第十二話・まだ大好きな人
「一人で帰れる?」
「帰れますよ、全然大丈夫です」
先輩の一人に聞かれて頷いた。住所を聞かれ、答えると木口先輩の家がかなり近い事が分かった。送って行くよ、と言ってくれたけれど、はなから私は一人で帰るつもりなどなかったので丁重に断った。
「このままで帰ったら途中悪い人に襲われちゃうわ、ちゃんと送り届けてくれるのよね?」
下からねめつけるように訊くと、本間君が珍しく本当に困ったような表情を作ったので哀しくなった。私が我が侭を言っても本間君はいつも困ったなと言いながら笑って頷いてくれていたのに。
お酒のせいで情緒不安定だったのか、それだけで哀しくなって泣きそうになった。涙ごと水で流し込み、何かお酒を頼もうとした時、テーブルの下でそっと手を押さえられた。
「家までの道、実は細かく全部は覚えられてないんだ。完全に潰れられると僕も迷っちゃうから」
だから、この辺りにして欲しい。そう頼まれた。今度は我慢も出来ずに両方の瞳からするりと涙が一筋ずつ流れた。
「あら? 私泣き上戸だったのかしら」
回りに見つかってビックリされるよりも前に自分で言った。花ちゃんは花ちゃんで沢山お酒を飲んでいて、彼女は笑い上戸だったのでこれでセットが揃ったね。と良くわからない事を言って二人で笑った。
「じゃあ、僕らはこの辺りで」
このまま夜通し飲み明かす人達もいるようだったけれど、私達四人は日が回る直前にその場を後にした。一応、終電の時間だから、という理由だったのだけれど、店を出てから私と花ちゃんが全然歩けなかったせいで結局終電は逃した。
「タクシーか、いてえなあ」
高ノ宮君が言って、その肩に巻き付くようにしなだれかかっている花ちゃんがごめんねぇ、と謝る。謝られた高ノ宮君はすぐに前言を撤回し、近いしそんなに高くはつかないよ、と紳士発言。
「私は大丈夫、二駅だから歩いて帰るわ」
ガードレールに捕まりながらゆっくりと歩き出す。歩き出して二歩で肩を掴まれた。全然歩けてないよと、珍しく怒り顔の本間君。こういう顔は珍しいけれど結構カッコいいなと思った。
「そういう顔をしても結構カッコいいじゃない」
思っただけなのに口に出してしまった。大胆な発言だなと自分では思ったけれど、酔っぱらいのたわごとだととられたのかハイハイ、と軽く受け流された。
「何よぅ、褒めてるんだから喜びなさいよ」
「ワー、ウレシイナ」
肩を強く叩いた。花ちゃんがケラケラ笑い、支えている高ノ宮君がタクシーを捕まえて彼女を押し込んだ。
「またな、ちゃんと送れよ」
「当たり前だろ」
短いやり取りを終えて、タクシーが去った。行きましょう、と言った私を本間君が担ぎ上げて背負う。子供の頃以来初めておんぶをされた。
「パンツが見えてしまうわ」
「そんなに長いコート着て何言ってるの?」
「大丈夫? 家まで結構遠いわよ」
「だからだよ、今の初瀬倉さんと並んで歩いてたら朝になっちゃう」
「分かったわ、しがみつかせておっぱいの感触を存分に味わおうという魂胆ね」
「もう好きにして……」
苦笑しっぱなしの本間君。二駅、私の足だと一時間近くかかってしまう距離だったけれど本間君は意外にも足取り確かで、私が普通に歩くよりも余程早く道を進んだ。
途中水が飲みたいと言ってコンビニに寄らせ、靴下が嫌だと言って脱がせてもらった。その時間を含めても多分四十分程度で本間君は家まで辿り着いた。
「私のナビが必要なかったわね」
「いっつも迷うんだけど、ようやく覚えられたよ」
果たしてこの発言は、私の体を気遣っての嘘だったのか、それとも本当に今回で覚えたのか。さりげない優しさをみせてくれた。という答えを期待した私だったけれど、普通に考えたら本当に今覚えたのだろう。そんな気回しが出来る程器用な男の子じゃない。
靴下を履かず、部屋の入り口の前で下ろしてもらった。足がひんやりとして気持ちがいい。
「上がって、お礼にお茶でも淹れるわ」
「いいよ、もう寝なよ」
「本間君も一人担いでこんなに歩いたんだから少しくらい疲れているでしょう?」
「初瀬倉さん軽いから疲れなかったよ」
「あら、そんな事を言えるようになったのね、成長したじゃない」
そしてまんまと喜んでいる私。駄目になったじゃない。とは口に出さず本間君を家に上げた。お茶、とは言ったけれどコーヒー、紅茶、緑茶、ココア、大体のものは揃っている。何が飲みたい? と訊くと紅茶と言われたのでココアを二つ用意した。
「あれ? 僕が知ってる紅茶じゃない」
ケラケラと笑いながらココアを渡した。多く作りすぎて半分以上余ってしまったけれどこれは明日飲もう。
「今日の初瀬倉さんは自由だね」
「そうね、面倒臭いでしょう?」
「全然」
コートを脱ぎ散らかし、ベッドに横たわる。本間君はココアをしまい、コートをハンガーにかけて窓枠にひっかけ、飲み終わったカップを洗い牛乳をしまいながらの会話。
「藤原さんの方が面倒臭かった?」
「そうだね、余裕で面倒臭かったよ」
半年ぶりに藤原さんの名前を出した。本間君は言葉がつかえる事も無く、むしろ少し嬉しそうに答えた。
「時子だったら多分、今日の帰りにこれから映画が見たい、とか言い出してただろうからね」
「コンビニにあったポスター?」
水を買った時に、話題のドラマが映画化されるという告知がされているのを見た気がした。そうそう、と本間君は笑う。
「まだ封切りされてないよ、って説明して、時子が不満そうにして、じゃあ始まったらすぐに見に行こうって僕が言って、実際に上演する頃にはすっかり忘れてる。っていう流れが目に浮かんだ」
「そうよね、私とは全然違う感じだったけど、彼女も人を使うタイプの人だったわよね」
オフホワイトの天井を眺めながらの会話。本間君はある程度のところで作業を終わらせるとベッドの脇に座った。
「初瀬倉さんは理屈がある使い方だよ。適材適所、人の能力とか、好き嫌いを見てこうしよう。ってやっていたけど、時子は自分がやって欲しい人に頼むから面倒なんだよ」
「良い事じゃない、やって欲しい人は全部本間君で、全校生徒の憧れにこき使われるっていう特権を独り占めよ」
「嫌な特権だね」
笑った。まだ頭はくらくらしたけれど、気持ちが良い。
それから暫く藤原さんの話をした。初めてのデートの話。二人暮らしをしようと話をして、藤原さんが泣いて喜んでくれた時の思い出。一緒によく行った喫茶店。料理が下手で、失敗して焦げたものを全て食べたり、手を切って痛そうにしている藤原さんに絆創膏を張ったり。ふとした時の仕草や、不満な時、嬉しい時のサインなど、話を訊いている間に、どれだけ本間君が藤原さんの事を好きであったのか、今でも好きなのかがよくわかった。
「本当に、好きなのね」
だから私は過去形ではなく、疑問形でもなくただ事実としてそう言った。うん、と返事をされてそれからお礼を言われた。
「色々気を使ってくれて嬉しいよ。でも、別にあんまり気にしないでくれて大丈夫だよ。もう一人で大学にも通えてる訳だし、半年も経てば」
「そんなことを言うのはらしくないわね」
言葉を遮った。
「たった今、今でも好きだと認めたばかりでしょう? まだ半年しか経っていないんでしょう? それでもう大丈夫な訳は無いのよ。私達に弱音を吐けとまでは言わないけれど、気を使われているのが分かったのなら黙って気を使われ続けるくらいの甘えはあって当然でしょう。私はこれからも本間君を気にするし、全力で構うわよ。甘やかされる覚悟をしておきなさい」
言い切った。上体をゆっくり持ち上げる。自分の体が重たい。それでも持ち上げて左に視線を向けるとベッドの縁を背もたれにしている背中が一つ。
掛け布団を持って、本間君にかけた。座った体を横に包むように布団が彼を覆う。私はベッドの端に腰掛け、本間君の方の横に足を垂らして毛布を自分の肩にかけた。
「寝なさい」
返事をきくよりも先にリモコンを手にして電気を消した。え? と、本間君が当惑するような声が聞こえたような気がしたけれど気にせず、本間君の頭を後ろから抱える。
「ベッドに上がって来たら大声を出すから安心しなさい。何事もなければ藤原さんにも浮気じゃないって言い訳出来るでしょう?」
本間君の頭から身体を離す。クローゼットからお客様用の布団一式を取り出し、敷き布団は本間君に、掛け布団は自分に。
「明日八時半に起きようと思っているのだけれど、本間君、起きられる?」
返事が聞こえなかったので明日の予定を聞いた。それに対しても答えは無かったので、気にせず布団を被り、本間君に背を向けて眠る。多分、この瞬間に本間君がベッドに上がって来ても私は声を出さない。
「起こすよ」
「そう」
目を瞑ると、すぐに睡魔が私を包み込んだ。




