第2話 光の園で
このシリーズは、一話ずつでも読めるように書いています。
けれど、いくつかの物語を重ねると――
“園の正体”が、すこしずつ見えてくるはずです。
あなたは、どの回で気づくでしょうか。
断章:光の序曲
光を信じた 幼い少年の日々。
その拳に――世界を救う力があると 信じていた。
雲を裂くように 空を見上げれば、
どんな闇も きっと追い払えると 思っていた。
輝くことを 夢見た 小さな少女の日々。
その笑顔ひとつで――世界は優しく変わると 信じていた。
涙さえも 光にかえることができると、
小さな胸の奥で そっと願っていた。
その心は いまも ここにある。
小さな胸の奥で、
朝のひかりのような未来が、
そっと息づいている。
そして――
その光を、もういちど信じるための物語が、
いま、静かに始まろうとしていた。
⸻
――ここは、どこにでもあるようで、少しだけ“ふしぎな”保育園。
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朝の日差しが、ゆっくりと園舎の屋根を照らしていく。
南の正門には、「みんななかよく」と書かれた鉄のアーチ。
門をくぐると、明るい運動場と砂場が広がり、
元気な笑い声と駆け回る音が、朝の風に乗って弾んだ。
その奥には、白壁と木の香りをまとう園舎。
窓を開け放った音楽室からは、ピアノに合わせて小さな歌声がこぼれてくる。
陽の光が白い壁に反射して、花壇の上にきらりと降り注いだ。
園庭の中央には、小さな噴水と花々。
その水しぶきが、空気をやわらかく包み込んでいる。
さらに北の奥――寄宿舎の赤い屋根が見える。
干したばかりのタオルが風に揺れ、洗濯室の方からは、
石けんと陽だまりの匂いが、ゆるやかに流れてきた。
風が抜け、鳥たちがさえずり、
園全体がひとつの朝の音楽のように息づいていた。
砂場からは、元気な笑い声が響く。
花の冠をかぶったミサキ――みんなから「ミサポン」と呼ばれている女の子が、楽しそうに駆け回っていた。
茶色の髪は外にはねて、赤いおてんばリボンが陽の光を受けてきらりと揺れる。
赤い瞳が楽しそうに細まり、その笑顔は見ている子たちまでつられてしまうほどだ。
「姫さまー!」
焼けた頬に笑みを浮かべ、タクトがスコップを剣のように構える。
陽ざしに照らされた短い黒髪がきらりと光り、元気いっぱいの声が園庭に響いた。
園児たちはどっと笑い、ミサポンは「えへへ」と冠を押さえて照れ笑いする。
その仕草に、場の空気がいっそうやわらかくなった。
少し離れた場所で、その光景を静かに見つめていたのはユウマだった。
淡い金色の髪が、朝の光を受けてやわらかく揺れる。
整った前髪の隙間からのぞく金の瞳は、光を映しながらどこか遠くを見ていた。
その表情は穏やかで、けれど周りの笑い声に混ざることはない。
彼の膝の上には、小さなスケッチブック。
白い紙の上で、クレヨンの先が静かに動いている。
描かれているのは、走り回る子どもたちの笑顔。
声ではなく、線と色で世界を刻んでいく。
風が通り抜け、ページの端がふわりとめくれた。
金色の髪が揺れ、光の粒がこぼれるように瞬く。
(……あんなふうに、まっすぐ笑えるんだ)
その笑い声が光みたいで、胸の奥が少しあたたかくなった。
そこへ、やさしい声が響いた。
「みんな〜、今日は特別な紙芝居を見せてあげますよ〜」
柔らかな栗色の髪が揺れ、ピンク色のエプロンに刺繍された
うさぎが、まるで一緒に笑っているように見える。
おひさま組の担任、エミリー先生だ。
エミリー先生は、手の小さなうさぎのぬいぐるみをそっと掲げた。。
「さあ、ごあいさつをしてね……はい、どうぞ」
先生がそっとぬいぐるみを揺らす。
「やぁやぁ〜! ぼく、パピンだよ! よいこのみんな、ぼくのこと見えるかな〜?」
「わぁー! パピンちゃんだー!」
「こっち見てるー!」
「見えにくい子は、少し前においで〜」
パピンの声に合わせて、園児たちがキャッキャとはしゃぎながら前へ集まってくる。
エミリー先生はにこりと笑い、ぬいぐるみを胸の前で抱く。
「ありがとう、パピンちゃん。じゃあみんな、自分の椅子を持ってきてね〜。
パピンちゃんと一緒に、おはなしの時間にしましょう」
「はーい!」
園児たちは小さな椅子をトコトコと運び、先生の前にきれいな列を作って座る。
その姿が朝の光の中で一枚の絵のように見えた。
エミリー先生は一人ひとりの顔を見渡して、
「今日は森と動物さんたちのおはなしです」
と優しく微笑む。
「見るより、描くほうが面白いのに」
ユウマは小さく口をとがらせながら、つぶやいた。
ミサポンが首をかしげる。
「ユウマくんって変なの〜。見るのも楽しいよ?」
「だって、描くとね――自分の思った通りにできるんだ」
「ふーん? でも、見るとびっくりすることもあるよ?」
ミサポンはにっこり笑って、紙芝居の方を指さした。
「ね、あのうさぎさん、さっき笑ったもん!」
ユウマは一瞬だけ言葉に詰まる。
「……そんなわけ、ないでしょ」
「あるもんっ!」
笑いがはじけ、ユウマの頬がほんの少し赤くなる。
視線をそらした横顔は、どこかうれしそうでもあった。
エミリー先生はやさしく微笑み、軽く首を傾げながら言った。
「ふふ……そんなお兄ちゃんのユウマくんにも、きっと楽しんでもらえると思うわ」
少しむくれながらも、ユウマはしかたなく席に着いた。
その横顔を、エミリー先生は静かに見つめてから、木枠の扉をゆっくり開いた。
「さあ、はじまりはじまり〜」
エミリー先生の声にあわせて、一枚目の絵札が差し込まれた。
森の絵には、木々と花がやさしく描かれていた。
光が反射して、きらりと輝いたように見える。
「森の中に、かわいい動物さんたちがいました。
今日はみんなで楽しいおさんぽです〜」
「わぁ! うさぎさんだー!」
「ほんとだ、ぴょんぴょんしてる!」
園児たちはいっせいに歓声をあげる。
ユウマもちらりと見て、ふっと息を漏らした。
「……ほんとだ」
気づけば、少し前のめりになっていた。
視線の端で、先生の指先が絵札の縁に触れるたびに、
きらりと光がこぼれるように見えた。――いや、光が“心の奥に落ちた気がした”。
次の札が抜き取られ、鮮やかな空が描かれた絵が差し込まれる。
「そこへ、くまさんもやってきました〜。
ことりさんも羽ばたいて、みんなで仲良く星を見にいくんです〜」
「すごーい! キラキラしてる!」
園児たちは目を輝かせて絵を見つめる。
ユウマは小さく笑っていた。
夢中になりすぎて、自分でも気づかないほどだ。
(なんだろう……絵なのに、風の音が聞こえる気がする)
ほんの一瞬、絵の中の木々が揺れたように見えた。
木の葉がざわめく音が、耳の奥でかすかに響く。
まるでその森の中に、自分も座っているかのようだった。
最後の札が差し込まれる。
夜空の下で、どうぶつたちが輪になって笑っている絵。
星が流れる瞬間まで描かれていて、光が紙の上でほんの少し瞬いたように見えた。
「動物さんたちは、お星さまの下で楽しく遊びました。
そして最後は……“おやすみなさい”」
紙芝居の扉がゆっくり閉じられる。
拍手と笑い声。
ユウマも夢中で手を叩き――我に返ると真っ赤になってそっぽを向いた。
「ユウマくん、楽しかったでしょー!」
「べ、別に……!」
園児たちが笑い、エミリー先生は微笑んだ。
「ふふ……みんな、いい子ですね」
外では昼の光が園庭を染め、風車が回っていた。
子どもたちの笑い声が、風に乗って遠くへと溶けていく。
ユウマはこっそりつぶやいた。
「……なんで、あんなに楽しかったんだろ」
胸の奥に、言葉にならないくすぐったさが残っていた。
風が頬をなでる。
その香りは、どこか森の匂いに似ていた。
(……また見てもいいかもな)
そのつぶやきは光の粒のように、朝の空へと溶けていった。
⸻
夜の帳が静かに降りた。
園舎の灯りがひとつ、またひとつと消えていく。
昼間あんなににぎやかだった園庭も、いまは風の音だけ。
寄宿舎の廊下には、足元灯のやわらかな光が続いている。
その中を、エミリー先生が小さな園児の手を引いて歩いていた。
園児はパジャマ姿のまま、先生の腕にしがみついている。
目は半分閉じかけで、頬には涙のあとがひとすじ。
「……こわいゆめ、みたの」
小さな声が、夜気に吸い込まれるように消える。
「そう。もう大丈夫。先生がそばにいるからね」
その声は昼と同じやさしさで、けれどどこか静かすぎた。
廊下の光が二人の影を長く伸ばし、輪郭がゆらめいた。
園児は気づかない。
ただ先生の手のぬくもりだけを信じて歩いている。
やがて二人は、お世話室の前で立ち止まる。
「もう、こわくないわ」
エミリー先生はしゃがみこみ、園児の頬をそっと撫でる。
その瞳は、月明かりのように穏やかで――どこか、底のない静けさを湛えていた。
園児はゆっくりとうなずく。
先生の胸に顔をうずめると、息がひとつだけ落ち着く。
「いい子ね」
その瞬間、足元灯がひとつ、ふっと消えた。
続いてもうひとつ。
廊下の奥から順に、光が静かに闇に溶けていく。
最後の灯りの中で、先生は園児の手を握り直し、微笑んだ。
「さあ――行きましょうね」
カチャリ、と扉の錠が静かに外れる音。
そして、すべての光が消えた。
風車の羽根が、風もないのに、ゆっくりと回っていた。
その奥で、誰かの声が、遠い子守唄のように続いていた。
次回予告
第3話 ただいま、の声
午後の光の中、笑い声が響く保育園。
でも、門の向こうから“お散歩ワゴン”が帰ってきたとき――
少しだけ、空気が変わったような気がしたんです。




