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第二十六話・大人になりたいな

 「陽子先生は将来どんな大人になりたいの?」

 もう学園祭も目の前に迫り、わが校の校舎内至る所に準備中の大道具小道具が散見出来るようになった五月下旬、私はそう質問をされた。


 「どんな大人に、ねえ?」


 どんな職業であるとか、将来の生活設計であるとか、そのような質問に対してだったらスラスラと答えることが出来た。けれど、その時私の生徒である正美ちゃんが聞いてきた質問は職業や生活の話ではなく、もっと内面的な、格好良く表現してみれば『生きざま』とでもあらわせるような部分についての質問であるように思えたので少々答えるのに時間がかかった。


 「お話しながら考えてみてもいいかしら?」

 「いいですとも」


 どうやら今この瞬間に、綺麗な回答を行う事は出来ないなと思った私は、せめてその質問に対して誠実に答えてあげたいと思い、時間を貰った。最近グッと大人っぽくなった正美ちゃんは私の言葉を聞いて頷く。土曜日のお昼で、既に今日の授業は終え、これから図書館に行こうという私に正美ちゃんが付いてきた形だった。二人だけで、他の生徒や木口先輩はいない。


 「三階に行きましょうか」


 図書館は既に目の前だったけれど、木陰でお話をする気にはなれなかった。三階にある談話室であれば、本を読みながらの軽食やお喋りが認められている。


 「私は正直に言って、『大人』っていうものについて良いイメージを持っていないのよね」


 誰しも良い大人や悪い大人、というもののイメージは持っていると思う。そしてそのイメージは身近な大人を見て少しずつ無意識的に作り上げられていくのではないかなとも思うけれど、私にとっての最も身近な大人、即ち両親は決して理想的とは言えなかった。良い悪いではなくて、父が『強い大人』で、母が『弱い大人』どちらも酷く不格好で、そこを目指そうと思ったことは一度もない。


 「『良い意味で子供』とか『変な部分が大人』とか、そういう言い回しをする事はあるし、そういった言い回しが持つニュアンスについては、理解しているつもりではあるのだけれど」


 と、そのくらいまで話したところで、自分が一体何を話せばいいのかが分からなくなりかけ、少し言葉を区切った。正美ちゃんは私の言葉を聞きながら相槌も打たず、うんうんと頷いている。その顔を見て、一つ分かった。


 「今みたいな、年下からの質問に対して、馬鹿にしたり適当にいなしたりせず、誠実に答えてあげられる大人には、なりたいわね」

 「じゃあなってるね」


 今度の言葉はしっくり来たなと思っていると、正美ちゃんがすぐに返事をしてくれた。ありがとうと言っておでこの辺りを撫でる。正美ちゃんが嬉しそうに笑った。


 「あとは、そうね、今言った誠実とか馬鹿にしないとかかしら。誠実に対応するというのはとても難しくて、大きなお世話になってしまうことも多いのだけれど」


 言いながら、私に告白をしてきた香月先輩と、それに対しての私の対応を思い出す。正解の対応がどうだったのかは分からないけれど、あの時の自分の対応が間違いだったことには確信が持てる。嫌な確信だと思う。


 「人を馬鹿にしないというのは、私にとって凄く重要なポイントかしらね。私はすぐに人を馬鹿にしちゃう、性格の悪い人間だから」

 「それ、凄く分かる」


 正美ちゃんが深く頷いた。頷く正美ちゃんを見ながら、今までに余りなかった反応だなと思った。私がこのような事を言うと大抵は『そんな風に見えない』といった言葉が返されるのだ。そんな風に見えないように、人から距離を取って生きて来た私であるから、当然の反応と言えば言えなくもない。


 「だって陽子先生は何でも出来るもんね。何でも出来るってことは、周りが何にも出来ないように見えるってことだと思うよ。それだと絶対『何で回りにいる連中皆馬鹿なのかしら』って思っちゃうよ。どうしたって」


 その言葉が、まるで過去の私を見て来たかのような言葉であったため、私は少しの間目をぱちくりとして、それから正美ちゃんの頭をさっきまでよりももっと強く、ガシガシと音が鳴りそうなくらい撫でた。


 「わあー、やめろー」

 笑いながら、抵抗はしない正美ちゃん。その様子を見てふふふと笑ってから、ありがとうと言った。


 「そんな風に味方をしてくれる人がいたら私ももう少し素直に子供をやっていられたのかなあ。って思うことがあるわね。私が大人になったら、昔の私みたいな子供に出会った時に『わかるわよ』って、今の正美ちゃんみたいな言葉をかけてあげて、それで、味方をしてあげられるような、そんな人になりたいわ」


 この言葉に対しては、自分自身でしっかりと納得が出来たので頷き、こんなところかしらねと、言葉を終えた。


 「今でも、陽子先生は何でも出来る人?」

 「……そうね。客観的に見れば、何をやらせても平均以上をこなす人間なんじゃないかしら」


 自分を『何でも出来る人』と表現するのには少々抵抗があったけれど、そこに自慢や虚栄の意味は含まれていないことはちゃんと正美ちゃんに伝わっていると思ったので訂正などはせず頷いて答えた。


 「でも、今の陽子先生は昔みたいに『周りを馬鹿にする人』じゃないでしょう? それは、陽子先生の中で何が変わったの?」

 「一言で言えば、おと……なになったのよ」


 男に影響されたのよと、そのまま本心を言いかけてしまい、そればっかりは流石に恥ずかしいと途中で軌道修正した。間違ってはいない。私は本間君に出会って大人にして貰ったと思っている。いや、いやらしい意味ではなくて、内面の、精神面の話として。


 「ちょっと顔赤くない?」

 「歩いてて疲れたのかしらね」


 恋愛面で言えば間違いなく正美ちゃんよりも経験値が少なく初心な私は、鋭く突っ込まれるよりも先に笑顔で誤魔化し、話を先に進めてしまう。


 「具体的に言うと、昔の私には人の価値を測る物差しが少なかったの。学力・運動能力・知識・クラス内での立ち位置。くらいかしら?」


 勉強と運動が出来なくて、お喋りをした時に知識力が無くて、いつもクラスの端の方にいる。そんな人は見下していた。そして、それらの全てで、殆どの人は私よりも劣っていた。だから、殆どの人を見下していた。正美ちゃんが言った『何で回りにいる連中皆馬鹿なのかしら』って思っちゃっている状態だ。改めて私って嫌な人間だなと確認する。けれど今しているのはそこから自分を改善させた話だ。


「どれも不必要なものとは思わないけれど、それが全てではないし、それ以外にも能力とか特技って沢山あるでしょう?」

 「例えば?」


 例えば。例えば、か。沢山ある気がするけれどポンと一つ出すように言われるとなかなか難しい。


 「ゲーム、とか? 私はやらないのだけれど」

 でも、男子が授業の前後に、場合によっては授業中に携帯ゲーム機やアプリゲームに興じているところは見たことがある。


 「えー、ゲームがどれだけ出来ても凄いなんて思わなくない?」

 「そんなことはないわ。e―スポーツっていうものは二十一世紀のうちにオリンピックの正式な種目になると言われているし、今だってゲームの大会で賞金を稼いで暮らしている人はいるわ。オリンピックのメダリストを凄いと思わない人はいないでしょう? テレビゲームに限らなければ、トランプゲームの、ポーカーなんかには世界大会があるみたいだし、囲碁将棋も言ってみればゲームの一種なんだから、ゲームが得意な人は勉強では測れない部分の知性がある人と言う事だって出来る筈よ」


 こういった理論の組み立ては考えるまでも無くポンポンと出来てしまう私。本間君が考えている表情を見たくて意地悪なお話をしている間に鍛えられた。


 「まあ、一例だったけれどね。とにかくそんな風に、今の私は、もし自分よりも『大学で測ることが出来る全ての能力値』が低い人がいたとしても、その人をそのまま駄目な人間とは見なさないわ。私が見えていない場所とか、私が知らないところで、決して私に出来ないことを成し遂げているのかもしれないもの。私の狭い判断基準でその人をこうだと判断するのは間違いだと気が付いたのよ」


 言いながら、ちょっと上から目線というか、理路整然とし過ぎた話しぶりだなと思った。私は花ちゃんや本間君に対して、今話したようなことを考えたことはない。普通に仲良くなって、自然に好きになって、今、当然の事として側にいる。その感覚を説明することはとても難しい。


 「成程、大人」

 「ありがとうございます」


 そうして、納得した様子の正美ちゃんは席を立ちあがり、今日は帰りますと私に頭を下げ、去って行った。


 それが、私が彼女久保田正美ちゃんと一緒に勉強をした最後の日となった。

 翌日から、正美ちゃんは塾に来なくなり、それからほんの少し後、私は彼女が昔の同級生の妹であることを知る。昔、中学生の頃に、私が登校拒否に追い込んだ、クラスメイトの妹であるということを、知る。


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