2 解放の塔
あたち達はそれから四日、ペインの深淵を歩き続けた。
下僕Cの危惧――亡者の仲間入りは発生しなかったものの、こんな所からさっさと出たいという気持ちは、あたちも日に日に増していった。
ひたすら広がる、様々な種類の地獄の光景。
一体どこから発生したのかわからない、夥しい数の亡者達。
いろいろ妄想してしまう。これらの亡者達のこと。特定の惑星の死者であるとか、悪事を積み重ねすぎた者達が来るとか、古代神の成れの果てだとか……
いや、古代神にしては数が多すぎれすね。いくら冥界が広くて、全宇宙の魂が集っているとはいっても、こんなに神がいてたまるかって感じれす。
亡者の数はわからないけど、これまで見てきただけでも、ン十万は軽く越えているんじゃないかと思ってしまう。あるいはン百万?
彼等はここで消滅することもなく、延々とペインを受け続けているのか? 一体どういうシステムか、どういう意味があるのか。
その謎も、解放の塔に着けばわかるのだろうか?
解放の塔とこのおぞましい土地に、何の関連性も無いとは思えない。
現在あたち達がいるのは、氷霧に包まれた雪原であった。雪原あちこちには亡者が埋まっている。顔だけだして、ずっと凍えるペインを受け続けるという氷結地獄だ。
「おい……あれか?」
氷霧の中を歩いている最中、いちはやく発見したのは、ヨセフだった。
「あったのれすか? 見えないのれす」
「私にも見えませーん」
どうやらヨセフの視力が異常で、他は誰一人として見えない。
「あっちだ」
ヨセフが先導する。ついていくあたち達。
坂を上った所で、あたちの目にもうっすらと影が見えた。そびえ立つ建造物の影が。
氷霧を抜ける。雪原はしばらく先まで続いているが、途中から剥きだしの地面になり、さらに丘陵地帯があって、その先は盆地になっている。盆地の中は草原だ。何より、空が青く晴れ渡っている。まるで手前の雪原ゾーンとは別の世界に区切られているかのようだ。
盆地の先には、天高くそびえ立つ高い塔の姿があった。
「あれが解放の塔ですかー?」
「間違いないのれす」
マリアの問いに、あたちは確信をこめて言った。様々な文献に描かれている解放の塔と、全く同じ形の建造物だ。
「ペインの深淵に入ってからは、思ったより早く見つかったと言ってもいいかもしれないれすね。正直もっと何日もさまよい歩くことになるかと思っていたのれす」
あたちが言った。
「やっと着いたのかー」
感無量といった表情になる下僕C。
「気を抜いちゃらめえ。神になるまでが遠足れす」
そう言ってあたちは引き続き歩き始めた。しかし目的地を視認し、その足取りは大分軽くなっていた。
***
雪原地帯を抜けて青空ゾーンに入ってからというもの、亡者の姿が全く見当たらない。やはりここは特別な場所のようだ。
「魔雲の地と思えないくらい、のどかな場所ですね」
青空の下の草原を歩きながら、下僕Aが言う。
確かに、これまでの陰惨な光景とのギャップも凄くて、心が和むのれす。
塔の前に着いた頃には夕方になっていた。とりあえず一休み。
解放の塔は高いだけではなく、横幅もかなりある。横幅だけでも下手な城よりデカそうだ。
「今夜は休んで、明日に入るか?」
「いや、あたちがひとっ走り入ってくるから、皆はここで待っていてほしいのれす」
伺うヨセフに、あたちは首を横に振って答える。
「ここまできてリザレちゃん一人で行くって、どういうことですかっ」
驚くマリア。下僕達も何か驚いている。こいつら解放の塔に関して、全然予習をしていやがらねーれすね。
「複数で入っても一人で入っても同じなんれすよ。塔の中に魔物がいて襲いかかってくるわけでもねーんれすし、PT組んだら成功率が上がるとか、そういう試練ではないのれす。入った個人に降りかかるペインなのれすから」
もちろん突破者を出すという意味合いでは、複数の方が成功率は高い。でも今回は意味が無い。
「皆で入ったら犠牲者も出かねないのれす。助け合うことは無理れす。ペインは皆に降り注ぐのれす。あたちが入って塔の中枢に行って、塔の謎を解き明かして、塔の機能を自由自在に使えるようになれば――つまり、ペインの試練なんかさせずに、神を作れるようにすれば、皆は安全に神になれるのれす。よって、皆で塔に入るとか、ナンセンスなのれす」
「えーっと、姫、よくわかりません」
わかりやすく説明してやったつもりなのに、下僕Cがこんなことをぬかす。ん~……
「ようするにれすねえ。集団競技じゃなくて個人競技やらせされるって感じれすよ。で、ある程度の点数高い人らけ合格して神になる、と。皆で協力しあってダンジョン突破とか、そういうノリじゃねーってことれす」
「あ、わかりました」
やっと納得してくれた下僕C。
「姫に全てを任せるわけか……失敗したら、全てパーだよな」
「そういう予定だったらしいですけど、心苦しいですね……」
下僕Bとマリアが難しい顔で言い合う。
「失敗なんてしないのれす。信じて待ちやがれれす」
「信じられる根拠は何も無いし、安心のしようもないが、信じるしかあるまい」
身も蓋も無いことを言うヨセフ。
「まあとにかく行ってくるれすよ。どんだけ時間かかるかわからねーれすから、戻ってこないからって、失敗と見なして、ほいほい帰宅しちゃらめれすよ」
と、あたちが注意したが、
「皆でここの住人になって、リザレちゃんをずっと待ちましょう」
マリアが悪気無く、言葉だけでとらえたら悲壮感に満ちた言葉をかける。もうあたちが帰ってこないような前提の台詞を吐きやがってー。
***
そんなわけで、あたちは一人で、解放の塔の中へと入った。
内部構造がどうなっているかも、解放の塔に入って神となった者達がいっぱいいるので、解放の塔関連の書物見れば結構載っている。
書物に書かれていた通り、中は真っ白だ。壁も床も真っ白でツルツル。そして明るい。壁や床が発光しているのだ。
最後は強い光に包まれた場所で神になると聞いたが、ここいらはまだそんなに光が眩しいなんてこたーない。
塔に入ると広々とした空間が広がっているが、入り口からでも正面は突き当たりになっているのが見える。そして左側は壁で、右の方に広間が続いている。
物凄く広い通路とでも言おうか。で、しばらく右に行くとまた突き当たり。今度は左に広間が広がっている。
左に行くとまた突き当たり。また左に曲がり角。螺旋構造だ。
しかしこのまま行くと入り口に戻るわけだが、入り口に戻ることは無い。また突き当たりに曲がり角がある。
ひたすらぐるぐると螺旋回廊を回る。巡る。同じ場所を歩いているのではないかと錯覚してしまうが、そんなことはない。
解放の塔を突破した神の文献によると、これでもちゃんと塔を上っているのだという。塔内部の空間が歪んでいるのか、知らず知らずのうちにワープゾーンを抜けているのか、同じ螺旋構造が何階も続いていて、ひたすら一方に進んでいると、ちゃんと塔の上層へと上がっているらしい。
何時間か歩いた所で、変化が訪れた。窓がある。
窓から外を覗いて、自分がちゃんと塔を上がっている事が確認できた。かなり高い位置に来ている。盆地の上まで見える。
しかし……肝心のペインの試練とやらが訪れないれすね。まだそれは先なのれしょうか。
疑問に思った瞬間、それはやってきた。
全身をあますことなく襲う痛み。その正体が何であるかはすぐにわかった。焼かれるペインだ。皮膚だけではなく、体内の中にまで及んでいる。口も耳も鼻も食道も肺も排泄する場所も性器も……
悲鳴すらあげることができず崩れ落ちるあたち。心臓の病でペインの耐性には自信があるつもりであったが、声が出ないほどの痛みというのは初体験だ。
そして痛みに悶える中、あたちは思った。初っ端からこれなのかと。
つーかいつまで続くのれすか、これは……いつまで耐えれば……
この世に結構な数いる神々は、いずれもこんな激痛を耐え抜いたというのれすか。
時間の経過もわからないほどペインが持続し、意識が半ば飛びかけていたあたちだったが、ようやくペインは消えた。
解放の塔の試練を記した書物にもある通り、解放の塔を歩いていると、ペインはいきなり前触れも無しに襲ってくる。試練に挑む者は、ただたすらそれを耐えるだけ。
ペインに耐えられなければ、消滅して死亡。
ふとあたちは、嫌な想像が浮かんだ。
このペインで死亡した者は、果たしてまともに死ねるのか? 死んで下界へ戻るだけで済むか?
もしかして、外にいる亡者の仲間入りとか……あの亡者達は神になろうとして失敗した者の成れの果てとか?
まさかねえ……。何の根拠も無いただの想像。大体それにしては、亡者の数があまりにも多すぎる。何十万、何百万という挑戦者がいたとはとても思えんれすし。
最初のペインを凌いで、しばらく歩いていると、また異なるペインがあたちに降り注いだ。
次は……視覚が奪われた。
視覚だけではない。聴覚も消えた。自分が歩く足音も消えた。というか、触覚も無い。五感が全て消失した。あらゆる情報器官が消え失せた。
このペインは……ただの苦痛ではない。無感覚への恐怖か。
人は何日も暗闇に閉ざされた空間に、耐えられないと聞いたことがある。発狂すると。そしてこれは暗闇どころではない。全ての感覚を消されている。
つーか困るのは、このペインで何日も同じ場所に釘付けにされることれす。塔の下ではマリア、ヨセフ、下僕トリオが待っているというのに。何日もこの状態に晒され、五人は私が失敗したと勘違いして帰っちゃったら……
***
さて、どれだけ時間が過ぎたれしょうかね……
ただその場にいても仕方ないので、全く感覚が無い状態で、あたちは先へと進む事にした。
目も見えないし、音も聞こえないし、歩いた感触すら伝わらないというとんでもない状況で、歩いて進む。如何にシンプルな構造の塔でも、これがキツいものだとわかってもらえると思う。
基本的に左に向かってぐるぐると回る構造なのは助かる。とにかく真っ直ぐ歩く。壁に当たった感触さえわからないが、ある程度オーバー気味に歩いて、もう壁に当たってるかなーと思った所で左を向く。そしてまた真っ直ぐ歩く。そして真っ直ぐ歩き続けて、また左――これを延々繰り返す。
不安なのは、果たして自分が真っ直ぐ歩けているかどうかだ。何しろ触感すら無い。歩いているつもりで、歩いている感覚も足から伝わってこない。一応慎重にゆっくりと真っ直ぐ歩いているつもりではいるが、それでも不安だ。
壁に当たっても、壁に当たったかどうかもわからない。壁に向かってひたすらぶつかり続けて歩いているだけならいいが、壁に当たって方向がずれてしまっていると……そしてそのズレが加算していくと、逆方向に戻って歩くような事態にもならないかと、そんな不安もある。
時間の経過は大体の体感でわからないこともないが、それも次第に曖昧になってくる。
疲れてきた……いや、眠くなってきた。相当な時間が経ったのは間違いない。
腰を下ろす。さて、今自分は果たして壁にぶつかった状態でいるかどうか、それが問題だ。
寝転んでいいのか? 壁に向かった状態で寝転んでしまうと、体の方向がズレてしまうかもしれない。ズレたとしても、そのズレがわからない。
寝たとしても、寝て起きたら寝返りうって……しかしもう眠気が限界だ。
はっきり言うと、泣きそうだった。疲れと眠気も重なって、心が折れそうだった。
あたちはこの後も様々なペインに苦しめられることになるが、この長時間にわたる感覚遮断は、後のペインがどうとも感じないほどキツい代物だった。あたちが解放の塔の試練の中で受けたペインの中では、二番目にキツいものだった。
涙がこぼれ落ちても、その感触も伝わってこない。しかし自分が泣いていた事は後でわかった。起きたら目が異様にはれぼったくて、肌にも涙のあとが残っていたから。
「太郎さん……ネムレス……優助……マリア……ヨセフ……」
愛する者、親しい者の名を口にしても、その音声すら私の耳には響かない。
あたちは泣きながら眠りについた。床が冷たいかどうかの感触さえわからぬまま……疲労のピークで……
***
起きたら五感が戻っていたので、あたちは心底安堵した。気分爽快だ。
寝ていた場所も壁際ではなかった。そして逆走するようなことも無かった。ちゃんと進んでいた。
「よっしゃーっ」
思わず歓声をあげるあたち。このペインの試練は本っっっ当にキツかった。
神々の報告を見る限り、降り注ぐペインはランダムとのことだ。最初のペインより後のペインが必ずしもキツいとは限らない。
でもあたちが見たペインの記録では、感覚遮断なんて無かったれすが……
塔を上る際に襲いくるペインはランダムではあるが、最後の試練のペインだけは、決まったものらしい。神々が記した解放の塔の記録で、それは一致している。
最後の試練――それは、輪廻の枠を超えて、魂の記録から、最もおぞましい記憶を引き出すというものらしい。
あたちはそれがとても憂鬱だ。何しろあたちは前世と、さらに前世という、三人分の人生の記憶がある。そしてあたちは……あたちの中に消えない憎しみが宿る起因が、おそらくはあたちの魂が記憶している、最も嫌な思い出だとわかっている。
あれをもう一度体験させられるかと思うと……
あるいはあれよりもっとひどい記憶があるのかもしれないが、それはそれでキツい。
***
その後もあたちは試練による様々なペインを受け続けた。その大半が肉体に及ぼす様々な痛みであったし、あの感覚遮断よりキツいものは無かった。
一つムカついたというか、特におぞましかったのは、明らかに性的暴行の擬似ペインがあったことだ。ヴァーチャルレイプ体験とかふざけんなと……。まあ、あくまでまやかしだし、具体的に相手がいるわけでもないから、気にしないでおこう……。
一体どれだけの時間が過ぎたかもわからないし、ペインの試練をどれだけ食らったかさえも、もえ記憶に無い。百以上は間違いなく食らっていると思う。忘れるほど散々に、ありとあらゆる拷問体験させていただいたのれす。
この解放の塔を作った奴がサディストなのは間違いないが、サディストとしては三流だ。いろんな種類の苦痛を延々と数与えていっても、面白みが無いというか、芸が無いというか、そのうち免疫が出来てしまう。十回もいかないうちに、大したこと無くなってしまう。その大したことが無くなった状態で、さらに百回以上も大したことの無いペインを食らい続けるとか、とんだ粗悪バランスの糞ゲー試練だ。嘲ってやるれすよ。
とはいえ、大抵の者はその十回のペインに及ぶ前に、苦痛のあまり狂い死にしていそうな気もするのれす。
まあ、あの感覚遮断だけは心底キツかった。精神的にくるものがある。神々の報告にも無かった所を見ると、あれを食らった者はきっとかなり運が悪いし、あれで脱落した者は多いと見た。
たまにある窓から外を見て、高さを確認できる。もう地上が大分遠い。ペインの深淵の様々なエリアも見渡せる。地上からは塔が見えるに至るには、大分近づく必要があったが、塔からは見えてしまう。
何度か睡眠も経て、あたちはとうとう辿りついた。
突き当たりに曲がり角が無く、代わりに大きな扉がある。巨人族が通りそうなほどのデカい扉。つーか、それもきっと考慮に入れたのだろうけど。ヌプヌプとか、巨人の神も実際いたし。
文献によると、この先で光に包まれ、最終試練を受けるのだ。
最終試練……輪廻を超えて魂が記憶する、最も嫌な思い出を再び味わい、それに耐えられるかどうかという試練……
覚悟を決めてあたちが扉に触れると、それだけで扉が勝手に内側に開かれる。
光が中から溢れた。凄まじく眩しい。何も見えない。目を開けてもいられない。
薄目になりつつ、あたちは光の中へと歩を進め――意識を失った。




