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第四章 迷走者

あらすじ


能力者がひしめく名門・蒼城学園。

そこに入学した綾瀬陽太あやせ ようたには致命的な問題があった。


——能力が、何もない。


特別な力を持たない「無能力者」である陽太は、なぜかこの学園に「記録係」として入学を許される。

役割は、天才的な能力を持つ美少女たちの戦いを観察し、記録すること。

それだけ。


誰からも期待されず、ただ見ているだけの存在。

そんな彼が記録することになったのは、学園最強と名高い二人の少女だった。


倉田美咲くらた みさき—— 空間を支配する「絶対領域」の使い手

若林香織わかばやし かおり—— 万物を創造する「千変万化」の能力者


圧倒的な才能を持つ彼女たちの戦いを、陽太はただ見守り、記録していく。


しかし、学園を狙う謎の組織「虚無」の脅威が迫る中、

「最弱」であるはずの陽太の観察眼が、思わぬ力を発揮し始める。


見ることしかできない。

記録することしかできない。

でも——それこそが、誰にも真似できない彼だけの「才能」だった。


作品紹介


本作は「無能力者」の主人公が、圧倒的な才能を持つ美少女たちと共に成長していく学園異能バトル作品です。




- 能力を持たない主人公ならではの視点で描かれる異能バトル

- 最初は「ただの記録係」だった主人公が、徐々に重要な存在になっていく成長物語

- 二人のヒロインとの心温まる交流と、少しずつ深まっていく絆

- 「観察」と「記録」という地味な行為が、やがて戦局を左右する鍵となる展開

- 能力がなくても、誰かの役に立てることを証明していく主人公の奮闘



「見ること」の大切さ、「記録すること」の価値。

そして何より、能力がなくても誰かの力になれるということ。


最弱の少年と最強の少女たちが織りなす、新感覚の学園異能バトルストーリーをお楽しみください。

実力試験から一週間。


陽太の日常は大きく変わっていた。「能力観察官」という称号は、彼に予想以上の注目をもたらした。廊下を歩けば、学生たちが振り返る。以前のような侮蔑の視線ではない。興味と、ある種の敬意が含まれていた。


「綾瀬くん、おはよう!」


教室に入ると、クラスメートたちが声をかけてくる。今まで無視していた者たちまでが、親しげに話しかけてきた。


「実力試験、すごかったね」 「能力観察官なんて、かっこいいじゃん」 「今度、僕の能力も見てもらえる?」


陽太は戸惑いながらも、悪い気はしなかった。初めて、この学園で自分の居場所を見つけたような気がした。


「おはよう、綾瀬くん」


美咲と香織も、いつものように優しく迎えてくれた。でも、二人の態度は以前と変わらない。それが陽太には嬉しかった。


「今日の午後、研究部からの要請があるわ」美咲が伝えた。「能力共鳴の新しい実験に、あなたの観察が必要なんだって」


「僕が?」陽太は驚いた。「研究部から直接?」


「そうよ」香織が嬉しそうに言った。「綾瀬くんの分析能力、学園中で評判になってるんだよ」


陽太は照れながらも、誇らしさを感じた。自分の能力—いや、観察力が認められている。それは今までにない感覚だった。


授業中も、陽太は以前より積極的に発言するようになった。能力理論の授業で、教師から意見を求められることも増えた。


「綾瀬、この能力相互作用についてどう思う?」


「はい」陽太は立ち上がった。「異なる波長の能力が接触する場合、通常は干渉により減衰しますが、特定の条件下では逆に増幅される可能性があります。それは…」


彼の分析に、教師も感心した様子で頷いた。


「素晴らしい考察だ。さすが能力観察官だな」


クラスメートたちからも感嘆の声が上がる。陽太は満足感に包まれた。


しかし同時に、心の奥底にはある疑問も芽生えていた。これで本当に十分なのだろうか?観察するだけで、満足できるのだろうか?


昼休み、陽太は図書館で新しい研究資料を調べていた。最近は、より高度な能力理論の本にも手を伸ばすようになっていた。


「やあ、綾瀬」


声をかけてきたのは、意外にも志村だった。


「志村先輩…」


「この前は、悪かったな」志村は気まずそうに言った。「お前のこと、誤解してた」


陽太は驚いた。あの志村が謝罪するなんて。


「実力試験、見てたよ」志村は続けた。「正直、すごいと思った。俺には真似できない」


「いえ、そんな…」


「これからは、対等に接させてもらうよ」志村は手を差し出した。「よろしく、能力観察官」


陽太は戸惑いながらも、その手を握った。認められている。自分の価値が、ようやく理解されている。


しかし、その喜びの中にも、微かな違和感があった。本当にこれでいいのだろうか。観察官として認められることが、自分の求めていたものなのか。


2


放課後、陽太は研究部での実験に参加した。研究員たちは彼の観察力に驚嘆し、次々と質問を投げかけてきた。


「綾瀬くんの観察眼は、我々研究者以上かもしれない」主任研究員が感心した。「君の分析があれば、能力開発は飛躍的に進歩するだろう」


陽太は誇らしさで胸が膨らんだ。自分にも、能力者に負けない才能がある。そう思えることが、何より嬉しかった。


実験が終わり、一人になった陽太は、ふと机の上に置かれた記録ノートに目を留めた。あの「虚無」襲撃の時、不思議な反応を見せた特殊なノート。学園長の説明では、能力を「記憶」する機能があるという。


「能力記録同調装置…」


陽太は呟いた。もしかしたら、この装置を使えば、自分でも能力のようなものが使えるのではないか。


周囲に誰もいないことを確認し、陽太は記録ノートを開いた。これまでに記録した様々な能力のデータがびっしりと書き込まれている。特に美咲と香織の能力については、誰よりも詳しく理解しているはずだ。


「試してみよう」


陽太は集中し、美咲の「絶対領域」をイメージした。青い光の輪、空間を支配する力、重力の操作…。


すると、記録ノートがわずかに光を放った。陽太の前方に、薄い青い靄のようなものが現れる。


「できた…?」


陽太は興奮した。確かに何かが起きている。これは能力の発現ではないのか?


いや、違う。陽太はすぐに気づいた。これは自分の力ではない。記録ノートが、記憶した能力を再現しているだけだ。


それでも、陽太の興奮は収まらなかった。たとえ装置の力でも、能力のようなものが使えるなら…。


その時、部屋のドアがノックされた。


「綾瀬くん、いる?」


香織の声だった。陽太は慌ててノートを閉じた。青い靄は瞬時に消え失せた。


「は、はい。今開けます」


ドアを開けると、香織と美咲が心配そうな顔で立っていた。


「大丈夫?」美咲が尋ねた。「部屋から変な気配を感じたんだけど」


「気配?」陽太は動揺した。「いえ、別に何も…」


「そう?」香織は首を傾げた。「なんだか、美咲の能力みたいな感じがしたんだけど」


陽太は冷や汗をかいた。記録ノートの反応を、二人は感じ取ったのか。


「気のせいじゃないですか?」陽太は誤魔化した。「ちょっと能力の記録を見直していただけですから」


二人は疑わしそうな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。しかし美咲は、意味深な視線を陽太に向けた。彼女は何かに気づいているかもしれない。


夕方、自室に戻った陽太は、再び記録ノートを手に取った。さっきの現象は何だったのか。本当に能力が使えるようになったのか。


「もう一度…」


陽太は集中を深めた。今度は香織の「千変万化」をイメージしてみる。すると、ノートが再び光を放ち、小さな光の粒子が宙に浮かんだ。


「すごい…」


陽太は夢中になった。これなら、自分も能力者のように戦えるかもしれない。美咲や香織と一緒に、「虚無」に立ち向かえるかもしれない。


その思いは、日を追うごとに強くなっていった。


3


翌週、陽太は特別訓練に参加した。上級生との合同訓練で、彼の観察力が必要とされていた。


訓練が始まると、陽太は観察装置を装着し、各チームの戦闘を詳細に記録し始めた。彼の分析は的確で、リアルタイムでチームに伝えられる情報は戦況を大きく左右した。


「Aチーム、左翼が手薄です。Bチームの火力が集中しています」 「Cチームの連携にズレがあります。0.5秒のタイムラグを修正してください」


陽太の指示は冴え渡っていた。学生たちからの称賛の声が、彼の自信を更に高めた。


「すごいな、綾瀬」 「さすが能力観察官」


しかし、心の奥では別の感情が渦巻いていた。自分はただ見ているだけ。実際に戦っているのは彼らだ。この疎外感は、称賛を受けるほど強くなった。


訓練の後半、より高度な演習が始まった。実際の「虚無」の襲撃を想定したシミュレーションだ。


戦闘が激化する中、防衛側のチームが押され始めた。陽太は焦った。このままでは負ける。自分の分析だけでは不十分だ。


その時、陽太の脳裏に考えが浮かんだ。記録ノートの力を使えば…。


「今なら…」


陽太は周囲を確認した。皆が戦闘に集中している今なら、誰も気づかないだろう。彼は懐から記録ノートを取り出し、集中した。


美咲の「絶対領域」をイメージする。防衛側のチームを守る、青い障壁を。


記録ノートが激しく光り始めた。陽太の前方に、青い光が集まっていく。


「やった!」


陽太は内心で喜んだ。これで自分も戦いに参加できる。


しかし次の瞬間、光は予想外の動きを始めた。陽太の意図とは無関係に、暴走し始めたのだ。


「なに!?」


周囲の学生たちが驚きの声を上げた。青い光は制御を失い、無差別に広がっていく。訓練場の機材が次々と破壊されていく。


「綾瀬、何をしている!」


指導教官が叫んだが、陽太には止める方法がわからなかった。記録ノートは熱を帯び、手から離れない。


「綾瀬くん!」


美咲と香織が駆け寄ってきた。二人は即座に状況を理解した。


「香織、能力共鳴で抑えるわ」 「うん!」


二人は手を取り合い、能力を発動した。


「絶対千変—鎮静共鳴!」


紫色の光が広がり、暴走する青い光を包み込んでいく。徐々に、記録ノートの暴走は収まっていった。


陽太は膝から崩れ落ちた。訓練場は騒然としていた。幸い怪我人は出なかったが、皆が動揺している。


「綾瀬!」


指導教官が厳しい表情で近づいてきた。


「説明しろ。あれは何だ」


「すみません…」陽太は震える声で謝った。「記録ノートが…勝手に…」


「勝手に?」教官は眉をひそめた。「ノートを使って何をしようとした」


陽太は答えに窮した。能力者のように戦いたかったなんて、言えるわけがない。


美咲と香織に支えられながら、陽太は訓練場を後にした。周囲の視線が痛い。さっきまでの称賛の眼差しは、恐れと不信に変わっていた。


4


保健室で検査を受けた後、陽太は学園長室に呼ばれた。


蓮見学園長、藤堂先生、そして数名の研究員が深刻な表情で待っていた。机の上には、問題の記録ノートが置かれている。


「綾瀬くん」学園長が口を開いた。「訓練場で何が起きたのか、説明してもらえるかな」


陽太は観念して、事の経緯を話した。記録ノートを使って戦いに参加しようとしたこと。しかし、ノートが暴走してしまったこと。


「なるほど」学園長は深く頷いた。「君は能力者のように戦いたかったと」


「…はい」陽太は恥ずかしさで顔を伏せた。


「記録ノートは確かに特殊な装置だ」研究員の一人が説明した。「しかし、それは観察と記録のためのもの。戦闘用ではない」


「特に」学園長が続けた。「能力を持たない者が無理に使用すれば、制御不能になる危険性がある」


陽太は青ざめた。自分の浅はかな行動が、多くの人を危険に晒したのだ。


「申し訳ありません」陽太は深く頭を下げた。「観察官として、やってはいけないことでした」


「その通りだ」学園長は厳しく言った。「君の役割は観察と記録。それを逸脱してはいけない」


「でも…」陽太は思わず反論した。「ただ見ているだけでは…」


「ただ見ているだけ?」藤堂先生が声を上げた。「それは君の仕事を軽んじている」


陽太は言葉に詰まった。


「観察こそが、君にしかできない重要な仕事だ」学園長は諭すように言った。「能力者は自分の能力に囚われて、客観的に見ることができない。だからこそ、君のような存在が必要なんだ」


陽太は反省の色を見せたが、心の底では納得していなかった。理屈はわかる。でも、感情が追いつかない。


「記録ノートは、当面、我々で預かることにする」学園長は決定を下した。「君には通常のノートで記録を続けてもらう」


陽太は愕然とした。記録ノートを取り上げられるなんて。


「それから」学園長は付け加えた。「しばらくは、基本的な観察業務に専念してもらう。実戦訓練への参加は控えめに」


それは事実上の処分だった。陽太は深く頭を下げ、学園長室を後にした。


廊下で、美咲と香織が待っていた。


「大丈夫?」香織が心配そうに尋ねた。


「記録ノートを没収されました」陽太は力なく答えた。


「それは…」美咲は複雑な表情を見せた。「でも、仕方ないわね」


「仕方ない?」陽太は思わず声を荒げた。「僕だって、戦いたかっただけなのに」


「綾瀬くん」美咲は冷静に言った。「戦うことだけが全てじゃないわ」


「でも!」陽太は感情的になった。「能力がない僕は、ただ見ているしかない。それがどんなに悔しいか、わかりますか?」


香織が陽太の肩に手を置いた。


「気持ちはわかるよ」彼女は優しく言った。「でも、綾瀬くんには綾瀬くんにしかできないことがある」


「観察と記録だけでしょう」陽太は自嘲的に言った。「それが何になるんですか」


二人は答えに困ったようだった。陽太は、それ以上話したくなくなり、黙って歩き去った。


5


記録ノートを失った陽太は、急激にやる気を失っていった。


授業では消極的になり、意見を求められても曖昧な返事しかしない。観察業務も機械的にこなすだけになった。


「綾瀬、どうした?」


ある日の授業後、藤堂先生が声をかけてきた。


「別に…」陽太は視線を逸らした。


「最近、様子がおかしいわね」藤堂先生は心配そうに言った。「記録の質も落ちている」


「すみません」


陽太は形式的に謝った。心の中では、もうどうでもよくなっていた。


「あなたは自分の仕事の価値を見失っている」藤堂先生は指摘した。「それではダメよ」


「価値なんて…」陽太は呟いた。「ただ見ているだけの仕事に、何の価値があるんですか」


藤堂先生は溜息をついた。


「見ることの重要性を、まだ理解していないのね」


そう言い残して、先生は去っていった。


放課後、陽太は一人で屋上にいた。最近は、美咲や香織とも距離を置くようになっていた。二人の優しさが、かえって自分の無力さを際立たせるように感じられたからだ。


「やっぱり、僕は…」


陽太は空を見上げた。能力者たちが輝く世界で、自分だけが取り残されている。観察官という肩書きをもらっても、その本質は変わらない。


ただの傍観者。それが自分の運命なのか。


6


週末、陽太は図書館で一人、過去の能力者に関する資料を読み漁っていた。少しでも能力に近づきたい。そんな思いからだった。


その中で、彼は興味深い記録を見つけた。


「能力戦争の真実—封印された記録」


埃を被った古い本を開くと、そこには衝撃的な内容が記されていた。


50年前に起きた能力者同士の大規模な戦争。多くの命が失われ、街が破壊されたという。しかし、公式な記録には、この戦争のことはほとんど残っていない。まるで、歴史から抹消されたかのように。


そして、真実を記録し続けた一人の人物の存在。


「綾瀬総一郎…」


陽太は、その名前に目を奪われた。同じ姓。偶然だろうか。


文献によれば、綾瀬総一郎は能力を持たない記録者だった。戦争の最中、命懸けで真実を記録し続け、その記録が最終的に戦争終結に導いたという。


「記録が…戦争を止めた?」


陽太は信じられない思いで読み進めた。


総一郎の言葉が引用されていた。


「私には能力がない。戦うことはできない。しかし、見ることはできる。記録することはできる。そして、伝えることができる。それが私の役割だ」


陽太は、その言葉に衝撃を受けた。まるで、今の自分に向けられたメッセージのようだった。


でも同時に、疑問も湧いた。本当にそれで良いのか。記録することで、何かが変わるのか。


陽太は本を閉じ、深く溜息をついた。記録の力。それは本当に存在するのだろうか。


7


月曜日、学園に異変が起きた。


授業中、突然警報が鳴り響いた。


「緊急事態発生。全学生は最寄りの避難場所へ」


教室は騒然となった。また「虚無」の襲撃か。


陽太も不安を感じながら、指定された避難場所へ向かった。しかし途中で、奇妙なことに気づいた。


避難する学生の群れの中に、見慣れない顔がいる。しかも、その人物の動きが他の学生とは微妙に違う。


「あの人…」


陽太は注意深く観察した。その人物は、避難しているように見せかけて、実は別の目的があるように見えた。


確信が持てないまま、陽太は教員の一人に近づいた。あの人物が『虚無』のスパイかもしれない。そう思った瞬間、陽太は自分の手帳に書き留めていた『虚無』の分析記録のことを思い出した。


「先生、あの人なんですが…」


「今は避難が先だ」教員は陽太の話を聞こうとしなかった。


「でも、もしかしたら『虚無』の…」


「憶測で騒ぐな」教員は苛立った様子で言った。「早く避難所へ」


陽太は諦めきれず、ポケットから手帳を取り出した。そこには『虚無』メンバーの能力分析がびっしりと書き込まれていた。


「せめて、これだけでも」


陽太は素早くページを破り、教員の手に押し付けた。


「何だこれは」


「『虚無』の能力分析です。念のため、持っていてください」


教員は半信半疑の様子でそのメモを受け取ったが、すぐにポケットに突っ込んだ。


「わかった、わかった。さあ、早く避難しろ」


陽太は仕方なく頷いたが、結局、気になってスパイを追跡することにした。あの人物は絶対に怪しい。誰も信じてくれないなら、自分で確かめるしかない。


人物は巧妙に人混みに紛れながら、研究棟の方へ向かっていた。陽太は距離を保ちながら後をつけた。


研究棟の裏口で、人物は立ち止まった。そして、小型の通信機を取り出した。


「こちらB。研究棟に到着。これより作戦を開始する」


陽太は息を呑んだ。やはりスパイだったのだ。


すぐに知らせなければ。陽太は踵を返そうとした。しかし、その時…。


「見つけたぞ」


背後から声がした。振り返ると、黒い服を着た男が立っていた。『虚無』のメンバーだ。


「観察官か」男はにやりと笑った。「ちょうどいい。人質として使える」


陽太は逃げようとしたが、すぐに捕まってしまった。男の力は、普通の人間とは比べ物にならなかった。


「大人しくしてろ」


男は陽太を研究棟の中に引きずり込んだ。そこには、既に数人の『虚無』メンバーが集まっていた。


「なんだ、ガキか」 「観察官らしいぜ」 「使えるな。交渉材料になる」


陽太は恐怖で震えていた。自分の軽率な行動が、こんな事態を招くなんて。


8


研究棟の一室で、陽太は『虚無』のメンバーに監視されていた。手足を縛られ、身動きが取れない。


外からは戦闘の音が聞こえてくる。学園の能力者たちが、『虚無』と交戦しているようだ。


「計画通りだ」リーダー格の男が言った。「データを回収したら撤退する」


陽太は必死に状況を観察していた。人質として捕らえられていても、観察することはできる。敵の会話、能力の使い方、弱点…全てを記憶に刻み込んだ。


『虚無』のメンバーたちは、陽太を無視して作戦の話をしていた。無能力者の人質など、脅威ではないと思っているのだろう。その油断が、陽太には貴重な情報源となった。


「あと10分で撤退だ」 「了解。転送装置の準備はできてる」


陽太は、彼らの不用意な会話を一言一句記憶した。これが後で役立つかもしれない。能力のパターン、弱点、撤退方法…全てが重要な情報だった。


突然、激しい爆発音が響いた。建物が揺れる。


「くそ、思ったより早く突破されたな」 「撤退準備を急げ!」


混乱が始まった。陽太を見張っていた男も、戦闘に加わるために部屋を出て行った。


今がチャンスだ。陽太は必死に縄を解こうとしたが、きつく縛られていて無理だった。せめて、情報を残したい。でも、どうやって?


9


戦闘は激化していた。研究棟の各所で、能力者同士の激しい攻防が繰り広げられている。


その頃、研究棟の外では、美咲と香織が他の能力者たちと共に戦っていた。


「このままじゃ、押し切られる」美咲が焦りを見せた。


「敵の能力が読めない」香織も苦戦していた。


その時、陽太に「念のため」とメモを押し付けられた教員が、前線に駆けつけてきた。


「倉田!若林!」教員は叫んだ。「これを見ろ!」


教員が差し出したのは、しわくちゃになったメモだった。


「これは…」美咲が目を見張った。


「綾瀬が渡してきたんだ」教員は説明した。「避難前に、『虚無』の分析だと言って」


メモには、今まさに戦っている『虚無』メンバーの能力と弱点が詳細に記されていた。影操作能力者の光への弱点、氷結能力者の水分による威力低下など、実戦で即座に使える情報ばかりだった。


「綾瀬くんの観察記録…」香織が驚いた。「彼、いつの間にこんなに詳しく…」


「説明は後だ」美咲が冷静に判断した。「この情報を使えば、戦況を変えられる」


二人は、陽太の分析を基に作戦を立て直した。他の能力者たちにも情報を共有すると、戦況が一変した。


「影使いには照明弾を!」 「氷結能力者の周りの水分を蒸発させろ!」


『虚無』の弱点を突いた攻撃が次々と成功し、敵は防戦一方になった。


一方、研究棟内では、状況が急変していた。


「まずい、形勢が不利だ」 「撤退命令が出た!急げ!」


陽太を捕らえていた男たちが慌て始めた。


「人質はどうする?」 「置いていけ。もう用はない」


男たちは陽太を床に投げ捨て、撤退を始めた。しかし、その混乱の中でも、陽太は観察を続けていた。撤退ルート、使用する能力、逃走パターン…全てを記憶に焼き付けた。


やがて、学園の能力者たちが研究棟に突入してきた。


「綾瀬くん!」


香織が真っ先に陽太を見つけた。美咲もすぐに駆け寄ってきた。


「大丈夫?怪我は?」美咲が心配そうに確認した。


「大丈夫です…」陽太は弱々しく答えた。顔には殴られた跡があり、唇も切れていた。


「ひどい…」香織が涙ぐんだ。「なんでこんなところに」


「避難中に、怪しい人物を見つけて…」陽太は掠れた声で説明した。「誰も信じてくれなかったから、自分で追跡したら…」


「無茶よ」美咲が叱るように言ったが、その声は震えていた。「でも、あなたのメモのおかげで、私たちは勝てた」


陽太は驚いた。


「メモ、届いたんですか?」


「ええ」香織が頷いた。「綾瀬くんの観察記録がなかったら、もっと苦戦してた」


陽太は安堵した。自分の行動が、少しは役に立ったのか。


医療班が到着し、陽太は応急処置を受けた。幸い、大きな怪我はなかった。


10


翌日、陽太は学園長室に呼ばれた。


蓮見学園長と藤堂先生、そして数人の教員が待っていた。


「綾瀬くん」学園長が口を開いた。「まず、無事でよかった」


「はい…」


「しかし」学園長の表情が厳しくなった。「君の行動は軽率だった」


陽太は頭を下げた。確かに無謀だったと、今なら理解できる。


「避難指示に従わず、単独で行動した」藤堂先生も指摘した。「結果的に人質になり、危険な状況を作り出した」


「申し訳ありません」陽太は深く頭を下げた。


「だが」学園長が続けた。「君の観察眼は正しかった。スパイの存在にいち早く気づいたのは、君だけだった」


陽太は顔を上げた。


「そして」藤堂先生が付け加えた。「危機的状況で冷静に情報を伝達した。君のメモが、戦局を変えたのは事実よ」


「さらに」学園長が続けた。「人質として捕らえられている間も、君は観察を続けていたようだね」


陽太は驚いた。どうしてわかったのだろう。


「解放後の聞き取りで、君が『虚無』の撤退パターンや能力の詳細を正確に記憶していたことがわかった」学園長は説明した。「それは貴重な情報だ」


陽太は複雑な気持ちになった。褒められているのか、叱られているのか。


「綾瀬くん」学園長は真剣な表情で言った。「君には才能がある。観察し、分析し、記録する才能が。しかし…」


「しかし?」


「君は、その才能の使い方を間違えている」学園長は続けた。「能力者のように戦おうとしたり、無理に前線に出ようとしたり」


陽太は俯いた。その通りだった。


「君の役割は、後方支援だ」学園長は明確に言った。「それは決して劣った役割ではない。むしろ、最も重要な役割の一つだ」


「でも…」陽太は思わず反論した。「ただ見ているだけでは…」


「見ることこそが、君の武器だ」藤堂先生が割って入った。「今回、それが証明されたでしょう?」


陽太は考え込んだ。確かに、自分の観察が役に立った。でも、それは本当に戦うことと同じ価値があるのだろうか?


「能力観察官としての資格は、継続する」学園長は決定を下した。「ただし、今後は必ず指示に従うこと。勝手な行動は慎むように」


「はい」陽太は頷いた。


学園長室を出ると、美咲と香織が待っていた。


「お説教、終わった?」香織が苦笑した。


「まあ、そんなところです」陽太も苦笑を返した。


三人は並んで歩き始めた。


「綾瀬くん」美咲が静かに言った。「今回、あなたの本当の強さを見た気がする」


「強さ?」陽太は首を傾げた。


「観察する勇気」美咲は続けた。「誰も気づかないことに気づき、それを伝える勇気」


「でも、結局人質になって…」


「それでも諦めなかった」香織が言った。「絶体絶命の中で、情報を記録し続けた。それってすごいことだよ」


陽太は二人の言葉を聞きながら、少し考えが変わり始めていた。


能力がなくても、戦えないとしても、自分にできることがある。それは、必ずしも劣ったことではないのかもしれない。


でも、心の奥にはまだわだかまりが残っていた。本当にそれで満足できるのか。観察者としての役割を受け入れられるのか。


答えは、まだ出なかった。


11


その夜、陽太は自室で今日の出来事を振り返っていた。


机の上には、通常のノートが開かれている。記録ノートはまだ返却されていない。


陽太は手を止め、窓の外を見た。夜空に星が瞬いている。


ふと、図書館で見つけた綾瀬総一郎の言葉が蘇った。


「見ることはできる。記録することはできる。そして、伝えることができる」


陽太は深く考え込んだ。もしかしたら、それが自分の進むべき道なのかもしれない。でも、心の奥にはまだ納得できない部分があった。


観察し、記録し、伝える。それは確かに重要な役割だ。今日それが証明された。


でも、自分が本当に求めているのは、それなのだろうか?


陽太は手帳を開いた。今日、人質になっている間に記憶した情報を書き留め始める。『虚無』のメンバーの会話、能力の詳細、弱点、撤退パターン…。


書きながら、陽太は気づいた。これこそが、自分にしかできないことなのかもしれない。危機的状況の中でも冷静に観察し、記憶し、分析する。それは確かに、一つの才能だ。


でも…。


「それで満足できるのか、僕は」


陽太は小さく呟いた。答えは、まだ出なかった。


12


翌朝、陽太は重い気持ちで登校した。昨日の事件は学園中の話題になっていた。


「聞いたよ、綾瀬」


廊下で声をかけてきたのは、志村だった。


「人質になったんだって?」


「はい…」陽太は気まずそうに答えた。


「でも」志村は続けた。「お前の情報で、戦況が変わったって聞いた」


陽太は驚いた。そんな話まで広まっているのか。


「無謀だったけど、結果的に役に立った」志村は複雑な表情で言った。「お前らしいな」


志村はそう言って去っていった。


教室に入ると、美咲と香織が心配そうに駆け寄ってきた。


「綾瀬くん、大丈夫?」香織が尋ねた。「昨日は本当に心配したよ」


「すみません」陽太は謝った。「迷惑をかけて」


「迷惑なんかじゃないわ」美咲がきっぱりと言った。「あなたの情報がなかったら、もっと被害が出ていた」


「でも、結局人質になって…」


「それでも」美咲は続けた。「最後まで観察を続けていたんでしょう?」


陽太は驚いた。どうしてわかったのだろう。


「学園長から聞いたわ」美咲は説明した。「人質の間に記録した情報。あれは貴重なデータよ」


陽太は自分の手帳を見た。確かに、『虚無』の詳細な情報が記されている。


「これも学園に提出することになった」美咲は続けた。「今後の対策に役立つはずよ」


陽太は複雑な気持ちになった。自分の観察が認められるのは嬉しい。でも、それは自分が求めていたものなのか。


授業が始まったが、陽太の心はまだ整理がついていなかった。


13


数日後、陽太は再び研究部から呼び出された。


「綾瀬くん」主任研究員が真剣な表情で迎えた。「君の提出した『虚無』に関する情報、実に興味深い」


「そうですか…」


「特に、撤退パターンの分析は見事だ」研究員は続けた。「おかげで、次の襲撃に備えることができる」


陽太は頷いたが、あまり喜びは感じなかった。


「それで」研究員は身を乗り出した。「改めて、教科書プロジェクトへの参加を要請したい」


「教科書…」


「君の観察眼は、間違いなく次世代の能力者教育に貢献する」研究員は熱心に説いた。「能力理論の新しい地平を開くかもしれない」


陽太は迷った。確かに名誉なことだ。自分の観察が、未来の能力者たちの教科書になる。


でも、それは結局、他人のためのものだ。能力者たちがより強くなるための道具でしかない。


「少し、考えさせてください」


陽太はそう答えて、研究部を後にした。


その帰り道、陽太は中庭のベンチに座って考え込んでいた。


能力観察官として認められ、戦闘でも情報提供で貢献し、今度は教科書作り。確かに、自分の才能は認められている。


でも、何かが違う。心の奥で、何かが叫んでいる。


「これでいいのか?」


陽太は空を見上げた。青い空が広がっているが、答えは見えない。


14


その夜、陽太は寮の談話室に呼ばれた。


美咲と香織が待っていた。そして、意外な人物もいた。


「田中教授…?」


能力理論の権威である田中教授が、穏やかな笑みを浮かべて座っていた。


「やあ、綾瀬くん」教授は挨拶した。「君に話があってね」


「話…ですか?」


「実は」美咲が口を開いた。「教授が、あなたの観察記録を読みたいと」


陽太は驚いた。あの田中教授が、自分の記録に興味を?


「君の記録は実に興味深い」教授は言った。「能力者では見えないものが、よく見えている」


「でも、それは…」


「聞きたいことがある」教授は真剣な表情になった。「君は、なぜ観察するのか?」


陽太は答えに詰まった。なぜ観察するのか。考えたこともなかった。


「最初は、ただの役割でした」陽太は正直に答えた。「でも今は…わかりません」


教授は頷いた。


「君の曽祖父、綾瀬総一郎を知っているか?」


陽太は驚いた。図書館で見つけた、あの記録者と同じ名前。


「まさか…」


「そう」教授は微笑んだ。「君の曽祖父だ。彼は偉大な記録者だった」


陽太は衝撃を受けた。あの綾瀬総一郎が、自分の祖先だったなんて。


「彼の記録が、能力戦争を終わらせた」教授は続けた。「記録することで、真実を伝えることで、世界を変えた」


「でも」陽太は反論した。「それは過去の話です。今の僕は…」


「今の君も、同じことをしている」教授は断言した。「君の記録が、『虚無』との戦いを有利にしている」


陽太は考え込んだ。確かに、自分の記録は役に立っている。でも…。


「教授」陽太は思い切って尋ねた。「記録することに、本当に意味があるんですか?」


教授は深く頷いた。


「記録とは、未来への贈り物だ」彼は語った。「今は理解されなくても、いつか必ず役に立つ時が来る」


「未来への…贈り物?」


「君の曽祖父の記録があったから、我々は過去から学べた」教授は続けた。「君の記録も、いつか誰かの道しるべになる」


陽太は、初めて自分の役割の本質に触れた気がした。


観察し、記録し、伝える。それは今のためだけではない。未来のためでもあるのだ。


でも、まだ心の奥には、もやもやとした感情が残っていた。


本当にそれだけでいいのか。自分は、本当は何を求めているのか。


15


田中教授が帰った後、美咲と香織は陽太と談話室に残っていた。


「驚いたでしょう」香織が言った。「綾瀬くんのひいおじいさんのこと」


「はい…」陽太は頷いた。「まさか、そんな繋がりがあったなんて」


「血は争えないってことね」美咲が微笑んだ。「観察の才能は、受け継がれているのよ」


陽太は複雑な表情を浮かべた。


「でも、僕は曽祖父のようにはなれません」


「なぜ?」香織が尋ねた。


「曽祖父は、戦争を終わらせた」陽太は言った。「でも僕は、ただ記録しているだけです」


「それは違うわ」美咲がきっぱりと言った。「あなたの記録が、私たちを守っている」


「守っている?」


「昨日の戦闘でも」美咲は説明した。「あなたの事前のメモがなかったら、もっと苦戦していた」


「それに」香織が付け加えた。「人質になっても観察を続けたんでしょう?普通の人にはできないよ」


陽太は二人の言葉を聞きながら、少しずつ何かが変わり始めているのを感じた。


自分の役割。それは単なる観察者ではないのかもしれない。


でも、まだ完全には受け入れられなかった。


「ありがとうございます」陽太は礼を言った。「少し、考えてみます」


三人は談話室を出て、それぞれの部屋へ戻った。


陽太は自室で、改めて自分の記録ノートを見返した。普通のノートだが、そこには膨大な観察記録が記されている。


能力の分析、戦闘パターン、『虚無』の情報…。


これらが本当に、未来への贈り物になるのだろうか。


陽太は窓の外を見た。夜空には、無数の星が輝いている。


ふと、曽祖父のことを思った。彼も、同じような夜に、同じような疑問を抱いたのだろうか。


観察し、記録し、伝える。


それが綾瀬家の使命なのかもしれない。


でも、陽太の心の奥には、まだ何かが引っかかっていた。


能力への憧れ。戦いたいという衝動。守る側になりたいという願い。


それらは、完全には消えていなかった。


「僕は、本当は何がしたいんだろう」


陽太は小さく呟いた。


答えを見つけるまで、まだ時間が必要なようだった。

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