6.因縁
卒業パーティをひと月後に控えた、ある夜。
私は月明かりに照らされた学園の裏庭へと足を運んでいた。
フィオナ様の身を穢そうとした、ド底辺国家の王子。
フィオナ様の心を煩わせた、木っ端役者の令嬢ども。
これまで大人しくしていた連中が、まるで示し合わせたように一斉に動き出した。そこには必ず、裏がある。
調べ上げた末、暗躍する黒幕に見当をつけた私は、確信と共にその人物を呼び出していた。
「……やはり君だったか。まったく、待たせてくれるじゃないか」
石畳の中央にある無駄に大きな噴水の前。
奴は両手を広げ、いかにも芝居がかった仕草で私を待ち構えていた。月光を受けたその笑みは、得意げに、そしてどこか愉快そうに歪んでいる。
アインが一度、「アイツは嫌な臭いがする」と言って見えない尻尾を逆立てていた相手。――隣国の皇太子、エントリヒ。
各種騒動の際も、やたらと目に付く場所に姿を見せていた男だ。
「わざわざ人払いまでしていただき、恐悦至極に存じます」
「思ってもいないことをいけしゃあしゃあと。まあいい。君とはゆっくり話したかったからね。……僕のこと、ご存じかな?」
「もちろんでございますよ、エントリヒ様。いや――」
見た目は違えど確信があった。
あの日、私に剣を突き立てた男。当時の名までは知らぬが――。
「勇者殿、とお呼びすべきでしたかな?」
私の問いに、エントリヒはにやりと笑う。
その小憎たらしい表情が、かつて魔王様の前に躍り出た姿と重なった。
「まさか君もこの世界にいるとは思わなかった。僕たちはよくよく縁があるらしい」
「昔話をするような仲でもないでしょう。だから単刀直入に申し上げます。……フィオナ様に粉をかけるのは止めろ。相手にもされていないのが分からんのか」
忠告するように睨め上げると、エントリヒはやれやれと肩をすくめてみせた。
「ふふ、その尊大な物言い。……やっぱり気に入らないな。君のせいで僕は英雄になり損ねたのだから、まずは謝罪と賠償を要求したいくらいだ。あの一撃に、全てを賭けていたというのに」
「それは残念だったな。どうせ貴様も魔王様に即座に殺されたのだろう? 大人しく与えられた生を謳歌していればよかったものを。……よもや、今のフィオナ様であれば、簡単に御せるとでも思ったのか?」
魔王様としての力を取り戻さなければ、フィオナ様はただのか弱き令嬢。勇者としての力を持たない今の奴でも縊り殺すことくらいは造作もない。
だがエントリヒは「まさか!」と大袈裟に声を上げた。きらきらと曇りなき眼を輝かせ、陶酔したように頬を染める姿は正直気持ち悪い。
「確かに最初は化けの皮を剥がしてやろうと思っていたさ。でもね、ずっと観察して分かったんだ。あの美しさ、あの可憐さ、あの仕草。勤勉で誰からも愛される術を知っている。しかも僕の癖である金髪に紅眼ときたものだ。穏やかで、慎ましくて、何より男を立てて決して"逆らわない"女。記憶も残っていないというのならなお都合がいい。……なあ、思わないか? 彼女こそ僕の皇妃に相応しいと」
急な早口。気色の悪い男だ。妄執と欲望を振りかざしてあの御方を語るなど烏滸がましい。
だいたい前世では仇敵であったのだぞ? 頭がどうかしているとしか思えない。
「正気とは思えんな。前世は魔王様なんだぞ? お前の国の人間も数多く死んだはずだろう」
「些末なことを。僕は過去は振り返らないタイプなんだ」
堂々と胸を張るエントリヒ。どうやらかつてこいつを異世界から召喚した人間どもは、召喚する対象の資質に人間性は含めていなかったらしい。
「なるほど。つまり今世ではフィオナ様を手中に収めたいと? くだらん工作は尽く失敗したようだが……次は何をするつもりだ?」
「なに、あれは様子を見ただけさ。だがそれももう終わりだ。我が国が、この王国に攻め入る予定だからね。混乱に乗じてフィオナ嬢を奪い取り、我が皇妃として迎え入れる。そしてこの王国を我が支配下に置く。獣人なんかが王子を名乗るような国など、害悪以外の何ものでもないだろう?」
……。
どうやら知能と品性は駄犬にも及ばなかったらしい。
相手をするのも面倒になってきたので、私は淡々と口調を改めた。
「……エントリヒ様。くだらん策を弄するのは勝手ですが、少々口が軽すぎやしませんか」
「この世界で僕の障害になるものなんて何もないからね。あの獣人だってそうだ。前世の記憶との融合もうまくいっていないんだろう? 上手く取り繕ってみせたって、どうせすぐにボロが出るさ」
唇の端を醜く歪めて、彼は芝居がかった仕草で肩をすくめる。
「まあ、前世の記憶が甦る前の『氷の王子』であれば脅威になりえたかもしれないがね。今のアイツだったら、骨でも投げれば喜んで取りに行くんじゃないか? 顔がいいという一点で得をしているだけだし、それなら僕も負けてはいないからね」
「なんと、我が国の王子まで賎しめるとは……。これまでの発言の数々、皇国の正式な考えと受け取ってよろしいのですね?」
「まさか。この世界の人間は平和ボケしすぎてるのか、戦争を仕掛けようなんて誰も思いつきもしないんだよ。……だから僕がこの世界を導くんだ。戦争は、文明の発展に繋がる必要悪だからね。とやかく言う者もいるだろうが、利を説けば従うはずだ。国を討ち取り、彼女を手にして……僕はようやく真の勇者となれるのさ!」
拳を握りしめ、遠くを仰ぐエントリヒ。月光を浴びて無駄に輝いてはいるが、高潔と称されたはずの勇者の面影など微塵も残されていない。
……いや、奴も狂わされてしまったのかもしれない。魔王様という、唯一無二の存在に。
「……そうですか。まあ、そんな日が来ることを祈っていますよ。剣も持たぬ勇者殿」
「ただの従者からの忠告、痛みいるよ。……安心しろ。今世では生かしてやる。奴隷として引き取ってやるさ」
「皇国でも奴隷は禁止されていたと記憶しておりますが……その日を楽しみにしています」
わざと皮肉を込めて頭を下げると、エントリヒは「ふん!」と鼻を鳴らして満足げに去っていった。
残されたのは生暖かい夜風と、私の深いため息だけである。
奴の企みは聞いた。
生徒たちを唆した証拠も押さえている。
あとは証人であるが――。
「……とのことでございましたが。皆様の見解をお聞かせ願えますでしょうか」
奴の背が完全に消えたのを確認してから、私はそっと声をかける。
ややあって、背後の茂みから三つの影が静かに姿を現した。




