第二十四話・どこにだっているよ
「好きです、付き合って下さい」
真正面からそう言われた経験は、意外と少ない。最近の流行なのか草食系男子なのか、理由は分からないけれど、電話やメール、ラインなどで伝えられることが多い。
今、私に正面から告白してきたのは以前文化祭実行委員の飲み会で前の席に座っていた男性。茶髪で丸顔の、人あたりが良さそうな先輩だ。今はその優し気な表情を緊張にこわばらせ、私の返事を待っている。
「ごめんなさい」
私は最初にそう伝える。絶対に誤解が生じないように。まずもって私の気持ちを答える。以前、高校生の頃であればそれだけで終わっていたと思う。けれど、この時は一言付け加えた。
「私の事を好きになって頂けたことは、嬉しいと思います」
私が一人自習をしている教室の隅。時間としてもまだ余裕はあったし、今日提出の分の宿題がまだ終わっていない。等という経験はしたことも無く、今日も勿論そうではなかった。だから、一言だけちゃんと、私の事を、こんな私の事を好きになってくれたことを本心から感謝した。
『以前から綺麗な人だと思っていて、飲み会の時に意外と自由な人なんだなと思って好きになった』
という、少々の前置きをおいてから私に告白してくれた香月先輩は、勘違いしようのない、間違いようのない私の拒絶を聞いて絶句し、何とか乾いた笑顔を浮かべ、そうか、と呟いた。
私は、自習の手を止め、しかしノートは開いたまま、手に持ったペンも置かず、まだ勉強の途中ですというポーズを崩さずにいた。
「こいつ、凄い良い奴だよ。ちょっとくらい考えてみてくれない?」
そうして、言外にお引き取りをという主張をしていると、香月先輩の後ろに立っていた誰かが言った。多分だけれど、文化祭実行委員のメンバーであると思う。香月先輩は私に話しかけて来た時、改めて自己紹介をしてくれたから分かったけれど、彼とあと二人引き連れられてきた男の子達は、口々にそうだよと言って来た。
「理由くらい教えてよ」
お調子者を具現化したような風貌の彼にそう聞かれ、私は溜息を吐きそうになるのを何とか堪えた。何でそんなことを教えなければならないのだろう。それくらい当然の権利だろうと本気で思っていそうな彼に、貴方には関係ない話じゃないですかと、上目に睨み付けながら言うと、うっと一瞬怯んだ彼が黙った。
「香月先輩が良い人だということくらい知っています。その上で、私は香月先輩とお付き合いすることが出来ないと言っているんです」
僅かながら怒りを込めて、私が言い募ると、彼は左右の友人を見て皮肉っぽく笑った。悪かったと言ってくれれば可愛げもあるけれど、そうやって余裕がある様子を装って、私の言った言葉を馬鹿にするような態度を取られると腹が立った。お腹の内側が嫌な熱を帯びる。
「香月先輩」
お調子者の彼を無視して、私は香月先輩に声をかけた。もう一度、好きになってくれたことの感謝を述べ、お付き合い出来ないことを詫び、そしてもう一言。
「次誰かに告白をする時には一人で来た方が良いですよ。女子にとって、一人でいる時に複数名で取り囲まれて告白されるということは嬉しさよりも怖さが勝つ行為ですから」
告白する側は気持ちが楽になるかもしれないけれど、告白からお付き合いというのはお互いの気持ちが大切なものなのだから、そういう点についても気を使ってあげて欲しい。
「行こうぜ」
思いもよらないことを言われてしまった香月先輩は、更に身体を硬直させ動かなくなってしまったけれど、やがてお調子者の先輩がその肩を抱き、彼を連れて行った。去り際、私に非難の視線をぶつけながら。
『大きなお世話だ』
その視線は、そう言っているようだった。
「そうよね……」
また失敗してしまったなと、私は溜息を吐く。私が生意気な女で、居丈高でお高く止まっていて、という話はきっとこれからすぐに広まってゆくことだろう。高校生の頃までであればそれを何よりも恐れたけれど、今は恐ろしいと思うことはない。私には思いを打ち明けられる友人が少なくとも三人はいるのだから。けれど、上手くいかないなあと落ち込みはする。
高校生の頃までであれば、私はあのような告白に対して上手に対応できた。私は周囲の人間を全て馬鹿にして生きて来たから。馬鹿に何を言ってもしようがないし、馬鹿の大群を敵に回したら後々面倒臭い。だから、当たり障りなく、誰にも嫌われないように、どう転んでも自分の評価が上がるように、そう計算をしながら行動すればよかったのだ。けれど今は違う。今の私は、もう少し人という者を信じたい、大袈裟に言えば好きになりたいと思っている。だから、以前よりも一歩踏み出す。馬鹿にしながら笑顔でよしよしとするのではなく、本当に思った事、そして、伝えてあげたいことをちゃんと正面から言う。良くないと思った行動をした人には良くないと伝える。本間君も高ノ宮君も花ちゃんも、自然に行っていることを、私もしてみたい。私もそうありたい。
「不器用よね……」
けれど、物心がついてからずっと、小賢しく周囲を馬鹿にして生きてきた私は、人との距離の詰め方が下手だ。今だって、勇気を出して告白して来た人にあんなカウンターを食らわせるべきではなかったのだろう。けれど、じゃあ次にいつ香月先輩に対して私の考えを伝えてあげられる瞬間があったのだろう。他にどういったやり方があったのだろう。それが私にはよくわからない。
私は人を大切に出来ない人なのかもしれない。私は人と分かり合うことが出来ない人なのかもしれない。そんな、想像することも辛い想像をしながら、私は自習を再開させた。
「陽子先生って真面目だよね」
そうかしら? と答えるとそうだよと言われた。木口先輩の塾で私が教えている高校生の女の子、この度進級し高校二年生、本格的に大学進学を考えなければならない時期だ。
「ふつうそんなことまで考えて生活しないじゃん。嫌なこと言われたら『キモイ』とか、『ウザイ』とか言って、適当にやり過ごしてくもんじゃないのかな?」
「正美ちゃん、ウザイとかキモイなんて言わないじゃない」
私が言うと、そうだねと言われた。私自身も、そういった言葉は使わない。品性下劣な言葉だから、というような理由じゃなく、私は『ウザイ』という気持ちや『キモイ』という気持ちをしっかり文章にして、内心で勝手に見下すような、そんな性格の悪い人間だから。
「さっきの告白の話だったらさ、別に陽子先生が相手のこと考えてあげる必要なくない? 神様じゃないんだから」
「……そうね」
私が、彼を成長させてあげようだなんて、傲慢だったかもしれない。
「あ、ゴメンね、陽子先生の良いところだと思うよ」
私がちょっと落ち込むと、正美ちゃんが励ましてくれた。
正美ちゃんは、私が今まで友達とはして来なかったタイプの女の子だ。私が心から友達だと思える女子など、花ちゃん以外にいないのでその言い方は間違っているのかもしれないけれど、ともあれ私がなるべく距離を取って来た、そんな女の子だ。元気でグループを作って、スクールカーストの上位に座るのが好きそうなタイプ。私と何が最も違うのかと言われれば、『付き合う』という事象についての感覚が全く違う。
「とりあえず付き合ってみたら良かったんじゃないの? 私みたいに」
セミロングで白いセーターが似合う正美ちゃんは、今までで十二人の男の子と付き合ったことがあると言う。その中には大人の男性もいて、年下の男の子もいた。自分で告白をしたことは一度も無く、そして告白をされた時点で付き合っている相手がいなければ、告白を断ったことも無いそうだ。
「それで、嫌な人に会ったこととか、怖い思いをしたことはないの?」
「無くはないけど、別に大丈夫だよ。それより、付き合ってみたら面白い人だったり楽しかったりすることの方が多いよ」
そこそこに異性にもてる。その点において私と正美ちゃんは同じだ。けれど、そこからの感覚が違う。
「よく知りもしない人から告白された時に、『私の事を知りもしないくせに』って思わないものなの?」
「思わないよ。だって、そういう人たちは『私の事をもっとよく知りたい人』なわけでしょ? ただエッチしたいだけの人だっているけど、それは嫌だって言えば良いだけだし、この人ならいいかな、って思えるくらい深く付き合えたら、それはもう何にもおかしいことじゃないでしょ?」
「……そうね」
頷くと、正美ちゃんがケラケラと笑った。真面目だなあと、年下だけれど経験値の高い彼女に言われる。
「何だか『白馬の王子様を待ってるお姫様』みたいなところあるよね、陽子先生って」
「そ、そんな事無いんじゃないかしら?」
反論した。確かに私は男性と付き合ったことはないし、今は本間君しか見えていないけれど、貞操観念がガチガチだという訳ではない。もし、良いなと思える相手がいたのならば身体を求められて拒むようなことはしないし、生涯にたった一人だけの男性に操を立てる。なんて考えたことも無い。
「今好きな人が、『運命の人』とか思ってない?」
けれど、そう問われて私はちょっと黙った。明確にそんな風に考えたことはない。けれど、本間君に出会えたことを感謝したことはあるし、別の高校に行っていなくて良かったとはいつも思っている。その感謝は誰に、何に対しての感謝であるのかを考えてみるとそれは確かに『運命』に対しての感謝であるように思える。
「運命の人なんて、どこにだっているよ。そんなの自分が気付くか気付かないかだよ。って、彼氏に言われた事あるなあ」
ハッとするような一言をぶつけられた。納得はいかない。私にとってこんなに人を好きになるという経験は初めてで、そこに変わりなど見つけられないから。けれど、同時に思いもする、私がもし、別の高校に通っていたら、別の大学に入学していたら、私は本間君に出会うことなく、そして、彼と別の人に恋をしていたのだろうか。
「私、昔お姉ちゃんが虐めにあって、暫く引き籠りしてたんだけどさ」
「あら、それはそれは」
突然話が変わって、私は何とも言えずに答えた。恋愛観についての話から、唐突に家族の、それも割と重たい話だ。
「やっぱりああやって、自分の世界を閉じちゃうのが一番勿体ないよね。お姉ちゃん、その虐めのせいで心折れちゃって、未だに外に出ないし大学もほんのちょっと授業受けて、それで家に帰ってマンガ読んだり映画観たりしてるの。自分が楽しいなら良いんだけどさあ、あんまり楽しそうに見えないんだ」
「それって……」
私が聞こうとした時、丁度木口先輩が教室にやって来た。今日は珍しく、私達以外の全員が連れ立って入室してきた。どうやら偶然会って、皆でジュースをおねだりしていたらしい。私達の分もあった。
「ねえ木口先生。先生は運命の人って信じる?」
これまでの話を聞いていなければ、一体いきなり何を言っているのかと思ってしまうような質問。けれど木口先輩は一瞬も躊躇うことなく勿論だ、と快活に笑った。
「お前らと出会えたのが俺の運命だぜ、イエー!」
そう言って皆に笑顔を振りまくと、生徒の皆が『イエーイ』と返したり『キモイ』と笑ったりして、教室の空気が一気に賑やかに、かつ和やかになった。私はその様子を見て、人を纏めるのが本当に上手だとも思ったし、それでいて自分と相手との距離を保つことも上手だなとも思った。




