1 おいでませ異世界?
目が覚めると異世界にいた。
うん、何をどう見ても異世界ファンタジーわーるどだ。だってさー、エルフとかドワーフとかゴブリンとかコボルトとかオークとか目の前にいますものーっ。人間も結構いるけどね。
マジもんのエルフは超綺麗。オークやゴブリンは中々インパクト強い。特にゴブリンは体色からしてケバいからな。コボルトはお毛ふさふさで可愛いワンコ面。ドワーフは……うん、ドワーフだ。
皆武装している。いかにも西洋ファンタジーなチェインメイルやらレザーアーマーを着込んでいる者が多数。得物はパイク、メイス、ロングソード等、これまた様々。日本刀持っている者もわりといる。さらに銃身の長い銃を持っている人までいて、もうカオス。
その光景だけでも異世界ファンタジーなんだが、普通は人間の敵役であるゴブリンとかコボルトとかオークが、人間やらエルフやらと普通に会話している。コボルトはただの犬顔で可愛くて悪役に見えん。
少なくとも彼等は同じ陣営のようだ。人間は……どう見ても東洋人ばかりである。顔だけ見ると日本人にしか見えん。
無数に張られたテント。周囲を囲むバリケードと塹壕。武装した人と亜人達。ようするにここは戦場の野営地といったところか。
妙なことに彼等の多くは、一人一匹ずつ動物を連れている。鳥を肩に乗せたオーク、トカゲを頭の上に乗せたゴブリン、リスと戯れるエルフ、犬に餌をやる人間。皆種類の違う動物を連れている。戦場にペット連れとか、すげー違和感。
亜人等が連れている動物は、俺が元々いた世界にいた動物と似て非なるものが多かった。角の生えた鳥だの、目が三つあるトカゲだの、エメラルドグリーンのリスっぽいのとか、そんなものは俺のいた世界では御目にかかった事が無い。
人間が連れている動物は、普通のもいれば、微妙におかしいのもいる。空を飛ぶエンゼルフィッシュを連れている奴とかいるしな……
俺の存在に気が付いて、肩にリスを乗せたエルフの兵士と、肩に小鳥を乗せたゴブリンの兵士が、こちらに不審げな視線を向けて何やら囁き合っている。
最初は異世界に召喚されたのかと疑ったが、どうもこれは召喚されたというより、異世界と繋がる扉が何かのはずみで開いて迷い込んだ系?
ちょっと期待したんだけどなー。異世界に召喚されてすごい力に目覚めて勇者扱いされてチヤホヤされて、チート無双。よく子供の頃から夢想したもんだよ。創作物にも腐るほどあるが。
召喚者っぽい人も近くにいないしね。いや、近くに必ずいるとも限らんし、決めつけはよくないか。
やがてエルフの兵士がどこかへ行き、ゴブリンの兵士が積み荷から簡素な服と、革鎧を取り出して、こちらに向かってきた。
つーか、このゴブリン兵士、わりとでかくないか? ゴブリンて小さなもんだと思ってたのに。俺より背でかい。いや、さっきまでいたエルフはもっとでかかった。
「着るといいっス。何で裸なんスか」
ゴブリンが日本語で喋って俺に服を差し出した。
「何で裸なんスか」
俺も自分がすっぽんぽんなことに気がついて、同じ台詞を同じ口調でオウム返ししてみた。
それを聞いてゴブリン兵士が小さく吹いていた。お、ウケた。
「ゴブリン用の服と鎧なんスが、サイズはそんなに違わないみたいっスね」
腰に手をあてて、ゴブリン兵士が言う。革鎧は見た目より軽く、そして革は堅くて頑丈そうだ。材質が何かは不明だが。
ゴブリンの服を装備した。ゴブリンの革鎧を装備した。何てね。
後々になって思う。何でこの時点で、自分の体の変化に気が付かなかったのだろうと。頭ぼーっとしてたのかねえ。
「隊長の所に連れていくっス。何が何だかわからんでしょーが、ここは黙って従ってくださいっス」
穏やかな口調でそう告げると、ゴブリンはついてくるように手を振り、歩き出す。
歩いているうちにさらにわかったこと。それはここの兵士達の士気が低いってこと。負傷者の姿は見受けられないが、皆表情が浮かなく、重苦しい雰囲気が漂っている。
他の何倍も大きなテントへと連れてこられる。いかにも隊長がいますって感じの奴だ。
「ふむ。生誕者がこんな所に沸くとはな。運の無い子だ」
テントの中に入るなり、俺の姿を目の当たりにした壮年の男が、顎に手をあてて言った。歳は俺と同じか少し上か? 三十代後半から四十前後といった所か。いかにも隊長といった感じの奴だ。顎髭と口髭で覆われ、西洋風の甲冑に身を包んでいるが、やっぱり見た目は日本人ぽく見える。
この隊長も動物連れだった。足元に白い子猫がいる。うおー、すげえ可愛い。しかし戦場に子猫とか超違和感。
で、早速この世界のファンタジー用語っぽい言葉出ました、これ。セータンシャとは何ぞや?
「セータンシャってのは、向こうの世界からこっちに呼ばれた人のこと? あるいは迷い込んだ人?」
「呼ばれた? 迷い込んだ?」
俺の洞察に、隊長っぽい男は苦笑していた。あれ? 外れたか。いかにも俺の素性がわかっているような言い方だったのに。
「俺は堀内幹夫だ。ここの隊長をしている」
日本人ぽいなと思ったら、本当に日本人名を名乗ってきやがった。つまりあれだ。この人も俺と同じ境遇ってことかね。元々日本にいて、こっちの世界に迷い込んで来たと。
「新居太郎です」
「ふむ。素朴でいい名だな」
社交辞令で言ってるのか、本気で言ってるのかわからんが、いずれにせよ名前を褒められたのは初だ。名乗って笑われた事は結構あるけど。
「敵襲―っ! 敵襲―っ!」
大声で報告がなされる。さらに警鐘の音。
「あうう……えっと……ここって一体。俺は……」
「気持ちはわかるが、説明している暇は無い。今は猫の手でも欲しいんだ。来たばかりでこの世の理を知らぬ生誕者だろうと、子供だろうと武器を持たす」
堀内はそう言って、手近にある箱から、銃身の長い銃を一挺取り出し、俺に放り投げてよこした。
「いきなり戦場に立たされるとはいえ、剣ではなく銃ならまだ扱いやすいからマシだろう。剣の方がより強いペインとなるんだがな」
ペインとな? はいはい、また新たなキーワードきましたよ。ペイン――つまり痛みということか。直訳して想像してみると、武器で相手に痛みを与えた方がいいとか、そんなルールか? さもなきゃ特殊効果か?
そして銃は扱いやすいが剣の方が強い世界とな? うーん、想像し難い。
「弾薬はこれだ」
弾薬が入っていると思しきケースを放り投げてよこす堀内。
「まあ戦うかどうかは君に任せる。戦わなかったからといって責めることもしない。そもそも兵士でもない子供に、いきなり武器を持たす方がおかしいしな。連れて行け」
堀内がそう告げると、俺をここに連れてきたゴブリン兵士が俺の手を取って、テントの外へと連れていく。入れ替わりで、何人もの兵士達が、テントの中へと入っていく。種族は様々だ。
そこでようやく俺は気が付いた。すれ違う兵士の背が皆高い。いや、高く見える。ゴブリン兵士もとりわけ背が高いわけではない。そう見えるだけだ。
ようするに俺の視点が低い。俺の背が縮んでいる。いや……
股間を握ってみる。うおおおおっ。小さい! やっぱりだっ! 俺の体が子供になってるじゃねーかよ! ふぁっくーっ。
どれくらいの年齢になったのかわからないが、小学生高学年にも達してないだろう。せいぜい九歳か十歳。何てこった。せめてアソコだけは大人のまま維持してほしかった……
「戦うって、どんな敵と?」
ゴブリン兵士に何となく聞いてみる
「生誕者の君にはわけわからないことばかりで、混乱していると思うっスが、今の状況だけ解説するっス。この世界の平和を乱す者達と、俺達は戦っている真っ最中なんスよ。その呼び名もズバリ、ストレートに『乱す者』っス」
乱す者か。乱すのは得意なんだけどね。ぐへへへ……とか言おうと思ったが自重しておいた。
「あんたの名は?」
「ドポロロといいまっス。よろしくっス。新居君」
いかにもゴブリンらしい名前だった。いや、ゴブリンらしいかどうかは人によって感じ方が違うかもだが。
「太郎って呼んでいいぜ」
「名前から呼ばす人間てのも珍しいっスねー」
ドポロロが微笑む。
「で、どうするっスか? 生誕者で子供の君なら、事情を話して降伏すれば助けてもらえるかもしれないっスよ。奴隷商人に売り飛ばされる可能性もあるっスけど。さもなきゃこの場で嬲りものにされるとか」
「うん、戦っておくわ」
笑いながら恐ろしいことを言うドポロロに、俺はそう答えた。せっかく異世界に来たってのに、何だかいきなりろくでもねーな……俺だけのスペシャル勇者パワーとか、選ばれた者設定はねーのかよ、ふぁっくー。
「あっちの銃とこっちの銃は、微妙に違うから気をつけてくださいッス。そもそもあっちとこっちじゃ、物理法則からして違う所があるんスけど」
「そもそも銃なんて撃ったことありませんがねー」
忠告するドポロロに俺は言った。
「太郎君、ひょっとして撃ち方もわからんス?」
「それはわかるけど」
「なら問題無いっスよ。敵が来るから引き金引いて撃てばいいっス。銃は地面に当てて、ちゃんと固定して撃つんスよ。あと、頭や胸を撃ったからといって死ぬわけでは無いっス。それだけは覚えておいて、油断しないようにしてほしいでっス」
頭撃っても死なないとか、どんな化け物と戦ってるんだよ……
まあいい。俺の力が必要とされている。それだけで力を貸す理由は十分よっ。悪人に力を貸すのは嫌だけど、こいつら悪人てわけでもなさそうだしー。
「こっちに来ていきなり戦闘とか、可哀想にとは思うんスけどね。でもここは包囲されてしまっていて、逃げ場も無いんスよ。おまけに数も向こうが上ってね」
「きっと俺が選ばれた勇者で、覚醒してこのピンチを何とかする展開だろうから平気平気」
「だといいっスね」
冗談めかす俺の言葉に、ドポロロは笑っていた。結構余裕有る……というわけではないな。切羽詰っているからこそ、できるたけ悲観しないように努めているのだろう。
ドポロロと一緒に、俺は塹壕に身を潜める。こっちには敵の姿は見えないが、野営地の反対側ではすでに戦闘が始まっているようで、銃声が響いている。
この野営地、丘の上に築かれているとの事で、敵は斜面を登ってくる形になる。地の利はあるようだが、しかし囲まれているってのはキツそうだな……。城でも砦でもない、バリケードと塹壕だけの野営地だしね。
敵が来るまでの間、暇なので、わかっている事をおさらい。
一、この世界では向こうから来た人間がちゃんと認識されていて、生誕者とか呼ばれている。しかも人間が日本人ばかり。どうも『勇者様、世界のピンチを救ってヘルプぅ~』というノリで召喚されたわけではないようだ。
この世界に来た理由はやはりあれかね……。記憶の最後にある、バスの男の、世界を否定した絶叫。あれに巻き込まれてこっちの世界に来たのだとしたら、バスの男もこっちに来ている可能性が大だな。
ニ、ファンタジーなのに銃とか有って、銃より剣の方がペインとやらが強いらしい。ペインが何であるか不明。敵に与える状態異常か?
三、この世界の悪い奴等とこれから戦う。『乱す者』という呼び名。銃で頭撃ったからといってすぐ死ぬわけでもないらしい。怖いねー。じゃあどうすれば死ぬのかって話。二のペインとやらが鍵かな?
四、何故か俺の体が子供になっている。哀しい。特にあれが哀しい。俺の中で悪魔の下半身を持つ男と呼ばれていた俺が……無害な天使になっちまった。何てこった。ふぁっく。
五、誰も彼も動物連れている。可愛い。羨ましい。
まだこの異世界に来たばかりなのに、すでにこんなに異世界情報があるんだが。
取りあえず暇だからドポロロに聞いてみっかー。
「何で皆動物連れてるの?」
そこからかよっ。と、頭の中でセルフ突っ込み。ドポロロはスズメに似た小鳥を肩に乗せていた。
「使い魔っスか? 街に行けば太郎君ももらえるスよ。皆一匹ずつ連れているんス。動物の姿をしたパートナーでっス。いろいろ役立つっス」
はい、謎一つ解けた―。そしてそんなのもらえるなんて、ちょっと楽しみ。何しろ向こうの世界じゃ、ペットとか飼いたくても飼えなかったしね。俺、動物好きなのに。
まあ生きていれば、の話だがね。
「何で俺、子供の体なの?」
「子供だから……じゃないんスか?」
謎解けない解きにくいっ。何言ってんだこいつみたいな目で、ドポロロは俺を見ている。
「いや、ひょっとして君あれっスか。精神年齢がお子様のままだから、子供になっちゃったっていう奴じゃないっスかね。そういう話もあるって聞いたことあるっス」
「はー? それ冗談で言ってるんだよな?」
「いやいや、俺も見るのは初めてなケースっスが、そういう生誕もあるらしいっスよ」
セータンねえ……
「ここに来た者を何で生誕者って呼ぶんだ? 誕生の意味だよな」
来訪者とか訪問者とか漂流者とかならわかるが、生誕者って呼び方も変だな。
「そうス。由来としては、この世界に文字通り新たに誕生したという概念だからっス。この世に新たに生まれ出ずる者は全て、『神に捨てられた地』で死んだ者ス。あっちで死んだばかりの君からすると、この世とあの世が逆の感覚だろうっスけど、俺はこの世にいるのも長いっスし、そういう感覚はもう無いっスけどね。この世界がこの世。神に捨てられた地の方こそあの世ス」
は……?
唖然とする俺。死んだ? 俺が? ここはあの世?
そして唐突に思い出した。バスの中で途切れた記憶の先を。
今の今まで忘れていたが、バスの男が絶叫して、それで終わりではなかったんだ。
***
「嫌だーっ! こんな世界にいるのは嫌だーっ!」
男が耳元で高らかに叫んだ直後、男の体に力が漲る。
これはひょっとしてあれか? 火事場の馬鹿力って奴か? このヒョロヒョロボディーからは有り得ないパワーだぞ。
男は満身の力をふりしぼって勢いよく横転し、上から押さえつけている俺と体を入れかえた。ふぁっくやべー。
男が俺の上へと回る。まだ男の腕は離していない。当たり前だ。これを離すと俺が危ない。俺と男の間にはさまる形で、ねじりあげて掴んでいる。
え――?
腹部に熱い感触。一体どういうはずみでそうなったのかわからないが、とにかく、そうなってしまった。
俺に腕を掴まれていながらも、男は俺を刺してきた。
いや、違う。単純な話だ。男は体を入れ替えた隙をついて、掴まれている手からフリーの手にナイフを渡して、俺を刺してきたのだ。
ふぁっく……。血が物凄い勢いで流れだしていく。
あうう……ヤバい……これは……ヤバい。
「あひゃーっひゃひゃひゃひゃ! あひゃひゃひゃひゃあひゃひゃあひゃひゃひゃひゃっ。ばーかっ! 俺の勝ちだ! 死ねっ! ええっかっこしいが! かっこつけた代償で死ぬとかマジかっこわりぃぃぃーっ!」
立ち上がり、勝ち誇って気色悪い哄笑をあげる男。不細工極まりない歪んだ笑顔で俺を見下ろしている。
「お前は記念すべき俺の一人目の生贄だ! 予定とは違ったが、これから何人殺せるか試してやる! 最低でも二十人は殺ってやる! 伝説を作ってあいつらに思い知らせてやるぁーっ!」
高らかに宣言すると、最早俺が立てないと思って、堂々と背中を向ける。
しかし残念だったな。俺は諦めの悪い男。最後まであがく男なんだ。
男が背を向けたその時、俺は弾かれたように立ち上がり、タックルするような勢いで飛びかかり、油断している男の手に全体重をかけて、男の細い手首を容易く折り、ナイフをむしりとるようにして奪う。
「これでもお前の勝ちか?」
自分でこんな声が出るのかと、驚くほど低い声で俺は言った。
奴が火事場の馬鹿力を発揮したように、俺も最後の力をふりしぼった。体勢を崩してよろめいた男の首筋に、ナイフを突き刺す。
男が首から血を吹きだしながら倒れる。俺もその横に倒れた。
「嫌だ……嘘だ……こんな世界、嫌だ……全部嫌いだ。壊してやる……何もかも……」
男は泣きながらそんな譫言を呟いていた。
一方で俺はちょっとほっとしていた。徹底してツイてなかったしんどい人生も、ようやくこれで幕引きだよ。あははは……
誰かのために自分の腐った命を捧げて、有意義に使えたんだから、これほど素晴らしい事は無いじゃないか。いや、普段からこういうシチュエーションも夢見ていたはずじゃないか。なのに……なのに何で俺も、隣で死にかけている馬鹿と一緒に泣いているんだ?
この涙の意味は――自己憐憫。俺は自分の運命を悲しんでいた。俺は自分の死を嘆いていた。それが本心だった。隣の糞野郎と一緒だ。ふぁっくー。
俺は諦めの悪い男だったはずなのに……俺が絵のことも最後まで諦めていなかったら、このバスに乗る事も無かったし、こんな運命も避けられたはずなのに……
悔いた直後、俺の意識は途絶えた。