表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/13

第三章 無力な観察者

あらすじ


能力者がひしめく名門・蒼城学園。

そこに入学した綾瀬陽太あやせ ようたには致命的な問題があった。


——能力が、何もない。


特別な力を持たない「無能力者」である陽太は、なぜかこの学園に「記録係」として入学を許される。

役割は、天才的な能力を持つ美少女たちの戦いを観察し、記録すること。

それだけ。


誰からも期待されず、ただ見ているだけの存在。

そんな彼が記録することになったのは、学園最強と名高い二人の少女だった。


倉田美咲くらた みさき—— 空間を支配する「絶対領域」の使い手

若林香織わかばやし かおり—— 万物を創造する「千変万化」の能力者


圧倒的な才能を持つ彼女たちの戦いを、陽太はただ見守り、記録していく。


しかし、学園を狙う謎の組織「虚無」の脅威が迫る中、

「最弱」であるはずの陽太の観察眼が、思わぬ力を発揮し始める。


見ることしかできない。

記録することしかできない。

でも——それこそが、誰にも真似できない彼だけの「才能」だった。


作品紹介


本作は「無能力者」の主人公が、圧倒的な才能を持つ美少女たちと共に成長していく学園異能バトル作品です。




- 能力を持たない主人公ならではの視点で描かれる異能バトル

- 最初は「ただの記録係」だった主人公が、徐々に重要な存在になっていく成長物語

- 二人のヒロインとの心温まる交流と、少しずつ深まっていく絆

- 「観察」と「記録」という地味な行為が、やがて戦局を左右する鍵となる展開

- 能力がなくても、誰かの役に立てることを証明していく主人公の奮闘



「見ること」の大切さ、「記録すること」の価値。

そして何より、能力がなくても誰かの力になれるということ。


最弱の少年と最強の少女たちが織りなす、新感覚の学園異能バトルストーリーをお楽しみください。

「虚無」による襲撃事件から一週間が過ぎた。


学園は表面上、平常を取り戻していたが、警備は格段に厳しくなっていた。至る所に監視装置が設置され、教員による巡回も強化されている。


陽太は図書館の片隅で、事件に関する資料を調べていた。しかし、「虚無」に関する公式な情報はほとんど見つからない。まるで存在自体が秘密のようだった。


「何してるの?」


振り返ると、香織が心配そうな顔で立っていた。


「あ、香織さん…」陽太は慌てて資料を閉じた。「ちょっと調べものを…」


「『虚無』について?」香織は隣に座った。「私も気になってたんだ」


「でも、全然情報がなくて」陽太は苦笑した。「学園の資料室にも、公開されている情報はほとんどないみたいです」


香織は少し考えてから、周囲を確認して声を潜めた。


「実はね、美咲が調べてるの。彼女のお父さん、能力研究所の研究員だから」


「そうなんですか?」


「うん。でも、美咲も慎重になってる。『虚無』について知りすぎるのは危険かもって」


陽太は頷いた。確かに、あの組織が美咲と香織の能力を狙っているなら、不用意に調べるのは危険かもしれない。でも、何も知らないままでいることも不安だった。


「綾瀬くん」香織が真剣な表情になった。「あの日、本当にありがとう」


「え?」


「私たちの能力が暴走しそうになったとき、止めてくれたでしょ?」


陽太は少し照れながら首を振った。「僕はただ、データの異常に気づいただけです」


「それが大事なんだよ」香織は優しく微笑んだ。「私たちには見えないものを、綾瀬くんは見てくれる。それって、本当にすごいことだと思う」


陽太は言葉に詰まった。褒められることに慣れていない自分は、どう反応していいかわからなかった。


「あ、そうだ」香織が急に思い出したように言った。「今日の放課後、特別訓練があるんだけど、一緒に来ない?」


「特別訓練?」


「うん。藤堂先生が、私たちの能力をもっと安定させる訓練をするって」香織は期待に満ちた目で続けた。「綾瀬くんの記録があればきっと役立つと思うんだ」


「わかりました」陽太は頷いた。「行きます」


二人が図書館を出ようとしたとき、廊下で数人の上級生が話しているのが聞こえた。


「聞いたか?次の実力試験、一年生も全員参加だって」 「なんでだよ。普通は二年からだろ」 「『虚無』の件があったからじゃない?能力者の実力を確認したいんだよ」


陽太と香織は顔を見合わせた。実力試験という言葉に、不安が募る。


「実力試験って…」陽太が呟いた。


「能力者の戦闘力を評価する試験よ」香織が説明した。「でも、綾瀬くんは記録係だから関係ないと思うけど…」


陽太は複雑な気持ちになった。関係ない。その言葉が胸に刺さる。確かに無能力者の自分には関係ないのだろう。でも、それでいいのだろうか?


2


放課後の特別訓練は、普段とは異なる地下訓練場で行われた。


「ここは特殊能力制御訓練場よ」藤堂先生が説明した。「能力の暴走を想定した安全装置が完備されているわ」


薄暗い地下空間には、様々な計測機器が並んでいる。壁面は特殊な素材で覆われ、能力による損傷を防ぐ構造になっているようだった。


「今日の訓練の目的は」藤堂先生は美咲と香織に向かって言った。「二人の能力共鳴をより安定させること。前回の事件では危うく暴走しかけたわ」


美咲と香織は真剣な表情で頷いた。


「綾瀬」藤堂先生が陽太に目を向けた。「君には今回、新しい装置を使ってもらうわ」


彼女は小さな機器を取り出した。ヘッドセットのような形をしている。


「これは能力波動解析装置。装着することで、より詳細な能力の流れを視覚化できるわ」


陽太は装置を受け取り、頭に装着した。途端に、視界が変わった。美咲と香織の周りに、薄い光の流れが見える。それは彼女たちの能力の波動を可視化したものらしい。


「すごい…」陽太は息を呑んだ。「能力の流れが見えます」


「その装置は研究用の試作品よ」藤堂先生は説明した。「通常は能力者が装着して、自分の能力制御に使うものだけど…」


「でも、綾瀬くんなら使えるんじゃないかって、蓮見先生が」美咲が付け加えた。


「私にも?」陽太は驚いた。普通、能力関連の機器は能力者にしか反応しないはずだ。


「君の観察眼は特殊だから」藤堂先生は意味深に言った。「さあ、始めましょう」


美咲と香織が訓練場の中央に立つ。陽太は観察位置から二人を見守った。装置を通して見ると、二人の周りの能力波動がより鮮明に見える。


「まずは基礎的な共鳴から」藤堂先生が指示を出した。


美咲と香織が手を合わせると、二つの光の流れが絡み合い始めた。青と赤の光が螺旋を描きながら融合していく。


「絶対千変—基礎共鳴」


二人の声が重なり、光が安定した紫色に変化した。陽太は夢中で観察した。装置を通して見ると、共鳴の詳細がよくわかる。二つの能力が接触する点で、微細な振動が起きている。


「安定してるわね」藤堂先生が確認した。「次は強度を上げてみて」


美咲と香織が集中を深めると、光の輝きが増した。しかし同時に、陽太は振動の乱れに気づいた。


「先生」陽太が声を上げた。「共鳴点で不規則な振動が起きています」


「どこ?」


陽太は立ち上がり、二人の近くまで歩いていった。安全装置があるとはいえ、能力の近くは危険なはずだが、彼は気にせず進んだ。


「ここです」彼は空中の一点を指さした。「二人の能力が交差する点で、波長のずれが生じています」


藤堂先生が測定器を確認すると、確かにわずかな異常が検出されていた。


「本当だわ…肉眼では全く見えないレベルの異常を…」


「どうすれば?」美咲が尋ねた。


陽太は考えながら言った。「呼吸を合わせてみてください。今、微妙にリズムがずれています」


美咲と香織は互いを見つめ、深呼吸した。すると、光の振動が少しずつ整っていく。


「すごい…」香織が驚いた。「本当に安定してきた」


「綾瀬くんの観察力は並外れているわね」藤堂先生も感心した様子だった。


しかし、陽太自身は複雑な気持ちだった。確かに観察はできる。でも、それだけだ。実際に能力を使うことはできない。美咲と香織のように、自分の力で何かを変えることはできないのだ。


訓練は続いた。二人はより高度な共鳴技術を試し、陽太はその全てを詳細に観察・記録した。装置のおかげで、今まで見えなかった能力の機微まで捉えることができる。


「最後に、実戦形式の訓練をするわ」藤堂先生が言った。「敵の攻撃を想定して、防御的な共鳴を」


訓練場の壁から、いくつかの機械が現れた。それらは能力攻撃をシミュレートする装置らしい。


「開始!」


機械から光線が放たれた。美咲と香織は即座に反応し、共鳴した能力で防御壁を作る。


「絶対千変—防御障壁!」


紫の光が盾となり、攻撃を防いだ。しかし、機械は次々と異なるタイプの攻撃を繰り出してくる。


陽太は必死に観察を続けた。二人の能力は見事に連携しているが、連続攻撃に対しては少しずつ疲労が見える。特に香織の方が、能力の安定性を失いつつあった。


「香織さん、左側の防御が薄くなっています!」陽太が叫んだ。


香織は即座に反応し、左側の防御を強化した。美咲も彼女をサポートするように領域を調整する。


「ありがとう、綾瀬くん!」香織が息を切らしながら言った。


戦闘シミュレーションは10分ほど続き、最後には二人とも疲労困憊の様子だった。


「よくやったわ」藤堂先生が装置を停止させた。「共鳴の安定性は確実に向上している」


美咲と香織は床に座り込み、荒い息をついていた。陽太は心配そうに二人に駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


「ちょっと疲れただけ」美咲が微笑んだ。「でも、あなたのサポートのおかげで、最後まで持ちこたえられたわ」


「そうだよ」香織も同意した。「綾瀬くんがいなかったら、もっと早くダウンしてた」


陽太は嬉しさと同時に、やるせなさも感じた。確かにサポートはできた。でも、一緒に戦うことはできない。二人が必死に戦っている間、自分はただ見ているだけだった。


「今日はここまでね」藤堂先生が訓練の終了を告げた。「来週からは実力試験の準備も始まるわ」


その言葉に、陽太の胸がざわついた。実力試験。やはり自分には関係のない世界なのだろうか。


3


訓練から帰る道すがら、陽太は一人で歩いていた。美咲と香織は先に寮に戻っていった。二人とも訓練の疲労が激しく、早く休む必要があった。


夕暮れの街路を歩きながら、陽太は今日の訓練を思い返していた。確かに自分の観察は役に立った。でも、それは所詮サポートでしかない。実際に戦うことはできないのだ。


「おい、記録係」


突然、背後から声がした。振り返ると、志村と他の上級生数人が立っていた。


「志村先輩…」


「調子に乗ってるんじゃねえよ」志村は威圧的に近づいてきた。「無能力者のくせに、倉田と若林にくっついて」


「僕は別に…」


「黙れ」志村は陽太の胸ぐらを掴んだ。「お前みたいな奴が、この学園にいること自体が間違いなんだよ」


周りの上級生たちも、冷たい目で陽太を見下ろしている。逃げ場はなかった。


「実力試験、楽しみだな」志村は嘲笑った。「お前みたいな役立たずが、どんな評価を受けるか」


「僕は記録係だから、試験は…」


「はっ」志村は鼻で笑った。「逃げるのか?やっぱり無能力者は卑怯だな」


陽太は歯を食いしばった。反論したいが、言葉が見つからない。確かに自分は無能力者だ。試験から逃げているように見えるかもしれない。


「お前、本当は何かできると思ってるんじゃないか?」志村が続けた。「記録係として認められて、天狗になってるんだろ?」


「そんなことは…」


「じゃあ証明してみろよ」志村は陽太を突き飛ばした。「実力試験に参加してみろ。お前の『実力』とやらを見せてみろ」


陽太はよろめきながらも、倒れずに踏みとどまった。怒りと悔しさが込み上げてくる。でも、何もできない自分が情けなかった。


「できないだろ?」志村は勝ち誇ったように言った。「所詮、お前は観察することしかできない臆病者だ」


「志村!」


突然、鋭い声が響いた。振り返ると、藤堂先生が立っていた。


「何をしている」


「いえ、別に…」志村たちは慌てて陽太から離れた。


「綾瀬への嫌がらせは聞き捨てならないわ」藤堂先生は厳しい表情で言った。「彼は学園が正式に認めた記録係よ」


「でも、先生」志村は反論しようとした。「無能力者が…」


「能力の有無だけが人の価値を決めるわけじゃない」藤堂先生は遮った。「志村、あなたこそ自分の未熟さを恥じなさい」


志村は悔しそうに唇を噛んだが、それ以上何も言えなかった。


「行きなさい」


藤堂先生の一言で、上級生たちは渋々その場を去っていった。


陽太と藤堂先生だけが残された。


「ありがとうございます」陽太は小さく言った。


「気にすることはないわ」藤堂先生は溜息をついた。「でも、綾瀬」


「はい?」


「あなた自身はどう思っているの?」彼女は真剣な眼差しで尋ねた。「自分の立場について」


陽太は答えに窮した。正直、自分でもよくわからなかった。


「わかりません」彼は正直に答えた。「確かに記録係として認められました。でも…」


「でも?」


「やっぱり僕は、傍から見ているだけなんです」陽太は悔しさを滲ませた。「美咲さんや香織さんが戦っているとき、僕は何もできない。ただ見ているだけで…」


藤堂先生は黙って聞いていた。


「時々思うんです」陽太は続けた。「もし能力があったら、一緒に戦えたのにって。もっと役に立てたのにって」


「綾瀬」藤堂先生は静かに言った。「あなたの観察眼は、立派な才能よ」


「でも、それは能力じゃない」


「能力だけが全てじゃないと、さっき言ったばかりよ」藤堂先生は少し厳しい口調になった。「自分の価値を見失わないで」


陽太は俯いた。頭ではわかっている。でも、心がそれを受け入れられない。


「ところで」藤堂先生は話題を変えた。「実力試験のことだけど」


「はい」


「あなたも参加することになったわ」


「え?」陽太は驚いて顔を上げた。「でも、僕は無能力者で…」


「記録係としての特別参加よ」藤堂先生は説明した。「戦闘試験ではなく、観察と分析の能力を評価するためのもの」


陽太は戸惑った。そんな試験があるとは聞いていない。


「これは学園長の提案よ」藤堂先生は続けた。「あなたの才能を正式に評価する機会が必要だと」


「でも…」


「逃げないで」藤堂先生は厳しく言った。「これはあなた自身の価値を証明するチャンスでもあるのよ」


陽太は深呼吸した。確かに、逃げてばかりではいけない。自分にできることがあるなら、それを示すべきかもしれない。


「わかりました」彼は決意を込めて言った。「参加します」


藤堂先生は満足そうに頷いた。


「詳細は後日伝えるわ。準備しておきなさい」


そう言って、彼女は去っていった。


一人になった陽太は、再び歩き始めた。実力試験への参加。それは不安でもあり、同時に小さな希望でもあった。自分の価値を証明する機会。でも、本当にそんなことができるのだろうか?


空を見上げると、星が輝き始めていた。陽太は記録ノートを強く握りしめた。このノートに記した観察が、本当に価値のあるものだと証明できるだろうか。


その答えは、まだ見えなかった。


4


翌日、学園の掲示板に実力試験の詳細が発表された。


陽太は人だかりの後ろから、その内容を確認した。通常の能力者向け試験とは別に、「特別評価部門」という項目が追加されている。そこに自分の名前があった。


「綾瀬陽太—記録観察能力評価」


周囲の学生たちがざわめいた。


「記録観察能力って何だ?」 「無能力者なのに試験受けるの?」 「特別扱いじゃない?」


陽太は視線を避けるように、素早くその場を離れた。教室に向かう途中、香織とばったり出会った。


「あ、綾瀬くん!」香織は明るく手を振った。「実力試験の件、見た?」


「はい…」陽太は曖昧に答えた。


「すごいよね!」香織は興奮した様子で言った。「綾瀬くんの能力が正式に評価されるんだよ」


「能力じゃないです」陽太は訂正した。「ただの観察力です」


「そんなことないよ」香織は真剣な表情になった。「昨日の訓練でも、綾瀬くんのおかげで私たちの能力が安定したんだよ。それって立派な能力だと思う」


陽太は香織の優しさに感謝しながらも、心の中では疑問が残っていた。本当にそうだろうか?自分の観察力は、能力と呼べるものなのか?


教室に入ると、美咲も既に来ていた。


「おはよう、綾瀬くん」美咲は穏やかに挨拶した。「実力試験のこと、聞いたわ」


「ええ…」


「プレッシャー感じてる?」美咲は鋭く見抜いた。


陽太は苦笑した。「正直、不安です。何をすればいいのか…」


「いつも通りでいいのよ」美咲は優しく言った。「あなたの観察力は、既に十分証明されているわ」


「でも…」


その時、藤堂先生が教室に入ってきた。


「全員着席」


生徒たちが席に着くと、藤堂先生は実力試験について説明を始めた。


「既に掲示板で確認したと思うけど、今回の実力試験は例年とは異なるわ」彼女は言った。「『虚無』の脅威を受けて、全学年が参加することになった」


教室がざわついた。


「そして」藤堂先生は陽太を見た。「特別評価部門も新設された。綾瀬、あなたはそこで評価を受けることになる」


クラスメートたちの視線が一斉に陽太に向けられた。好奇心、疑問、そして一部には明らかな反感も混じっている。


「試験の内容は、実戦形式の能力観察と分析」藤堂先生は続けた。「具体的には、能力者同士の模擬戦闘を観察し、その場で分析・記録・提案を行うというものよ」


陽太は緊張した。実戦の場で、リアルタイムでの分析が求められるのか。


「綾瀬には、これまでの記録活動で培った能力を発揮してもらう」藤堂先生は付け加えた。「評価基準は、観察の正確性、分析の深さ、そして実戦での有用性よ」


陽太は深く頷いた。自分にできることを精一杯やるしかない。


授業が始まったが、陽太は内容に集中できなかった。実力試験のことが頭から離れない。自分の観察力が本当に評価に値するものなのか。そして、それを証明できるのか。


昼休みになると、陽太は一人で屋上に向かった。静かな場所で考えを整理したかったのだ。


屋上のドアを開けると、意外にも先客がいた。志村だ。


「…お前か」志村は陽太を見て、不機嫌そうに言った。


陽太は引き返そうとしたが、志村が呼び止めた。


「待て」


「何ですか?」陽太は警戒しながら振り返った。


志村は複雑な表情をしていた。昨日のような攻撃性はない。


「…実力試験、受けるんだってな」


「はい」


志村は暫く黙っていたが、やがて口を開いた。


「俺は…お前のことが気に入らない」彼は正直に言った。「能力もないくせに、特別扱いされているように見えるから」


陽太は黙って聞いていた。


「でも」志村は続けた。「昨日、藤堂先生に言われて…少し考えた」


意外な言葉に、陽太は驚いた。


「能力だけが全てじゃない、か」志村は自嘲気味に笑った。「確かに、俺は能力に頼りすぎているかもしれない」


「志村先輩…」


「勘違いするな」志村は慌てて言った。「お前を認めたわけじゃない。でも…」


彼は言葉を選ぶように続けた。


「実力試験で、お前の『価値』とやらを見せてみろ。そうしたら…少しは考えを改めてやる」


それは志村なりの激励だったのかもしれない。陽太は少し驚きながらも、素直に受け止めた。


「はい。頑張ります」


志村は気まずそうに頷くと、屋上を去っていった。


一人になった陽太は、空を見上げた。青い空が広がっている。実力試験まであと一週間。自分に何ができるのか、まだはっきりとは見えない。でも、逃げることはしたくなかった。


彼は深呼吸して、決意を新たにした。


5


実力試験まで残り三日となった。


陽太は学園の資料室で、過去の能力者の戦闘記録を研究していた。様々なタイプの能力と、その相互作用について理解を深めるためだ。


「これは…」


彼は興味深い資料を見つけた。20年前の卒業生による研究論文。タイトルは「能力共鳴現象の理論的考察」。


陽太は夢中で読み進めた。そこには、異なる能力が相互作用する際の法則性について、詳細な分析が記されていた。特に興味深かったのは、「観察者効果」という概念だった。


「能力の発現において、観察者の存在が能力者の出力に影響を与える可能性がある…」


陽太は考え込んだ。もしかしたら、自分の観察という行為自体が、美咲と香織の能力に何らかの影響を与えているのだろうか?


「何読んでるの?」


声に驚いて振り返ると、美咲が立っていた。


「あ、美咲さん」陽太は資料を示した。「能力共鳴についての古い論文です」


美咲は興味深そうに覗き込んだ。


「へえ、20年前の…あ、この著者」


「知ってるんですか?」


「父の先輩よ」美咲は懐かしそうに言った。「今は海外の研究所にいるけど、能力理論の第一人者」


陽太は驚いた。そんな人物の論文だったのか。


「ところで」美咲は話題を変えた。「実力試験の準備、どう?」


「正直、不安です」陽太は素直に答えた。「実戦での観察は、いつもの記録とは違うでしょうから」


美咲は少し考えてから言った。


「綾瀬くん、一つ提案があるの」


「何ですか?」


「明日、私と香織で模擬戦をするわ」美咲は言った。「それを観察して、練習してみない?」


陽太は驚いた。「でも、それは…」


「あなたのためよ」美咲は微笑んだ。「私たちも、実力試験前の良い練習になるし」


「ありがとうございます」陽太は感謝の気持ちを込めて言った。「でも、なぜそこまで…」


美咲は少し真剣な表情になった。


「綾瀬くん、あなたは自分で思っているより重要な存在なのよ」彼女は静かに言った。「私たちの能力が安定しているのは、あなたの観察があるから。それを、もっと多くの人に知ってほしいの」


陽太は言葉に詰まった。自分の価値を、彼女たちはそんなに高く評価してくれているのか。


「それに」美咲は続けた。「実は、父から聞いたんだけど…」


「?」


「『虚無』が狙っているのは、私たちの能力だけじゃないみたい」美咲は声を潜めた。「能力共鳴を観察・記録できる人材も、彼らは探しているらしいの」


陽太は驚いた。「それって…」


「あなたのことよ」美咲ははっきりと言った。「だから、今回の実力試験は重要なの。学園があなたを正式に保護する理由にもなるから」


陽太は深く考え込んだ。自分が狙われている可能性があるなんて、想像もしていなかった。


「わかりました」彼は決意を込めて言った。「明日の模擬戦、お願いします」


美咲は満足そうに微笑んだ。


翌日の放課後、特別訓練場で美咲と香織の模擬戦が行われた。藤堂先生も立ち会い、陽太は新しい観察装置を装着して準備を整えた。


「それじゃ、始めるよ!」香織が元気よく言った。


「ええ」美咲も構えを取った。


「開始!」


藤堂先生の合図と共に、二人は動き始めた。今回は能力共鳴ではなく、個人での戦闘だ。


香織が先手を取った。


「千変万化—具現『旋風』!」


彼女の周りに小さな竜巻が複数発生し、美咲に向かって飛んでいく。


「絶対領域—重力操作!」


美咲は冷静に対処した。青い領域内で竜巻の動きが鈍り、やがて消滅する。


陽太は必死に観察を続けた。装置を通して見ると、二人の能力の流れがはっきりと見える。香織の能力は動的で変化に富み、美咲の能力は静的だが絶対的な制御力を持っている。


「香織さんの具現物は、形を変える瞬間に一瞬脆弱になる」陽太は声に出して分析した。「その瞬間を狙えば…」


言い終わらないうちに、美咲がまさにその瞬間を突いた。香織が新たな具現物を作ろうとした刹那、美咲の領域が急速に収縮し、香織の能力を封じ込めた。


「きゃっ!」


香織は驚いて後退した。


「やるね、美咲!」香織は悔しそうに、でも楽しそうに言った。


戦闘は続いた。陽太は両者の動きを詳細に観察し、リアルタイムで弱点や改善点を指摘していく。時には香織に、時には美咲に有利になるような分析を提供した。


「美咲さん、領域の左側が薄くなっています」 「香織さん、具現物の密度を上げた方が貫通力が増します」


二人は陽太の指摘を即座に戦術に取り入れ、戦闘は次第に高度なものになっていった。


30分ほどの模擬戦が終わると、二人とも息を切らしていた。


「すごかった…」香織が汗を拭きながら言った。「綾瀬くんの分析、本当に的確だった」


「ええ」美咲も同意した。「まるで私たちの能力を完全に理解しているみたい」


藤堂先生も感心した様子で頷いていた。


「綾瀬、今の分析は見事だったわ」彼女は言った。「実戦でこれだけの観察ができれば、実力試験も問題ないでしょう」


陽太は少し自信を持つことができた。でも同時に、大きな責任も感じていた。自分の観察が、戦闘の流れを大きく左右することがわかったからだ。


「でも」陽太は正直に言った。「やっぱり僕は、外から見ているだけです。実際に戦うことはできない」


「それでいいのよ」美咲が優しく言った。「それぞれに役割があるの。私たちは戦い、あなたは観察する。どちらが欠けても、完全じゃない」


香織も大きく頷いた。「そうだよ!私たちはチームなんだから」


陽太はその言葉に、少し救われた気がした。


訓練を終えて帰り支度をしていると、藤堂先生が陽太に近づいてきた。


「綾瀬、一つ忠告しておくわ」


「はい」


「実力試験では、あなたの能力を疑う者も多いでしょう」藤堂先生は真剣に言った。「でも、自信を持ちなさい。今日の観察を見て確信したわ。あなたの才能は本物よ」


「ありがとうございます」


陽太は深く頭を下げた。先生からの評価は、何より心強かった。


6


実力試験前日の夜。


陽太は自室で最後の準備をしていた。これまでの記録を見直し、様々な能力の特性を頭に叩き込む。明日は自分の価値を証明する日だ。


ノックの音がして、ドアを開けると美咲と香織が立っていた。


「差し入れ持ってきたよ!」香織が紙袋を掲げた。


「明日のために、少し話したくて」美咲も穏やかに言った。


三人は陽太の部屋で、お茶を飲みながら談笑した。明日の試験のことは敢えて話題にせず、普通の会話を楽しんだ。


「ねえ、綾瀬くん」香織が急に真剣な表情になった。「一つ聞いていい?」


「何ですか?」


「どうして蒼城学園に来たの?」香織は尋ねた。「無能力者なのに、この学園を選んだ理由」


陽太は少し考えてから答えた。


「正直、最初は憧れだけでした」彼は苦笑した。「能力者の世界を、少しでも近くで見たかった。でも、実際に入学してみて…」


「今は?」美咲が静かに促した。


「今は…」陽太は言葉を選んだ。「ここにいる意味を見つけたいと思っています。僕なりの役割を」


二人は優しく微笑んだ。


「もう見つけてるじゃない」香織が言った。「私たちにとって、綾瀬くんは欠かせない存在だよ」


「そうよ」美咲も頷いた。「明日の試験で、それを証明すればいいだけ」


陽太は二人の言葉に勇気づけられた。不安は完全には消えないが、少なくとも一人ではないという安心感があった。


7


実力試験当日。


大アリーナは多くの学生と教員で埋め尽くされていた。通常の能力者試験と並行して、特別評価部門も行われる。


陽太は指定された観察席に着いた。目の前には大型のモニターと記録装置が設置されている。評価員として、蓮見学園長を含む数名の上級教員が控えていた。


「それでは、特別評価部門を開始します」


司会の声が響き、会場が静まり返った。


「被評価者、綾瀬陽太。評価内容は、実戦における観察・分析能力」


陽太は深呼吸して、装置を起動した。


「最初の対戦は、二年生同士の模擬戦闘です」


アリーナに二人の学生が現れた。一人は炎を操る能力者、もう一人は水を操る能力者。典型的な相反する能力の組み合わせだ。


戦闘が始まると、陽太は即座に観察を開始した。


「炎使いの能力は、高温だが持続時間が短い。対して水使いは、防御に優れるが攻撃力が低い」


陽太の分析は、リアルタイムでモニターに表示されていく。


「炎使いの弱点は、連続使用による体温上昇。3分以上の戦闘は不利。水使いは、水の補給が必要なため、長期戦も不利」


戦闘の展開を予測しながら、陽太は両者の改善点も指摘した。


「炎使いは、小規模な炎を断続的に使用すべき。水使いは、相手の炎を利用して水蒸気を作り、視界を奪う戦術が有効」


驚くべきことに、陽太の予測通りに戦闘は進行した。評価員たちの間からも、感嘆の声が上がる。


次の対戦、そしてその次と、陽太は正確な観察と分析を続けた。能力の特性、弱点、改善策、そして戦術提案。全てが的確で、実戦に即していた。


「次は、最終評価です」


司会の声に、会場が緊張感に包まれた。


「一年生、倉田美咲・若林香織ペア対、三年生最強ペアの模擬戦闘を観察してもらいます」


陽太は驚いた。美咲と香織が評価対象になるとは思っていなかった。


「さらに」司会は続けた。「綾瀬陽太の分析を、リアルタイムで戦闘中の両ペアに伝えます。その有効性も評価対象となります」


これは予想外の展開だった。自分の分析が直接戦闘に影響を与えることになる。


美咲と香織がアリーナに現れた。二人とも真剣な表情をしている。対する三年生ペアは、学園でも最強と言われる実力者だった。


「開始!」


戦闘が始まった瞬間、陽太の脳は高速で回転し始めた。四人の能力を同時に観察し、その相互作用を分析する。


「美咲・香織ペア、能力共鳴による優位性があるが、経験不足が弱点。三年生ペアは個人能力は劣るが、連携が完璧」


陽太の声はスピーカーを通じて、戦闘中の四人に伝えられる。


「美咲さん、領域を相手の連携ポイントに集中させて。香織さん、具現物を囮に使い、相手の注意を分散」


指示通りに動く美咲と香織。しかし、三年生ペアも簡単には崩れない。


戦闘は激しさを増していく。陽太の分析も、より高度になっていった。


「三年生ペアの連携には0.3秒のタイムラグがある。その瞬間を突けば…」


美咲がその隙を見事に突いた。彼女の領域が三年生の一人を捕らえ、連携を崩す。


「今だ、香織さん!複合具現を!」


香織が無数の武器を具現化し、同時に放つ。三年生ペアは防戦一方になった。


しかし、ここで予想外の事態が起きた。三年生の一人が、突然能力を暴走させ始めたのだ。制御を失った力が、アリーナ全体を覆う。


「危険だ!」


誰かが叫んだ。このままでは、美咲と香織だけでなく、観客にも被害が及ぶ。


陽太は瞬時に状況を分析した。暴走した能力の波動パターン、その特性、そして止める方法。全ての情報が頭の中で組み合わさり、一つの答えに辿り着く。


「美咲さん、香織さん!」陽太は叫んだ。「能力共鳴を最大出力で!但し、周波数を通常の逆位相に!」


二人は一瞬戸惑ったが、すぐに理解した。手を取り合い、能力を発動する。


「絶対千変—逆位相共鳴!」


紫色の光が、通常とは異なる振動で広がっていく。それは暴走した能力と干渉し、徐々に鎮静化させていった。


数秒後、暴走は完全に収まった。アリーナに静寂が訪れる。


そして、大きな拍手が沸き起こった。


「素晴らしい!」


蓮見学園長が立ち上がり、陽太に向かって拍手を送った。他の評価員たちも、感嘆の表情で拍手している。


「綾瀬陽太」学園長は厳かに言った。「君の観察・分析能力は、単なる記録を超えている。能力の本質を見抜き、危機的状況でも的確な判断を下す。それは紛れもない才能だ」


陽太は言葉を失った。まさか、ここまで評価されるとは。


「よって」学園長は続けた。「君を正式に『能力観察官』として認定する。これは蒼城学園始まって以来、初めての称号だ」


会場が再び拍手に包まれた。美咲と香織も、嬉しそうに陽太に手を振っている。


陽太は深く頭を下げた。ようやく、自分の居場所を見つけた気がした。能力はなくても、自分にしかできないことがある。それを認めてもらえたことが、何より嬉しかった。


しかし同時に、大きな責任も感じていた。この力を、正しく使わなければならない。


8


実力試験が終わり、陽太は「能力観察官」としての新しい立場を得た。


しかし、彼の心は完全に晴れたわけではなかった。確かに認められた。でも、結局自分は戦うことはできない。その事実は変わらないのだ。


試験翌日、陽太は一人で中庭のベンチに座っていた。記録ノートを膝に置き、昨日の試験を振り返っている。


「ここにいたのね」


美咲の声がした。香織も一緒だ。


「お二人とも…」


「昨日はすごかったよ!」香織が興奮した様子で言った。「綾瀬くんの分析のおかげで、私たちも勝てたし、暴走も止められた」


「本当にありがとう」美咲も心から感謝を示した。


陽太は複雑な表情を浮かべた。


「でも、結局僕は見ているだけでした」


「また、そんなこと言って」香織が呆れたように言った。


「綾瀬くん」美咲は真剣な表情で言った。「昨日、あなたがいなかったら、大変なことになっていたわ。それは事実よ」


「そうだけど…」


陽太は言葉に詰まった。認められても、この虚しさは消えない。自分は何を求めているのだろう?


その時、学園の警報が鳴り響いた。


「また!?」


三人は驚いて顔を見合わせた。校内放送が流れる。


「緊急事態発生。全学生は最寄りの避難場所へ。これは訓練ではありません」


陽太たちは急いで立ち上がった。遠くから轟音が聞こえ、学園の一角から煙が上がっている。


「研究棟の方角だ」美咲が指差した。


「『虚無』?」香織が不安そうに言った。


三人は迷った末、研究棟へ向かうことにした。途中、逃げる学生たちとすれ違う。


研究棟に近づくと、建物の一部が破壊されているのが見えた。そして、黒い衣装の集団—「虚無」のメンバーたちが、何かを探しているようだった。


「隠れて」


陽太が二人を物陰に引き込んだ。ここから先は危険すぎる。


しかし、その時、一人の「虚無」メンバーがこちらに気づいた。


「見つけたぞ!倉田と若林だ!」


黒衣の男が叫ぶと、他のメンバーたちも振り返った。


「逃げて!」


陽太は反射的に二人の前に立ちはだかった。無力な自分に何ができるかわからない。でも、二人を守りたいという衝動が、彼を突き動かした。


「綾瀬くん!」美咲が叫んだ。


黒衣の男が能力を発動した。紫色の光線が陽太に向かって飛んでくる。


その瞬間、陽太の記録ノートが激しく光った。光線はノートに吸収され、消滅した。


「何!?」


黒衣の男が驚愕する。陽太自身も、何が起きたのか理解できなかった。


「面白い」


低い声が響いた。黒衣の集団の中から、一人の男が進み出てきた。他の者たちとは明らかに違うオーラを纏っている。リーダー格らしい。


「君が、噂の観察者か」男は陽太を見据えた。「綾瀬陽太…予想以上に興味深い」


「お前は…」


「私は白石恭一」男は名乗った。「『虚無』の…まあ、代表と思ってもらえばいい」


陽太は警戒しながらも、相手を観察した。白石の周りには、通常の能力者とは異なる、歪んだ波動が見える。


「君の才能は素晴らしい」白石は続けた。「我々に協力する気はないか?」


「断る」陽太は即答した。


白石は肩をすくめた。「残念だ。では、力ずくでも…」


その時、学園の教員たちが到着した。藤堂先生を先頭に、能力を構えて「虚無」のメンバーたちと対峙する。


「撤退だ」


白石は舌打ちして、部下たちに指示を出した。再び瞬間移動装置が起動し、彼らは姿を消した。


危機は去ったが、陽太は呆然と立ち尽くしていた。今、自分の身に何が起きたのか。記録ノートが能力を防いだ?そんなことがあり得るのか?


「大丈夫?」美咲が心配そうに尋ねた。


「ええ…多分」


陽太は記録ノートを見つめた。いつもの革表紙のノートに見える。でも、確かに何かが起きた。


藤堂先生が三人に近づいてきた。


「無事でよかったわ。すぐに保健室へ」


「先生」陽太は尋ねた。「今、何が起きたんでしょうか?」


藤堂先生は複雑な表情を浮かべた。


「後で説明するわ。今は安全な場所へ」


陽太は頷いたが、心の中には新たな疑問が生まれていた。自分は本当にただの観察者なのか?それとも、まだ知らない何かがあるのか?


記録ノートを強く握りしめながら、陽太は二人と共に保健室へ向かった。自分の役割について、改めて考え直す必要があるかもしれない。


9


保健室で手当てを受けた後、陽太たちは学園長室に呼ばれた。


蓮見学園長、藤堂先生、そして見知らぬ研究員らしき人物が待っていた。


「まず、無事でよかった」学園長が安堵の表情で言った。「そして、綾瀬くん」


「はい」


「君の記録ノートが示した反応について、説明する必要があるようだね」


陽太は緊張しながら頷いた。あの現象は、自分でも理解できていない。


「実は」学園長は続けた。「君に渡した記録ノートは、ただの記録用具ではないんだ」


「え?」


「正確には『能力記録同調装置』という」研究員が説明を引き継いだ。「長期間、能力を観察・記録することで、その能力の一部を『記憶』する特殊な装置だ」


陽太は驚いた。そんな機能があったなんて。


「但し」研究員は続けた。「通常は能力者が使用しても、せいぜい能力の増幅程度の効果しかない。能力を持たない者が、攻撃を防ぐほどの反応を引き出したのは…前例がない」


「つまり?」美咲が尋ねた。


「綾瀬くんの観察能力が、予想以上に特殊だということだ」学園長が答えた。「彼は能力を『見る』だけでなく、その本質を『理解』している。だからこそ、記録ノートも反応したのだろう」


陽太は混乱していた。自分の観察力が、そこまで特別なものだったのか。


「でも、それは能力じゃない」陽太は主張した。「僕はやっぱり、無能力者です」


「そうかもしれない」学園長は優しく言った。「でも、君の才能は能力に匹敵する。いや、ある意味では超えているかもしれない」


「綾瀬くん」藤堂先生が口を開いた。「あなたは自分の価値を、まだ本当には理解していないのね」


陽太は俯いた。褒められても、実感が湧かない。確かに記録ノートは反応した。でも、それは装置の力であって、自分の力ではない。


「とにかく」学園長が話をまとめた。「『虚無』が君を狙っていることははっきりした。今後は、より一層の警戒が必要だ」


三人は頷いた。


学園長室を出た後、陽太は一人になりたくて、寮への道を遅れて歩いていた。


今日起きたことを、どう受け止めればいいのか。能力観察官として認められ、「虚無」にも目をつけられ、記録ノートの秘密も明らかになった。


でも、核心的な疑問は残ったままだ。自分は何者なのか。本当にただの観察者なのか。


夕暮れの空を見上げながら、陽太は深い溜息をついた。


「答えは、まだ見つからない…」


彼は記録ノートを開き、今日の出来事を詳細に記録し始めた。いつか、この記録が何かの答えに繋がることを信じて。


第三章は、陽太の葛藤が最も深まる章となった。能力観察官として認められても、「無能力者」としての劣等感は消えない。むしろ、自分の立場の特殊性に、より深い戸惑いを感じている。


記録ノートの秘密が明らかになり、新たな可能性も示されたが、陽太はまだそれを自分の力として受け入れられずにいる。


彼が本当の意味で自分の価値に気づくまで、まだ長い道のりが必要なようだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ