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第十一話 「春の声」

冬の終わり。

雪はもうほとんど残っておらず、

庭の隅で、固いつぼみが春を待っていた。


朝、アリスが台所に立っている。

湯気が立ちのぼり、

ほうじ茶の香りが家の中に広がる。


けれどその手の動きが、どこかぎこちなかった。

金属の指先が少し震え、湯呑みがかすかに揺れる。


「……あぶないのう。おい、手、どうした?」


源三が駆け寄ると、アリスは首を振った。

「No problem... little...」


その声が、いつもより少しかすれていた。

機械音が混じるような、弱々しい響き。


源三は眉をひそめた。

「また調子が悪いんか。」

「I’m fine... I’m...」


途中で言葉が途切れる。

青い瞳の光が一瞬だけ弱くなった。


その瞬間、源三の胸が冷たくなった。

――また、あの時みたいに止まってしまうのか。


午後。

アリスは縁側に座って、ノートを見つめていた。

ページには、彼女が書いた文字がある。


Master = やさしいひと

Memory = わすれない


だが、その下に書こうとした言葉が途中で止まっている。

線がぶれて、震えていた。


源三がそっと隣に座った。

「どうした。」

「……わたし、すこし……ことば、にがす。」

「にがす?」

「わすれる……すこしずつ。」


その言葉に、源三の喉が詰まった。

「そんな……。」


アリスの青い目が、かすかに揺れた。

「でも、だいじょうぶ。Master、いる。おぼえてる。」


その笑顔は弱かったが、確かに“生きていた”。

源三は静かに頷いた。

「……ええ、そうじゃ。お前は大丈夫じゃ。」


夜。

アリスは動作を止め、

静かに充電台に座っていた。

その姿を見ながら、源三は灯りを落とす。


障子越しの月明かりが、青い瞳に反射している。

その光が弱くなったり強くなったりするたびに、

源三の心臓も一緒に揺れた。


「……お前、壊れるなよ。」


誰に向けた言葉でもない。

ただの願いだった。


翌朝。

庭の水仙が、ようやくひとつだけ花を開いた。

白い花びらが風に揺れている。


アリスがそれを見つめ、

少しだけ口を動かした。


「……はる。」


源三はその言葉を聞いて、

思わず目を細めた。


「そうじゃ。もう春じゃ。……春が来たんじゃ。」


アリスはうなずいた。

青い光が、ほんの少し強くなった。


「Hello, Master... Spring is... beautiful.」


それが、その日の最後の言葉だった。

その声は、まるで眠るように穏やかだった。

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