50 奈落の底の世界を振り返り、未来を創ると決めた者
何もかも失ったと思い込んでいた。結局どこへ行っても、たとえ力を得ても、自分はこうなる運命なんだと思い、俺は絶望していた。
誰とも分かり合えない。一人のまま。結局行き着く所は孤独。
神となった喜びも、他者に認められる嬉しさも、再び失う絶望感を味あわせるための布石だったってわけかよ。あひゃひゃ……ひでえもんだ。もうさっさと消えてしまいたい。死んでしまいたい。
この世界で死ねば記憶も失うし、ほぼ完全にやりなおしになる。しかしもしかしたら俺は、生まれ変わってもまた、似たような人生が待っているのではないかとも思ってしまう。どこまでいってもそうなる呪縛があるのではないかと。ずっとろくでもないままなんじゃないかと。
そう考えると、死ぬことさえもできない。結局俺は何なんだ? 一体どうしたらいいんだ? 何のためにこんなに辛い想いをして苦しみ続けなければいけないんだ?
「待ってくださいっ」
アジトから出た所で、そんなことを考えて空を仰いでいた俺に、背後から呼び止める者がいた。
「俺も連れて行ってくださいっ」
「俺もあんたと一緒に行く。いや、一緒に行かせてくれ」
涙をぬぐって振り返ると、十人ほどの乱す者が、思いつめた表情で俺を見ていた。
「俺もあんたと同じだよ。地獄で辛い目にばかりあって、その恨みを晴らしたくて乱す者になった。でも、あいつらの思想に同調していたわけじゃない。暴れられるから、都合がいいから組んでただけなんだ」
「あいつらの下にいるしかなかったけど、本当は嫌だった。あいつら、自分達は優れた者だと思い込んで、他人を馬鹿にしくさってる。俺もあなたと同じなんだ。あっちじゃああいう奴等に散々いじめられてきた」
「君のような人が現れてくれたことが、僕は嬉しい。僕等の気持ちを代弁してくれた」
気持ちをふりしぼるかのように次々と語る彼等が、嘘をついているように見えなかった。
彼等の中に一人だけ女がいた。女というより、少女だが。ドワーフの少女。
「神様は人の痛みがわかる。自分が痛い想いをしたから。ここにいる人達もわかる。人の痛みのわからない人達が、私達に痛みを与えた」
ドワーフの少女がそんなことを口にする。皆の視線が少女へと降り注ぐ。つぶら瞳と柔和な丸顔が印象的だ。
「私達の神様は、痛い気持ちで私達と繋がれる。そういう神様と巡り会えたこと、直に出会えたこと、祈れること。それはとても幸せなこと」
詩を朗読するかのような口調で語ると、少女はおもむろに跪いて、俺に向かって両手を合わせてうつむき、祈り始めた。
他の者達もそれに習うかのように、同じポーズを取り出す。
俺はしばらく固まっていた。
俺なんかが……神に捨てられた地ではド底辺の存在だった俺が、こちらで本当に神として崇められている。しかもその神としての力ではなく、心の方を認められて。
俺の中で嵐のように何かが吹き荒れている。それは俺の中で絶えず渦巻いていた怒りや憎しみや悔しさを全て吹き飛ばしてしまい、今までの俺という存在を完全に浄化してしまっているのが、実感できた。
「わかった。ならお前ら、俺の信者になれよ。神には信仰の力が必要だっていうしな」
俺の言葉に、彼等の表情が歓喜へと変わる。それを見て、胸の中の氷が解けていく。痛みが消えていく。闇が晴れていく。たったそれだけのことで、俺は生まれてこのかた味わったことのないような、温かさで胸の中が満されていく。
涙が零れ落ちるのを悟られないよう、彼等に背を向け、俺は歩き出した。
何だ、この感覚はよぉ……。初めてだ、こんな感覚。胸が温かくて、満たされて、何かすごくこみあげてきて、口の中がしょっぱくて、凄く熱い涙があふれてきて……何だよこの感覚は。泣いたことなんて何回もあったのに、こんな気持ちで泣いたことなんて、初めてだ。
この俺が、幸福のあまり涙を流すことになるなんて、そんなこと想像すらしえなかった事だ。それが……今……俺は……
***
神様とそれに付き従う信者達一向。それが俺の新たな日々。
これまでと同様に、停まり人との戦いを望む一方で、俺達は綺羅星町で新たな信者獲得をする活動を行っていた。少しずつ――本当に少しずつではあるが、信者は増えていく。一人でも信者が増えると、俺はそれで物凄く嬉しかった。
特に俺が心を許せたのは、カナギという名のドワーフの女の子だった。引っ込み思案なうえに、思っていることをうまく話すことができない子であったが、たまに喋ると、ドキッとさせることを言う。話し方や表現も独特のものがあって、俺の心を惹いた。
カナギは例え離れた位置にいても、ちらりちらりとしきりに俺の方を見てくる。俺が視線を向けると恥ずかしそうに慌てて目を逸らすという、微笑ましいリアクションをする。
俺は次第にカナギと仲がよくなり、二人きりでよく会話をかわすようになった。地獄じゃ女の子と二人きりで話すなんて思い出、一切無かった俺だ。最初はただその事実だけで感動ものだったわ。
こちらから話しかけにいかなくても、カナギは気がつくとすぐ近くにいて、俺の方から声をかけてくるのを待っている。そういった行動の一つ一つが、俺のツボをついている。
「私は地獄では足立たずで役立たず。足、動かなかった。働けない駄目な女。皆からそう思われていて疎まれていた」
ある日、カナギは生前の頃の話をしだした。暗い面持ちで、どこか後ろめたそうに。
「誰にも認めてもらえなかった。誰も私の痛み、気がついてくれなかった。生まれつき足が動かなかっただけで。ただそれだけで、私はずっと痛い人生。役に立たない女として嫁の貰い手も無いだろうからと、成人したら放り出された。乞食で残飯を漁って生きてたけど、乞食の縄張り争いにも勝てず、気がついたら死んでた。多分私、餓え死にした」
話を聞きながら、俺は指先が冷たくなっていくのを感じた。
ドワーフの社会ってのは物凄く差別的なのか? それともカナギの周囲だけ偶然そうだったのか?
こいつも俺と同じだったのか。劣る者として、虐げられていた。ま、俺と違って、こいつの方がわかりやすくて同情引きやすいだろうけどよぉ。
「こっちに来て、足動くようになった。私を見下し、罵る人もいなかった。私は乱す者の人達の料理を作る仕事、満足してた。でも本当は怖かった。もし私の足が動かないままなら、乱す者の人達も、地獄と同じように私を役立たず扱いするんじゃないか。それなら同じ。ただ足が動くか動かないかで、私の扱いは変わる」
そういう事情で見下す奴はそうそういないと思うがな……。
俺みたいな、五体満足にも関わらず何をやっても駄目で、負の連鎖続きで何をする気力も失ってしまった、そういうケースなら同情もせず上から目線で叩くだろうがな。
「ひどい扱いは受けなかった。でもずっと怖かった。どうしても心開けなかった。そこに神様が現れた。神様は心の痛みをわかる。劣る者の心の痛み、劣るから見下される痛み、劣るからひどい扱いを受ける痛み、全部わかる。だから安心できる。信じられる」
カナギの話を聞いて、俺は目から鱗が落ちた。
地獄でのあの人生は、ただひたすら苦しむだけの、まさに地獄であり、俺は何もできなかったし、何も残せなかったし、何も得られなかったと思っていた。
でも俺は――何もできなくて虐げられるだけの人生だったからこそ、得られたものがあったと、カナギの話を聞いて思っちまった。
俺がそんな人生を歩んできたからこそ、底辺の苦しみがわかるからこそ、奈落の底から世界を睨み上げて壊したいと願うからこそ、カナギや信者達の心を掴むことができた。
カナギを巫女とすることを決めたのはこの時だ。他の信者達も文句は言わなかった。いや、俺のすることに文句を言う信者は一人もいない。神のすることに異を唱えれば、その瞬間で信者とは呼べなくなってしまうからな。
***
信者の一人がシリンの配下に殺されたと聞き、俺はカナギと共に、シリンの家に落とし前をつけにいった。奴が綺羅星の自宅に帰っているという話も聞いていたからな。
そこで奇跡の絵描きと遭遇したのは全く予想外だった。シリン一人ならば、カナギの奇跡と連携してブッ殺すこともできただろうに、奇跡の絵描きがいたせいで台無しだ。
しかし……奇跡の絵描きの反応、以前会った時と違っていたな。俺を見て戸惑っていたような、俺に対しての憎しみが薄れていたような……。
それだけじゃない。俺もあいつに対して、もう憎しみは無くなっている気がする。それよりも対抗心のような意識の方が強くなっている。あいつは俺とは反対の存在な気がしてならないからな。
シリン襲撃に失敗した翌日、シリンが俺の元を訪れた。
「手打ちにしない? さ、先に手を出したのはき君だよ。僕の部下が何人も殺されている。だから、こ、これでおあいこだ。僕は君の信者を殺した部下も、殺したよ。これで水に流そうよ。それともなおも争いを続ける?」
身構える俺に、シリンはそんなことをぬかしてきやがった。
「一時は同じ釜の飯を食った者同士として、見逃してきた。だがもうお前らを許せないぞぉ」
「む、無駄死にを増やすだけだよ。憎しみの連鎖は断ち切らないと」
「何も無駄死になんかじゃねぇ。俺達に手を出しただろぉ。それだけで死を賭して戦うには十分すぎるぜ」
そもそもこいつらこそ俺が最も嫌う人種だ。停まり人なんかよりもこいつらが敵である方がいいとすら思えた。
「手打ちにしたいだけじゃない。もう一度君ら、僕達と一緒にやらない? ぶ、部下達には、君達を侮辱するような発言は絶対に、き、きき禁じるから」
「ふざけんなっ! どうしてそうなるんだっ!」
思いもよらないシリンの言葉に、俺は頭にきて怒鳴る。
「き君に燃やされた僕の家ね、奇跡の絵描きが直してくれたんだ。ぼ、僕とは敵同士なのにさ」
わけがわかんねえ……共闘してたから、つるみはじめたかと思ったら、実は敵同士で、家を直してくれた?
「僕が悲しんでるのを見て、直してくれた。敵なのにさ。そ、その時、僕、お、思ったんだ。彼の本当の強さ、警戒すべき部分は、こ、これだなって」
「はあ? イミフ。ただの度の過ぎたお人好しってだけだろ?」
「そ、そんなに簡単に軽んじて切り捨てていいの? 君に同じこと、で、できる? 僕にも多分できなかった。ででも彼はそれをやったんだ。僕は彼のあの優しさこそが、し、し真の脅威だと思った。ああいう子が敵であることが、お、恐ろしいと思った。そ、そ、そう思わない? 本当にわからない?」
俺は押し黙った。あいつは……そういう奴だったのか。
いや、そうだろうよ。俺もあいつがそういう奴だって知っている。だからこそあのバスの中で命と引き換えにしてまで格好つけて、俺に殺され、俺を殺したんだ。俺が誰よりもわかっているはずじゃねーかよぉ。
あいつに対する憎しみはもう無い。何故か消えてしまった。だがあいつへの対抗心は、シリンの話を聞いてさらに強くなっている。何なんだろう、この気持ちは……。
「それで、何で俺らが和解するって話になるんだよお」
「ぼ僕らもにに憎しみを捨てるべきだよ。か、彼は僕らの最大の敵となると、僕はよよ予感した。君にとっても彼は、て、て、敵だろう? いがみあわずに協力して奇跡の絵描きを倒そう」
シリンのその誘いに、俺の本能が乗るべきだと告げていた。
俺よりもあいつの方が強いなんてこと、わかってるんだ。人として強い。人として厚い。人として深い。人として上。そう意識するだけで、奴に対しての気持ちは強くなっていく。このままでいるのも確かに癪なんだよ。あいつを越えてやりたいという気持ちが、俺の中に強く生じている。
全ての終わりはあいつとの出会いで、始まりもあいつだった。俺に無いものを持っているあいつを否定し、俺の方が正しいと、俺の方が上だと証明してやりたい。そんな欲求が俺の中にある。
俺はシリンと再び手を組むことを決め、それを伝えるために信者達を集めた。
「俺はもう一度シリン達と組むことにするわぁ。あいつの水に流すという言葉を信じてみたいし、何より、俺自身がより成長し、お前達信者が胸を張って誇れる神になりてえからな。納得できないという奴は来なくていい。こんな風にころころ方針転換する奴が信じられないってのはよぉ、俺もわかるからな」
俺の言葉に、離反する者が二人ほどいたが、仕方無いと思って諦めた。たった二人でも、信者が離れていくのは辛かったがな。
それから俺は、最初に乱す者への協力で行っていたペイン耐性付与に、また協力した。しかし今度は魔物だけではない。人も含まれる。
このペインへの耐性付与には、生ずる後遺症の問題がある。単純な傷に対してはペインを感じにくくなる代わりに、通常ならペインなど生じ得ない刺激に対して、ペインを感じるようになってしまうのだ。例えば食事を取るとペインが生じるなどという変化が生じてしまうことがある。
神の力とコボルトの科学者達をもってしても後遺症を併発する、危険な賭けであるにもかかわらず、名乗り出る者は多かった。
***
乱す者と、俺の信者達との連合軍。あらゆる手を尽くした最後の戦いが終わった。
いや……俺の最後の戦いは終わっていない。まだやることが残っている。
「俺はこれから、俺の命と引き換えに、囚われた信者達を救いに行く」
残った数少ない信者達を前にして、俺は告げる。
信者達は一斉に顔色を変えて反対した。俺を引きとめようと泣きながら懇願する者すらいた。それが俺の心に響いた。嬉しいのと辛いのが入り混じって、信者達の前で涙が流れるのを堪えられなかった。
「俺はお前達が大好きなんだよっ。これ以上一人として死んでほしくもないし、捕まったままってのも嫌なんだよ! 戦っても勝ち目が無いとわかっているからっ、だからっ、この方法が一番いいんだ!」
信者達の説得を振り切るかのように、俺はわけのわからない恥ずかしい台詞を喚いた。
「奴らは甘ちゃんだからな……受け入れてくれるさ。それが受け入れられなかったら、その時はこのくだらない命尽きるまで暴れまくってやる」
最後にそう言って、俺は信者達に背を向けた。
別に俺は命を捨てに行くだけじゃあない。他にも目的はある。
奇跡の絵描き。あいつだけは殺す。恨みでも憎しみでもない。けじめだ。あいつが全ての終わりで始まりだった。これまでの奴等同様に、最も残酷な方法で殺させてもらう。俺をムカつかせた乱す者達を殺したのと、同じ方法で。
そう……俺が味わった苦しみ、思い出を全て、あいつにも味あわせてやる。俺の記憶を……俺がどんな苦しい思いをしたかを全て、あいつにも味わってもらう。俺が気に入らなかった乱す者達を殺したのと同じ殺し方だ。こんな残酷な殺し方は無い。とはいえ俺の苦痛の思い出のペインは、おそらくあいつに全ての記憶を見せる前に、あいつを殺してしまうだろうがな。
***
「いいぞ、その勝負、受けてやんよ」
俺の要求を奴は受け入れた。
俺はじっと奴を見る。つくづく綺麗な顔をしている。見た目はまるっきり女の子だ。きっと成長したらイケメンだったろう。俺と会った時は年上の中年男だったが、若い時はモテただろう。そんなしょーもないことが次々頭に浮かんでくる。こんなことを考えているってことは、俺にも精神的な余裕があるからなのか?
俺はこいつを憎んでいた。こいつも俺を憎んでいた。俺はこいつとこの世界で再会した時、こいつが俺を憎んでいることを知り、正直嬉しかったんだわ。変な話だが、例えそれが憎しみであろうと、俺のことを強烈に想ってくれている奴がいたという事が、嬉しかったんだわ。
今それを改めて実感する。しかし今度は憎しみじゃない。けじめをつけたいというチンケなこだわり。奇妙な対抗心。そんなものを互いに心に秘めて燃やしていたこと。それが嬉しい。嬉しくてたまらない。俺達の心は通じ合っていた。
「さあ、最後の戦いだ」
気合いを込めたつもりで俺は言ったのに、何故かひどく物静かな声が出て、自分自身で拍子抜けだった。奴にはきっと間抜けな響きに聞こえたに違いない。そう思うと悔しいぜ。
「ふぁっく。最期の戦いになるのはお前だけだ」
そう言って奴は親指で首を切るジェスチャーをしてきた。つくづく生意気な餓鬼だわ。
***
暗闇の中で、互いの姿だけが見える。
泣いている。俺も……奴も……。
こいつ、何を泣いてやがるんだ? ひょっとしてまた、俺のために泣いてくれるっていうのか?
「何泣いてんだよ……」
「お前も泣いてるだろ」
俺が声をかけると、奴は泣きじゃくりながらそんなことをぬかした。
何でだ? 何で俺も泣いているんだ?
俺のこの涙の正体は知っている。嬉しいんだ……俺のために泣いてくれる奴がいて、それが泣くほど嬉しいんだ。つまり、こいつに泣かされているようなもんだ。
あっちにいた時に比べて、こっちに来てからの俺は幸せだった。こいつも含めて、多くの人と心を通わせることができたから。間違いなく幸せだ。今、凄く幸せな気分だ。




