をどう深めてゆき、どう付き合ってゆくかさえ描くことが出来ればそれで良い筈。だから、この時の本間君の一言は、一歩を、しかし決定的な一歩を踏み出してきた本間君の一言は、話を本筋に戻すものであり願ってもないことであった筈なのだけれど。



 「………………………………」



 口をパクパクと開けては閉じて、そうして私は馬鹿みたいに何も言えず、固まってしまった。本間君はそんな私の様子をいつもよりも穏やかな、大人びた表情で見ていた。


 自己評価してみるに、私は子供の頃から周囲よりも大人びていて、達観した人間だったと思う。けれど、これまで繰り返してきたように、父に似て頑固で上手く生きることが出来ず、不器用。そんなところもある。そして、不意打ちに弱い。恋愛面においてはそれが特に顕著だ。


 これまで、私は本間君の前であえて無防備に酔っぱらったり、彼を一人暮らしのアパートに泊めたりもしてきた。その度、『もしかしたら』と思いそれなりの覚悟と準備をしてきた訳であるけれど、それらは常に覚悟を決めて準備をする為の時間を自分で作ることが出来た。この国で最も有名な遊園地に行くということについても、その後に『何か』があるとしても、私はその日までに『何か』について覚悟と準備をすることが出来た。

 この時においてのみ、私は何一つ気持ちを固める事も、準備しておくことも出来なかった。


 「無理にとは言わないし、断られたら別の形でお礼するから、一応誘われた時の答えだけ用意しておいてよ」


 その言い方が本間君らしからぬほどのスマートさであったことに、私はちょっとだけショックを受けていた。私の言葉に一喜一憂する可愛い本間君がいなくなってしまったようで。同時に、ショック以上の頼もしさも覚えていた。大人になって、私の事を上手にエスコートしてくれる格好良い本間君が見られたようで。


 「う、うん」


 私らしい減らず口を言い返すことも出来ず、殆ど呻くみたいな声を出してしまった。お父さんと病院で話した時もこんな感じだったような気がする。もしかして、お父さんも突発的なトラブルなどが発生した時はこんな感じなのだろうか。

 「送っていくよ」


 言われて、私は小さく頷いた。頬が熱かった。きっと耳まで赤かったんじゃないだろうか。

 結局、私は帰りの道中何も話をすることが出来ず、本間君がする文化祭でのお話にうんうんと頷き続けた。




 「良かったじゃない」

 「良かったのかしら……」


 その日の晩、私は実家に帰る為に荷物を少しずつ送り届け、閑散としてきた家の中で花ちゃんとポトフを食べていた。もう外の気温はかなり高くなって来て、季節外れの鍋料理だったけれど、何となく食べたかったのだ。


 「ユーダイも色々考えてたみたいだし、踏ん切りがついたんじゃない?」

 「踏ん切りって、藤原さんの?」

 「そう」


 彼女が亡くなって一年と少し、その間、半年間は人を寄せ付けずにいた本間君。それから半年はどこか浮世離れした様子で、それでも大学に来ていた本間君。一年が経過してからは、以前の明るい本間君に戻ったようではあった。それが、踏ん切りがついたということなのかもしれない。


 「いくらユーダイだって、自分のこと好きって言ってくれてる女の子をずうっと放っておけないと思うよ」


 ソーセージを口に含みながら言う花ちゃん。その言葉に聞き捨てがならず、本間君の事を好きだっていう女の子がいるの? と質問してしまった。


 「え? 陽子ちゃんの事だよ?」

 小首を傾げて、不思議そうな表情で言われた。それは違うと訂正をする。


 「私、本間君に告白とか、好意を抱いているっていう話はしたことがないわ」

 「でも、周りの人たち全員知ってるよ。少なくとも女の子達は、全員」


 とても当たり前の話をしていると、そんな口調で言われてしまった。どうして? と聞くとまたまたぁ~、と、意地悪っぽく笑われた。


 「あんなに大好きオーラ出しておいて、バレないはずないじゃない。他の女の子に『本間君に近付かないでよ』って、牽制してたんでしょ?」

 首を横に振ってこたえた。牽制していたつもりはないし、それどころか自分では隠しているつもりすらあった。


 「それって、本間君も知ってるの?」

 「知ってるよ」


 知ってるかも、ではなく、知っていると思う、でもなく、知ってるよと言い切られた。


 「ター君が何回かお話してたもの。『お前が辛いのも分かるけど、彼女の気持ちを考えてやれよ』って」


 そう言う花ちゃんの顔は誇らしげで、分かり易い彼氏自慢の表情だった。だけれど、今の私にはその惚気自体はどうでもよくて、ただただ恥ずかしさに見悶えしてしまった。


 「じゃあ、どうして本間君は私を誘ったのかしら?」

 「そりゃあ、ター君に言われた通りじゃない? 陽子ちゃんの気持ちを考えて、ちゃんと答えを出さないとって」

 「私、フラれるの?」


 告白もしていないのに。そんな風に思って呟くと、花ちゃんが『なんでやねん』と、関西弁で突っ込みを入れて来た。


 「フるなら一緒に旅行行かないよ。付き合おうっていう気持ちだから、誘ったんでしょ?」

 「そうかしら?」

 「そうだよ」

 「……本当に?」

 「私、陽子ちゃんに嘘つかないよ」


 そうねと頷く。花ちゃんが動きのない私のお皿を指差して食べるよう促す。キャベツを口に入れ、噛みしめた。美味しい、温かい。


 「二人っきりで、二泊ってことよね?」

 「陽子ちゃんが断らなければね~」


 楽しそうな花ちゃん。私が断らなければ。断らない、断らないけれど。


 「親には何て言ったらいいのかしら?」

 「サークルとかゼミとか、実行委員の打ち上げとか、私達とお出かけするでも良いんじゃないかな?」

 「それで誤魔化せるかしら?」

 「じゃあ正直に言う? 彼と旅行に行きますって」

 「……まだ、彼じゃないもの」

 「そうだね~、『まだ』ね」


 黙る私、それから更にキノコと野菜を口に入れて、噛みしめた。薄味で、旨味がよく出ていて、温かくて、美味しい。


 「他に質問は?」

 「…………は」

 「は?」

 「初めてって、どれくらい痛いの?」


 きゃあ、と花ちゃんが声をあげた。もうそんなことまで考えてるの? とからかわれるけれど、そりゃあ考えている。私みたいな頭でっかちは妄想ばかり膨らむのだ。


 「花ちゃんだって、ター君との将来とか考えるでしょ?」

 「うん、考える~、子供は沢山欲しいなって。四人くらいで、おっきな犬飼って、皆でお風呂に入りたいな。でも、そんなに大きなおうちは中々買えないから今のうちに沢山貯金しないと駄目だねって話もしてるよ」


 花ちゃんがそういう妄想や幸せ家族計画を立てていることには驚かない。花ちゃんらしいと思う。だから、私としてはその手前の話を教えて貰いたい。


 「前よりも、好きになれるよ」

 そうして、花ちゃんが答えをくれた。いやらしさを感じない、爽やかな答えだった。


 「相手のぬくもりを感じながらギュってしてると凄く安心出来るし、幸せだし、今までよりももっと近づけたな、って思えるし、それは、最初はちょっと痛いけど、最初だけだよ。私は、とっても優しくして貰えたから大丈夫だった。それに、ユーダイ経験あるでしょ?」


 言われて、確かにと思う。美人の先輩と同棲していたのだから、流石にそこまでプラトニックな関係ではなかっただろう。


 「き、気持ちいいものなの?」

 その質問には、二ッと笑顔を返された。花ちゃんらしくない、エッチな表情だった。



 『一日中男の事しか考えていないような女』というものは確かに存在している。存在しているというか、それ即ち私の事だ。大きく捉えてしまえば、この私初瀬倉陽子のここ数年間は男の子のことを考え続けて来た、極めて色ボケした数年間であったと言っても良い。


 けれど、これまでの私は自分の好意について確認し、確信することはあってもこの好意が向こうから帰ってくると思ってはいなかった。彼には好きな女性がいて、その女性と付き合い、亡くなってしまったからこそその気持ちは永遠に失われないものとなった。そうなってしまった彼を、私は放っておけなかった。手を差し伸べて、またあの頃の、明るくてかわいい彼に戻って欲しかった。そこに『自分の事を改めて好きになって欲しい』という願望はなかった。いや、それはもしかするとあったのかもしれないけれど、具体的ではなかったのだ。宝くじを買ったからといってそれで自分が本当に億万長者になれるのだと信じることが出来る人間なんてそうそういないみたいに。


 今、私は生まれて初めて『好きな男の子から好かれる』という状態になった。花ちゃんや高ノ宮君に言わせれば、それはもう随分前からの事であったそうだけれど、気が付いていなかった私からしてみれば今日そうなったのも同然の話だ。


 「じゅ、準備とか、必要なのかしら?」


 さっきからずっとエッチな表情をしている花ちゃんに聞くと、あらー、と楽しげな声を漏らした。ちょっとおばちゃんっぽい仕草だった。多分だけど、その仕草は母親譲りなのではないだろうか。


 「準備なんて、毎日ちゃんとお風呂入って、可愛い下着付けて、お部屋綺麗にしておけば良いだけじゃない」

 「そ、そんな直接的な準備ではなくて」


 うろたえてそう言いながら、自分が今身に着けている下着の色を思い出そうとして思い出せなかった。棚の中にある物の中に、ベージュのものは捨ててしまった方が良いだろうか。ピンクとか、明るい色のものを購入しておいた方が喜ばれるだろうか。


 「色々と、段階があるでしょう? 手を繋いだりとか」

 「チューしたりとかね」

 答えられず、目を瞑って頷いた。でもそう、そういうことだ。


 「お互いの家に行き来したり、はもうしてるよね?」

 「そうね。でもお互い実家には行った事がないわ。私は本間君の御両親を知らないし、本間君だって、私の親に直接会ったことは」

 「話進めるのはやーい」


 もう両親に会わせるつもりでいるのかと言われて、慌てて手を振った。そういう話ではない。結婚とか、そういうことを言っているのではない。


 「ちょ、ちょっと落ち着くわ」

 「良いんじゃない? 落ち着かなくっても、可愛いから」


 楽しそうな花ちゃんが、ふわふわと笑いながら言ってくる。その笑顔を恨めしく思って睨み付けると、きゃあと嬉しそうな悲鳴が上がった。


 「落ち着くわ」

 「はーい」


 大きく深呼吸をして、それから頬をペチペチ。うん、大丈夫。落ち着いた、筈。


 「現状、私は彼と付き合っているわけではないし、想いを伝え合ったりしたわけではないです」

 「伝わってると思うけどな~、陽子ちゃんの大好きオーラ、凄い分かり易いもん」


 目を瞑る。恥ずかしい。今落ち着いたばかりのはずなのに、全然落ち着かない気分になってしまった。おかしい。私はこんなキャラクターではなかった筈なのに。


 「つ、伝えたことはないし、直接何か言われたことも無いわ。旅行に誘うと言われたことだけね。内々定みたいなものよ」


 そこまで話して、また恥ずかしさから口籠ってしまった。内々定という、なるべく色っぽくない単語を選んで使用した筈なのに、その言葉から”卒業“”就職“という言葉を連想してしまった。その連想から、どうして羞恥に繋がるのかは説明したくない。


 「……その旅行にしても、本間君の都合でちょっと先の事になるから、私が考えるべきことはそれより手前の話よ」

 それまでの間に、本間君とどう過ごしてゆくべきか。


 「断ったりは、しないのよね」

 また、からかうような表情で質問された。これ以上からかわれていたら話が進まないと、グッとお腹に力を籠め、勿論よと答えた。


 「まあ、本間君の気が変わっていなければだけれどね」

 「変わるはずないじゃない」

 「そうだと良いわね」


 淡々と受け答えすることが出来た。うん。これでいい、私はこういう、小賢しい受け答えをする女だ。


 「それまで私は、どうしたらいいのかしら。本間君を、どうしてあげたいのかしら」


 これまで、私は落ち込んでいた本間君を助けてあげたかった。けれど、藤原さんの死から一年が経過して、きっと本間君は彼女を思い出とすることが出来たのだと思う。私の助力が役に立ったのかそれとも初めから不必要だったのかは分からないけれど、それはとても良いことだ。彼はきっと生涯藤原さんの事を忘れることなく、それでいて引きずりもせず過ごしてゆけるのだと思う。


 「陽子ちゃんがユーダイをどうしてあげたいか、じゃなくって、ユーダイに何かして欲しいとかないの?」

 根本的な質問だけれど、という風に、花ちゃんが聞いてきた。


 「私がどうにかしてあげたい、っていう陽子ちゃんは格好良いし立派だと思うけど、そんなに男前じゃなくっても良いじゃない。陽子ちゃん可愛い女の子なんだから。ちょっとは、幸せにして貰いなよ」

 「幸せにして貰う……」


 また、赤面してしまうような単語が出て来たけれど、今度は私の頬が赤くなることはなかった。自分が幸せになる、というイメージが上手く作れなかったからだ。


 ”こんな私が幸せになんてなって良いんですか?“


 昔、ドラマでそんなセリフを聞いたことがあった。かつて人を殺してしまった主人公とそれを取り巻く人々の成長と恋愛を描いているドラマで、少々大げさすぎて現実感はなかった。けれど、この時女優さんが言った言葉については、ちょっとだけ共感出来るところがあった。


 「私なんかが幸せに……」

 私の呟きに、花ちゃんが『私なんか、って言っちゃ駄目だよ』と窘めるように言った。はい、ごめんなさい。


私は勿論人を殺してしまったことなどないし、法律に抵触したことだってない。けれど、自分の性格が悪いという認識は多分にあって、自分が幸せになれるとはこれっぽっちも思っていなかった。


 「本間君は……幸せにならないと駄目な人よね」


 本間君くらい良い人が幸せになれない世の中なんて間違っている。そういう確信はある。だから、私は本間君の為に動くことを厭うことはなかった。心の奥底の、最も深い部分で、私は自分よりも本間君の事を価値が高い存在であると認めているのだ。これも、口に出したら怒られてしまいそうなので黙っておく。


 「彼に、何かして貰いたい事、って話よね」

 「そう、エッチなことじゃなくてね」

 「そうね、花ちゃんが高ノ宮君にされてるみたいな、エッチなことではなくてね」


 からかおうとしてくる花ちゃんに反撃してみた。今度は花ちゃんが顔を赤くして、もう。と私の肩を押した。うん。ちゃんと言い返すことが出来るようになってきた。


 「って言っても、普通のことよ。本間君と旅行に行けるのなら行きたいし、もし今回本間君が準優勝だったら、夢の国にも連れて行ってもらいたかったし、一緒に、お買い物に行ったり映画を観たり、ご飯を食べたり、はもう何度もしているけれど」


 そういうのを、一言で表現できる言葉があった筈だけれど、何だっただろうか、ちょっと思い出すことが出来ない。


 「普通に、付き合ってる感じのことが出来れば良いのね?」

 「そうね。好きな人に求める事なんて、ありきたりだけれど『そばにいて欲しい』って事が一番じゃないかしら?」


 そうだね、と花ちゃんが言う。私がしたいこと、して欲しいこと、それは今までにしてきたことと大きくは変わらない。その内容として、今までよりも楽しく、近い距離感で、手を繋いだり、腕を組んだり、見詰めあって笑いあって、そういう…………


 「どうしたの?」

 「分かったわ」


 して欲しいことはないのかと花ちゃんは私に聞いた。その質問の答えとしては適当ではない。結局それは、私がしたいことであるから。でも、花ちゃんが満足する答えとして、これは間違いのないものだという確信を持てた。



 「私、本間君とイチャイチャしたいんだわ」



 その時の私は大真面目で、謎を解いた名探偵のような気持であったのだけれど、この一言が最も恥ずかしいものであったということに、後になって気が付く。


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