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第十話・駄目ね私は

 「ねぇ」

 藤原さんに一足遅れて私がパインを食べ終わった頃、不意に不安げな声をかけられた。


 「本間君、落ち込んでた?」

 チラリと、藤原さんを見る。私よりもほんの僅かに背の高い彼女が、迷子の子供のような眼で、もう何も刺さっていないアイスの棒を眺めている。


 「今日と明日は使い物にならないでしょうね」

 私は正直に答えた。そっかぁ、と藤原さんは申し訳なさそうに呟いた。


 「仕方ないですよ、好きでもない人に告白されたら断るしかないんですから」

 ううん、と藤原さんは首を横に振った。嫌いではないのよ、という言い訳じみた言葉が直後に続く。


 「私が構いすぎちゃったの、あの子、素直で利口なんだけど、どこかお馬鹿なわんちゃんっぽいところあるじゃない」

 「分かります」


 藤原さんの言い分にしては珍しく全面的に頷けた。私は素直で真っ直ぐな良い子だ、とか嫌いなタイプの主人公、と表現していたけれど藤原さんの言い分も中々どうして的を射ている。そう、本間君はとても犬っぽい。中義に篤くやる気に満ち、それでいて賢くない大型犬っぽいのだ。


 「だから、つい構いたくなっちゃって、もっと懐いて欲しくて、色々、お話ししたりおいでおいで〜、ってしてたんだけど」

 「勘違いさせちゃったんですね」


 困ったように眉に皺を寄せて頷く藤原さん。


 「それで、私に何をして欲しいんですか?」


 何か力になれますか? ではなく、何をすればいいのかを、私は聞いた。本当は藤原さんが私に求めている事の内容も大体想像がついたのだけれどそれだと話が跳びすぎてしまうように思えたので、とりあえずここから。


 「うん、えっとね、本間君に、これまで通り接して欲しいなって」

 「頼んで来たら良いんですか?」

 「そ、そんな怖い顔をしないでよ」

 「私はいつもこんな風ですよ」

 「そうだけど、何だか怒ってるみたいな気がする」


 不安げに、天然に鋭いことを言って来る藤原さん。態度も口調も、いつも通りの私のつまらない画一的なものであったけれど、勿論私はいい気持ちはしていない。これまでだって怒りを感じながら笑顔で話をしたという経験は何度だってあったけれど、何の裏付けもなく私が怒ってるみたいな気がする。と言って来る藤原さんは紛れも無くある種の天才なのだろう。


 「藤原先輩は、本間君とお友達になりたいんですね」

 「うん!」


 直感や感覚の勝負をしていては敵わないので話を進めた。嬉しそうに子供みたいな頷き方をした藤原さん。後ろの髪が一瞬持ち上がり、ふわりと揺れた。彼女も又、犬っぽい。レトーリーバー系だろうか。


 「本間君を異性として見てはいないけれど、自分によく懐いてくれているし、可愛らしくて構い甲斐がある後輩だから、恋人にはなれないけれどお友達として、また学校でお話をしたり、何かあったら遊んだりしたい。つまりはこれまで通りに接して欲しい。藤原先輩の今の考えを私なりに推測してみましたけれど、こういうことで宜しいですか?」


 これまでの本間君の様子や藤原さんの言いようから考えて、大体これで当たっているとは思うけれど、念を押して聞いてみた。返事は返って来なかった。


 「どうしました?」

 「いや、すごいなあ、って」


 驚いている藤原さんの瞳には純粋な尊敬の色が浮かんでいる。私と視線が合っているので、その尊敬のまなざしは私に向けられている事になる。


 「どうしてここまでのお話で私が考えてる事全部分かっちゃうの?」

 「そりゃあ……」


 これまでの話をまとめて整理すれば誰でも導き出せる答えじゃないですか、私の表情を読み取る事が出来る貴女がどうしてこんな事も分からないんですか? 


 「私は、本間君の友達だからですよ」


 という本当の思いは言わず、花ちゃんから学んだ言い回しをしてみた。これは嘘じゃない。少なくとも私と本間君が今友達である事は間違いない筈だし、だから考えている事が分かるというのもきっとある。


 「凄いなあ、私もそんな風に頭が良い人になりたかったなぁ」

 「無い物ねだりですよ」


 私だって、本間君から好かれる事が出来るのなら藤原さんみたいになりたい。こんな風に小賢しい頭を回してみても、自分の気持ち一つままならないのだから。


 「話しはしてみますけど、約束は出来ませんよ。男の子の方が異性に壁を作りがちですし」


 思ってもいない事を言っていた。実際に今の話を本間君にしたら大喜びするだろうし今日も明日も仕事をバリバリとこなすだろう。話すまでもなく、目を瞑るまでもなくその映像がはっきり浮かぶ。顔は思い出せなかったけれど。


 「それで充分、ありがとう」


 不安がらせるような事を言ったのに、藤原さんはきゅっと私の手を握り締めた。それから私達はメールアドレスを交換して分かれた。


 この時点で私は、本間君と藤原さんの関係を完全に断ち切る事が出来る立場にいた。本間君には何も話をせず、藤原さんには駄目でしたと連絡をする。四月まで待てば藤原さんは卒業し、二人の接点は完全に無くなる。


 その事を十分に理解した上で私は教室に戻った。


 お化け屋敷の受付には本間君の姿はなく、周囲にも見えなかった。聞くと、落ち込みすぎていて何かさせるのが心配だった為、仕事を任せず外に行かせたのだという。


 「辛気くさいわねえ」


 多分まだいるといわれて見に行った教室の外側、ベランダで一人黄昏れている本間君を見付け、私は溜息を吐いた。椅子もない場所で壁に背中をつけ、しょんぼりと座っている様子は藤原さんの表現通り犬のようで、今は捨て犬のように見える。


 何を話そうか、何を話すまいか、それを伺いながら少し距離を開けて隣に座った。私に気が付いていない筈はなかったけれど返事も会話もない。

 「悪い事しちゃったなぁ」


 暫くそうしていた本間君は、不意にそう呟いた。


 「なにがよ?」

 「僕が勢いで告白しちゃって。ご免なさいって言った時、藤原先輩、凄く哀しそうな顔をしてたから」


 理由を聞くと、そう答えられた。ふうん、とだけ返事をして続きを促す。


 「折角、楽しく話が出来るようになったのに、あんな顔させちゃって」

 「そうね、本間君はピンと来ないだろうけれど人を一人振るっていう作業は精神的に結構な苦痛なのよ。仲が良い友達であれば余計にね」

 「そうなんだ……藤原先輩、気軽に話が出来る男の子がいないって言って、僕と話をするの楽しそうにしてたな」


 私のちょっとしたあてこすりにも言い返す気力はないようで、何を見ているのか分からない視線を、正面の壁の辺りに向けている。


 「藤原先輩は気さくだし、それ以上に寂しがり屋な人だからね」


 その上美人で、パーソナルスペースが狭い。男の子を勘違いさせる条件が全て揃っている。こういう人を、魔性の女と呼ぶのだと私はむしろ悪い意味に受け取っているけれど、殆どの場所でそれは魅力と取られるとも思う。


 「自分が振った男の子が、じゃあ今まで通り友達でいましょうと言って来るなんてまずない事だし、大概の場合は気まずくなって疎遠になるわ、だから寂しくて、哀しい顔をしたんじゃないかしらね」

 「悪い事したなあ」

 「ほんっとうに、お人好しねえ」


 それから私は暫く時間をかけてお説教をした。本間君が今こうして落ち込んでいるせいでクラスの雰囲気が悪くなっていること。私や高ノ宮君、花ちゃん。その他のクラスメイトにどうして少しも相談してくれなかったのかということ。そして、こんなところに一人でいたら体を壊すということ。体を壊して学校を休んだ事が藤原さんに知れたら責任を感じるのは彼女だという事もついでに付け加えておいた。


 「そんなに悪いと思うのなら、友達になってあげたら良いじゃない」


 ひとしきり言いたかった事、言うべきと思った事を言い終えてから、私は自分の事を一番に考えるのならば、本来するべきではない話をした。


 「藤原さんは気軽に話が出来る男友達がいなくて、一緒にいる時は楽しそうにしていたんでしょう? だったら次藤原さんの姿を見た時も今日までと同じようにお早うございます、って言えばいいのよ。もし機会があったらこれからも仲良くしましょう、位の事を言ってご覧なさい。たったそれだけの言葉が今まで彼女に告白した男の子達は言えずにいたのよ。告白する勇気はあっても、対等な友達になる覚悟はない人達ばかりだったのよ」


 認めざるを得ない事実、彼女を相手にすると回りがどうしても身構えてしまう。私であれば接すれば接する程自分の汚い部分に気が付かされてしまうし、私以外の女の子でも近いところはあると思う。余りにも映りが良過ぎる鏡のように、見たくない自分の一面が見えてしまうから。綿貫さんはきっとそれすらも受け入れる度量を持っているか、そんなものに負けない自負があるのだろう。私は藤原さんが苦手なので距離を置いているし、これから近づいて来られてもある程度の距離を置き続けるつもりではある。


 「さっき、藤原さんと話をしたわ。友達になって下さい、って告白だったらきっと大喜びされる筈よ。幸い今日と明日は文化祭なんだから、話をして来たら良いわ」


 友達になって下さいと最初に言ったのは藤原さんの方。なのにそんな言い方しか出来なかったのは私の何心からだったのかは、自分でもよくわからない。


 「……本当に?」


 真っ暗闇の中で一筋の光明を見付けた人がどんな表情を作るのか、その模範解答のような表情を向けられ、私は視線を逸らした。


 「私が間違った事を言った事があったかしら?」


 断定して言い切ると、無かった。という一言と共に両手を掴まれ、握り締められた。私の心臓が高鳴り、頬が赤くなり、背筋に電流のようなものが走り、そして掴まれた手を振り払う。


 「本間君も、藤原さんと同じ事をするのね」


 怒ったような表情を作り、じっと本間君の目を見詰めた。本当は睨みつけたつもりだったけれど、途中から見蕩れてしまって、強い視線にはならなかったと思う。


 「例えば今の握手で私が勘違いしてしまったらどうするの? 私に告白をされて、それで断ったら、私も本間君も異性の友人を失うし、傷つく人がでるのよ」


 そんな事を無意識でする人達だから、私は本間君に惹かれて藤原さんに苦手意識を持った。


 「好きじゃない人には優しくしない。誰かと付き合いたいって思う事はそれ以外の誰かと付き合う事を諦める事でもあるのよ。誰にでも振りまく優しさは残酷だわ」


 暫く黙っていた本間君はそれから私が言った言葉を何度か反芻して、分かったと頷いた


 「分かったら、ご飯にしましょう、そこで待っていて」


 立ち上がって、教室から椅子を二脚運ぶ。教室の端にかけてあった自分のバッグも取り出し、そこからお弁当。これも二つ取り出した。


 「お弁当?」

 「そう、先週作って来てあげるって言ったでしょう? すっかり忘れていたのだけれど昨日思い出したのよ。二人分作って来たわ」


 文化祭の準備の十倍は不安になりながら作った私の生まれて初めての手作りお弁当。どんなに頑張っても花ちゃんが作ったように可愛らしくはならなくて、作った時には美味しくても時間が経って食べてみたらしょっぱくなっていたり、何度も何度も試行錯誤を繰り返して作った手作りお弁当。


 「本当は花ちゃんと高ノ宮君と、四人で食べようと思っていたのだけれど、折角付き合い始めた二人の邪魔は出来ないから、今日からは本間君と二人のお昼ご飯で我慢する事にするわ」


 照れ隠しの言葉を冗談めかして言った。本間君は驚きながらも微笑み、お弁当を受け取ってくれた。


 「言っておくけれど、これは優しさを振りまいている訳じゃないわよ。クラス委員のよしみとはいえ、毎日のように文化祭実行委員を手伝ってくれた事と、私が風邪をひいた時に仕事してくれていた事のお礼」

 「僕、実行委員の仕事楽しんでたし、いっつも勉強見てもらってるし、お礼をしてもらう程の事でも」

 「じゃあ返して」


 両手を伸ばし、渡したばかりのお弁当箱を受け取る構えを見せると、笑ってしまうくらいに狼狽する本間君の姿が見られた。


 「私が私の気持ちとしてお礼をしたいと言っているのに、お礼をしてもらう程じゃないだなんて酷い事を言うわね。私がお礼をしたいと思った気持ちはどうなるの?」

 「あー、そうだねごめんなさい」

 「分かればいいわ」


 にっこり。お弁当を開けて、お昼ご飯を食べる。私のと本間君の、中身は大体一緒だけれど量は本間君の方が多く出来も本間君の方が良い。



 「駄目ね、私は」



 食べ終わって、お茶を飲んでいる時、誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。一番大切なところでやり方を間違える私。これから先、私は毎日至る場所で藤原さんに嫉妬をし、どうして私では駄目なの、と使い古された疑問を何度となく自分に問いかける。自己嫌悪にだって繰り返し襲われるし本間君を怨みさえした。けれど不思議な事に、この日の選択を後悔する事は一度もなかった。

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