4.元四天王のお仕事
アインとはいえ、協力者が増えたこと自体は喜ばしいことである。
だがアインの仕出かした婚約破棄騒動は、これまでにない厄介事を引き寄せる結果となった。
例の騒動を「王子の心変わりの兆しではないか」と邪推した連中が、盤石と思われた二人の関係に付け入る隙あり、と見て動き出したのだ。
嫌がらせ、流言、奸計が飛び交い、学園の風紀はこれまでにないほど乱れに乱れた。
仕方なく、私とアインはフィオナ様の御心を乱さぬよう、細心の注意を払う日々を送る羽目になったのだが――。
「……ツヴァイ。話がある。私の部屋へ」
「はっ、殿下。かしこまりました」
教室では尊大な口ぶりで私に指示を飛ばすアイン。
なんとこの学園、生徒専用の寮まで完備されているのだ。格好のテロの標的ではないか? と毎度思うのだが、誰ひとりとして気にしていない。不自然なまでに緩い世界である。
ただし、嫉妬や妬みといった感情は普通に存在するらしい。アインと二人で並んで歩けば、その視線の棘を肌で感じることになった。
「……あれ、ランスター家の従者だよな? なんで平民がアイン様と一緒にいるんだ?」
「フィオナ様の付き人ってだけのくせに生意気だよな。平民のくせに成績も上位層だしよ」
「しかも学内の"領地経営論"で提出した施策案、教師連中が本気で採用検討してたらしいぜ? ……まあ、爵位無しじゃ地方人役人がせいぜいだろうけどな」
失礼な。本気を出せば、こんなお子様の群れの中で首席を取るなど造作もない。
だがそれではこうしたやっかみが増えるだけ。ゆえに私は、フィオナ様の面目を潰さぬ程度に凡才を装っているに過ぎない。
それからも何かと視線を浴びながら歩き続け、奴の部屋に足を踏み入れた瞬間――糸が切れたように、駄犬が顔を覗かせた。椅子にぐでりと腰を下ろし、頭を抱えて項垂れるその姿はどう見ても王族のものではない。
心労が溜まっているのだろう。もっとも、これまで以上に神経を擦り減らしているのは私も同じで、今ではすっかり胃薬が手放せなくなっている。
「なあツヴァイ。俺たち魔王様……じゃなくて、フィオナに振り回されすぎじゃないか?」
「誰のせいだと思っているんだ。貴様が余計なことをしたからだろう」
「いや、それは本当にごめんって。でもほら、この前の夜会とか」
あれか。思い出したくもないが、確かに危機一髪であった。
――学園行事である、煌びやかな夜会の舞踏会場。
フィオナ様は白いドレスに身を包み、他の生徒たちの羨望を一身に集めていた。
当然のように「私と一曲を」との申し出が相次いだのだが、中でもひとり、目に余る輩がいた。
辺境に根を張るド底辺国家の王子。
清潔感の欠片もない脂ぎった笑みを浮かべ、烏滸がましくも「お約束は取り付けていましたよね」とフィオナ様の腰に手を伸ばそうとしたのだ。
「あの時は危なかった。嫌がるフィオナ様から放たれた殺気で周囲のグラスが一斉に割れた時、ついに魔王様が目覚めたのかと思ったほどだ」
「俺だって挨拶回りで忙しいんだからさ。ちゃんとお前が見張ってろよ」
「貴様……私は一介の従者にすぎんのだぞ。この学園にもフィオナ様のおこぼれで入れた身だ。限度がある。大体なんだその挨拶回りというのは。駄犬の分際で生意気な」
「いや俺、一応王子だから……」
口ではそう言ったが、前世を彷彿とさせる全力疾走で駆けつけたアインのおかげで丸く収まったようなものだ。
『っハァ……私の婚約者に、何か御用かな? ……私はこう見えて嫉妬深いものでね。過度な接触は控えてもらおうか』
汗を滲ませながら笑顔で言い放つと、魔王様の覇気を真正面から浴びて硬直していた男は、ようやく我に返った様子で逃げ出した。
遠巻きに見ていた令嬢たちから羨ましげな黄色い声が上がる。何やら口惜し気にしている隣国の皇太子の姿もあった。
私だって、ただ手をこまねいていたわけではない。最悪の事態に備えて投石のための死角を探していたのだ。
除籍覚悟でフィオナ様をお守りするつもりだったのに。気づいていらしたのか、フィオナ様はふとこちらに視線を寄越すと、制するように微かに笑っていた。
前世ではまるで気に留めなかった身分の差というものを痛感する。
その点でも、事情を知るアインと結ばれてくだされば問題は少ないのだが……。
「あと、あれ。中庭のバラ園事件な」
「ああ……あれか」
二人同時に天を仰ぐ。
あれもまた、心底疲弊した一件であった。
学園の中庭。手入れの行き届いたバラ園で、フィオナ様は同級生の令嬢たちに囲まれていた。
一見、和やかな談笑の輪に見えたが……耳を澄ませば、刺々しい言葉が飛び交っている。
『殿下に相応しいのは、もっと華やかで気丈な方ではございませんこと?』
『そうですわ。おっとりしてばかりでは王子妃など務まりません。殿下も最近はお疲れのようですし、あの婚約破棄騒動も本心だったのではありませんか?』
涼やかに微笑んでいたフィオナ様の肩が、小さく震えた。
婚約解消を言い渡された時は悠然と構えていたが、もしかしたら彼女自身も不安を抱えていたのかもしれない。
『随分と酷いことを仰いますのね。もしそうだったとしても……貴女がたにとやかく言われる筋合いはございませんのにねぇ……』
違った。怒っていただけだった。言葉こそ柔らかいながらも、不穏な気配が滲み出ている。
同時に周囲のバラが音もなく萎れ、みるみる黒ずんでいく。張り詰めた気が辺りを覆い、吐息さえ凍りそうな冷気が肌を刺す。
中庭の入り口に控えていた私は迷わず駆け出した。ほぼ同時に、反対側からアインも現れる。奴はどうやらフィオナ様のピンチを嗅ぎつける能力を開花させたらしい。
視線を交わし、互いに頷く。一直線にフィオナ様のもとへ――。
『フィオナ!』
一歩先についたアインが彼女の前に立ちはだかると、土に塗れるのも厭わず片膝をついた。
周囲の令嬢たちが驚愕に息を呑む中、フィオナ様の手を取り真っ直ぐに見据える。
『誰が何を言おうと、君は私の婚約者だ。唯一無二の存在だ。君がいるからこそ私は王子として立っていられるんだ。……先日の一件はただの気の迷いに過ぎない。どうか贖罪の機会をくれないか? 私を……信じて欲しい』
砂糖菓子のように甘ったるい台詞に、令嬢たちは先ほどまでの剣呑な空気も忘れた様子で一斉に赤面して悲鳴を上げた。
基本的には平和ボケした連中なのである。なにやら誰かに唆されたようだが、冷水を浴びせられれば目を覚ますのも早かった。
フィオナ様の手を恭しく握りしめるアイン。うなじには大量の鳥肌が立ってはいたが……まあ、それでも役目を果たしたのは確かだ。私と目が合ったフィオナ様の瞳から翳りが消え、頬がほんのりと染まっていたのだから。
『……もう、アイン様ったら』
微笑むフィオナ様に呼応するように、萎れていたバラが一斉に花開く。祝福するかのように鳥や兎までもが姿を見せ、柔らかな風がそっと吹き抜けた。
そこに残ったのは、まるで絵本の一頁のような麗しい少女と王子の姿。
自らのお節介に気づいたのか令嬢たちは顔を青くして頭を下げる。そして、なぜか草葉の陰では隣国の皇太子が拳を握り締めていた。
……私はといえば、その光景を少し離れた場所から、ただ立ち尽くして見つめることしかできなかった。




