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第十一話・僕は僕で

 私が十人の人と出会うとしたら、その中の八人か九人に対しては頭が悪い相手として接する。賢いかまあまあだと思えるのは一人いるかいないか、高校生の頃、その貴重な一人に入っているのが綿貫さんだった。


 「違うわね、そうじゃないわ」


 考えながら、違うと思ったので訂正。本間君は本間君だけしか居ないのだから。最小単位が一なのに全体が十だとおおざっぱになりすぎてしまう。百にしよう。そうすると、八十五人くらいは頭が悪い、まあまあと思えるのが九人程で、五人は賢い。残りの一人に本間君がいる。百でもしっくり来なかったので千にしてみよう、857対93対47、そこに本間君と高ノ宮君と花ちゃんを加えて千。うん、これならば何となくしっくりする。


 こんな、どうしようもなく性格が歪んだ事を考えてしまう私は私の事が嫌いだ。最初は本間君に対しても頭が悪い人だと思っていた。だから、という訳でもないけれど私は頭が悪い、というカテゴリーに入れた相手に対して優越感を持ったり蔑視したり上から目線で話をしたりはしない。私だって、その頭が悪い857人の中の一人なのだから。


 『皆違うでしょ』


 私がもし、今考えていた話を本間君にしたら、彼はどんなことを言うのかと想像した。そんな風に人を判断しているのかと、軽蔑されてしまったら怖い。けれど、その可能性を考えるよりも前に、本間君は呆れたように微笑んでそう言うだろう。


 『同じ人なんて、どこにも居ないんだから、十人でも百人でも千人でもなくて、出会った全員違う人でしょ? 初瀬倉さんは初瀬倉さんだし、僕は僕だよ』


 きっと彼は、臆面もなくそんな当たり前の事を、当たり前に言って、それから少し自信なさげに、違うかな? と聞いてくるのだろう。


 「……そうね」


 呟きながら微笑む。まだした事もない質問の答を想像して一人勝手に幸せな気分になっている。また彼に対しての好感度が上がってしまった。これ以上上がる筈がないと、そう思って既に二年以上経つというのに。私はなんて簡単な女なのだろう。


 物語と関係のない話をしてしまった。今、大学二年生冬の初瀬倉陽子の話をしよう。コンビニから出て来て、買ったばかりのウコンドリンクを飲み干したところから。


 「お待たせ、本間君で合ってるわよね? うん、多分間違いないわ」

 「また顔忘れられたの?」

 「冗談よ」


 実行委員の懇親会の日、お店の集合場所とは違う場所へと本間君を呼び出した私。待ち合わせ場所に二分早く到着すると、本間君は既に待っていた。


 「どれくらい待ったの?」

 「……五分くらいかな」

 「そう、三十分近く待たせてしまったのね、それはご免なさい、私ももう少し早く来るべきだったわ」

 「どうして僕の嘘はすぐバレるの?」


 好きだからよ。とは答えなかった。相手を傷つけない為にさりげない嘘を吐こうとする本間君は、その際に少し詰まる癖がある。時間については勘でしかない。


 「でも、そんなに早くに着いて何をしていたの?」

 「いや別に、外に出てたから、遅刻するよりは早めに行こうと思ってここで本を読んでただけだよ」


 今度は嘘じゃなさそうだった。ただ、どうして外に出ていたのかは分からない。今日は休日で、昨日の段階では朝から夕方にかけてバイトが入っている以外に用事はないと言っていた。家にいたくなかったのだろうか?


 「あんまり家に一人でいたくなかったから、助かったよ」


 そう考えていたらその通りのことを言われてしまった。仕事が終わった時間を聞いて、本間君がここに到着した時間を計算する。帰宅して、シャワーや着替えなどを済ませて、それからすぐにここに来たようだった。家にいたくない理由は考えるまでもない。


 「勉強がしたくなったら言いなさい、いつでも、頭が痛くなるくらいの課題を出してあげるから」

 「ありがとう、そうするよ」


 それから三分程沈黙の時間が流れて、集合時間から僅かに遅れ、高ノ宮君と花ちゃんが走ってやって来た。


 「ごめーん」

 「遅くなった」


 同じ顔をして謝って来る二人。そんな様子を見ても最近ではお似合いだと思わなくなった。代わりに、それが当然の事だと染み付いてしまったようだ。


 「いいわ、今から行っても充分時間には間に合うから気にしないで」

 そう言って私は三人を連れ駅前のロータリーを横切った。


 私達が向かったのは居酒屋。大学生のサークルが頻繁に使う、年相応に飲み放題で安く、健康に悪そうな食べ物が出て来るお店。集合時間よりも十分程早く到着したそこで、見覚えがあるような長身の男性を見付けた、眼鏡をかけていて、彫りが深い。


 「あれって……」


 小さな声で、隣を歩いている本間君に聞いてみた。本間君は頷き、私は安心して話しかける。本間君は一度でも会って会話した人の顔と名前は絶対に忘れない。小学生の頃の同級生のフルネームも全員言えるそうだ。


 「木口先輩」


 お店の前で立って待っていてくれた文化祭実行委員長の木口先輩。私が話をしていてこの人は賢いな、と掛け値無く思える珍しい人のうちの一人。


 「早いね、この人達が友達?」


 端正で、優雅さすら漂う表情を作りながら木口先輩が質問した。頷いて三人を紹介する。三人ともそれぞれ自己紹介をして、木口先輩も木口先輩で簡単に自分の立場を述べた。


 「もう何人か来てるから、奥の方から詰めて座ってて。六十人以上になるから今日は僕らの貸し切り。出来たら色んな人と話をして下さい」


 懇親会なので、と、一応今回集まりがあった本来の目的も忘れずに話す木口先輩。分かりましたと言ってお店の扉を開ける時、別のグループの人達がやって来た。


 「一々ああやって全員に声かけなきゃいけないんだね、委員長の人って」


 扉を閉めながら、大変そう、と花ちゃんが呟いた。お前には一生縁がない事だから大丈夫だよ。と高ノ宮君が笑い、花ちゃんが不満をあらわにしながらもちょっとだけ嬉しそうに彼の背中を叩いた。


 「人には向き不向きがあるからね」

 「あー、陽子ちゃんまで馬鹿にして」

 「してないわよ、花ちゃんには花ちゃんに向いてる事があるって言ってるのよ」


 人を纏める能力であれば私達四人の中で最も優れているのは私ではなく高ノ宮君だ。彼がキャプテンをやっていた野球部の部員達が向ける彼への信頼度といったら尋常ではない。クラスでも常に中心人物として少年時代を過ごしてきたらしいし。聞けば聞く程、知れば知る程花ちゃんは自分にピッタリの相手を選んだと思う。


 広いフロアの奥、一番大きなテーブル席に何人か人が座っていた。見た事がある気がする顔だったので多分木口先輩の知り合いで、私も会った事がある人たちなのだろう。


 手招きをされて、そこに座った。本間君に先に行ってもらい、私、花ちゃん、高ノ宮君の四人が横並びに座った。


 私達が席に座り、荷物を置いて上着をかけて、一息ついた辺りで人がどんどん入って来た。空席が目立っていた席は十分でそのほとんどが埋まった。懇親会の開始時刻と木口先輩が予定していた八時を十分程過ぎた辺りでほぼ全員が揃ったとのことで、全員に見える位置に立って挨拶をした。


 「お疲れ様、来てくれてありがとう」


 木口先輩の席は私のはす向かいだった。仲の良いグループと纏まって座ったらしく、私達四人は自然、木口先輩のグループとの話をする事になった。けれど木口先輩自身は委員長という立場から全員と話をするつもりらしくすぐに席を立って色々な場所へと動き回っていた。最初の乾杯だけはして、私は進められるがままにとりあえずビール、という古いマナーに従った。とても苦かったのでそれからはジュースみたいに飲めるものが無いかを聞いて、おすすめのものを持って来てもらう。


 最初の一時間、話は私達についての事で終始した。四人ともが同じ高校で、本間君と花ちゃんは小学校から、高ノ宮君達三人は中学からの友達。花ちゃんと高ノ宮君が付き合うまでに色々と私達が動き回ったり、お弁当を作ったりしていた話は殊の外受けた。花ちゃんはずっと恥ずかしそうにしていて、それでも嬉しそうで、高ノ宮君は平静を装っていたけれど花ちゃん以上に照れているのが分かった。


 「二人は付き合ってるの?」

 茶髪で丸顔の男の人が本間君と私を指差し、聞いた。本間君ははにかんで私がいいえ、と答えた。


 「本間君と付き合っている自分は上手く想像出来ないですね」


 妄想は日々繰り返している。こういう時の私の発言は我ながら辛辣だったりするのだけれど裏を返すとかなり自虐的だということは私だけが知っている。本間君が苦笑して、僕が召使いにされてる想像だったら簡単に出来るんだけどね、と言って笑いを取った。


 「高二の頃からこき使われてたよな」

 「違うよ、ご指導をして頂いていたんだよ」

 「主従関係がきっちりしていたわよね」


 その頃になるとお酒も入っていたので皆かなり気さくだった。本当は虜になっているのは私の方だけれどね。と、又心の中でだけ卑屈な事を考える。花ちゃんだけが、そんなことないよ、二人とも仲良しじゃない。と、優しくて可愛らしい。


 十時半を過ぎて、色々と回っていた木口先輩が戻って来た。沢山飲んでいるのか心なし顔が赤い。飲んでる? と聞かれたのではい、と答えた。体が火照って熱い。コートだけではなくてセーターも脱いでしまったので今着ている上着はシャツだけなのだけれど、それでも熱い。


 「彼女、結構強いよ」

 木口先輩の友人が私をそう評価した。意外。と言われ、確かに、という言葉が周囲から湧いた。本間君も高ノ宮君も花ちゃんもそう思っていたみたいだ。


 「お酒強いの?」

 首を横に振る。いいえ、という意味ではなくて分かりませんという意味。


 「お酒飲むの今日が初めてなんです」


 へらへらと、締まりのない顔で答える。表情筋が弛緩して、頬が緩んでいるのが分かった。少し前までそれが気になってしょうがなかったけれどもう気にもならない。私とは逆に周囲は一気に静まった。


 「飲み会初めて!?」

 「何回かはありましたけど、飲まないでずっとジュースを飲んでいました」


本間君がそっと、私の前に置かれているカルピスサワーを自分の手元に引き寄せようとした。その手首を掴み、にっこりと笑いかける。


 「間違わないでね、これは私のだから」


 言いながら体を少し寄せた。本間君の手からグラスを引き上げて、半分程残っていた中身を全て飲み干す。味はもうよくわからないけれど、美味しいような気がする。


 「どうして今日は飲もうと思ったの?」

 「色々あって、飲みたいなと思ったんです」


 良い事も、嫌な事も沢山あった。本間君と会えるようになったのは勿論嬉しいけれど、彼が落ち込んでいる姿を見なければならないのは哀しい。もう彼に彼女はいない。その事実は私にとってチャンスなのだろうけれど、今の状況をチャンスと少しでも考えてしまう自分が情けない。


 どれもこれも、結局男がらみの下らない悩みだな。と自分を少し遠くから眺め、色々考えてしまった結果お酒を飲んでみる事にした。格好つけて言ってみれば、私は格好悪い事や隙の多い事をしてみたかったのかもしれない。


 何があったの? 話聞くよ? と木口先輩は先輩らしい気遣いを見せてくれたけれど勿論こんな事を話出来る訳も無く、一人暮らしの女は色々と面倒なんですよ、と意味深にはぐらかした。


 「本間君、熱い」


 その辺りからは時間の感覚も自分が何を話していたのかもよくわからなくなってしまった。翌日以降も自分が晒した醜態は全て覚えていたので私はどうやら記憶を失うような酔い方はしないみたいだと分かったけれど、体が熱くなって目が回る。後になって聞いたらそれは皆そうなると、珍しく本間君から溜息を吐かれた。


 「服を脱ぎたいわ」


 呟いたつもりだったけれど殊の外声が大きくなってしまったみたいで、シャツに手をかけた私を本間君と逆隣の花ちゃんが慌てて止めた。高ノ宮君がピッチャーで水を頼んでくれてそれを私一人で半分くらい飲んだ。


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