回想
夜の病院。
窓の外では月が静かに照らしている。
源三はベッドの脇に置かれた湯飲みを手に取り、
少し冷めたお茶をすすった。
――ふと、目の前に妻の姿が浮かぶ。
「あなた、熱いのをすぐに飲むから舌を火傷するのよ」
台所に立つ細身の女。優しく笑うその顔は、
十年前に病気で逝った妻・春代だった。
彼女が入れてくれるお茶は、
なぜか自分が淹れるよりも香りが深かった。
「そんな細かいこと、気にするな」
「そういうところが頑固なんだから」
二人で笑い合った日々。
その温もりがもう戻らないことを、
源三はとうに知っている。
だからこそ――。
家の食器棚に残る妻の茶碗を大事にしてきた。
アリスが割ったとき、胸にこみ上げた怒りは、
あれが「ただの器」ではなく「妻の面影」だったからだ。
源三は小さく息を吐いた。
「……お前がいたら、このポンコツをどう思ったかのう」
返事はもちろんない。
だが隣の椅子に座るアリスが、ぎこちなく湯呑みを持ち上げる仕草を見せた。
「Master… tea… together?」
拙い英語混じりの声。
その瞬間、源三は幻の妻の微笑みと重ね合わせてしまった。
「……ああ、飲むか」
ひとりのはずなのに、
どこか二人で過ごしているような、
不思議な温かさが胸に広がっていた。