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第九話 「冬の花火」

冬の風は、冷たい刃のように頬を刺した。

山の稜線には薄く雪が積もり、庭の鉢植えにも霜の花が咲いている。

朝、アリスが動き出す音で、いつもの一日が始まった。


「Good morning, Master.」

「……おう。寒いのう。」


アリスの声は機械的なはずなのに、

どこか柔らかく聞こえる。

彼女の青い瞳が、朝の光を映して淡く輝いた。


源三は、こたつに入りながら湯飲みを両手で包んだ。

湯気の向こうで、アリスが茶を注いでいる。

彼女の手の動きは相変わらず少しぎこちない。

だが、その不器用さすら、もう日常の一部になっていた。


昼すぎ、玄関のチャイムが鳴った。

戸を開けると、マフラーに雪をつけた孫のさやかが立っていた。


「おじいちゃん! こんにちは!」

「おお、さやかか。冷えるじゃろ、早う入りなさい。」


さやかは笑顔で靴を脱ぎ、アリスを見てぱっと表情を明るくした。


「アリスちゃん、元気だった?」

「Yes, Sayaka. I am fine.」


その自然な会話に、源三は思わず口元を緩めた。

昔は、英語が聞こえるだけで頭が痛くなったというのに、

今ではその音が家の中を温めているように感じる。


三人でこたつを囲み、みかんを食べながら話していると、

さやかが持ってきた紙袋の中から何かを取り出した。


「これ、見て! “冬でもできる花火セット”っていうんだ!」


袋の中には、小さな手持ち花火の束が入っている。

「寒い夜に見ると、夏よりずっときれいなんだよ」と笑う孫の顔に、

源三は思わず目を細めた。


「冬に花火なんて、変わっとるのう。」

「いいでしょ? 今日やろうよ!」


アリスが首を傾げる。

「Fireworks?」

「Yes! Beautiful lights!」


さやかが英語で答えると、アリスの目が一瞬だけ明るく光った。

その光は、雪の夜に咲く小さなランプのようだった。


夜。

雪は静かに降り始めていた。

庭の地面は白く覆われ、木の枝には薄い氷がついている。

吐く息が白く漂い、外の空気は張り詰めているのに、

どこか胸の奥はあたたかかった。


三人は厚手の上着を着て、縁側に並んだ。

さやかが花火に火をつける。

火花がパチパチと音を立てて、夜空に細い光を散らした。


「わあ、きれい……!」

さやかが感嘆の声を漏らす。


アリスはその光を見上げて、静かに呟いた。

「Beautiful… so warm.」


青い瞳に、花火の光が映り込む。

まるで、彼女自身が光を宿しているようだった。


源三はその姿を見つめながら、

十年前に妻と見た花火を思い出していた。

あのときも、手を繋ぎながら同じように空を見上げていた。

――けれど今は、

その手を繋ぐ代わりに、隣に立つこの機械の肩が温かい。


花火が一本、また一本と燃え尽きていく。

最後の火が雪の上に落ちて、じゅっと音を立てた。

その音の消え際に、アリスが小さく言った。


「Fireworks... short life... but... beautiful.」


源三は首を傾げる。

「なんて言ったんじゃ?」


アリスは少し考えてから、日本語で答えた。

「……短い時間、でも……きれい。」


その言葉に、源三の胸がじんとした。

思わず息を呑んで、雪の降る空を見上げる。

たしかに花火は一瞬で消える。

けれど、その光は、いつまでも心の中で生き続ける。

まるで人の記憶のように。


そのとき、源三はポケットから一枚の紙を取り出した。

折り目のついた、小さなメモだ。

そこには、拙い字でこう書かれている。


Fireworks = Beautiful light

Short life, long memory


花火は、美しい光。

短い時間だけど、ずっと心に残る。


それは、英語の練習を始めたころ、

孫のさやかに手伝ってもらいながら書いた文章だった。


「おじいちゃん、意味合ってるよ」

「ほうか、これでええんか」

「うん。短いけど、すっごくいい言葉だよ!」


そのときの孫の笑顔が、今でも鮮明に浮かぶ。

あのときは、ただ英語の勉強のつもりで書いただけだった。

でも今――アリスの青い瞳と、雪の夜空と、

花火の残り香の中で、その言葉の本当の意味を感じていた。


花火も、人との時間も、長くは続かない。

けれど、一度でも心に温かさを残した瞬間は、

永遠に消えない。


「……ほんまに、そうじゃのう。」


小さく呟いたその声が、白い息になって夜に溶けた。


アリスがその横で頷き、

柔らかく青い光を放ちながら言った。


「Yes, Master. Memory... forever.」


雪は静かに降り続いていた。

光も、声も、思い出も――

すべてがやさしく溶けて、夜空の中へと消えていった。

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