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1 ペインの深淵

 あたち達が魔雲の地へと入り、どれだけ経ったであろうか。


 ペインの深淵に入る前には、優助とネムレスの二人と合流するかと思っていたけど、そんなことも無かった。太郎さんとも合流できるかと想ったのに……

 そもそも合流ポイントもろくに決めていなかったというのに、合流も糞もありゃしねーのれすよ。


 ネムレスは全然夢の中に出てきてくれやしねーれすし……。ネムレスとあたちは精神繋がっているれすが、夢の中という形でネムレスから接触とってこないと、会話はできんのれす。


 今、あたち達は、魔雲の地の奥底に存在する、ペインの深淵と呼ばれる場所にいる。


 眼下に広がる光景を見てあたちは――あたち達は息を飲む。ここはまさに……文字通りの地獄と呼ぶに相応しい場所だ。


 黒と灰色で染まった大地。地面のあちこちから生えている石筍のようなもの。

 そこかしこで蠢く、亡者としか形容できぬ者達。骨と皮だけに痩せ細り、絶望――または苦悶の表情で、蹲るか寝転がっている。この世界で痩せ細るというのは、精神的な疲弊の表れに他ならない。継続的なペインを受け続け、それが見た目にも表れているのだ。

 彼等は蹲っていたり寝転がったりしている者だけに留まらず、石筍に体を貫かれていた者も数多くいた。モズのはやにえのように。もちろん、貫かれたまま生きている。一体誰の仕業れすか……。あるいは何があって、こんな目にあっているのれすか。

 貫かれているだけではない。石筍に吊るされている者もいれば、縛り付けられている者もいる。

 本当に誰が何の目的でこんなことをしているのれすかと……まさか自然にこうなる? いや、そもそも彼等は何者?


 黒と灰の大地の先には、灰色の巨大な岩山がそびえたっている。


「ペインの深淵。ペインを背負わされし者達のふきだまりの地。古代の神々が残した負の遺産――か。この光景が雄弁に物語っているな」


 あたちの横にやってきて、ヨセフが淡々と述べる。


「まるで絵画を見ているようで、現実味が無いですねー。でも、現実なんですよね。凄い光景ですー」


 ヨセフとは反対側の隣にやってきて、目の前に広がる光景を見て、マリアが言った。


 あたち達六人は、魔雲の地へと入り、魔雲の地を彷徨い歩き続けながら、そこかしこでペインの深淵がどこにあるのかを聞き込みまくって、わりとあっさりと手がかりを掴み、ひたすらペインの深淵めがけて旅をしていった。


 ペインの深淵の伝承を知る者は少ない。魔雲の地の奥にあると言われ、その存在は疑問視もされていたが、ペインの深淵に辿りついたという冒険者も結構いる。彼等の報告はそれぞれ異なっていたが、一つだけ共通する事項がある。そこは本当の意味で地獄さながらの場所であり、救われること無き永遠のペインを背負わされた者達が、苦しみ続けているという。

 その地にはあらゆるペインが流れこんでいるという話もある。故にペインのふきだまりの地という異名もある。その表現は抽象的で、いまいちわからんのれすが。


 絵画のような風景……れすか。マリアの表現は言い得て妙れす。正直あたちはこう思ったのれす。眼下に広がる地獄を見て、何ておぞましく、美しい光景なのかと。


 何であたち達がこの場所に来たのかと言うと、このペインの深淵のどこかに、人を神に変える建造物――解放の塔があるとわかったからである。

 解放の塔は世界各地にランダムでワープして出現するという話であったが、それは間違いだった。空間が歪み、解放の塔への入り口がランダムに出現するだけで、解放の塔自体はペインの深淵から動かないというのだ。


 あたちがカクテロ遺跡より掘り出した古代知識を記憶したプレート。そこに記された言語――おそらくはパスワードを、解放の塔内部にあると思われる入力媒体に打ち込めば、古代神の重要テクノロジーの謎を知ることができる。おそらくは、解放の塔のシステムが如何になっているのか。どうやって神を作り出すのかがわかるのではないかと、あたちは見ている。

 もしその方法を知ることができれば、あたちは自由自在に無尽蔵に神を作り出すことができる。あたちの奇跡――服従ウイルスで従わせた者を神へと作り変えていけば、私の思いのままに動く文字通りの神の軍団が出来上がる。

 あたちが冥府の姫として君臨するという話も、現実味を帯びてくるのれす。


***


 あたちとマリアとヨセフ、そしてヨセフ山賊団の中から怖いもの知らずで好奇心旺盛な下僕三名の、計六人は、ペインの深淵へと足を踏み入れた。


 亡者としか表現できない、そこら中にいる骨川筋衛門達は、あたち達が横を通っても何の反応も無い。下僕Aが試しに突いてみたが、まるであたち達と別の次元にいて、あたち達のことが見えないかのように、反応しない。


「この人達って……何なんですか?」

「ペインの深淵の知識の中に、こいつらに関することは記されていないのか?」


 マリアとヨセフがほぼ同時に、疑問と質問を口にする。


「ペインをずっと背負い続ける者という記述しかないのれす。そもそもペインの深淵を発見した多くは冒険者であって、彼等も見たままを伝えたらけで、詳しい事は何もわからないのれしょう」


 あたちもシャンペニアで散々ペインの深淵に関して書物を漁ったが、大したことはわからなかった。伝承としては眉唾レベルな扱いですらあった。


 六人がしばらく歩くと、巨大な岩山の麓へと着く。ここにも亡者が大量にいる。

 今度は岩肌に縛り付けられていたり、崖から首吊りの状態にされていながらなお生きていたり、壁に釘付けにされていたりする。いや、もう本当にこれは……地獄の風景れすよ。


「ここにいる痩せた連中って、元々は普通の人なのかな……」


 下僕Bが亡者を見ながら、ぞっとしない面持ちで呟く。


「そりゃ人れしょうよ。今だって人れすよ。普通とは言いがたいれすが」


 あたちが言った。


「俺達もここにいたら、こいつらの仲間入りとかしないですよね」


 下僕Aが口にした言葉に、うげっとなるあたち。


「気持ち悪いこと言っちゃらめえ。何の根拠でそんな発想になりやがるんれすか」


 あたちが咎めたが、その可能性だって考えられる。ここに迷い込んだ者が、何かのきっかけで亡者の仲間入りという可能性も、自由分に考えられる。


「ここが古代神の負の遺産という話は、どこからでたんでしょう?」


 道無き坂を上りつつ、マリアが疑問を口にした。


「この地のこの惨状――この謎の亡者達は、古代のテクノロジーの暴走であるという説がある。しかしそれを証明する話は無い。根拠の無い推測の領域だが、話だけが伝わっているという形だろう」


 そう言ったのはヨセフだった。意外れすが、こいつはちゃんと予習してきたのれすね。


「仮説にしても、わりとそれっぽいですね。でもこの人達はどこから来たんでしょ。こんなに大量の人が、ずっとこんな状態でいるなんて……」


 下僕Aの疑問は、あたちにもある。いくらなんでも数が多すぎる。


 どうちても考えてしまうのれす。ここにいる人達は、元々は普通の人らったけど、何かの不運なきっかけで、ここに引き寄せられ――あるいは生誕して、ずっとこんな地獄の亡者さながらの状態で、ペインを受け続けているのではないかと。

 運が悪ければ誰にでも起こりうるとすれば、結構怖い話れす。


 一方で、あたちは途轍もなく嫌なことを思い出す。


 あたちは転生の記憶を維持している。前世の記憶は有る。そのうえ、そのさらに前世の記憶まで呼び起こした。

 あたちがリザレという名を持つようになったのは、その時からだ。

 あたちがネムレスや太郎さん――パライズと出会ったのも、その時からだ。

 あたちの中に消えない憎しみが生じたのも、その時からだ。


 そう……あたちも運が悪かった。運が悪く、地獄を味わった。


 そのお返しをしてやりたい。その時生じた憎しみを晴らすためにも。だからこそあたちは、全てを支配したいと望む。

 ネムレスや太郎さんと心を通じ合わせても、その気持ちは消えない。だからこそあたちは、今ここにいるのだ。


***


 半日くらいかけて岩山を上りきった後、山の向こう側に広がる光景を見て、あたち達は驚くことになる。

 山の手前側とは、全く異なる光景があった。まるで全く別の土地であるかのような……


「ペインの深淵の文献で、見たことがあるな」


 ぽつりと呟くヨセフ。あたちにも見覚えがある。同じくペインの深淵を記した文献――冒険者が描いたペインの深淵の絵の一つでだ。

 ペインの深淵を描いた絵は幾つもある。それらは全て、この地に足を踏み入れた冒険者が描いたものだ。それらは全てばらばらだった。それもまた、ペインの深淵が眉唾扱いされている理由の一つであるが……


 地面は真っ赤になっていた。いや、ここからでは赤い地面に見えるが、それは地面ではなく、沼沢地帯なのだ。ただの沼沢ではなく、血の沼沢である。

 絵の中にあった光景が、そのまま眼下にある。そしてここからでは見えないが、絵に描かれていることば真実だとすれば、血の沼の中では延々と溺れ続ける亡者達が、無数に存在するはずだ。


 山を降り、山の麓――湿地帯との間のゾーンに来て、あたち達はそれを目の当たりにした。


 先ほどの黒と灰の大地では、亡者達は生きているのか死んでいるのかわからない状態であったが、ここの亡者達は違う。ちゃんと動いている。悶えている。それも激しく。

 絵の通りだ。血の沼の中には夥しい数の亡者達が沈み、溺れている。水面に浮き上がる事無く、ずっと溺れる苦しみを味わい続けている。


 あたちは……何度目かの同じ疑問が、またもや頭の中に思い浮かんだ。一体誰が何の理由で、こんなことをしているのれす? この者達は何なのれすか?

 この亡者達はこの先ずっと、救われる事なく苦しみ続けないといけないのれすか? 救う方法も無いのれすか? しかもこの尋常ではない数……一体どこからやってきたのれすか?


「地獄……」


 血の沼を見下ろして血の気が引いた顔で、マリアがぽつりと呟いた。


「ここが……この場所こそが、本当の地獄なんじゃないですか……?」

「だとしたら皮肉な話だ。その地獄の中に、人々を救う神を生み出す、解放の塔が存在するのだからな」


 マリアの言葉を受け、ヨセフがいつも通り淡々とした喋りで言った。


***


 あたち達は血の沼地獄の中には入らず、山の麓でキャンプすることにした。


「このペインの深淵がどれだけの広さかわからないが、解放の塔を探して延々とあてもなく歩き続ける気か?」


 夕食をとりながら、ヨセフが尋ねてくる。


「他に無いれしょ。それとも何かいい案があるのれすか?」

「無い。確認を取ってみただけだ」


 問い返すあたちに、ヨセフはどうでもよさそうに言う。


「ペインの深淵を描いた絵は他にも幾つもあった。おそらく冒険者達は、いろんな場所からここに入ったのだろう。言うならば、無数の種類の地獄が存在するようなものだ。そして……おそらく絵に描かれている場所には、解放の塔は無い」


 それはそうだろうと、ヨセフの話を聞いて思う。冒険者達は、自分が訪れたゾーンを絵に描いて伝えた。もし解放の塔がある場所に足を踏み入れていれば、それを見つけていた可能性が高い。

 あるいは見つけてなお、記録には記さなかったという可能性もあるれすが。


「正直俺、もう帰りたいッス……」


 下僕Cが弱気な声を出す。


「ここにいたら……自分もここの亡者の仲間入りするんじゃないかって……そんな怖さがあるッス」


 その気持ちはわかる。正直あたちも、そんな妄想にとらわれた。


「それは多分無いれすよ。そんなことがあったら、それもちゃんと伝承として伝えられているれすし」


 弱気な下僕Cを安心させるため、あたちが言った。でも冒険者がこの地に入った記録を伝えた事自体、そんなに多くも無いんれすがね……。それは黙っておくれす。

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