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序章

 片田舎の町のバス。昼間の客はじーさんばーさんばかりだった。老人じゃないのは俺一人。


 窓の外の景色は悪くない。緑が多く、時折田園風景なども目に飛び込んでくる。自然は好きだが、こんな辺鄙な所で暮らす事になるのは憂鬱だぜ……

 そのうえ明日から叔父夫婦の家に住み込みで、農家の仕事の手伝いという生活が待っている。ますます憂鬱だぜ。いや、自分で選んだ道だけどね。


 市役所で引っ越し手続きを終え、新しい家へと帰る。

 叔父夫婦は俺が子供の頃から、俺とは親しい関係にある。子供がいないせいか、俺の事を我が子のように可愛がってずっと見守っていてくれた人達なので、うまくやっていけると思う。毎朝五時置きになるのはキツそうだが……。


 これが俺の末路かー。結局、一流の画家になるという夢はかなわず、独り立ちもできず、親戚の家で面倒みてもらうことになるとは。叔父夫婦は喜んで迎えてくれているがなー。

 両親は俺が仕事にも就かず絵ばかり描いていても、全く文句を言わなかった。それどころか応援してくれていた。叔父夫婦に至っては、俺が個展を開く時には費用まで出してくれた。

 だがもうこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないと思い、今までの恩返しのニュアンスも込めて、叔父夫婦の家に住み込みで働くことにした。


 窓の外を見ると小高い丘の上を走っている。良い天気だ。そして丘の上から見える絶景。平日の昼間から写生している人達がいるのを見て、胸が痛む。そういや俺も最初は風景画から入ったんだ。あうう……

 十五年以上描きためた絵は全て捨てた。道具も。

 街の路上で絵を売っていた日々。初めて買ってもらった時のあの嬉しさ。二度目の個展を開いた際、買っていったのが知り合いだけだった切なさ。行き詰まり、己の限界を悟って、とうとう捨てられた夢。灰になった彼女。


 電話が鳴る。叔父からだ。


「あいあい、今バスの中なので……」

『おっとそうか。太郎君、駅前の商店で買い物をお願いしたいんだが――』


 内容は買い物のお願いだけだと思っていたが、最後に叔父は明るい声でこう付け加えた。


『ここは田舎だけど、個展開けるかな? 叔父さんも協力するから、絵、頑張ってね』


 温かみに満ちた言葉なのに、俺の胸がえぐられる。叔父夫婦に自分の夢を諦めたことは伝えていなかった。


 あうう……もういいんだよ……もう……

 いや、よくないのか? まだ諦めなくていいのか?

 俺は諦めが悪いことだけが取り柄だった。いや、それが取り柄と言えるのかどうかわからんが、とにかく俺がとうとう夢を諦めたつもりでいたのに、叔父の言葉に大きく揺さぶりをかけられている。


「ごぼう戦士とかだっせーしー。俺は怪人れんこんマンやるわー」

「じゃあ俺も怪人れんこんマンなー」

「ダサいんだったら私も怪人れんこんマンがいい。ダサいのは嫌~」


 バスが止まり、きゃーきゃー騒ぐ小学生低学年の一団が入ってきて、俺の感傷タイムをブチ壊しにしてくれた。ふぁっく。


「れんこんばりあーっ」

「ひぎーっ! ごぼうが私の奥までーっ! もっとめちゃくちゃにしてー!」

「あははは、何ソレー?」

「昨日のお母さんの真似~。隣の部屋で叫んでたのー」


 あううう……騒ぎまくりで猛烈にウザい。俺はガキが大嫌いなんだよ。早く降りてくれー。次の停車駅で速攻全員降りてくれー。


 小学生達が入り終えた後に、目つきのおかしい痩せた男が入ってくる。

 一目で歪な印象を与える、そんな顔つきの男。頬がエラのように大きく張った、魚を連想させる顔つき。大きく見開かれたギョロ目。への字にひん曲がって下唇のせりでた口。歳は二十代なのか三十代なのかもわからん。ガリガリの針金ボディー、肌は土気色で病気にでもかかってそうな感じだ。


 俺はその男が気になって、バスが走っている最中、ちらちらと男を盗み見ていた。

 男の視線の先には、糞やかましい小学生達があった。何だこいつ、やっぱりヤバい奴か?


 ギョロ目の男が急に立ち上がった。その口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。

 男が小学生達の方へと早い足取りで歩んでいく。おいおい、まさか……


「ぴぎゃっ!」


 子供の一人が悲鳴をあげた。そのまさかだった。男は子供の一人を蹴り飛ばしたのだ。うわー、完全にヤバい奴だった……

 それだけではない。懐からナイフを取り出し、別の子供を羽交い絞めにしてその首筋にナイフをあてた。うっわー、超ヤバい奴だった……


「騒ぐんじゃねーっ! バスはそのまま走らせろーっ!」


 凄まじく耳障りな甲高い声で男が喚く。本人は凄味をきかせたつもりなんだろうが、そんなものは欠片も無い。むしろ滑稽に思えて、俺は半笑い。

 子供達が声をあげて泣きはじめるが、男がナイフをちらつかせて喚き散らすと、すすり泣きへと変わった。他の乗客のジジババ共はといったら、縮こまって震えているだけ。

 一体何のつもりか知らんが、子供を人質とか、よくもまあそんな卑劣なことができるもんだ。俺はガキ嫌いだけど、絶対的に弱い立場である子供を脅かして、力で抑えつけて、己の欲望満たそうとしているその男に、吐き気すら覚える。


 よし、ここは俺の出番だな。見過ごすことはできない。

 どうせ俺の命なんて安いもんだし、ここでかっこよく人助けできれば、死んでもいいわ。いや、やっぱ死んだら不味いか。両親や叔父夫婦や友人達が悲しむだろう……


「お前らよく聞け。俺は何も出来ない男だったが、死ぬ前に、最後に一発かまして伝説を作ってやるんだ。ふひひひ、お前らにはその伝説作りの協力をしてもらう名誉を与えてやる。くひ、くひひ、くひひひ……」


 震える手でナイフを子供の頬にあて、気色の悪い笑みを満面に広げ、気色悪いことを口走る。

 俺には男から放たれる負のオーラがはっきりと見えた。嘆き、憎しみ、恨み、呪い、そして見境なく怒りをぶちまけんとしているのが。


「いけるとこまでいってやるんだ。殺せるだけ殺して殺して殺しまくってやる。くひひひ。俺を否定したこの世界、今度は俺が否定やる番だ。あひゃひゃひゃ」


 その時、俺はそいつに強烈なシンパシーを感じてしまった。

 俺もかつて、自分以外の全てを呪ったこともある。何もかも消えてしまえと願ったことだってある。

 こいつ、俺と同じようなもんなのか?

 人生の落伍者。駄目人間。底辺。いや……違う。


 激しい近親憎悪を覚えながらも、理性でそれを否定した。違う。俺はこいつとは断じて違う。

 ふざけた野郎だぜ。俺だって自分の夢をかなえられず、欲しい物は何も得られなかった負け組だが、闇雲に人を傷つけるような真似なんか断じてしないぞ。負け組の風上にもおけねー。こいつは絶対許せん。


 人質がいるとはいえ、いちかばちか奇襲すれば、あんなヒョロヒョロの男なんてどうにでもできそうな気もする。

 ナイフを持つ手を素早く握って押さえて、顔面にワンパンすりゃそれでグロッキーだろ。うん。そして俺は英雄様だ。底辺が底辺をやっつけた! ニュースになれば、そんなふぁっきんなスレタイのスレが匿名掲示板に立つな。はっはっはっ。


 男が俺の側に来るのを辛抱強く待つつもりでいたが、その機会はすぐに訪れた。子供を連れて後方の席へと向かい、俺の座っている席の横を通りすぎようとする。

 緊張する俺。恐怖心ももちろんある。だが俺は、この緊張感と恐怖を楽しんでもいた。

 男が丁度俺の横を通った刹那、ここを絶好の機として俺は椅子を踏み台にして飛びかかり、覆いかぶさるようにして男の体を床の上にうつ伏せに押し倒し、ナイフを持つ手を掴むことに成功した。


「うぎゃああああっ!」


 男は予想以上に貧弱だった。片手で肩口を抑え、もう片手で掴んだ腕をひねってねじりあげると、あっさり悲鳴をあげる。顔面パンチは勘弁してやろう。


 人質に取られていた子供も無事逃げることが出来たようだ。あー、よかった。


「うわあああっ! 何だてめえっ! こっちには人質も刃物もあるのにっ! てめえっ! 大人しくブルってりゃいいのに、かっこつけやがって! 俺の人生最後の花火を邪魔しやがってええぇえああうええあああっ!」


 耳元で耳障りな声で喚く男。ああ……もう、殴ってやりてえ。

 男はナイフを離そうとはしない。そりゃそうだ。こいつにとって今は生命線だからな。そしてこいつがナイフを離さない限りは、俺もこのまま押さえつけてないと不味い。


「今のうちに早くバスを止めて乗客を逃がして!」


 俺が叫ぶと、運転手は言うとおりにバスを止めた。乗客のジジババと子供達が逃げていく。これで一安心。


 いや、一安心じゃねーよっ。子供はともかく、大人は誰か俺を助けてくれよ。俺がこいつを押さえているんだから、あとは掴んでいるナイフを取り上げてくれりゃいいだけの話だろうが。

 しかも老い先短いジジババの分際で、子供を押しのけて我先にと逃げていく様を目の当たりにし、猛烈に腹が立つ俺。これはもうね、一刻も早く姥捨て山を復活させた方がいいよねっ。

 それどころか運転手まで逃げていったぞ。ふぁっく。ひでえな、おい。バスの中に取り残されるは人生負け組の二人。


「世の中……全部糞だ……糞野郎ばかりだ……畜生……皆壊してやりてえ……壊れろ……壊れろ……」


 男が譫言のようにぶつぶつ呟いている。今の光景を見ると、俺もそんな気がしてくるわ。


「何でこんな世界に生まれたんだ……。何で俺はこう何をやっても駄目なんだ……」


 男の呟きは嗚咽混じりになっていた。あうう……キモい。キモがると同時に、再び近親憎悪っぽい感情が俺の胸の中で広がる。

 はっ、俺も同じだよ、ふぁっくー。俺も何をやっても駄目だったんだ。絶望して自殺だって何度も考えた。世界そのものを憎んだこともあった。

 自分がこの世の最底辺にいるような気がして、自分以外の全てが忌まわしく、妬ましくなっちゃうとかもさー。うんうん、わかる。


 何度も祈ったもんだよ。隕石が俺の頭上に落ちてきて、あっさり死ねないものかとか、そんな後ろ向きな妄想とかさー。

 でもどうせ考えるなら、前向きな妄想の方がいいね。昔道路で助けたミミズが、美少女に変身してお礼にきてくれるとか。異世界に召喚されて勇者様扱いされてチート能力身に着けて、ハーレム作ってチヤホヤされたりとかさー。

 何も思い通りにいかず、何をやっても失敗ばかりしていると、そういう叶うはずの無い虚しいことばかり妄想しちゃうよねー。トホホ……


 そこでふと俺は思った。

 俺は周囲にだけは恵まれていた。多くの者は俺を理解してくれて、温かい目で見守ってくれていた。画家になるとか言って、勝手な事ばかりしてたのにさー。

 犯罪に走りたいという気持ちもわからんでもない。でもそんなことをして、俺を支えて見守ってくれた人達を悲しませたくないし、それ以前に他人に迷惑かける行為自体したくない。

 こいつは俺とは逆に、誰からも愛されず、理解されず、恐らくは迫害され、恨みが募っていって、とうとう爆発したんじゃないだろうか?

 もちろん周囲に叩かれた者が必ずしも犯罪に走るわけでもない。しかしこういう奴が世に沸くと、似たような状況にあって苦しんでいる人間までもが同じ目で見られるだろうから、迷惑極まりないな。


 男を押さえた格好のまま暇なので、いろんなことを考えていた俺だったが――


「嫌だーっ! こんな世界にいるのは嫌だーっ!」


 俺の耳元で男が絶叫した時を境に、俺の記憶は途切れた。

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