12月2日 (2)
クリスマス・タウン。
その名の通り年中クリスマスなこの街は、グリーンランドの雪原に設けられた異空間。この街とサンタの住む雪原まで展開されている。この中では人々の他にスノーマンなども暮らしており、クリスマス・タウンの出入には、ここで作られた懐中時計が通行章としての役割を持っている。
石畳の道路を挟むように家々が立ち並び、街灯はやわらかくオレンジの光で街を照らす。まだ朝の6時だと言うのに、この街のある一角に煌々と明りを漏らす窓があった。
歩いていくと見えてきたのは、格子状の窓から覗く棚。そこには様々な形をしたクッキーが袋詰めされて陳列されていた。入口の脇には立て看板が設置され、今日のオススメメニューが手書きで書かれている。
今日のオススメは『チョコレートタルト』と『イチゴのミルフィーユ』だそうだ。太字で書かれたそれはカラフルにデコレーションされ、それぞれの絵が温か味のあるタッチで描かれ、とてもポップな印象を受ける。
店の入口の大看板には『Noël』と書かれていた。ここがアンナの実家兼洋菓子店だ。
外観はレンガ調の造りで、屋根に大きな煙突が付けられているのが特徴的。一階は洋菓子店とカフェを兼ねており、ここで購入したケーキを店内で食べることも出来る。
ケーキはもちろんのこと、ここの紅茶とコーヒーはとてもおいしいと街でも評判で、休日ともなると寒い中行列が出来るほどだ。そんなこともあってか、仕込みやスイーツ作りに朝早くから精を出して働いている。
色々と世話を焼いてくれるのはサンタがアンナの幼馴染でもあるからだろうが、それ以前からここの洋菓子店とサンタクロースは馴染み深い。
手紙の読了までに時間がかかる忙しいサンタクロースへと、昔からよく弁当を作って届けてくれていた。それが今でも続いている、ある意味腐れ縁なのだ。
今までのサンタクロースのトナカイにも、ルドルフのような変わり者が恐らくいただろう。それ故にこの店は、今のサンタにとって特になくてはならない存在だ。
彼は手にした風呂敷を一度見て、大きなクリスマスリースの掛けられた扉を開け店内へと足を運び入れる。扉が閉まると同時に、リースに掛けられた鈴が揺れてカランカランと鳴った。
店内に入ってまず気付いたのは香り。洋菓子独特の芳香が鼻腔をくすぐり、それに混じって洋酒の香りが運ばれてくる。
サンタは目を閉じ、大きく鼻から息を吸って肺に香りを目いっぱい送り込み、そして息を吐いた。脳を直接浸潤するような甘美な香りにクラクラしながらも、踏みとどまり彼は辺りを見渡す。
目の前には大きな冷蔵ショーケースが置かれており、既に中は数十種類のドルチェが所狭しと並べられていた。ケーキはもちろん、プリンやムース、タルトなど、色鮮やかな品々は見ていて空きが来ない。
ライトに照らされたショーケース内のケーキたちは、自己主張をし美を競い合うかのように立ち並んでいて、まるで宝石のように輝いている。
次に彼は左を見る。店内左奥の壁には棚が設置され、ここでは主に焼き菓子の包装されたものが売られていた。クッキーにビスケット、パウンドケーキやカステラなどだ。他にはチョコレートやキャンディなんかもここに置いてある。
そしてこの店の特徴の1つでもあるのが店内右奥。屋内スペースには、白と黒を基調としたシックなデザインのカフェテーブルと椅子が置かれ、屋外スペースには街路に面し歩道にせり出す形で、木の温もりを感じさせるモダンなテーブルや椅子が置かれている。
晴れた休日には、テラス席は沢山の人々で埋まる。友達だったり家族だったり、恋人だったりと。
様々な人々がそれぞれの話題で談笑する。幅広い年齢層から愛される、ここはそんな店だ。アットホーム的な雰囲気も受けている理由の1つだろう。
つい先ほどから、厨房からはけたたましい音が誰も居ない静かな店内へと響いてくるようになった。金属が互いに擦れるような音。きっとボウルに入れた生クリームか何かを、ハンドミキサーで撹拌しているのだろう。
サンタはショーケース横に置かれたレジスターへ歩いていくと、その隣に置かれたプッシュ式の呼び鈴のボタンを押した。まるで教会の鐘のように前後に揺れる釣鐘状の呼び鈴は、ガラーンゴローンと音をたてて、奥で作業をしている者達へ客の来店を知らせる。
少しして厨房の方からやってきたのは、アンナの母親だった。40代とは思えない程見た目に若く、綺麗というよりはどちらかと言うと可愛らしい印象を受ける女性だ。
アンナと似たような栗色の短い髪、目はパッチリとして、優しい笑みを浮かべてサンタのもとへと歩いてくる。
「こんちは! ベッツィおばさん」
「あら、クリフ君じゃない」
「おばさん、今はサンタクロースだよ」
「あらそうだったわね、ふふっ。ところで今日はどうしたの、サンタさん? またルドルフのケーキ?」
そう言うとベッツィはクスクスと笑って、レジの下から注文用紙を取り出すと彼に手渡そうとする。
「いや違うんだ。弁当箱返しに来たんだよ」
首を横に振り、サンタは持っていた風呂敷をベッツィへ差し出すと、まぁ、と言って彼女は風呂敷を受け取った。
「わざわざこの為に来てくれたの? 連絡くれればあの子に取りに行かせたのに」
「いや、俺もアンナに悪いこと言っちまったからさ……」
「そう言えばあの子怒ってたわね。なんでかしら。……呼んで来ようか?」
「いいよいいよ。あいつも手伝いで忙しいだろ?」
厨房からはハンドミキサーで撹拌する音が聞こえてくる。彼が来ている事に気付いているのだろうか、掻き混ぜる音はなんだか荒々しい。
「そうみたいね」
「あ、そうそうアンナに伝えて欲しいんだ。“弁当まあまあ美味かった”って」
サンタは、まあまあ美味かった、その部分だけを殊更強調するように厨房奥へ向かって言葉を発した。
すると金属が落ちてぶつかったような音がする。どうやら調理台の上にボウルを叩き付けた音だったみたいだ。アンナは“まあまあ”という感想が気に入らなかった様子。
先ほどよりも更に激しく撹拌しては、父親に混ぜすぎだと怒られているのが店内へ聞こえてくる。
それを聞いたベッツィは苦笑いしていた。
「そろそろ戻って手紙読まなきゃなんねえからさ、俺、帰るよ」
急ぎの用事がまだ山ほど残っているため、サンタはお暇をベッツィに告げる。
「そう。なら今度時間が出来たら、ゆっくりとお店にケーキでも食べに来てね。アンナに接客させるから」
ベッツィはパチリとウインクするとひらひらと手を振った。
「まあ期待せずに楽しみにしとくよ」
彼は踵を返して店の出入口へ向かい歩いていく。扉のすぐ前まで来ると、何かを思い立ったように振り返り、
「砂糖と塩は間違えんなよー!!」
と大きな声でアンナに向かって声を掛けた。すると厨房からは「うるさーい!」と怒鳴るアンナの声が返ってくる。ベッツィはその2人のやり取りを聞いて、アンナが怒っていた理由、とその時の光景が一瞬で目に浮かんだようだ。ふふっ、と笑いながらサンタを見ると、彼も口角を上げてベッツィを見返す。笑い合った後、サンタは店に別れを告げてその場を後にした。
街へ出てみると、さっきまで降っていた雪は止み、雲間からは太陽が顔を覗かせている。
街の様子も段々目覚めつつあるようだ。外へ出て雪かきをする者、仕事へ向かう者、はたまた『Noël』に向かう者。
通り過ぎる人々がサンタに挨拶をする。「今年も大変だな~」「頑張ってねサンタさん」。それに彼も返事を返す。「まあ適当にやるさ」「ありがとよ」。街へ来るといつもこんな感じだ。
微風だった冷たい風は急に強まり雲を動かす。射していた陽の光が雲に遮られ、再び灰色の雲が一面を覆った。またいつ雪が降らないとも限らない、そう思った彼は急いでハウスへと駆け出した――――。
街から戻ったサンタはログハウスの扉を開けて中に入る。ブーツを脱ぎ、帽子を外す。そしてリビングへ向かう間にスーツを脱ぎにかかる。リビングへ入ると黒のレザーソファーに掛けておいたパジャマを手に暖炉の前へ。
「うぅ~さっび~」
サンタはパジャマに着替え終えると、サンタスーツを人型ハンガーに掛け直してクローゼットに戻す。クローゼットの扉を閉めると、彼はおもむろにテーブルを見やる。
未だ片付いていないテーブルの上に山積みされた手紙。そしてテーブル脇に置かれたいくつもの袋に、床に散乱する手紙たち。彼はうな垂れため息を吐き、肩を落としながらテーブルに戻った。
「ルドルフはちゃんとやってんだろうな?」
椅子に腰掛けたサンタは厩舎のある方角を見る。しばらく見つめ、顔をしかめた後、再び手紙を開きメモをとる作業に移った。
それから数時間が経ち、腹の虫が鳴りようやく自分が空腹状態にあると気付いたサンタは、いったん作業を中断し夕食の準備に取り掛かった。
キッチンへ赴くと、冷蔵庫の野菜室からブロッコリーを一株取り出す。そして鍋に水を張りIHクッキングヒーターの上に置くとスイッチを入れた。
しばらくすると鍋の湯はコポコポと音をたて、小さかった気泡は少しずつ大きくなる。そこへ塩を少々加えると、泡は一気に勢いを増して沸騰した。ゴポゴポと鍋から溢れんばかりに沸騰を続ける湯の中へ、サンタは冷蔵庫から出したブロッコリーを適当に投げ込んだ。ボチャンッという音と共にブロッコリーは鍋に沈み、中でころころと転がる。
タイマーをセットし、ブロッコリーが茹で上がる2分程の間に、彼は次の品の用意にかかった。
システムキッチンに備え付けられた棚から『絶品! 素敵なお味。おいしいコーンポタージュ』と書かれた箱を取り出すと、切り取り線に沿って箱を破り、中から粉末を個別に包装した袋を取り出した。食器棚から陶器の器を出して、袋を破り粉末を入れる。その中へポットのお湯を目分量で200cc程入れた後、手早くスープの素を掻き混ぜる。
そうしている間にセットしたタイマーが鳴り、ブロッコリーの湯で上がりを知らせた。IHのスイッチを切り、湯から茎を出すブロッコリーを鍋から引き上げると皿の上に置き、コーンポタージュと共にソファーの前のラウンドテーブルへと運ぶ。
キッチンへまた戻ると冷蔵庫からマヨネーズを出し、食器棚の引き出しからはスプーンを取り出す。そしてテーブルへの戻り際に、パンかごからフランスパンを一本引き抜いた。
サンタはテーブルに戻る間にそのままパンを齧る。円卓へ付くとブロッコリー目掛けてマヨネーズを発射した。踊るようにうねりながら飛んでいくマヨネーズは、ブロッコリーの森のような緑色の花蕾を多い尽くす。
茎を持ち豪快にブロッコリーにかぶり付き、パンを齧ってはスープで流し込む。この季節の彼はいつもこんな感じの忙しない食事を取っている。アンナが弁当を持ってくる時は例外だが……。