星に願いを
「今夜は新月だから、猫になるにはちょうど良いね」
そんな風に悪戯っぽく笑ったカナタに誘惑されて、私は真夜中に家を抜け出した。
「猫になるって何?」と聞くと、カナタが「夜行性になるって事よ」とクスクス笑うので、私は「それはいいね」ってつられて笑ってしまい、今に至る。
みんなが寝静まって家の中が鎮まってから、コッソリ家から忍び出た。
カナタに「今から行くね」ってメッセージを送って、父さんや母さんには内緒の大冒険だ。
真夜中に冒険する勇気はあっても、さすがに私自身の女子高生らしいロングコートやメルヘンなマフラーで出歩く気にはなれなかった。
コッソリ借りたお兄ちゃんのダウンジャケットと毛糸のマフラーで完全武装。
ブカッとした男物はとても暖かくて、大きなポケットもあって、真夜中にはおあつらえだった。
キンと冷えた空気が、胸の奥まで冷やしていく。
グルグル巻きにしたマフラー越しでも、冬の夜の冷え込みは肺の中から染み込んでくるようだ。
出来るだけ密やかに音を立てないように気を使っているのに、昼の喧騒の中とは違ってキコキコと漕ぐ自転車のペダルの音が、私の過ぎた道へと転げ落ちていく。
絶対に褒められない、知られたら怒られてしまうこと間違いなしの後ろめたさで、知らず息が浅くなっていた。
夜の街灯は少なくて、道も暗くて、カナタが待っている公園は自転車で15分もあれば辿り着くはずなのに、延々と続く闇の回廊のようで怖かった。
ピロリンって音を立ててカナタからの返信が届いた。
いったん止まって開いてみると『ついた(=・ω・=)にゃ~♥』とあったから、思わず笑ってしまった。
緊張して冷たくなっていた指先に、感覚が戻ってきた。
カナタが猫になっているなら、私も猫の気持ちになろうと思いながら『もうすぐ着くにゃ~』と返す。
そして思い切ってペダルを踏み込み、ビュービューと唸る風を置き去りにしながら辿り着いた公園で、カナタはベンチに座って空を見ていた。
「ごめんね、待った?」
「ううん、今来たとこ」
お約束のように応じられたので、私は「嘘ばっかり!」と笑うしかなかったけれど、カナタは「嘘じゃないよ、猫は時間なんて気にしない」となぜかドヤ顔をしていた。
座りなよ、と隣を促されて、私もベンチに座ったけれど、夜の風が冷たくて身を震わせる。
寒いねって言う前に、右腕をムギュッとカナタに抱きしめられた。
無言のままギュウギュウと抱き着いてくるその様子に、なんとなく不安になる。
「話があるなら聞くよ?」
「ないよ? 寒いからくっついてみた」
「冬だもん、寒い時にはあったかいものが良いよね」
そう言って、ポケットからココア缶を二つ、私は取り出した。
絶対にこの高台は寒い予想ができていたから、途中の自動販売機で買ってきた私は出来る子なのである。
一本をカナタに渡して、もう一本のココアに口を付ける。
ふわりと漂う甘い香りと、身体の芯まで染みこんでくる濃厚さに、ほぅっと深い息を吐き出した。
「特別な話じゃなくても、聞くよ?」
「こうやってくっつきながら、夜の静けさを楽しむのも有りじゃない?」
「黙ってると、夜に攫われそう」
「そっか。なら、しかたないから教えちゃう」
カナタは空を指さした。
つられて見上げると、満天の星空が広がっていた。
雲一つない暗闇の中で、圧倒的な煌めきが。夜空一面を彩っていた。
「ほんとは、ハルカ自身に気付いてほしかったけど、見て」
スゥッと流れる星があった。
それも、一つや二つではない。
息をのみ、瞬きをしている間にも、光の尾を引いて、星が流れていく。
「今夜は新月でしょ? で、流星群が来るって知ってたから、誘ってみた」
「え? すご。流れ星って子供の頃にキャンプで見たけど、それっきり」
「だよね、夜中に出歩かないもん」
凄い凄いと手を叩いて喜んで、ふと、黙り込んだカナタに気付いて振り返ると、ニコリと微笑む顔が寂しそうで、胸の奥がキュッと傷んだ。
「カナタ、なにかあった?」
「ないよ。ただ、来年は卒業じゃん。進路、ハルカは決めた?」
「決めてない。カナタは?」
「決めてない」
だよねって笑って流しかけたところで、カナタが「決めてないけど、ハルカとは違う所に行く」と言った。
淡々と、事実だけを述べる乾いた口調だったけれど、それは事実の重みをもっていた。
そもそも、文系希望の私と、理系希望の彼方では、行き先が違うのだ。
こうやって親しく話せる中になったのは、入学してすぐに同じクラスになり、名前が「ハルカ」と「カナタ」なので、なんとなく語呂の良いペア感があるねって話始め、一緒に居る事が増えたからだ。
先の見えない私たちは、この先、いったいどうなるのだろう?
友達は友達のままでも、離れた場所にいると新しい関係が増えていき、ちょっとずつ遠ざかっていくのだろうか。
そんなことを今から考えても仕方ないけど、もしもそうなったら、さみしいな、と思った。
だから、私は言った。
「星に、願いをかけてみる?」
「あったね、そんな歌」
「和約は確か『運命は優しい 愛すべき人々の 密かな願いを 優しく叶えてくれる』だったっけ?」
「締めが『あなたが星に願うとき 願いはきっと叶う』だったから、密かじゃない願いも叶うと思うよ」
それは凄いね、なんて話しているうちに、流れ落ちる星の数が増えていき、まるで天から降る星の雨のようだった。
光の雨は長い尾を引いてすぐに消えるけれど、降りやんだりしない。
今夜は何時間もにわたって星の雨が降り注ぐらしいので、流れ星に願い放題である。
「じゃぁ、まずは受験先の合格かな」
「この流れでそこから? うける~まぁ、来年は受験生だもんね」
顔を見合わせて笑いながら「合格! 合格!」と祈った後で、どちらからともなく手をつないだ。
二人そろって手袋をしていなかったから指先がキンと冷えていたけれど、それでもほのかに温かい他人の内温は、頼りない夜の闇の中では確かな道しるべのようだった。
「来年も、一緒に、流れ星を見よう」
「来年も、再来年も。おばあちゃんになっても、一緒に見に行こう」
進路さえ、まだ決まっていないのだ。
来年はともかく、再来年はどうなるかすら、わからない。
ましてや、おばあちゃんになるほど未来のことなんて、想像するのもおこがましい事だ。
未来なんて、暗い夜道を走り抜けてた課題へ辿り着くよりも、ずっとずっと先が見えなくて、怖い事なのだ。
「どうせなら、猫になりたいね」
「だね。夏はクーラーが利いてて、冬はホカホカの暖房がある家猫がいいな」
だけど、私たちは立ち止れない。
現実逃避はできても、本物の猫にはなれない。
つまづいても、転んでも、未来へと進むしかない。
手探りで暗闇を進むように、あがく事しかできないのなら。
手探りで進んだ先にも、共に手を携え、温もりを分かち合う存在がいてくれたら嬉しいと思う。
星に願いをかけるなら。
願いそのものよりも、肩を並べて星を見る事に幸福を感じる人と、共にありたい。
そんな大切な時間を共有できる存在と、出会うことができたなら。
私はきっと、生涯にわたって幸せだったと、胸を張って言えるだろう。
今はまだ、約束することしかできないけれど。
ずっと、ずっと、カナタと一緒に流れ星を見に行きたいと思う。
それは果てしない未来へと続く、ささやかで切実な願いだった。
『おわり』